猫少年Z

][.栗色の仔猫


『アンジェリーク……天使の名を持つ娘。日の女神の、生まれ変わり。
彼女が、青年に出会う時、永遠なる呪いは終焉を告げる……』





 あれから、何故か、アンジェリークとゼフェルの仲は、ギクシャクし始めていた。

 ちょっと前まで、かなりラブラブ路線突入か!? と、思われていた関係が、ぎしぎしと軋んでいた。

 理由なんて、あるようで、ないようで……小さな事の積み重ねこそが、理由なのだろうけれど。

 アンジェリークに極力近づかないようにしている風なゼフェル。軽く毛並みを撫ぜるくらいらならいいのだが、抱き上げようとすると、やけに嫌がって逃げるし……視線をあわせようともしない。寝るのもリビングのソファーの上。

 そんなに拒否され続けると、アンジェリークだって、色々と考えたくもなるもので……。考えたくも、ないのだけれど……。

 ゼフェルの気持ちが、確実に自分の元にあると、無意識に……そう、意識しないでも信じていられた。

 いつも、エッチな事をしようと企んでいるけれど、それでも自分を大事にしてくれているのが、態度や、言葉の端々から理解できていた。意識しないでも、それが当たり前のふたりの関係になりつつあった。

 けれど……最近の態度の変化は……。

「心、がわり……?」

 嫌な言葉が口を突いて出て来る。自分で、自分の胸に杭を打ち込む。

 当たり前にゼフェルから向けられていた感情がすっと消えてしまった事で、アンジェリークはひとりになった気がした……そして、ひとりになって、今更、アンジェリークは実感した。

