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ねえちゃん姫 尽が姿を見せなくなってから、どれくらいの月日が過ぎたのでしょう? の中の尽と過ごした記憶は消えることなく、物心付く前から肉親を知らず、ゆえに肉親を失う記憶さえ持たないは、尽と別れて初めて肉親と別れる痛みを知りました。 奈津美は、まどかと婚約をしました。 珠美も、かねてより恋仲にあった青年と将来を約束しました。 瑞希も、生まれた時からの婚約者であった青年がやっと諸国漫遊の長旅から帰ってきたとの事で、荘園の方にはちっともやってきません。 だけがまるでひとりきりのようで……寂しさは募りました。 いえ、にだって、いいお話はありました。 城下で学問を教える学者が研究の為荘園にやってきた際に見初められたり、瑞希の知人の大貴族のやもめ当主に気に入られたり、隣国の貴族の子息と縁あって文通していて告白されたり……。 けれど、どれも、の心を動かせませんでした。 の心には、ずっと、尽が引っかかっていたのです。 あんな別れ方をしてしまった尽の事が、気になって仕方なくて……男の人と付き合う事なんて、できそうもありませんでした。 そんなある日、久しぶりに瑞希がふらりとやってきました。 「色さまがまた旅に出てしまわれましたのっ! 『あの朝日の向こうには何があるのだろうね? 僕は知りたくなってしまったよ』なんて言って、ふらりとその日のうちに……っ! ああ、今度は、早く帰られると良いのですけれど……! 今度こそ、瑞希もついていけばよかったですわっ!」 泣きながらに訴えかける瑞希を、は苦笑しながら慰めました。 の特製ハーブティを飲んで落ち着いたらしい瑞希は、ほう、と大きな溜息をつきながらいつもように雑談を洩らします。 「せっかく、お城に王子もお戻りになられて、これか賑やかになられるっていう事ですのに……」 「王子、どこかに出かけられていたの?」 中央の事情にまったく疎いを、哀れむような眼差しで見詰めた瑞希は、今度は呆れの溜息をつきました。 「田舎の荘園に長年住んでますと、こういう情報にも疎くなりますのね! 仕方ないですから、瑞希が教えてさしあげますわ」 「あはは……ごめんなさい」 瑞希の高飛車で素直じゃない所が愛嬌だとは苦笑するばかりですが、実際、瑞希の言葉には興味を惹かれました。 「勉学の旅に他国にいかれてましたのよ。これからの一国を担って行かなきゃならない方ですもの。それくらい当然ですわ。まぁ、色さまの他国への博学ぶりに比べれば、大した事ないかもしれませんけれど!」 小指を立ててカップを口に運び、少し息をついてからまた話し始めます。 「で、そろそろ王子もいいご年齢になれれましたから、今年から、しばらく、花嫁探しが始まるのですわ!」 「え? だって、王子って……?」 確か、尽と同じ年齢。自分より下で、結婚できる年齢ではないはずですが。 「non non! そんな事関係ありませんもの。だって、王族ですのよ! まぁ、勿論、花嫁が決まったからって、すぐに結婚するわけじゃありませんの。見事王子の心を射止めて花嫁に選ばれた方は、それから一国の王妃としてふさわしい礼儀作法や教養をお学びになられるのですわ。そう、王子が結婚おできになる年齢になるまで!」 目をキラキラ輝かせて語る瑞希は楽しそう。 にはまったく想像がつかない世界ですが、それが、自分とは無関係の御伽噺に聞こえて、逆に胸がときめく気もします。 「で、それでですわね……!」 瑞希は更に言葉を続けます。 「王子の花嫁は、王国内の貴族の娘から選ばれるらしいんですの。どうやら、隣国に適当な年齢の未婚のお姫様がいらっしゃらないという事で。まぁ、こんな田舎の下級貴族では関係ないかもしれませんけれど。あ、ちなみに、瑞希の婚約は正式なものですから、対象外ですわよ。色さまという素敵な婚約者がいらっしゃらなければ、大貴族の瑞希のお家にも打診は来ていたかもしれませんけれど」 お城の王子様。 