猫少年Z

20.シーズン


 日の神様には決して見つからない。

 だって、日の神様のお留守の時を知っているから。

 普段は猫をかぶってても、日の神様がいないその時だけ、人になる。

 そして、愛しい人を探すんだ。

 女神様も、日の神様のいない間に、探してる。

 愛しい、愛しいあの人を。

 日の神様に見つからないように、気配をそっと殺して、ずっと、あの人を探してる。

 



 なぁあぁぁぅ。
 にゃぅぅぅううん。


 猫の、声が響く。

 内なる闘争を声で吐き出そうとしているかのように、切ないまでに必死な声。

 アンジェリークは自分の胸元をきゅっと掴んで、目を塞ぎ……耐えかねたように、耳を手で覆った。


 

「恋の季節って、知ってる?」
 いつかの夜、栗色の髪の少女が、アンジェリークをじっと見詰めて口にした言葉を思い出す……。





 "恋の季節"という言葉に、思い当たる節がなくて、きょとんとするアンジェリークに構わず、少女は続けた。

「"猫"にとっては、とっても大事な季節なの。人間が人間であれば、そんなもの感じないでいいし……理性で押えられる。でも、私達は、人間で猫だから、無視できない……どうしても、仕方、ないの」

「え、と……?」

 何も分かっていない所に、分からない事を続けられて、アンジェリークはきょとんとするだけだ。

「うん……まだ、分からなくていいよ。でも、きっと、もうすぐ、分かる。季節が近づいているから、私はゼフェルに……あなたに会いに来たの。私は……あの人に良くしてもらったから、乗りきれた。だから……ゼフェルに、いらないお節介吹き込んで、あなたにこうして会いに来ているの」

 真摯な少女の瞳。

 きっと、少女が自分に告げているのは、大事な事なのだ。

 それだけは、アンジェリークにも理解できた。

 だから、今は良く意味は分からなくても、その言葉はしっかりと覚えておかなくては、と、思った。

「ゼフェルが、あなたを避けているのは、私の言葉のせい。私は……あなたたちに悲しい想いはして欲しくないから、ゼフェルに伝えたの。……彼が、それで、どういった結論を出すかは、分からない。でも……ねぇ、アンジェリーク」

 小首を傾げ、青緑の瞳に、訴えるような色を宿す。

「ゼフェルを、大事にしてあげて? 私達が、普通の人に自分の姿を晒すのは、とても勇気がいる事なの。だって……私達は普通じゃないから」

 苦笑する。

 苦笑しながらも、優しい表情。

「普通じゃないからこそ、自分の姿を晒すのは……その人を、とても、信頼しているからなんだわ。私があの人に姿を見せたように、ゼフェルも、きっと、あなただから……」

 青緑の瞳が、じっと、見る。

 人間じゃない人間。普通じゃない……人間。

 その本当の姿を、普通の人間に晒す勇気……ゼフェルが人間で猫である事を当たり前に受け入れすぎていたアンジェリークは、ここではじめて、その事に気付いた。

 緑の瞳を、少しだけ見開いたアンジェリークに、栗色の髪の少女は、微笑み、頷く。

 そして最後に、トンデモナイ一言を残していった。

 にこっと、満面の笑みを見せ(そこに、何らかの意味が含まれていたのかもしれないが、この時のアンジェリークには、読み取れるわけがない)、あっさりと言った。

「大丈夫よ。えっちの一回や二回じゃ簡単に子供なんて出来ないもの」

 ――それで、当初の"恋の季節"云々についても、なんとなく理解できたわけだが……。
 




「……本当に、これでいいのかな……」

 アンジェリークは、耳を覆いながら、呟いた。

 耳を塞いでいたって、激しい猫の鳴声は、容赦なくアンジェリークの耳に届いて……泣きそうなまでに、アンジェリークの心を曇らせる。

「だって、ゼフェル……」





 先の月のない夜。

 頼みがある、と、切り出したゼフェルの言葉に、アンジェリークは眼を見張った。

 だって、その内容ときたら……。

「もうしばらくしたら、オレを、閉じ込めてくれ。そんで、絶対人間に戻さないでくれ……」

「………え?」

「そろそろ、ヤバそうだ……。この前の季節は、まだ、大丈夫だった。けど……」

 アンジェリークをチロリと見る。

「今回は、マジ、やべぇ……。おめぇの傍にいると……オレ……」

 ふぅっ、と、息をつく。

「だから……この間から、おめぇと距離置いて、色々考えて……そう、この家から、おめぇの傍から出て行こうとも、思った。けど、おめぇが引き止めてくれんのなら、オレは、ここにいる。だから、おめぇが傍にいる事を許してくれんなら……オレを……閉じ込めて欲しい」

 話の意味が、よく分からない。

 何故、ゼフェルを閉じ込めないといけないのか?