「私……」

 ゼフェルのいない、一人きりの部屋で呟く。

「いつの間に、私……」

 言葉の続きは、心の中で呟いた。

 ――ゼフェルといる事が当たり前になってた。ゼフェルと寄り添っているのが、当然だと思ってた。

 でも、ゼフェルが傍にいない今……寂しい。寂しくて仕方ない。

 それ以上に……辛い。

「私、こんなにも……」

 ――ゼフェルの事……。

 心の中で呟いて……それでも、あんまり恥かしくて、アンジェリークは頭をぶんぶん振った。

「……」

 心の中で思いついた言葉を、声に出さずに、舌先でそっと転がしてみる。

 顔が、真っ赤になる。

 ぶんぶんぶん、と、顔に髪が叩きつけられるくらい何度も激しく頭を振って……目が回って、自分のあんまりな間抜けさが情け無くて、ベットに突っ伏した。

「……私、やっぱり、鈍いのかな……」

 周知の事実を、今更、自覚している。

 ふうっ、と、息をついて……シーツにのの字を書いてみる。

 のの字の皺が、増えては消える。

「……今更、かな? もう、ダメかな……?」

 のの字を書く自分の指先を見つめていた視界が、徐々にぼやけて、歪む。

 目頭が熱くなっている。

「うっ……」

 瞳を潤す熱い液体をこぼすと、取り返しがつかない事になるような気がして、寝返りを打って天井を見上げる。

 それでも、熱い液体は、睫毛の堤防を破って目尻から溢れだそうとする。

 アンジェリークは今度は、起きあがってみる事にした。

 が、起きあがった途端、熱い液体は、あっさりと頬に流れ落ちた。

「……あ……」

 流れ落ちた液体は、火照った頬よりも冷くて……くすぐったかった。

「……馬鹿、みたい……」

 はふっ、と、息をつく。

 手の甲で、涙をぐいっと拭って顔を上げ、すっかり漆黒の帳が下りているはずの窓の外に視線を向けて……。

「……!?」

 窓の外に、ぼぉっとした白っぽい姿を見かけて、ぎょっとした。

「ゆ……ゆ、ゆっ、ゆっ、ゆゆゆ………!」

 勿論、お湯を求めているわけではない。

 じたじた、布団の上で慌てふためく事数秒。

 コンコンと、ガラスを叩く音と、どこかで聞いた声……。

「こんばんは〜。開けて、くれる?」

「え……?」





「驚かしちゃって、ごめんね?」

 キャミソールだけを着た少女は、アンジェリークの部屋に入って来て、ちょこんと首を傾げた。

 寒そうに身震いをした少女に、アンジェリークはタンスの中から引っ張り出した自分のカーディガンを渡すと、少女は、栗色の髪を揺らせて、にこっと笑った。

「ありがと。ちょっと寒いかな、って思ったんだけど……猫の姿でないと、ここまで上がってこられそうもなかったから……キャミソールをもってくるだけで精一杯。さすがに、裸じゃ恥かしいし。あ、他のお洋服は、お庭の植木の所に隠させてもらっているね」

 無邪気な言葉に、アンジェリークは緑の瞳をくるっと回して、少女を凝視した。

 やっぱり、という気持ちと……もしかして、と、思う気持ち。

「この間は、あなたに挨拶もしないで、ゼフェルを引っ張り出しちゃって、ごめんね。びっくりしたでしょう? でも、どうしても彼に聞いて欲しい事があったから。今日まで、待てなかったから」

 言って、月の影も見当たらない窓の外に視線をやった。

 この間。それは、彼女と初めて会って、挨拶を交わしたあの日のことではないのは明白だろう。

「この間……もしかして?」

「あ? ああ、うん……ゼフェルから聞いてないのね。そう、あれ私」

 にこっと笑い、手首に巻いていた銀色のブレスレットを、白い首に回した。

 変化、する肉体。

 ゼフェルと出会ってから、当たり前にさえなってしまった光景。

 なぁぅん。

 床に落ちたキャミソールとカーディガンがもぞもぞ動いて、その中から、栗色の毛並み、青緑の瞳の仔猫が顔を覗かせた。

 いつかの夜、ゼフェルを連れ出したあの猫だった。

「あの時の仔猫……」

 仔猫は、大きな瞳を細め、にゃん、と鳴いた。

 今度は器用に自分の首輪を取り……再び、肉体は変化する。

 アンジェリークとそう変わらない体型の少女に。

「もしかして、余計な心配、かけちゃってた?」

 キャミソールとカーディガンをごそごそ着ながら、栗色の髪の少女は言葉を続ける。

「あの日は、猫姿のまま、彼の車で近くまで来てもらってたから、慌ててたの。彼も、暇な人じゃないから」

 着替え終わって、人懐っこくニコッと笑う。

「あの日は、ゼフェルに用があったんだけど、今日はあなたに。できれば、別個でお話ししたかったから……ゼフェル、いない、よね?」

「あ、ああ……うん、多分、下のリビングに……。ここの所、お部屋には来ないから」

 終わりに向けて元気をなくす言葉に、栗色の髪の少女は苦笑する。

 この状況を、分かっていた、と、言わんばかりに。

「前に、ゼフェルに話しちゃった事……今は、言えないけれど……きっと、彼なりに色々考えてるんだと思うわ。ね、あなたが……泣くような事じゃない」

 ふんわりと笑って、アンジェリークの頬に指を伸ばす。

「え……あっ、あ……」

 見られていた気恥ずかしさで、真っ赤になるアンジェリークに、少女は、おっとりした笑みで小首を傾げる。

「あのね……ロザリアから聞いたと思うけれど……私達の村の童話。子供向けのお話よね」

 その子供向けのお話に、一喜一憂していた自分を思い出して、アンジェリークはカッと頬を染める。

 ……とりあえず、そんな事はおかまいなしに、少女は言葉を続ける。

「あれって……あの村出身の私でも、真偽は分からない。と、いうか、私達の存在そのものが摩訶不思議なんだけどね」

 くすっ、と、笑う。

「でもね、ひとつ、もうちょっと真実味のあるお話が、あるの……」

 じっと、青緑の瞳をアンジェリークに向ける。

 吸い込まれそうに、神秘的な瞳。

「ゼフェルに、聞いていないよね……」

 少女は、少し、眼差しを伏せ……語る。




 魔術とか、魔法っの存在は、信じる?

