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「ここだ、アンジェリーク」

 スモルニィイ女学院高等部の卒業式。

 式の終了後、正門の前で、ヴィクトールは待っていてくれた。

 花束と卒業証書を抱えたアンジェリークは、彼の姿を認めたとたん、駆け出す。

「本当に、来てくれたの!?

「ああ。お前との約束だ。どうにか休みも取る事ができた」

 休日のデートの時のラフな格好でもなく、お勤めの時の堅苦しい制服でもなく、珍しくフォーマルでも通用するような格好をしている。

 ブルーグリーンの瞳でじっと見つめるアンジェリークの眼差しに、ヴィクトールは照れたように自分の格好を見回した。

「変か? いや、おまえのお祝いだから、と思ってな……。そんなに変なら着替えてくるが……」

「ううんっ! そうじゃないの。とっても似合ってるから、びっくりしただけよ」

 くすっと笑って、アンジェリークはヴィクトールに背を向ける。

「来てくれて、嬉しいから……」

 それから、顔だけ振り向いて、微笑むヴィクトールを認め、アンジェリークは顔中で笑って見せた。

「アンジェ、写真とってあげるよっ!」

「皆で撮ろう!」

「ねえ、ヴィクトールさんも一緒にどう!?

 アンジェリークの友人達がはしゃいで駆けて来るのに、アンジェリークは思いきり手を振った。

 ヴィクトールも、そんな彼女達を微笑んで見守っていた。

 

 

夕食は少し気取ったレストラン。

 淡いライトに、ピアニストによるピアノ演奏。

 そして、恋人達は……。

「……それでね、レイチェルが明日お祝いに来てくれるって言うの! 今なら、新宇宙の研究も一段落ついてるからって」

「ああ、そうか……確か、レイチェルは、もう高校も大学も卒業しているとか……」

「ええ。女王試験の前には既に、スキップしていたみたい。天才、ですものね」

 自信に満ちた親友の顔を思い出して、アンジェリークはくすくす笑った。

 卒業式の余韻のためと、愛する人を目の前にした喜びのために、アンジェリークの観察力は曇っていて、ヴィクトールのどこか変な様子に気がつかなかった。

 そう、ヴィクトールの様子はどこか変だった。いつもの彼らしくなかった。

「卒業したって言っても、すぐ隣の敷地の短期大学に行くだけなのにね……でも、寮の規則も高校の頃よりは自由になるから……ヴィクトールとも、もっとよく会えると思うわ。それが、嬉しい」

 頬を染めて照れ笑うアンジェリークを、ヴィクトールは微笑ましく……どこか寂しげに見つめた。

「アンジェリーク、その……」

「なあに?」

「……その……あ、いや、すまん。なんでもない」

「……?」

 無邪気に見つめるアンジェリークに、ヴィクトールはためらった。

 いつかは話さなければならない事なのだろうが……この少女の瞳を悲しみに曇らせたくなかった。笑顔を奪いたくなかった。

 たいわない会話は、食事と共に進み、いつか終わりがやって来る。

 女性向だと言うアルコール分の低いワインを顔を赤くして飲む目の前の少女は、ヴィクトールにはかけがえのないほど愛しく、大事な存在だった。

 悲しみの淵に沈みこんでいた自分の心を優しく救い上げ、こうして今でも、そのたおやかな微笑で包み込んでくれる……天使そのもの。

 ―――今、話さなければならない……。

 デザートとして出てきたジェラートをついばむアンジェリークに、ヴィクトールは決心を固めて口を開いた。

「あのな、アンジェリーク」

「はい?」

 名前を呼ぶと、いつものように瞳を細めた可愛らしい笑顔を向けてくる。

 一度、言葉に詰まったものの、ヴィクトールは改めて口を開いた。意識せずとも、重苦しい口調になってしまった。

「今日はどうしてもお前に話さなければならん事があって、な……」

 小首をかしげる彼女に、眼差しを向けられなかった。彼女の強張って行く表情を見たくなかった。そんな彼女の表情は自分の心に突き刺さるだろう。そして、その表情が胸から離れなくなって、彼女の思い出がその表情になってしまうのが怖かった。