は見たこともないその姿を想像します。 王子様に憧れるほど、身分知らずではありませんが……女の子なら、少しくらい思い描いてしまうものでしょう。 しかし、その姿が不意に尽になってしまって……は慌てて頭を振りました。 あの尽が王子様なわけありません。 こんな田舎の荘園にやってきて、下級貴族の養女に弟扱いされ、泥にまみれて仕事を手伝って……そんな事、王子がするわけありませんから。 「ねえ、瑞希さん?」 「何かしら?」 「大貴族の中に、王子様と同じ年頃で、王子様と同じ名前をした方、いらっしゃるかしら?」 「あらぁ? そんなの、沢山いらっしゃいますわよ! 家名とかが分かれば、瑞希ならすぐに分かりますけど。……それがどうされたの?」 「あ、うん……なんでも、ない……」 尽の家名も、住んでいた土地も、どういう家族構成なのかも、詳しい事は何も知らないから、答えようがありません。 尽という名前で、同じくらいの年齢の貴族の息子……沢山いる中の、いずれかはあの尽に違いないのですが……まさか、わざわざ貴族の集まる場所まで出向いていって、尽を探すなんて、にはできません。 ……いえ、そうでしょうか? 「瑞希さん、あのね……」 「なぁに?」 「あのぉ……もしかして、近いうちに、貴族が集まるパーティ、なんてないかしら?」 「Pourquoi? まぁ、まさか、あなた、身の程知らずに……」 「ちっ、違うのっ! あのね、瑞希さんにも話したでしょう? 尽っていう王子様と同じ名前の男の子……」 実は、瑞希は尽と面識がないため、他の人間の言葉によってしか、尽という少年を知りません。 「あぁ、そういえばそんな話……行方不明になったんでしたっけ?」 「……というか、姿を見せなくなっちゃって……私、ずっと、気になってて……」 瑞希は、しばらくの顔をじーーっと見つめた後、肩をすくめて見せました。 「数日後に、大貴族のご子息・ご令嬢の結婚パーティがあるんですの。瑞希のお家くらい有力な貴族同士のご結婚ですから、色々な方がいらっしゃると思うんですけど……」 「あの、私、なんでもするから、そこに……!」 「瑞希の侍女でいいなら、構いませんけど」 かなり、瑞希らしい恩着せがましい言い方ですが、この際関係ありません。 は何度も頷きました。 そこで、尽に逢えるとは思いませんが……それでも……尽に、逢いたかったのです。 あんな別れ方をしてしまった尽……「結婚しよう!」の言葉に、頷けるわけはありませんが……けれど、あの頃のように、せめて、姉弟のような関係に、戻りたかったのです……。 さて、パーティの日に、瑞希はわざわざを迎えにやってきました。 友人の少ないらしい瑞希なので、実は、と一緒に行動できるのは、嬉しい事だったのかもしれません。 奈津美や珠美が羨ましがる中、瑞希持参の侍女の衣装を身に纏い、パーティに向かう事にしました! パーティ会場は城下の貴族の邸宅。 の住まう荘園とは比べられないくらいに壮麗な建物! というか、城下そのものの賑々しく活気に溢れた空気に、城下に初めて訪れるは目を見張るばかりで。 「よろしいですわね! くれっぐれも、瑞希に恥をかかせるような真似はやめてちょうだいね!?」 侍女はパーティ会場に入る事はできませんが、付き人専用の待合室があり、そこで情報が得られるかもしれない、と、瑞希の家の執事であるギャリソンが丁寧に教えてくれました。 付き人用の待合室とはいえ、の住まう部屋よりは確実に美しいそこで、は何人かの侍女や従者に話を聞きましたが……帰ってくる答えは、瑞希と同じようなものでした。 そういう年齢のそういう少年はいくらでもいて、やはり、家名が分からないと分かりようがない、という事です。 実際、尽という名前の子息のいる貴族の従者にも話を聞きましたが……の言う特徴くらいでは、あの尽かどうか特定できそうもありませんでした。 