 ――ううん、多分、誰も信じない。

 けれど"奇跡"は確かにあるの。

 私達が、特殊な遺伝状況で生まれてきたのも、きっとそんな奇跡のひとつ。

 日の光の神様の呪い?

 女神の救い?

 本当かどうかなんて……真実を見なきゃ信じられない。

 目で見たものしか……自分たちの常識の範囲内で計り知れない事を、人は信じず……目で見たとしても、常識から外れたものは"奇跡"になるのね。

 私達にとっては、ごくあたりまえの常識なのに。

 そう、猫が人になるのも、銀鎖の首輪によって猫と人の姿を往復するのも、私達には、当たり前の常識なの。

 でも……人が"奇跡"を喜んで受け入れるとは、限らない。

 多分……私達のご先祖様たちは、その奇跡ゆえに……特殊すぎる体質の為に、恐れられ、敬遠され……あの山間に逃げ込み、外界との接触を極力作らないように、ひっそりと小さな集落を作ったのだわ。

 そして、まだ、医学が全然浸透してなくて、むしろ、魔術とか錬金術なんかが当たり前のように信頼されていた時代に、村の人間がせめてもの慰めに、あの首輪を開発したのでしょう。

 実際、本当に錬金術で作ったのかどうか……これがどんな金属か……なんて、分からない。

 今、私達がしているこの首輪も、かつて、村の人口が今の何倍もあった頃の首輪を、鋳造しなおして使っているにすぎないの。

 ――謎、だらけね。

 辻褄が、合わないわね。

 本当の事、なんて、だれも、本気で調べないから。

 それよりも、自分自身の事で精一杯だから。今ある自分の状況をなんとかしようと、もがいているだけだから。

 でもね、例え、本気で調べたって、きっと……本当の事は分かりはしない。





 少女は一度、息をついて、にっこりする。
 そこに、語っていた内容相当の悲壮感は見当たらない。





 私の両親は、ね……母が普通の人間。

 父が、母を連れて、村に戻ってきたの。

 村……美しい、自然に抱かれた、村。

 ほとんど時給自足で……豊かな暮らしではないけれど……それでも、私はあそこが好き。

 笑っちゃうけど、普段は人口の6割が猫。猫人間と、猫。

 後の4割は完全な人。私の両親のように、結婚してから夫婦連れ立って戻ってきたとか……そうね、人にはなってたけど、色々な理由で連れ合いと分かれた人とか……少ないけど、人の家族もいる。元は、猫人間だとしても。

 昔から、猫人間と人間、そして、猫が共存してきた村だから。

 さすがに、人口はそう多くないわ、今では。

 それに、お年寄りばかり。

 だから、若者は村を離れるのね。

 でも、私は……本当は村を、離れたくなかった。猫人間のままでいいから、村にいてもよかった。

 でも、追い出されちゃった……。



 その時の事を思い出したのだろうか、切なく瞳を細める。



 理由は……ばかばかしいの。

 ある時、どこからともなく奇妙な風体の女性が現れたわ。

 神秘的な瞳をした、美しい女性。

 彼女は、自分を占い師だ、と、言って……知るはずもない、分かるはずもない、猫だらけの村の真実を、いともあっさり見破った。

 そして、透き通った水晶の玉を見つめて、言ったの……

『輪廻転生。死しても魂は消える事無く、新たな肉体に宿るという。
 魂に刻まれた記憶は浄化され、新たな存在になり変わろうとも、ふたりは磁極が引き合うように引き会い、出遭う。
 ――呪いを受けた青年と、女神。
 水晶が映すとおり、その魂が生まれ変わって、新しい肉体に宿っているのならば、ふたりが出会う事でこの永遠なる呪いは、終焉するかもしれない。
 そう、結ばれ得なかったふたりが、結ばれる事によって』