「俺は、明日、この主星から離れなければならん」

「え? ……それって、派遣軍のお仕事で、なの? ……どれくらい? ……どこに行くの?」

 さっそく、アンジェリークの声は不安で震え始めた。

「ああ、それが……」

 言い淀んでしまう。

 ヴィクトールの煮え切らない態度に、アンジェリークの直感が働く。

「長い間、なのね?」

「ああ……」

「何ヶ月……何年?」

「……分からん……。任務が早く終わればいいが……あるいは……」

「……」

 しばらく沈黙が続いた。

 重苦しい空気が、二人の周りに降り積もっていく。それを、払いのけるように、アンジェリークの声が響く。

「……危険なお仕事なんだ?」

「……安全とは、言い切れん……」

 そう……。

 静かに呟いた彼女が、次に声を発したのは……デザートを食べ終えて、席を立った時だった。

「どうして、もっと早く言ってくれなかったの?」

 その口調には責める響きはなかった。

 ただ、どうしようもない悲しげな想いが込められていた。

「……アンジェリーク……すまない……」

 謝るヴィクトールに向けて、とても悲しげな笑みを見せて、アンジェリークは踵を返した。

 冷えた夜の風が、アルコールで火照った頬に心地よい。

 だが、今のふたりにとっては……ふたりの間に降り積もった重苦しい空気を冷たくしてゆくだけのものでしかなかった。

 ふたりとも無言だった。

 ヴィクトールはただただ無言のアンジェリークに何を言ってよいか分からなかったし、アンジェリークのほうは……。

 レストランの裏手にある駐車場に向かう途中、ヴィクトールの少し前を黙々と歩いていたアンジェリークが、唐突にヴィクトールを振り返った。

 笑顔だった。

 あまりの態度の急変ぶりに、ヴィクトールは面食らってしまった。

「ねえ、ヴィクトール!」

「あ……ああ?」

「あのね、今から、ヴィクトールの家に行きたいな」

「あ?」

 突然、何を言い出すのだろうか?

「だって、まだ、時間が早いでしょう? 今日は、寮はね、門限関係ないんだよ。なんて言っても、卒業式だから。みんな、家族や友達と遅くまでお祝いしているわ。だからね、多少遅くなっても大丈夫」

 にこっと笑う。

 スモルニィ女学院は主星の聖地に程近い、中心部にある。派遣軍の本部もまた然り。そして、ヴィクトールの家も、主星の中心部、とまでは行かないまでも、やや郊外にあり、車を使って行けばさして時間はかからない位置にあった。

 アンジェリークも、これまで、何度となく、ヴィクトールの家に遊びに行っている。

「家に来ると言っても……なにも、ないぞ?」

「いいのっ。そこのケーキ屋さんで、ケーキ買って、お茶請けにしましょう、ね?」

 いつもの無邪気な彼女が戻ったことに、ほっとしたヴィクトールは、彼女にねだられるままに、ケーキを買いこんで家に向かう事にした。車の中でのアンジェリークは……必要以上に無邪気に、明るく振舞っているように思われた。

