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ねえちゃん姫 滞在二日目、朝食の席で父王は今日の予定を朗らかに話しました。 父王は貴族達と共に狩りに出かけ、はてっきり珪王子も同行するかと思ったのですが……珪王子は同行せず、離宮に残るとの事です。 もしかして、とお話をするためでしょうか? 昨夜と同じに、対面に座る珪王子を見ると、王子はの眼差しを受けて小首を傾げて微笑みました。 馬に乗って出かける父王達を見送った後、と珪王子は……。 「よかったら離宮を案内するけど……。……行きたい所、あるか?」 珪王子の言葉に、は戸惑います。 昨日の乱れた心のままだったからです。 このまま、ふたりきりで色々お話をして、珪王子に上手く受け答えできるか不安だったのです。 けれど……その不安も、存外あっさりと拭い去られました。 戸惑った様子のに、珪王子の方から、庭園の散策を申し出ました。 広い庭園……も、昨日は一通り回ったつもりでしたが、離宮をぐるりと囲む庭園の他に、中庭や湖まで続く遊歩道など、まだまだ見ていない所がありました。 しかも、それらを回ると……恐らく、珪王子は意識的なのでしょう、子供の頃の、記憶がゆっくりと蘇ってくるのでした。 まず風景に刺激されて懐かしさがこみ上げてきて、次に淡い記憶の輪郭が浮かび、その裏づけをするように、珪王子が穏やかな声でふたりで遊んだエピソードを語るのです。 「おまえが、ここにいたのは月が一周するくらいの短い間だった。そのうちの半分以上を、俺はおまえと過ごしたんだ」 湖が見える位置に設えられた石造りの椅子に、ふたりは腰掛けています。 も、最初の頃は不安ばかりありましたが、珪王子との記憶を辿る散策の間に、すっかり珪王子を幼馴染と認識した懐かしい気安さで接せられるようになりました。 子供の頃の『約束』を持ち出される事なく、穏やかな雰囲気で接せられた事も、を安心させたのかもしれませんが。 「あの頃の俺は、城の中の暮らししか知らなくて、外で遊ぶ事もロクに知らなかった……だから、ここで、ずっと、おまえに引っ張りまわされっぱなしだったんだ……。子ウサギみたいに跳ね回るおまえに引っ張られて……新しい世界を、発見した、色々と、な」 さっきの散策で見た抜け道も、木立の中の隠れ家も……子供だったふたりが見つけた、ふたりだけの秘密。 昨日まで忘れていた子供の頃の記憶が、どんどん形を持って、の中に蘇ってきました。 珪王子との時間は、の中の記憶を蘇らせ……同時に、にその頃の想いもよみがえらせました。 そう、は、小さな頃一緒に遊んだ、王子様が……好きだったのです。 それが、今のが認識できる恋という感情かといえば……分かりませんが、好きだったからこそ、漠然と意味を悟ったあの『約束』に素直に頷いて、指切りをしたわけで。 珪王子との『約束』。 子供の頃の、幼い誓い。 幼い子供の、おままごとのような約束ですが……大人になったら、懐かしい想い出となるようなそれですが……珪王子は、それを想い続けてきてくれました。死んだ事になっていたを待ちつづけていました。 それを考えると、は、あの『約束』を単なる想い出とする事は、できそうもないのです。 もっとも、珪王子自身は、昨夜話して以来、一度たりとも『約束』の話には触れませんでしたが。 一日、一緒にいてはわかった気がします。 珪王子の優しさ、気遣い。 『約束』を己は心に刻みつけながらも、にはそれが錘にならないようにしてくれているのです。 は、当然のように珪王子に好意を持ちました。 記憶が蘇ると共に、子供の頃の"好き"の想いに、今の想いが重なった気がします。 けれど、きっとそれは、まだ……恋、では、ないのです。 まだ、そこまでは行き着かないのです………の心には、今は……尽がいるのですから……。 幼い頃の珪王子との『約束』。 尽の先約と、それを忘れない『約束』。 は…………。 太陽が空から暖かな光を降がせて、緑の草木を色鮮やかに栄えさせていました。 この離宮に来て以来、珪王子と一緒に過ごすのは、には当たり前のような時間になっていました。 その日は、馬に乗って遊歩道を散策に出かける事になり、珪王子はこの離宮まで来るのに使う愛馬の白馬に乗り、は離宮にいる明るい鹿毛の馬を使いました。 「少し離れた所に、猟場の休憩所がある。そこまで行こう」 慣れない馬、慣れない横座りの騎乗。 「荘園では、もっと軽装だったから跨って乗ってたのに……」 が言うと、珪王子は少し目を丸くして驚いた後、声を立てて笑いました。 「さすが、お転婆姫だ」 目に涙さえ溜めています。 は、少し拗ねた素振りで、頬を膨らませました。 「だから、俺と一緒に乗れば良かったのに」 悪戯含みの声に、は、何か言おうと口を開きかけ……止めました。 珪王子は、確かに、出かける前にも一度そう誘ってくれました。 けれど……は思い出してしまったのです。 尽と一緒に馬に乗って出かけた事を。 一度、荘園に連れられていって以来、何度か一緒に馬に乗せてもらいました。いつも、尽の前に乗って。