ねえちゃん姫
<10>




 数日、茜は珪王子と穏やかでいて楽しい日々を過ごしました。
 珪王子が『約束』の事を一切持ち出さなかったからこそ、茜も素直に珪王子に馴染めたのかもしれませんが。

 庭園の散策、湖での舟遊び、近隣の森を馬で回ったり、天候の悪い時は離宮内でボードゲームや朗読をしたり、と。
 子供の頃のようにはしゃぎ回って、じゃれあってはいませんが、それでも、子供の頃の延長のような楽しい日々だと言えるでしょう。
 清清しい空気を吸い込み、緑や湖を渡る心地いい風を感じ、人目を気にすることもなく、素直に感情を出して笑ったり、時には拗ねてみたり。
 それは、信じられないくらいに楽しい日々でした。

 けれど、そんな楽しい日々の中でも、珪王子と一緒に過ごしていても、茜は尽の事をずっと想い続けています。

 何度か手紙も出しました。ほとんどが他愛のない近況報告……それと、必ず手紙の最後には『今度は、尽と遊びに来たいな』の言葉。
 それらの手紙に尽からの返事はありませんが、きっと、公務が忙しく、手紙を出す時間もないのでしょう。 
 返事がなくても、茜は尽に手紙を出し続けます。
 なぜなら……珪王子に抱いた好意が日ごとに大きくなるたびに、茜は、より強く想うから……尽の事を。あの約束を。

 尽の事を想いながら手紙を書くだけで、茜の心は尽への想いに満たされるのです。
 尽が好き。
 そう、実感するのです。

 約束ゆえに尽を想うのではなく、尽を想うゆえに約束に束縛されたいと……そう、思いさえ、しました。
 
 

「お手紙、お願いしますね」

 朝、朝食の後、その日の日程を確認しに来る志穂に、尽宛ての手紙を渡します。
 それから……。

「私宛のお手紙、来てませんか?」

 こう問い掛けるのが、茜の日課となっていました。
 尽からの手紙はやはり来ず……忙しいにしても、せめて何か一言くらい……と、思いながら、茜は毎日、志穂にそう問い掛けます。

 志穂は、茜の手紙を受け取って、浅い溜息をつきました。

「いいえ、何もきておりませんわ」

「そう……」

 あからさまに肩を落とす茜を見て、志穂は気遣わしげな眼差しをして、それから、少し何かを口篭もった後、茜に優しく微笑みました。

「……届きましたら、すぐにお渡ししますから……」

 厳しいけれど、実は優しい目付け役に、茜は笑って頷きました。

 尽からの手紙……一筆だけでもいい。いいえ、尽が自分に向けて出したと分かる紙片だけでもいい。とにかく、何か、尽に関わるものに触れたいと、茜はそう思うのです。

「志穂さん、ありがと」

 笑いながらも、気落ちする様子がありありの茜……彼女が何を待ち望んでいるのかよく知っているから、志穂は優しい眼差しで茜を見ました。

 そうして、その日の予定を確認します。
 普段、珪王子がいる時は免除される事の多かった勉強ですが、珪王子が所用で不在の際は、午前か午後は必ず勉強の時間に宛てられていました。
 その日も、珪王子が一昨日から自国に戻っているため、午前中はお勉強でしたが、午後からは……。

「そう! お父様、今日はどこにも出かけられないのね!」

 曇りがちだった茜の顔が、輝きました。
 茜は、珪王子との楽しい時間だけでなく、父王と過ごす時間も大好きでした。
 政務や貴族達の相手……離宮に来ても、ずっと茜と一緒、というわけではなかったのですが、城にいる時よりは、一緒にいる時間は多いのです。
 父娘の穏やかな時間は、庭園の散策や朗読、お茶の間の他愛無いお話に費やされました。

 そう、その日の午後も茜は、昼食が終わった後、穏やかな風の入るサロンで父親とお茶を楽む事となりました。
 ごくごく他愛無い会話の内容は、ここ数日の離宮での日々の事でした。