後は、実際に、実物の『尽』を見て判断するしかなさそうなのですが、付き人の待合室からはパーティ会場が見えるわけはなく……は、意を決してそこを抜け出して、パーティ会場が垣間見える中庭に向かう事にしました。 きっと、見付かれば大事です。瑞希に迷惑をかけるどころじゃすまなくなるかもしれません。 けれど…………は、どうしても、尽に逢いたかったのです。 普段では履き慣れない丈の長いスカートを木の枝に引っ掛けないように、踵のある靴で転ばないように、そっと、そっと、夜の中庭を進みます。パーティ会場の窓から零れる光り向けて。 パーティ会場からは見られないだろう位置から灯りの中を覗き込めば……見たこともない煌びやかな世界が広がっていました。 本当に、御伽噺のようで、は何度も目をしばたかせました。 美しい色鮮やかな絹のドレスに身を包んだ男女。とりわけ、女性の衣装は彩りも装飾も華やかで……が一生のうちに着る機会は絶対にないだろうと思われます。 テーブルの上に広がるご馳走も、天井から下がる宝石を大量に利用したシャンデリアも、各所に飾られた見たこともないほど色とりどりの花々も……別世界のもののようです。 は、それらに見惚れている自分に気付いて、はっとしました。 今、見るのはそれらではなく……尽です。 けれど……尽らしい少年は、どこにも見当たりません。 というよりも、あれから長い月日がたっていますし、これだけ着飾っていては、尽がいたとしても分かるかどうか……自信がありません。 は、せめてもう少し近づけは分かるかもしれない、と、歩みを進みます。 けれど……不意に、何かを踏みつけた、と、思った瞬間。 「痛ッ!」 低く短い叫びが聞こえ、そのまま、踏みつけたものに転んで、倒れ込んで……。 「きゃ……!」 「う、あ……!?」 悲鳴をあげそうになって、咄嗟に思い切り口をつぐみました。 こんな所でバレたら大変ですから。 けれど、転んだのにちっとも痛くなくて、少し意識をはっきりさせれば、自分は今、何かの生き物にしがみ付いているのが分かって。 は目を開けて顔を上げると、誰か人間にしがみ付いているのが理解できました。 もしかして、さっき踏んづけたのは、この自分が今しがみ付いている人間だったのかもしれません。 何故、人がこんな所にいるかの疑問が浮かびましたが……自分の例を思い出して、は慌ててその人間から離れました。 「ごっ、ごめんなさい……! わっ、私、その……道に迷って……えーと……」 上手い言い訳がなかなか出てきません。 は、相手の反応が薄いのをいい事に、それだけ言い訳して逃げようとしましたが……。 腕を、つかまれてしまいました。 「っ!!」 もしかして、怒られる!? ひやりとしたものが背中を掠めた瞬間。 「ねえ、ちゃん?」 どこか虚ろに、掠れた相手の声が耳を打ちました。 ねえちゃん。 そういう風にを呼ぶのは、ただ一人です。 けれど、その一人は、今がこうして必死で探してる尽ですし、相手の声は尽のものとは違う気がしました。 顔を上げ、薄暗闇に目を慣らしながら目の前の相手を見ますが……。 よりも少し背が高い、身なりのいい少年がぼんやりと見えました。 まさか、と、思います。 けれど、とも、思います。 でも、は呼びかけてみました。 「尽……?」 そうして、帰ってきた答えは。 「なんで、ねえちゃんがこんな所にいんだ?」 間違えようも、なさそうです。 「しかも、その格好、どっかのメイドで働いてるのか、まさか!? 何、あそこの荘園、そんなに苦しくなってたのか!?」 慌てて近づいてきた顔は、成長していますが、確実に尽の顔です。 最後に会ったあの日に見た、整った柔らかで甘い少年の顔が、輪郭をシャープにした大人の男性に近づいていますが。そう、声だって、随分低くなっていますが。 それは、尽に間違いようがありませんでした。 は、思わず尽に飛びつきました。 「ねっ、ねえちゃん!?」 慌てた尽の声に構わず、強く、強く、尽を抱きしめます。 