 眉唾、よね。

 子供向けの童話こそが、この特異体質のルーツだ、なんて。

 でもね、迷信深いお年寄りは、簡単に信じちゃったの。

 だから……。

『アンジェリーク……天使の名を持つ娘。日の女神の、生まれ変わり。
彼女が、青年に出会う時、永遠なる呪いは終焉を告げる……』

 この言葉も、信じきっちゃったの。

 私が偶然"アンジェリーク"っていう名前してただけなのに、私こそが女神の生まれ変わりだ、なんて……。

 で、村の皆は、さらに占い師に問い掛けたわ。

 その青年の生まれ変わりはどこにいるのか、って。
 

『呪いは、女神の残した目印。
生まれ変わった青年を青年と知る為に、消さなかった……道標。
例え、生まれ育った村にその存在なくとも、女神は青年を見付けるだろう』


 ごく抽象的。

 つまり"青年の生まれ変わりは村にはいない。外にいる。でも、女神の生まれ変わりには、その存在が分かる"、って、いう意味だって、勝手に解釈した人達に、私、追い出されたの。

 女神の生まれ変わりの私なら、きっと、青年を見付ける事ができるから、って。

 この呪いを解く事ができるから、って。

 まったく、冗談じゃないわよね……。

 それで、右も左も分からないまま、外の世界に出て……散々な目にいっぱい遭ったわ。

 中でも、一番酷かったのは……これ……。




 言って、右足の裏側を見せる。
 太股から脹脛にかけて……まるで肌をなにかに引っ掻けたような、大きな傷跡。



 交通事故。

 車に引っ掛けられちゃったの。

 もう、死んだかと思った。

 ここで、私も終わりなのかな、って、思った。

 こうして、村を出て、猫姿で死んでいた人たちがいっぱいいるのかな、って、切なくなった。

 でもね……。

 おかげで、彼と出会った。

 彼が言うには、私、1週間近く意識不明で獣医さんの所にいたんだって。

 彼、道端で死にかけてる私を見つけて……お医者さんに運び込んでくれたの。そして、仕事が忙しいのに、毎日様子を見に来てくれてたみたい。

 "飼い猫"じゃない"飼い主不明"の私は、怪我が良くなっても帰る所なくて……でも、あんまりひどい怪我、しばらくは野良猫生活もできそうになくて……とりあえず、彼が引き取ってくれる事になったの。

『小動物は苦手なんだが……』

 呟いて、でも、そっと私を抱きしめてくれた大きな腕……今でも、忘れてない。

 彼の家に厄介になって、一月……。

 彼は、とても優しくて……温かくて……ああ、もしかすると、これが運命なのかなぁ、なんて、思ったの。

 勿論、私が村を出た目的なんて……すっかり忘れてた。

 だから……月のない夜、彼に本当の姿を、見せた。

 彼は……何も言わなかった。

 言わずに、肩を竦めた。

『猫が若い娘に変化するなんぞ……俺もそろそろ身を固めた方がいいとの暗示かもしれんな』

 驚かれなくて、嬉しかった。

 嬉しくて……ますます彼を好きになった。

 それ以来、彼は、私をひとりの女の子としてちゃんと扱ってくれるようになったわ。

 月に数度……ひどくて一度きりだけしか人の姿で会えないけれど、私達は、お互いを分かり合った。
 



 そこまで言って、少女は肩を竦めた。

「あ、ごめんね。なんだか、ノロケになっちゃってるね」

 悪びれる事無く、くすっと笑って、続ける。

「で、ね……。村を出た目的なんて、もぉう、どうでも良くなってたの。別に、私が女神の生まれ変わりであろうが、青年を見付ける義務なんてないもの。私は私だもの、って。そう、私、恋に身を任せたわ。彼も私を受け入れてくれたから」

 今度は言葉を止めて、じっとアンジェリークを見つめる。

 少女の視線に、アンジェリークは「はえ?」とばかりに表情を崩す。

 少女は、首を傾げて、にっこり。

「ねぇ、アンジェリーク。恋の季節、って、知ってる?」

「え?」


 

  


<言い訳>

ゼフェルくんの出番、ますますなし(^^;)。

今回も、シリアスにて……。

やっと(今更)、自覚してくださったアンジェリーク。

栗色の髪の少女の言葉に、どんな行動に移るのでしょうかね〜。

予定ではあと2回くらいだったけれど……ううっ、どうだろ……(T-T)。

3〜4回くらいに増長しそう……あううっ。