猫少年Z
Z.出会い?
両親が心配そうに部屋を出て行ってからも、ごろごろと腕の中で喉を鳴らすゼフェルを抱えて、暫く呆然としていたアンジェリークは、そのゼフェルがするりと腕を抜け出すにいたって、やっと正気に戻った。
「……戸締り、戸締りっ!!」
部屋の窓を何度も何度も確認して、彼女はやっと、ゼフェルが先に待つ暖かな布団の中へともぐり込んだ。
けれど、どうにも眠れそうになくて、滑らかな毛並みのゼフェルの背中を何度も撫ぜながら、天井を見るともなく見上げてしまう。
そして、手に当るゼフェルの首輪の冷たい感触に、あの少年の事を思い出さずにはいられない。
正体不明で、突然部屋にやってきた少年……。
粗暴な言葉遣いと、イジワルな態度。
でも、その眼差しは純粋に真っ直ぐで……まるで、心に切り込んでくるみたいに鋭かった。
思い出すと、恐ろしさとは別の感覚で背筋がぞくっとする。
体に触れたその温もりも、あの時は恐ろしいものでしかなかったけれど、今、思い出すと……なんだか、切なくなった。
何か言いたそうだった少年の言葉をちゃんと聞いてあげればよかった。
そう、思いさえした。
ゼフェルを撫ぜる手を休めて布団の上に腕を組み、ふうっと溜息をついて、目を閉じる。
やっぱり、眠れそうになかった。
けれど、こうやって目を閉ざしていれば、体も心も徐々に落ちついて、休まって行く。
「……今度、いつか、会った時は、ちゃんとお話聞いてあげられるといいな……」
ほとんど可能性がなさそうだから呟いた夢うつつの言葉に応えたのは……そこに、あるはずがない声、だった。
「じゃぁ、今度こそ聞いてくれよな」
「……!?」
驚きに目を開けると……真正面に……『痴漢で泥棒でストーカーで根性の悪い少年』が、いた。
「え!? ええっ!?」
そう、真正面……と、いうか、真上。
覗き込んでくる、ルビーレッドの瞳。
いつの間に!? どこから!?
人の気配はなかった。
窓も、ドアも、開かれる音なんてしなかった。
かといって、アンジェリークの部屋には、この少年が隠れられる場所もない。
本当に、一体どこからやってきたのか、まったく……分からなかった。
目を真ん丸くして硬直するアンジェリークを、少年は真剣そのものの表情で覗き込む。
彼女の大きなグリーンの瞳はまるで鏡のように、少年の姿を映していた。
「今度こそ、オレの話を聞いてくれ……」
少年は言葉を低く繰り返し、ふいに瞬きするアンジェリークの緊張した気配を察して、息を吸い込む彼女の口をとっさに手で押さえる。
悲鳴を上げる寸前で口を押さえられたアンジェリークは、欠伸をかみ殺すように涙を流した。
それを、少年はちょっぴり勘違いしたらしい。
ひどく打ち沈んだ表情をしてしまった。瞳の赤が、闇に溶け込んでいる。
「すまねぇ……」
なんだか、自分の方が心苦しくなるアンジェリーク。
『痴漢で泥棒でストーカーで根性の悪い少年』のはずなのに……やっぱり……嫌いになれそうもない。
だから、そっと口元から手をどけられても……悲鳴なんて、上げる気にもなれなかった。
「……しばらく、黙って聞いてくれ……頼む……」
さらに、そうやって切ない眼差しをされては……どきん、と、胸が跳ねた。
どんどん激しくなっていく鼓動を、今まで以上に密着した体から相手に伝わりそうで……気恥ずかしかった。
それをごまかすように、こくこく頷くと、少年はほっと息をついた。
緊張していた眼差しが、少しだけ優しく弛んだ。
――この人、本当はとっても素直なのかもしれない。
なんとなく、そう思った。
この少年が一体なんの目的でここに現れて、何を話そうとしているのか、また、話した末にアンジェリークに何を求めるのか……そんな事、アンジェリークの頭にはなくて、ただ、女の勘というかなんというか、『この少年は信用できる……かもしれない』という、ものごっつ頼りないものに従ってみる気になっていた。
の、だけれど……。
少年の第一声に、アンジェリークは……。
「オレはゼフェルだ……・」
からかわれている!