尽の体の熱を感じながら。尽の声を、耳のすぐ傍に感じながら。 それは、とても楽しくて、幸せな記憶です。 その記憶を、別の人との想い出で塗り替えたくなかったのです。それが、例え、珪王子であっても。 だから、は、珪王子の申し出を断ったのです。 尽……。 尽は、何をしているかな……。 離宮に来て、尽と離れている時間が長引くたびに、尽を思いだす回数が増える気がします。 珪王子とこうして一緒にいても、尽の事を思いだす出来事に遭うたびに、尽を懐かしく思います。 「姫?」 自分より少し前を行く珪王子に声をかけられて、やっとははっとしました。 「いやに静かだから……大丈夫か?」 心に尽が引っかかっています。 だから、ふと、考えついた事を珪王子に問い掛けました。 「ん……あのね、珪王子って、尽に会った事、あるの?」 「ん?」 唐突な問いかけに、珪王子は、少し考え込みましたが、すぐに何気なく答えてくれました。 「ああ。この離宮で2度、公式に……5度ほど」 記憶力が異様に良い珪王子は、聞けば、その時の詳細まで答えてくれそうです。 「小さい頃?」 「そうだな。小さい頃にも会った。やけに口達者で……俺の方が圧されていた、かな」 王子は、そこでくすっと笑いました。 「さすがに、なんとなくおまえにも似ていて、気に入ってたな、俺。あいつも、なんでか俺によく付き纏っていたし」 その様子が想像できそうで、は珪王子につられるようにくすくす笑いました。 「最近、留学途中にうちの国にも挨拶するために立ち寄っていたんだが……随分しっかりしていて、驚いた」 その時の事を思い出して口に出すよりも前に、珪王子は笑いを堪えるような表情をしました。 「王子?」 「……いや、ああ……思い出した。その時、あいつ、守りたい女性がいるから、と。だから、少しでも早く大人になりたい。そう、言っていたな。……随分、いい男になったものだと、感心したんだ、俺。一体、どこの姫君か……王も、話が早くていいだろうな」 どくん、どくん、と、鼓動が早まり、頬が真っ赤になっているのが実感できます。 尽が言う守りたい女性とは……自惚れでなければ、多分、自分の事。 そうして、尽が珪王子にいい男だと認められたことに、はむず痒い嬉しさを心一杯に感じました。 木々の生い茂る森の中、空を覆う緑の木の葉の隙間を塗って柔らかに差し込む木漏れ日を浴びて、馬はのんびりと歩を進めます。 離宮用の遊歩道は、綺麗に整備されているくせ、達ふたりの他、人影はまったくありませんでした。 時折、視界を掠めるように森に生きる生き物達……リスであったり、鹿であったり……が通り過ぎるだけです。 さわさわと風に木の葉が擦れあう音と、鳥達の歌声、生き物達の声が耳を心地よく潤わせます。 は、珪王子の言葉によって心の中に広がった心地よい感情と、今自分を取り巻く優しい自然に、穏やかに微笑んでしまう表情を止める事はできませんでした。 そうして、また、ちらりと思います。 今度は、ここに尽と一緒に来たいな、と。 恐らく、珪王子が聞いたら落胆する事請け合いの考えでしたが……の心はどうしても尽へと傾いてしまうのでした。 そんな想像をしている折。 「あいつ……弟とはよく話をするのか?」 「え、あ……ええ」 突然に問い掛けられて、は焦りました。 「仲、いいのか?」 「そう、だね……うん」 仲がいい……確かに、仲はいいでしょう。 「そうか……それは、いいな。俺、兄弟がいないから、羨ましい」 本当に羨ましそうに微笑んで言う珪王子に、はどういう表情を取っていいか、一瞬戸惑いました。 尽は……弟です。ふたりは姉弟です。 けれど、姉弟だから、ふたりが結ばれる事は難しく…………いえ、姉弟が結ばれる事は、本来あり得るはずもなく。 それでも、惹かれる気持ちを止められない。 この関係は、きっと、羨ましがられるものではないのです。 けれど、珪王子は、当然、と尽の想いを知るわけもないので……素直な珪王子の言葉に、は尽と自分の関係を思って、曖昧に微笑むだけでした。 「………俺、あいつみたいな弟なら、上手くやっていけるかもな」 「……え? 何か、言いました?」 ごく小さな声で言われた珪王子の言葉は、の耳には届きませんでした。 「はは……いや、なんでもない……。ほら、それより、休憩所がそろそろ見えてきたぞ」 馬上でを振り返った珪王子の頬は、微かに赤くなっていましたが……すぐに前を向いて、馬を小走りに走らせましたので、がそれに気付く事はありませんでした。 なにはともあれ、ふたりはその後、休憩場でのんびりお昼を食べ、それからまた猟場を散歩したり、と、ここの所の普段通り、ほのぼのした時間を過ごしました。 そんな時間は、にとっては幼馴染の友人との平和な時間でしたが……珪王子にとってはどうであったのか……どうにも鈍いは、言われるまで決して気付かないでしょう。 つづく |
<言い訳>
また、間の空いた更新になってしまいました。
当分尽は出ずに、珪王子のご登場ですが。
・・・主人公の心は、珪王子といても尽にあります。
不憫、l珪王子・・・!
次回は、まだまだ離宮にて。
主人公の心の葛藤。