「茜は、珪王子が随分お気に召したようだね」

「ええ。珪王子、とてもいい方ですもの。それに……あぁ、そう、お父様はご存知でしたのね?」

「何が、かね?」

 父王が可笑しそうな表情をするのに、茜は確信しました。
 どうしても、拗ねたような表情になってしまいます。

「私と珪王子がここで小さい頃に遊んでいたのを踏まえて、今回離宮に珪王子をお招きしたの……わざと、ですか?」

 はははは、と、父王は声を立てて笑います。

「おまえが幼い頃にこの離宮にいる際、珪王子を招いたのも私だ。互いにとって良い遊び相手だろうと思ってな」

「……お父様……」

 何もかもが、父王の掌の上な気もして、やはり、拗ねた気分になる茜ですが……確かに、珪王子は素敵な人で、父王の人を見る目は確かかもしれないとも思うのです。

「文武に秀出て、性格も温厚。そう、容姿だとて見目麗しいときた。これ以上の王子は、そうそういないだろう」

 茜の思考にはちらりと尽が掠めますが、とりあえず、それを振り払って、父親をねめつけました。

「珪王子の隣国とうちの国は長い間友好が厚く、何代にも渡って縁戚関係も続いておる」

 父王は、お茶を口に運びながら、何気なく口にします。

「これ以上の相手は、まずいない」

「え?」

「しかも、珪王子は、幼い頃のおまえを想い続け、今まで一人身できた。数ある妃候補を断りつづけ、季節ごとにこの離宮にきて、な」

 父王の言葉に含まれ始めたものに、茜も気付きました。
 父王の、意図、に。

「おまえも、珪王子を想うのならば……これ以上の、良縁は、あるまい? 珪王子と一緒になれば、おまえは、きっと、誰よりも幸せになれるだろう」

「っ!!」

 多分、父王は最初から、そのつもりだったのでしょう。
 いえ、幼い茜と珪王子を遊び友達としてめぐり合わせたのも、その意図があったに違いありません。

「この休養が終わり、城に帰れば、おまえを我が娘として正式に公表しよう。そうして、珪王子との婚約もまた……」

「お父様……っ!?」

「何を、慌てる? まさか、他に好いた者でもおるのか?」

 父王が、自分をじっと観察するように見詰めているのを感じ、茜は視線を逸らせました。

 好きな、人……。
 尽。
 弟ではなく、それ以外のものとして……。

 けれど、それは口に出来ません。出来るわけがありません。

「まぁ……まだ時間はある。珪王子と時を過ごし、この話がいかに己の為になるのか、思いを巡らせるとよい」

 父王の言葉に、茜の拒否権を伺うようなものはありませんでした。
 茜は、唯一の肉親、優しい父の事実上の命令に、唇を噛み締めました。

 そうして、父王は立ち上がって、テラスへと脚を向けながら、ついでのように、あるいは……茜の反応を探るように言いました。

「尽も、相手が決まった。近いうちに、正式な発表をなさねばならぬな。できれば、おまえの公表の前に、な」

「!!!?」

 尽の、相手が決まった。

 茜は、全ての動きを止めました。
 尽の相手……それは、つまり……尽の将来の伴侶。尽の妃。
 言葉の衝撃だけが茜の全ての動きを止め、それが思考に染み渡ってきて、茜は呟きました。

「う、そ……」

 旅立つ前に言っていた尽の言葉が茜に蘇ります。
 あの熱い口付けと抱擁が思い出されます。
『ふたりの結婚できる可能性』それが、否定されてしまったという事でしょうか?
 尽は、あんなに自信たっぷりだったのに?
 茜は、それを信じていたのに?

「だって……約束……」

 呟きそうになって、口許を押さえました。
 父王は、茜の言葉が聞こえていないのか、テラスから暮れて行く一日が湖に微妙な光を与えるのを眺めていました。

 尽に、会いたい。
 茜は、はっきりと思いました。
 けれど……ひとりで城に帰れるわけがありません。馬を出すにも、父王の許可がいるのです。

「………お父様……私……」

 動揺をどうにか押し殺して、茜は口を開きました。

「気分が悪いので……失礼、します……」

 父王は、止めませんでした。
 父王がふらつく茜を気遣って呼んだメイドの手を押しのけて、茜は自分の部屋まで戻りました。

 また、頭の中が、心の中が、乱れています。どうしようもなく。

「尽……」

 呟きました。
 そうして、思い浮かべました……尽を。

「私……尽が、好き。好きなの……尽に、会いたい……」

 無邪気に自分を慕う幼い頃の尽。真剣に自分に結婚の申し入れをした、自分の幼さをもどかしげにしていた尽。
 自分を好きだという成長した尽。自分達が姉弟だと知り、それでも自分を思いつづけてくれた尽、その切な過ぎる眼差し。そうして、情熱的に自分を求めてきた、弟じゃなく男だった尽。

 自分の想いを実感し、茜は胸が苦しくなりました。

『自分のあるべき場所』。
 まだ、茜はそれを探しています。

 荘園での生活は幸せでしたが……違いました。
 ここで父王とふたりでいる時間はそれに近いかもしれません。
 珪王子と共にいる間も、実は茜はちらりと考えたりしました。
 けれど……今、自分の想いを実感して、思います。

 尽の傍。当たり前のように、居心地の良かった尽の傍。弟の傍だからじゃなく、それだけじゃなく……自分を想ってくれる相手の傍で、自分が想う相手の傍だから。
 惹かれ合う相手だから。
 いつも、そして、できるならずっと傍にいたいから。

 『自分のあるべき場所』は、きっと、これから自分で……いえ、自分と自分の愛する人で作っていくもの。
 そうであるならば、茜は……尽と一緒に作っていきたい、と、思います。

 尽の傍にいたいのです。
 尽の声を聞いていたい。
 尽の温もりを感じていたい。
 尽の眼差しに囚われたい、捕らえたい。
 尽の全てをずっと感じていたい。

 これから先、尽と一緒に過ごしていけるならば、ふたりのいる場所こそが、きっと『自分のあるべき場所』になるでしょう。

 いえ、今だって、茜は帰りたい、と、思っています。
 ……尽の傍に。

 今すぐ尽の傍に帰って、尽の存在を身近に感じれば、きっと、安心できると思うのです。
 こんな不安な思いなんて、尽が打ち消してくれるだろうと思うのです。

「会いたい……会いたい、けど………」

 どうしようもないもどかしさに、茜はまんじりともせずに一晩を明かしました。
 そうして、朝に、茜は意外な再会をするのでした。



つづく




--BACK--





<言い訳>
間が空いた・・・というよりも、すっかり忘れ去られて
いそうなくらい永遠の時を超えているというか。

しかも、進展は何もありません。
尽どころか、珪王子さえ出てきていません(苦笑)。

そして更に・・・
すみません。
この回から、名前の変更機能外しています。
主人公の名前はデフォルトの『茜』で。


・・・名前変更機能用に更新するの、自主制作JSなんで、とっても手間が
かかるんですよ・・・。
活用されていた方がいたとしたら、本当にすみません。

内容があんまりアレなんで、次回の11話も同時アップしますが、
そちらも、こちらと似たり寄ったりで・・・尽、珪王子出ません。
その代わり、女友達は出ます。