自分の勘がいかに頼りなかったか悟ったアンジェリークは、反射的に少年の頬をぶった。
パシン、と心地よい音がする。クリーンヒット。
居合抜きのように、予備動作がなかったものだから、そりゃもう見事に、美しくきまった。
「………」
しばしの沈黙の後。
「あのなぁっ!!」
「うそつきっ!!!!」
2人の声が同時に重なるが、押しの強いアンジェリークの声の勝ち。
「うそつき、うそつき、うそつきっ!! ヘンタイ!!!」
で、勝った方が意見を主張できる権利を得られたようだ。
またもや瞳に涙を浮かべて激しく主張するアンジェリークだったが、少年は、今度こそは後に引けないと思っていた。
だから、黙って、腕に巻いていたブレスレッド……ではなく『ゼフェルの首輪』を外して……自分の首にかけた。
「……な、に?」
少年の突然の行動の意味がよくわからず、アンジェリークは言葉を切った。
とたん、一瞬だけ少年の姿が……その輪郭が、蜃気楼のようにかすんで、ぼやけて…………消えた、ように見えた。
夢、見てるのかな?
思わず、自分の頬をつねるアンジェリーク。
でも、それが夢でないというように、腕に走る突然の痛み。
「は、え? ……ゼ、ゼフェル??」
ゼフェルが布団の中から顔を出して、アンジェリークの腕に噛みついていた。
なんだか、よく、分からなかった。
やっぱり夢なのかなぁ、と、思う気持ちで呆然としていると、ゼフェルが更に深く噛みついてきた。
「イタイ! イタイってばぁ!!」
腕に噛みつく猫を軽く振り払うと、猫はいつもの身軽さでその場を飛びのいて、低く、にゃぁぅ、と、鳴いた。
腕に穴が開いた……ま、それはいつもの事として……。
やっぱり、呆然とせずにはいられなかった。
夢と現実がごっちゃになっていた。
――たまに、リアルな夢、見ることあるよ、ね? 起きたら、夢か現実がわからないような時、ある。
だから……。
「……色々あって、疲れてたから…………。ゼフェル、おやすみ……」
何もなかった事にして、寝ようとした。
ナイス、現実逃避。
乱れた布団をちゃっちゃと直して、ごそごそっともぐり込む。
――ああ、あの少年、次に会ったら、私、どうするだろ。
完全に、さっきの事は夢にしている。
てゆーか、夢にしたいらしい。
で、暗闇の空間には静寂が訪れて、レム睡眠に入りかかっているアンジェリークは、やっぱりさっきのは夢だったのだと納得したのだが。
「って……めーは! うやむやにすんじゃねぇぇぇ!」
耳元で怒鳴られた。
「うるさいわねっ! 私は、眠いのよぅ!!」
でもって、怒鳴り返していた。
「起きてんじゃねぇか!!」
「寝てるっ!」
「おめーの寝言は、んなにはっきりしてんのかよ!?」
「だって、あなたは夢だもんっ!」
「夢なもんかよっ!」
「夢、夢、ぜーーーーったいに夢っ!」
「夢じゃねぇぇ!」
「ゼフェルは猫だもん! 猫以外の何者でもないもんっ!」
「オレは、オレだ!!」
こうやって言い合いを繰り返している時点で、それは既に夢ではないのだが……いや、本人もわかってるのかもしれない。と、いうか、単に寝ぼけている事に加えた現実逃避なだけ?
「だって、猫は喋んないもんっ。そんなにおっきくないし、耳だって違うし、おひげがあるし、牙があるし」
――猫と人間は、そりゃ違うに決まってんだろ〜〜!!
と、少年は叫ぶために口を開くが、息もつかずに言いつのるアンジェリークに、機を失した。
「指も長くないし、お肌もつるつるしてないし、それに、それに……」
お?
猫ゼフェルとの差異を更に求めるために、アンジェリークの視線が、下に向かっている。
その視界の隅に入っているのは……。
ところで……自称ゼフェルは、今、裸である。まったくのすっ裸である。見事なまでに、すっぽんぽんである。
視線を下げた場合、アンジェリークの瞳にナニが映るかは自明の理。(ナニが映っていたのですね☆)
「きゃああああああっ!!!」
そう、二度目の目撃っ!
絶叫したアンジェリークは、咄嗟に……まず、右頬に一発。
右の頬を打たれて、左の頬を出すほどに少年は甘くなかったが、右を打たれて次が左とは限らない!