 首を傾げて、その質問をぶつけかけたアンジェリークに先んじて、ゼフェルが息を吸い込んだ。

「おめぇを、傷つけたくねぇ」

「え………? 傷つく? 私、が?」

 更に、意味がわからない。

 じっとゼフェルを見つめるアンジェリーク。

 先日の栗色の髪のアンジェリークの言葉といい、ゼフェルのこの煮え切らない言葉といい……どうして、分からない事だらけなんだろう。
 もっと、もっと、ずっと、ゼフェルの事を分かりたいと思うのに。分かって行きたいのに。

 そう思うと、アンジェリークは少し悔しくて……恨みがましい目つきになっていたのかもしれない。

 ゼフェルが呆れたような表情になって行くのが見て取れた。

 じっと、じぃぃっとゼフェルを見つめるアンジェリーク。

 そして、横目でアンジェリークを伺うゼフェル。

 詳しい話はしたくない、と、ゼフェルは言葉なく語っている。
 それが分かるからこそ、アンジェリークは更にじぃぃぃっと、見つめる。

 だって、知りたい。分かりたい。

 ――ゼフェルが、好きだから。

 はっきりと自覚した今だから、アンジェリークは迷う事なくゼフェルを真っ直ぐに見つめる。

 だから、ゼフェルも根負けする。

 アンジェリークの透き通った緑の瞳のあまりの真っ直ぐさは、ゼフェルの隠しておきたいと思う本心まで貫き通して、本人の意思とは関係なく、それを見つけてしまいそうだったから、黙っていたって、無意味かもしれないと思ったのだ。

「この前みてぇに、おめぇに手が出せねぇ……色々、考えちまってるんだ。あの女に言われて……そんで……」

 ふぅっと息をつき、髪を掻き毟るように、頭を抱え込む。

「……おめぇがまだ早いっていうんなら、待つつもりだった。待ってもいいと、思った。だって、おめぇがオレの事憎からず思っててくれるの分かってたし……いつか、言ってくれたよな? 決心ついたら、いい、って……。そう、おめぇの決心をオレは待つつもりだった。けど……待てなく、なるかもしんねぇ……」

 俯いて、片膝ついた膝の上で拳を握りしめる。

「シーズン……今まで実感沸かなかったけど……その時期になったらオレ、きっと、おめぇを泣かせる事するかもしんねぇって、考えた……それが、オレが二度と人間になれない結果でも、おめぇを無理に襲うような事でも、おめぇは、傷つく。でも、それをしねぇように自分を押し止める自信がなくなった」

 今度は、膝を抱え込むように体をちぢこませる。

 無意識で落ち付きなく体勢を変えて、言い出しにくくて喉の奥に引っかかりそうになる事を無理に押し出そうとしているようだった。

「あの女に、言われた。本格的なシーズンは、並のモンじゃねぇって。どんなに頑張ったって、人間の理性なんて、あっという間に消し飛んじまう……そうなると、オレのそんな考えなんて無駄になる。おめぇを待てなくなる。……オレは、そんな事、望んでもいねぇのに、勝手に、オレが……他でもないオレ自身が、おめぇを傷つける結果になっちまう」

 シーズン……前に、ゼフェルが冗談交じりに言っていた事……栗色の髪のアンジェリークが言う、そう、恋の季節……。

 じっと、真剣にゼフェルの言葉を聞くアンジェリーク。

 ゼフェルは、少しだけ、アンジェリークを上目遣いに見て……口元を歪ませるような不自然な苦笑をもらした。

「だから、そうなる前に、おめぇの所、離れようと思った。今なら、まだ、オレがいなくなっても……オレがいなくなったくらいで、おめぇが悲しむ事はあっても、傷つかないと思ったんだ」

「っ……そんな、そんな事……」

 ――そんな事、ない……!! だって、私、ゼフェルがいなかったら……。

 開きかけたアンジェリークの口からその言葉が飛び出す前に、ゼフェルは、手もとにあったクッションをアンジェリークに柔らかく投げつけて、微笑んだ。

「言うなよ。可愛い事言われたら、オレ、今すぐにおめぇを襲っちまうからな」

 クッションを胸元の抱きとめて、どういう言葉で反応していいか、顔を赤くして戸惑うアンジェリークに、脚を胡座に組替えたゼフェルは小首を傾げて、微笑みかけた。

「おめぇも、オレを好きだって言ってくれるなら……オレを、待ってくれるか?」

 答えに窮する理由は、今更アンジェリークにはなかった。ゼフェルが、好きだから。
 だから……ゼフェルが待ってくれたように、ゼフェルが自分の為に色々考えてくれてたように、自分もゼフェルの為になんでも出来ると、思った。