だって、とても、嬉しかったのです。 嬉しくて、嬉しくて………そうして、尽が愛しいのを改めて実感して……泣いてしまいました。 「ねえちゃん? 何、なんで!?」 「ばっ、ばかっ……一体、私がどれだけ、心配、したか……。なのに、あんたは……あんた、こんな所で………………って……??」 涙を拭いながら顔を上げ、尽の格好を見ますが。 ますます、の頭のなかの「?」は広がっていきます。 相手が尽なのは理解できました。 けれど、なんで、尽がここにいるのでしょう。 相変わらずいい身なりをしているので、きっと、パーティの参加者のはずなのに、こんな会場から離れた真っ暗な中庭に座り込んで………まさか、の言い訳のように、迷ったふうではなさそうなのに。 「……こんなところで、何してるの?」 「逃げて、来た」 「逃げて……?」 「ああいうパーティ、苦手だ。本当なら、今日、ねえちゃんの所に行くつもりだったのに、無理矢理参加させられて……って、そう、ねえちゃんこそ、なんでここにいるのか理由聞いてないっ!」 自分の話を途中で切った尽に、はやや不満でしたが、尽が自分の事を心配してくれるようなので、素直に事の成り行きを話しました。 そしたら、尽は、頭を抱えました。 「俺がいなかったら、どうするつもりだったの?」 「いなかったらいなかったで……」 「また、その瑞希さんに頼んで、こーいう風にどっかのパーティ覗き見するつもりだったの?」 「うっ……だって……その……」 「俺、いない可能性の方が高かったと思うけど……だって、俺、少し前まで、この国にいなかったし」 「……へ?」 「ねえちゃんと別れたあの翌日から、留学することになってたんだよ。だからさ……」 言いかけた尽でしたが、急にはっとして口をつぐみました。 しかも、きょとんとするの口を塞いで、自分の胸元に強く押し付けます。 「頼む、黙って……」 「……尽さま……」 遠くから、尽を呼ぶらしい声が聞こえます。 恐らく、尽は、その声の主から姿を隠したいのでしょう。 それはわかるのですが………抱きこまれた尽の胸は、大きくて。しっかりしていて。暖かくて。 長い間会わないうちに尽が随分成長したのだと、一瞬にしてリアルにに実感させました。 そうして……の鼓動は、知らず、高まっていくのでした。 「尽さま、どこに……」 声が近づくにつれ、の口を塞ぐ尽の手に力が篭ります。 「いい加減になさってください!」 声は、もう、間近です。 この分だと、見付かるのは時間の問題。 尽は、強く舌打ちすると、の耳元で小さく早口に捲くし立てました。 「絶対に、近いうちに荘園に行くから! 今日は、大人しく帰って!」 「尽さま!?」 尽の声が聞こえたのでしょうが、その声の主があと2,3歩の位置まで近寄ってきて……尽は立ち上がりました。 「ここにいる。そんなに心配しなくても、いなくならないよ」 「いなくならない? 以前は、しょっちゅう抜けだされていなくなって、どれだけ心配した事か!」 厳しい女性の声です。 「志穂先生は、まったく厳しいんだから……」 「厳しくもなります。あなたがあまりに無鉄砲すぎるのです」 どうやら、お説教の始まりのようでした。 尽の後ろにかがみ込んでいたに向けて、尽は後ろ手で向こうに行くように指示します。 も、見付かったらまずい状況であるらしい事を判断して、こそこそっとかがんだまま逃げようとしましたが……足元の木の枝を踏んづけて、パキン、となかなか激しい音を響かせてしまいました。 「っ!?」 「誰か、いるの!?」 尽の言う所の志穂先生の誰何の声が厳しく響き、は思わず立ち上がって、思い切り頭を下げてしまいました。 「すみませんっ!」 顔を上げた時に見たのは、呆然とした女性……恐らく、とそう年齢の変わらない女性と……頭を抱えた尽でした。 は、もう一度、頭を下げると、そのまま、脱兎のごとくにそこを逃げ去ることにしました。 