避けようと思った少年の顎に、下から大きく拳が入る。
ゴキッ☆
ああ、素晴らしいまでに鈍い音が……。
グエッと、踏み潰された蛙の声が、静寂の部屋に心地いい。
でもって、追い討ち。
アンジェリーク、渾身の一撃!!
(目を塞いでいるアンジェリークが決めた懇親の一撃は……見事、ナニに命中していたようだ。いや、さすがに、素手でなく、枕というエモノはあったのだけれど)
自称ゼフェルは1000のダメージを受けた。
自称ゼフェルを倒した!!
アンジェリークは経験値とアイテムゼフェルの首輪を手に入れた。
ちなみに、Gは持っていなかった。'金'はあったかもしれないけどね☆
しんとした空気に恐る恐る目を開けたアンジェリークは、目の前に、延びきった少年の姿を見つけて、ほっとする反面……ぞくりとした。
夢ではなかったと、改めて実感したのだ(今更遅すぎ)。
幸か不幸か、アンジェリークに渾身の力を発揮させ、かつ自称ゼフェルを窮地に追いやったナニは、枕によって隠されている。
ふうっと息をついて、苦悶に歪んだまま目を閉ざす少年を覗き込んだ。
悶死しているかのような自称ゼフェル……そうっと近づいて、呼吸があることを確認したアンジェリークは、少年の腕から……銀鎖の『ゼフェルの首輪』を外した。
これが夢でないのなら、あれも夢ではないはず……。
本当は夢であってほしい。
だって、あの猫のゼフェルが人間なんて……いいや、人間であるといいな、とも、思ったことは認める。けれど"こんな"人間であって欲しくない!!!!
二度もナニを見せられた(のではなく、正確には見てしまった、のだろうが)だけでなく、口が悪くて散々馬鹿にされる(と、いうよりも、ほとんど自爆していた)し……。
少年に対して、いいイメージがあるわけがない。
そもそも……これは、深く考えたくないのだが……猫ゼフェルとはつも一緒に寝ているし、着替えを見られているのは確実だろうし、風呂上りのあられもない姿……だけでなく、一度などは、一緒に風呂に入ったことがある。そのあれやこれやが……"猫"でなく"人間"に見られていたんだとしたら……。
――考えたくない!!!!
やっぱり、一瞬で否定した。
そう、夢は夢のままが美しいのかもしれない。
でも、目の前で延びている少年を夢で片付けてしまうにはいかない。
こんなもの(!)放っておいて、もし、両親にでも見つかってしまったら、多大な誤解を招きかねない。
かといって、たたき起こすのも……怖い。
また、少年を外に放り出すだけの力もない。
じゃあ、どうするか……。
全てが夢でないのだとしたら……。
ごくん、と、アンジェリークは息を呑んだ。
チャリンと音を立てる銀鎖の首輪を……そっと、少年の、首に、かけた。
すると……。
夢だと思おうとしていた事が、目の前で、疑いようもない現実として、起こった。
「…………………………う、そ……」
少年の輪郭が蜃気楼のようにかすんで、ぼやけて……まばたきした次の瞬間、そこには……………………紛れもなく、彼女の愛する猫、ゼフェルが、横たわっていた。
「うそ……………うそ、うそぉ………」
呆然と、ただ呆然とするしかないアンジェリークは……そのまま、呆けて、夜明けを待った。
「全治、二週間! 数日はこちらのほうで預からせていただきましょう。一体、何があったんですか?」
薬品の匂いがたちこめる、ここは病院。とは言っても、人間の、ではなく、動物の、である。
真面目一徹の獣医師が、メガネを押し上げながら、やや険しい眼差しでアンジェリークとその母を見る。
診察台の上には、ぐったりと半眼を閉ざしたゼフェルがいた。
「ちょ、ちょっとした、手違いで……」
しどろもどろのアンジェリークに、医師はさらに険しい眼差しを向ける。
動物虐待の可能性でも考えたのだろう。だが、目の前の少女は、どう見てもそんな事をするような娘ではなさそうである。母親の方も然り。
獣医師は、かすかな溜息をついて、ゼフェルの背を軽く撫ぜる。
「舌の傷は、まぁ、何かの拍子に自分で噛んでしまったものでしょう。これは、数日で治ります。が……生殖器の方の内出血は……簡単な手術が必要ですね」
なぜに、こんなところに怪我が……その件について、アンジェリークは黙秘を決め込むしかなかった。
嗚呼、あわれ、猫ゼフェル。
オスの命が……大切なモノが、使い物になるのか!?