 コクンと頷いて、微笑んで……。

 ゼフェルと、互いに愛おしむ口付を、交わした。





 シーズン、恋の季節。

 ゼフェルは、ケージの中にいる。

 彼がそう望んだから。

 人としての理性を失うこの季節に、取り返しのつかない過ちを犯さないように、ゼフェルが、自分自身を戒めた。

 ケージは、今、主のいない部屋……ランディの部屋に置かれている。

 アンジェリークの部屋の向かい側だ。

 その気になれば、いつでもゼフェルの様子をうかがえる。

 でも……アンジェリークは、会うのを戸惑う。

 だって、今のゼフェルは、ゼフェルじゃないみたいだった。

 アンジェリークを見つめる瞳は、猫そのものの瞳。

 彼女に甘える眼差しを向ける事があっても、それは、動物が飼い主に向けるそれにすぎない。

 こうなってみて、初めて、アンジェリークはゼフェルがいつもどんな眼差しで、いつも自分を見つめていたか知った。――少し切ない思いを込めた……愛おしげな、眼差し。

 普通の猫には、決して表現できない、複雑な思いを込めて、いつもアンジェリークを見つめていた。

「ゼフェル……ゼフェル、ゼフェル……」

 最後に見た、人間のゼフェルの、とても優しい表情。自分を愛してくれているのを、隠そうともしない、濁りない感情の表れ。思い出すたび、愛しくて、切なくて……アンジェリークは胸を押える。

「だって、ゼフェル、私……」

 アンジェリークは、窓の外、細くなった月を見上げて、唇を噛んだ。

「私だって、色々、考えてたんだよ……私だって、ゼフェル、好きだもの……ゼフェルの事、好きだから……私……」

 言葉を飲み込んで、机の引出しを開ける。

 そこから取り出すのは、以前、保険医に借りた本だった。

 恥かしくて、ちゃんと目を通してはいなかったけれど……ちゃんと、読まなくてはならないと思った。

 それでも、まだページをめくるたびに顔を赤くしながら、アンジェリークは、その本に目を通していった。

 自分を大切に思って、色々考えてくれたゼフェルの為に……大好きなゼフェルの為に……そして、ゼフェルと自分の為、に……。

 月が、完全にその姿を消すまで、あと数日。
 




 生まれ、育ち、輝き、そして老いて消えて行く。

 月は、今、消えて行った……いや、新しく生まれ変わるために準備をしているだけだ。

 夜、星明り眩しい新月。

 家の者は寝静まった。

 でも、ゼフェルの切ない声は、響いている。

 アンジェリークは、自分の部屋を出て、兄の部屋……ゼフェルのいる部屋にそっと入った。

 闖入者の気配に鳴きやんだ猫。蛍光灯をつけていない部屋に、大きな瞳だけがきらきら光って、ひたとアンジェリークを見つめている。

「ゼフェル……」

 呼びかけると、鳴き続けていつも以上に掠れた声で応える。

「ねぇ、ゼフェル?」

 呼びかける。

 そう、呼びかける。

 ゼフェルに。

 猫じゃない、ゼフェル、に。

 猫は、何度も自分の名前を呼ぶ飼い主に、七色のビー玉のような瞳を向けている。

「新月だよ、今日。月に一度の日だよ……ゼフェルが、ゼフェルに戻れる日だよ……」

 なぁああう

 猫は、飼い主に撫ぜられたくて、尻尾をピンと立て、ケージの中をうろうろしはじめる。

「ゼフェル……」

 アンジェリークの瞳も、闇に慣れてくる。

 カーテンをそっと開く。
 星々の明かりが入り込んできた所で、部屋は明るくはならないけれど、アンジェリークは窓を開けて、空を見上げる。

「お月様、どこにいっちゃったんだろうね……」

 語りかけても、猫は、甘えた声で檻の中をうろつくだけ。

「ねぇ、日の女神様、ちゃんと大好きな人に会えるかな? 大好きな人が、猫になってても、分かるのかな? こんなふうに、傍にいても、気付かないかもしれないよね……こんなに、こんなに大好きなのに……」

 ケージに近づいて、隙間からゼフェルの頭を撫ぜてやると、嬉しそうに喉をごろごろ鳴らして、擦り寄ってくる。

「猫、だもの……でも、猫じゃないものっ! きっと、きっと、会えるよ。会えないの、辛いよ。大好きなのに、会えないの……一緒にいられないの、辛いよ。こんなに、愛しいと思うのに……」