尽が困った事になっていたらどうしよう、と、そう思ったのは付き人用の待合室に戻った後の事。 実際、少しばかり尽は困った事態になっていましたが……その困った事態の内容をが知ったら、さぞ変な顔をする事でしょう。 「まさか、あなた、どこかの侍女に手を出されていたのですか!?」 「手を出すって……」 「いいえ、分かりませんわ。なんて事でしょう! 相手は、どちらの侍女ですか? 今回会われたのは何度目? 彼女は………」 「何、余計な心配してるかな……俺はさ、ただ……」 「いいえ、分かりませんわ。あなたの姉上の事は、お聞きお呼びでしょう? そうならないためにも……!」 「……あの人は、そういうんじゃないから……親父と一緒にしないでくれ」 「尽さまっ! なんて事を……!」 「うるさいな! 俺は、俺の好きな人くらい、自分で見つけてくるから!」 そうして、尽は、無理矢理その会話を中断して、パーティ会場に戻りましたが……が尽の参加したパーティ会場の尽の様子を垣間見る事はありませんでした。 さて、その後、パーティを終えて戻ってきた瑞希は、目を輝かせていました。 「今回のパーティは素敵でしたわ! なんとっ! 王子様もご参列なさっていたんですわよ!」 「……表向きは、王家に近い貴族同士の結婚式への参加ですが、実際は王子様の花嫁探しの意味もあったようでございますな」 瑞希の言葉を補足するようにギャリソンが言います。 「色さまほどじゃありませんけど、王子様も素敵な方ですわねー」 瑞希は、うきうきとパーティの様子を語りますが、は……それどころではありませんでした。 尽と会えたのが、ただ、嬉しくて。 尽が無事でいて、しかもすごく成長していて。 姉としてそれはとても喜ばしい事で。 ただ……離れてみても、まだ、尽の胸の中の感触を思い出すと、鼓動が低く疼いて。 何故だか、顔が熱く火照ってくるのを、止められませんでした。 そうして、また「俺と結婚しよう!」と、幼い頃の言葉が、妙に頭の中で響くのです。 尽は、弟で………でも、実際は弟じゃなくて……。 の心は、様々な感情で入り乱れていました。 ただ近いうちに会いに来てくれるという尽の言葉とその声が、ずっと耳に残っていました。 また、あそこで、尽に会える。 は、嬉しさに緩んでくる唇を、きゅっと強く引き結びました。 数日後、言葉どおりに尽は……やってきました。 あの栗色の馬を駆って、懐かしそうに荘園を見回しながら。 「ねえちゃん!」 畑仕事をしていたを目敏く見つけて手を振り、も手を振り返しました。 そうして、尽は弾けるように笑って、馬から飛び下りるとに駆け寄ってきました。 やはり、尽は成長しました。 この年頃の少年の成長は早いとはいえ、尽の成長はぶりは、また、目を見張るものがありました。 「私より、随分身長高くなったんだ」 少し、見上げ気味にならなくてはいけなくて……は感心したように溜息をつきました。 「背伸びしてるだけじゃ追いつけないから」 にっこり尽は笑います。 その眼差しが、とても穏やかにを見詰めていて……は、頬を染めずにいられませんでした。 「なぁ、ねえちゃんが後悔するようないイイ男に近づいただろ?」 「……そっ、そんなの、わかんない……」 尽の言葉が図星で、なんだか、気恥ずかしくて、ぷいとそっぽを向いたの手をとって、尽は小さく笑います。 「なぁ、ねえちゃんはまだ、誰のものでも、ない?」 囁くような問いかけに、は再び視線を尽に戻すと、尽は……細めた瞳で、引き結んだ唇で……の答えを待っていました。 「わっ、私……その……………」 正直に返事をするのも悔しかったのですが、尽があまりに真剣だったので「……うん」と、素直に頷きました。 しばらくの、沈黙。 その後、尽は、どうしようもないくらいに目一杯笑い、の手をとりました。 「うん。うんっ! じゃあ、まだ、俺にもチャンスあるんだよな? つか、俺のために、誰のものにもなってない、って、自惚れて、いいんだな?」 