 市街地を抜け、住宅街に入る。この近辺は随分古くからの住宅街で、世紀を超えて存在するような建物が多く、子爵クラスの貴族や聖地機関で働く人間が多く住んでいた。

 石造りの壁、少しアンティークさを感じさせる樫材の玄関扉。

 館、という程は大きくないが、家、と一言で片付けるにはいささか大きい住宅である。

 もともとここにあった古い家を、買いとって改築したのだ。緑多く、広い庭は、アンジェリークにはかなりのお気に入りの場所であった。

「……本当。観葉植物とかも、ぜーんぶ、処分しちゃったんだ? なんにも、ない」

 玄関ホールからリビングまで歩いてきたアンジェリークの呟きであった。

 家具のほとんどに白い布がかけられた家は、人の気配が薄く感じられる。

「ああ。もう、家は大体片付けた。荷物といっても……さしてあるわけじゃないしな。昨日のうちに、家政婦に手伝ってもらって、な」 

 リビングの、ソファーにも布がかけられていた。

「もう、明日の用意は出来ているんだ?」

 アンジェリークの静かな問いかけに、ヴィクトールは頷いて、それから思い出したように、アンジェリークをリビングに残して、二階に姿を消した。

 すぐに戻ってきたヴィクトールはその手に大きな書類入れの封筒を持っていた。

 真っ白な封筒には、金色の神鳥の模様が施されていた。

「それ……?」

「お前に、渡すものがあるんだ」

「え?」

 封筒の中から、品の良い小さ目の封筒が取り出された。

 淡いブルーの封筒には、やはり金の神鳥のシールで封がされていた。

「ロザリア様からだ」

「え? なんで……?」

「今回の派遣は、女王陛下からの勅命、ということだ。だから……」

 アンジェリークは、それで、納得した。

 ヴィクトールがなぜそんな危険を伴うような仕事を引き受け、直前まで自分にそれを話さなかったのか、理解した。

 女王陛下からの勅命では断れず、また、陛下からの秘密裏の勅命である以上、そうそう公言していいものではない、という事なのだろう。いかにも軍人気質のヴィクトールらしい。

 けれど、この封書は?

「ロザリア様が、お前に、とう事だ。本当は明日の朝にでも投函しようと思っていたが……」

 アンジェリークは受けとって封を開ける。

 懐かしい、女王補佐官ロザリアの直筆の手紙の内容は……。

『アンジェリークへ

  懐かしいわ。元気にしているかしら。この手紙をヴィクトールから受け取ったと言う事は、もう彼の仕事の事を聞いてくれたのね? ごめんなさい。しばらく彼をお借りするわ。彼でなければ……ヴィクトールでなければ、収束できない問題が起こっているの。彼の実力を認めての女王陛下の御採決なのよ。分かって頂戴。