「んじゃ、いっそ、とっちゃえば? タマタマ」
言い出すのは、例のマッドドクターである勝気そうな少女。
余程、取りたいらしい。
「メスネコははねぇ、いちいち保体袋に放り込んで、毛添って、開腹しなきゃなんなくて、そりゃもおう手間隙かかり、気も使ぃで大変だけど、オスネコは楽しいわヨ。お腹切る必要ないんだから。麻酔かけて、タマちゃんの横切って、そっからモノを取り出すだけ☆ ふふふ……。気持ちいぃわよぅ。うふふふふふふふふふ…………」
懇切丁寧に説明してくださる。
ゼフェル、怯えて、逃げる体勢を、呆れ顔の青年医師に引きとめられている。
アンジェリークは、前回で耐性ができているので、呆れ顔で溜息をつくだけだが、母親は、戸惑いまくっている。
それを、落ちつけるように、青年医師はゆっくりと口を開いた。
「まぁ、そういう事で……術後の経過を見た後、引渡しします……そうですね、明日手術しまして、経過を見るのに二日もあればいいでしょうかね。四日後にでも引き取りにいらしてください。何かありましたら、ご連絡いたします。それと、去勢手術は、勿論、しませんから、ご安心下さい」
最後の言葉は、少女医師に向かって言っていたも同然。
くれぐれも宜しく、と、青年医師に繰り返した後、母と娘は病院を後にする。
やたらにタマ取りをしたがる少女医師に一抹の不安は残るが、あの青年医師がいるから大丈夫だろう。
ふうっ、と、深い息をついた母親は、探るようにアンジェリークをじぃっと見つめる。
「アンジェ? どうして、ゼフェル、あんな事になったの?」
静かな問いかけに、アンジェリークは、押し黙る。
まさか、言えるわけがない。
ゼフェルが、人間だったなんて!
今朝も、やっと目を覚ましたゼフェルを前に、どう対処したらいいか分からなくて、瞳が合った瞬間に、部屋を飛び出してしまった。
で、なかなか食事に下りてこないゼフェルを心配した母親がアンジェリークの部屋に見に行って、ぐったりしたゼフェルを見つけたのだった。
いや、もう、舌とタマ以外はいたって大丈夫だったから、恐らく、ゼフェルの方も、昨夜の事で、アンジェリークと顔を合わせ辛くて、戸惑っていた事が大きいと思われる。
オスのタマの痛みは、所詮、メス(オンナ)には分からんしねっ!
で、学校を遅刻して、急遽ゼフェルを病院に連れて行ったわけであるが……。
「わっ、私も、ワカンナイ! えっと、その、寝行儀悪いから、もしかして、寝てる間に……」
焦りながらの、ヘタくそなごまかしだったが、母親はそれ以上何も言わなかった。昨夜、正体不明の少年が入り込んできて怖い思いをした娘、何か、心乱れるものがあったのが分かるから、刺激するのはやめた。
娘を信じている母親は、余程のことがあれば、娘は包み隠さずに自分に話してくれると信じているからだ。
アンジェリークの、母親に対する信頼度の高さに感謝。
「じゃあ、学校まで送っていくわ。ゼフェル、早くよくなるといいわね」
アンジェリークは、母親の言葉に、曖昧に頷くしかなかった。
――ああ、ゼフェルが帰ってきたら、どんな顔すればいいの!?
とてもとても複雑な想いで、アンジェリークは……ゼフェルの事を想った。
――少なくとも……もう、これからは、一緒にお布団で眠れない!
大きな問題はそこらへんではないだろうが、なんだか、どこまでも能天気なアンジェリークだった。
くっそー!! なんで、なんで、オレが、こんな事!!!!
屈辱だ……マジ、屈辱だぜ!!
よりにもよって、タマの手術だと!?
あのオンナ、あのオンナ……ぜってーに、許さねぇぇぇ!!!!!!!
獣の匂い入り混じる檻の中で、拳を……いや、肉球を握り締めていた。(で、思わす力んで爪が肉球に突き刺さって、自爆していた)
それが、誰の心の叫びかは、想像に難くなかった。

<言い訳>
見事に進んでくださいませんね(^^;)。
でも、まぁ、正体分かったことだし……。
ナニが使い物にならなくなっていないことをお祈りしつつ(笑)。
(使い物にならなくなっていたら、お話すすみましぇーん)
次を……はううっ(T_T)。大幅に更新ペースがダウンしてるんで、
またもや、遅くなるかもです〜〜(>_<)。
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