「や、ちょっと! だって、そりゃ、尽の事があったからそれどころじゃなかったのは確かだけど……」 「弟だって思ってる事、どうせ、すぐに後悔するよ。ううん、後悔する前に、俺がねえちゃんの気持ちを変えてやるから……俺を、弟だなんて、思えなくしてやるから」 自信たっぷりの尽の言葉に、はかえって返す言葉もなくなりました。 けれど……自分の手を強く握り締める尽の手は、ふくよかな子供の手とは違って、肉付きの薄い大きな熱い手で、尽が男性に近づいている事を意識させずにはいられませんでした。 「本当は、もう少し時間かけて、ねえちゃんに俺のイイ男っぷりを認めてもらいたかったんだけど……」 尽は、表情を少し落としました。 「時間が、ないから」 「時間……?」 「急がないと、勝手に決められてしまうから……」 独り言のような尽の言葉は、にはさっぱりわかりません。 「だから……近いうちに、招待状が届くから、それに出席して、必ず」 「???」 何の招待状かも分からないのに頷くわけには行きません。 戸惑うに、尽は苦笑しました。 「一人が嫌なら、奈津美さんと珠美さんも誘うといいよ。あ、例の瑞希さんも来るはずだろうし、連絡をとってもいい。体裁は取り繕っておくし……。なぁ、俺の一生のお願いだと思って!」 やっぱり、さっぱりわけがわかりませんけれど……尽は手を合わせて拝み込む形で……が頷かないと、そのまま拝み続けられそうで。 は不承不承に頷きました。 が頷いた途端、尽は幸せそうに笑いました。 それで、何もかもが上手くいく……そう、確信したような笑みでした。 そして、そんな笑顔に見とれていたの不意をついて、尽は……。 「……っ!!?」 に口付けました。 唇同士が軽く触れ、かすかに温もりを伝えるだけの、口付け。 は呆然として、ただ呆然として体を硬直させるだけでしたが、尽は今度こそ会心の笑みを見せて、幸せそうに笑うのでした。 「俺がねえちゃんに最初に印をつけた。ねえちゃんが誰のものでもないなら……俺が、先約を得た事にしといてよね?」 「ばっ、ばかっ!!ばかばかばかっ!!」 顔を真っ赤にして、怒鳴って、尽をはたこうとするの腕の動きを軽々と避けて、尽は声を立てて笑います。 「うん。よし、じゃあ、俺の目的終了。早く帰らないと、また大目玉だ」 頭の上で腕を組んで、至極満足そうに呟く尽に、まだ納まらない怒りと羞恥に顔を真っ赤にしながらも、は小首を傾げて問い掛けるのでした。 「……この間の人に?」 「……それもある。あの人は俺のお目付け役だからね。怖い怖い。やらなきゃならない事山積みなのに、とんずらしてきたからさ……さっさと帰る。しばらく来られないと思うけど……その招待状通り出席してくれば、絶対に会えるから!」 言いながら、せわしなく馬を呼び寄せて、その背に乗って……に大きく手を振りながら去っていきました。 台風一過、といった感じです。 は、尽が触れた唇にそっと指を押し当てて、初めて感じる暖かな他人の感触に、鼓動が踊るのを実感しました。 それは、決して、嫌な感情ではないのです。 弟のような尽に口付けされたり、謎な言葉に思考回路が迷走していたりしますが、とにかく、尽の元気な様子にはほっとするのでした。 それに、昔のように屈託なく話が出来たのも、とても嬉しかったのです。 成長した尽は、やっぱり自分の事を「ねえちゃん」と呼んで慕ってくれる。その事実が、に安心感を与えました。 仕事を再開しながら、勝手にもれてしまう鼻歌や笑みを押し止めるのは難しい事でした。 「招待状、か。何のご招待なのかな??」 とりあえず、それが一番の気がかりでしたが……尽の言葉は数日後、はっきりしました。 差出人不明の宛の大きな荷物が荘園のお屋敷に届けられました。 珍しい荷物に、お屋敷の人間が集まってきたところ、荷物を開けると、そこには………。 「って、ちょっと………!!!」 「これ、何!?」 奈津美と珠美が目を見張る以上に、が目を見張りました。 