 ケージの鍵を開けると、猫は飛び出すようにケージを出てきて、アンジェリークに擦り寄って甘えた声を上げた。

「女神様、愛しい人を見つけるよね? 見つかるよね? きっと、見つけて、呪いはとけるよね? じゃないと、悲しいもの。切ないもの」

 一通り飼い主に甘えた猫は、それで気が済んだらしい。

 今度は、窓辺に近寄って、外を見つめながら鳴き出した。

 そう、あの、切なく激しい鳴声で。

「ねぇ、ゼフェル…………好きだよ。大好きだよ。猫のゼフェルも好きだけど……人のゼフェルが、好き。誰より、好き。ゼフェルが猫でいる事がこんなに切ないなら、私、やっぱり、ゼフェルに人で欲しい。好きなの……愛してるの……」

 窓辺にいる猫を抱き上げ、抱きしめる。

 少し迷惑そうにもがく猫。

 理性を失っている猫は、もがいて、アンジェリークの頬にその爪で傷をつけた。

 でも、アンジェリークは、猫を抱きしめるのを止めない。

 抱きしめたまま、ゼフェルの首にかかった、呪いを抑止する首輪を……外した。

 月のない夜、猫の呪いは、とける。

 猫は、人になる。

 アンジェリークの腕の中で呪いは解け、猫は、ゼフェルに、なった。

 いや……。

「……! きゃ……っ!?」

 突然人の姿になったゼフェルは、アンジェリークもろとも床に倒れ込んだ。

「っ……ぅ、あぁ……」

 視線が合う。

 けれど、ゼフェルの赤い眼差しは……猫の、まま?

 感情の色が乏しい。
 いつものゼフェルじゃない。

「ゼ、フェル……?」

 呼びかける。

 でも、ゼフェルは……常のゼフェルじゃないその存在は、アンジェリークの唇を唐突に塞いで……その上に覆い被さってきた。

「ん……んんっ……!!!」

 アンジェリークのネグリジェの裾をたくし上げ、乱暴に大腿に手を這わせる。

「んっ…………!! やっ……やぁっ!」

 アンジェリークは、強く抵抗して、ゼフェルの素肌の胸を押しやるけれど、ゼフェルの力強い腕に簡単に手の自由を奪われる。

 ゼフェルの、アンジェリークを見る瞳……やっぱり、ゼフェルじゃない、瞳。

「やっ………! っ……ゼフェル……」

 喉元に落される唇。

 熱い吐息と共に、首筋に噛み付くゼフェル。

「っ……!?」

 熱い……すごく熱くて、まるで発熱しているような、ゼフェルの体。

 重く、のしかかっきて、圧迫されて……息苦しい。

 ネグリジェの襟元を押し広げて、肩に移動する乱暴な、愛撫。

 いつか、甘く首筋に残されたあの痕も、今は、もう、消えていた。
 そこに新に残るのは……ゼフェルなのに、ゼフェルじゃない存在の、痕……。

「……ゼフェル……。ゼフェル、ゼフェル、ゼフェルっ!!」

 涙混じりに、ゼフェルを呼ぶ。

 愛しいゼフェルを、呼ぶ。

「ねぇ、お願い、ゼフェル……私、ゼフェルじゃなきゃ、イヤだよ!」

 何度も、呼ぶ。

「ゼフェル、好きなの。愛しているの、だから、ゼフェルが、いい……ゼフェル!」

 止まる、動き。

 そして……。

「っ………!!!」

 苦しげな、うめきと……。

「……ばか、野郎……っ!!」

 アンジェリークの上を飛びのくように離れたゼフェルの口からもれる、怒声。

「おめぇ、何考えてんだ!?」

 怒りにきらめく、ゼフェルの、赤い瞳。
 そう、ゼフェルの感情を宿した、瞳。

 アンジェリークは、半泣きしながら、怒声を浴びているのにも構わず、ふにゃっと微笑んだ。

「ゼフェル……」

 闇の中、金色の髪と緑の瞳が眩い輪郭を持って見える。まるで、アンジェリークの周りだけが真昼のように煌いていた。
 
 



  


<言い訳>

管理人の諸事情により随分更新が遅れてしまいましたが、どうにかこうにかUPできました。

加糖しておりますので、腹下しにご注意下さい(笑)。

コメディの入り込める隙ないですなぁ……残念。

あと一回? え? 誰がそんな事言ったの?(ヲイ)

やぁ、もう、思ったより進んでくれませんな。

多分、あと一回で終われるとは思いますが……序章があったら終章もあるもんで、

実質は二回(あるいはそれ以上の可能性も……)かな?

コメディ、いっときたいですもんねぇ。

思いきりあらすじで嘘ついてる気もするしな(^^;)。

次回もいつになるか分かりませんが、何しろ季節は春なもんで(?)、今回ほどは遅れないかとも思ったり、

自分の言葉に責任がとれなかったり(苦笑)。