中には、とても綺麗なドレスが入っていたのです。 いつか、瑞希の侍女として出向いたあのパーティで見たような、色鮮やかで見たこともないほどに上質な絹のドレスでした。 しかも、ドレスは3着入っていました。 一着は、ピンクを基調とした、レース使いがふんだんで、裾が大きく広がった愛らしいドレス。 一着は、濃い青を基調とした、体にしなやかに沿うような大人びたドレス。 もう一着は、明るい空色を基調とした、大きなリボンがついた可愛らしいドレスでした。 には、ピンクのドレスの方が似合いそうですが……。 「手紙がついてるよ?」 すっかり成長した玉緒が、ひょいと取り上げた封筒をに渡します。 は恐る恐るそれを開いて……中から、手紙と……招待状を取り出しました。 そう、もしかして、それが尽の言っていた招待状のようでした。 「え、と……」 文字を目で追いながら、の口はぽかんと開いて行きます。 だって、その招待状といったら。 「お城の舞踏会の招待状ぉ!?」 の言葉に、その場の全員が目を丸くします。 なんで、こんな田舎の小貴族の所にまで舞踏会の招待状が届くというのでしょう。しかも宛に。 「えー! マジで!? 、なんでぇ!? いいなぁ!!」 「ちゃん、すごぉい!」 目を白黒させる奈津美と珠美に、は苦笑しました。 「うん……ふたりとも、招待されてるよ……? この青いドレスの方なっちんに、空色の方がたまちゃんに、だって」 「ほえ!?」 招待状と一緒に入っていた手紙は尽のもので……一緒に届けたドレスを着てくるように、との内容でした。 尽がお坊ちゃまなのは知っていましたが……また、とんでもない事をやらかしてくれるものです。 「ふたりとも、どうする……?」 「アタシにそれ聞くの、愚問」 奈津美はふふふふ……と笑いました。 「行くに決まってるでしょう!! こんな面白い事、滅多にないしっ!」 「あ、私も、行ってみたい!」 ふたりとも、乗り気なようです。 も……尽の言葉もあって、その招待を断るわけにはいきそうもありません。 「当日、馬車の迎えがきてくれるって」 尽の手紙の内容を伝えると、ふたりは、はしゃぎまわりました。 田舎の小貴族がお城の舞踏会に招待される! そんな事態、きっともう二度とはないでしょうから、その浮かれぶりは仕方のないものでしょう。 そうして、舞踏会行きは決定したのでした。 それが、どんな波乱を呼び込むものかも知らず……も、いつか見た御伽噺のような世界に自分も立ち入れるのだという夢想に囚われてしまったのでした。 さて、お城の舞踏会に出席できるという事は、娘達の心を躍らせましたが、奈津美の母、茜の養母の奥方はそうでもなく……何故か激しく反対しました。 そんなところに行くべきではない、と。 けれど、反対するばかりで、奈津美が理由を問い詰めたところで、それは口にしませんでした。 奥方は、強固に反対し続け……最後の最後まで反対し続けましたが……娘達は、それでも、舞踏会への出席を止めませんでした。 最後の方は、奥方も、反対の声こそ止めませんが、くれぐれも気をつけて、危ない事はするな、目立つな、と、何度も言い続けていました。 そう、何故か、特に、に向けて。 つづく |
<言い訳>
……まだ、終わりが見えてません……。書きあがっていません。
が、当サイトの5周年という事で……他に用意できるものが
何もなかったので・……UPしました(ヘタレです)。
今回はかなり長いです。うちの通常のお話の2話分くらいあります。
(手直しと名前変換つけるのに、死にました)
さて……尽くんが成長して帰ってきました。
ねえちゃんもどきどきの成長ぶりです。
次回、お城の舞踏会で、一体なにが……?
衝撃の事実発覚!?
……というか、呼んでくださる誰も予想つけてくれている事に
違いありませんでしょうが(笑)。
――…・…しかし、次回UPはいつになるのやら……一月、越えないといいけれど……。
あんまり期待しないでお待ちくださいませ……。