 あなた達を離れ離れにしてしまって、本当にごめんなさい。陛下も、そうおっしゃってらしたわ。

                                            女王補佐官ロザリア』

「ロザリア様……」

 謝罪の手紙だった。

 ―――本当は、少し、女王陛下を責めたくなった。でも……彼が王立派遣軍の軍人である以上、仕方のないことなのだ。

 アンジェリークは、しばらく、何度か手紙を読み返した。

 そして、顔を上げる。

 アンジェリークらしい笑顔で。

「女王陛下に頼られるなんて、ヴィクトールはやっぱりすごい人なのね」

 泣き顔を見せて、ヴィクトールを心配させたくはなかった。

 だから、元気に笑う。

「うん。それじゃ、私、すごいあなたの為に、お茶淹れるからね!」

 ヴィクトールが、気遣わしげな視線を向け、アンジェリークの頬に触れる。

 彼の優しさに、アンジェリークは微笑む。

「だから……ヴィクトールは、リビングをお茶できるように復元してて、ね?」

「ああ……」

 アンジェリークは身を翻して、台所に消えた。

 空元気だと、すぐ分かる。

 ヴィクトールは、アンジェリークの後姿を見て、心配げに眉を寄せた。

 台所は、ほとんどの食器類が紙に包まれて戸棚に入っていた。

 アンジェリークは勝手を知った台所で、何客かの梱包されていない茶器を取り出し、かろうじて残っていた紅茶葉を見つけ出して、ティーポットに入れる。

 お湯の沸く音が、静寂の室内に空しく響く。

 ぼうっとして、お湯が沸いているのを眺める。ただ、ぼうっと。まるで、意識がどこかに行ってしまったように。

 さっきは、ヴィクトールの手前、元気に振舞っていたが、一人になると……胸の中が空虚になる気がする。何も、考えられなくなる。

「アンジェリーク? お湯、沸いているぞ?」

 背後からヴィクトールが来て、火を止めるまで、ぼうっとしていた。

 ヴィクトールはしばらく姿を見せないアンジェリークを心配して、見に来たのだろう。

「あ……ごめんなさい……。ちょっと、考え事……してて……」

「おいおい……大丈夫か?」

 心配げに覗きこむヴィクトールに、アンジェリークは微笑んで見せたものの……笑顔には力がこもっていなかった。

「……アンジェリーク……?」

 変な様子の彼女を心配したヴィクトールの、手袋をつけた手がアンジェリークの頬に添えられる。

 布地の柔らかな感触と、それ越しに伝わる、ヴィクトールの大きな手のぬくもりを感じ、 アンジェリークはその手に自分の手を重ねる。

 優しく頬ずりをして、そっとキスをする。

 無言で、ヴィクトールを見上げる。

 首をかしげて、彼女を見守るヴィクトールに、今度ははっきりと微笑み、頭を彼の胸に凭せ掛けた。

 言葉が出なかった。

 声を出すと、この幸福の空間が音を立てて壊れそうに思われて……怖かった。

 そっと、身体を抱きとめてくれたヴィクトールもまた、無言だった。

 愛しくて、愛おしくて……。

 互いが、かけがえのない存在になってしまったと、実感せざるを得なかった。

 何年も会えないかもしれないと思うと……どうにかなってしまいそうだった。

 会えない……声を聞けない、顔を見られない……こうして、優しく抱き合う事もできない……。

 ―――心地よい時間の終わりは、吹き抜けた春の風が強く窓を叩く音。

「……お茶、入れなきゃ……」

 ヴィクトールの胸の中で、アンジェリークは囁いた。

 それから、そのまま顔を上げて、ヴィクトールに笑いかける。元気な笑みだ。

「早くケーキが食べたいもの、ね?」

「……ああ」

 ヴィクトールも笑って、アンジェリークからそっと身を引き、柔らかな栗色の髪をくしゃっと撫ぜる。

「そうだな……」

「今日は、ヴィクトールもケーキ、食べてよ? そのために、いーっぱい買ってきたんだからっ」

 いつも通りの無邪気なアンジェリークに、ヴィクトールはとりあえずほっとしたものの……彼女が妙に情緒不安な事に少し不安になった。

「甘いものは得意とは言いがたいが……」

「だいじょうぶよ。あまり甘くないのもあるし、少なくともレーズンは入っていないわ」

 アンジェリークの軽口に、ヴィクトールは笑う。

「それじゃあ、今日は付き合うとするか……」

 ヴィクトールへの返事は破顔一笑的な笑顔だった。

「後は私がするから、ヴィクトールは、向こうで待っててね」

 ヴィクトールはアンジェリークの頭をぽんぽん叩いて、リビングに戻ることにした。一度振り向いて、いつも通りのアンジェリークがくるくると動き回っているのを確認してから。

 アンジェリークが茶器の乗ったトレイを持って来たのは、それから間もなくのことだった。

「おまちどうさま」

 アンジェリークはいつも笑顔と共にある。

 彼女の周りには、いつも、心を落ち着かせる空気が漂っている。

 穏やかな彼女の傍に、ずっといたいと思ってしまう自分は、我儘なのだろうか?

 彼女と共にいたいが故に、新宇宙を導くべき女王候補たる彼女を攫ってきてしまった事だけでも、十分に我儘な事なのに、それ以上を望んでしまう。

 ヴィクトールは、日溜りのように和やかで温かな彼女との時間に息をつく。

 今まで、自分を鍛える事は必要だと思ってきた。精神も肉体も、厳しい試練の場において、鍛えるのが当たり前であると。彼女と別れなければならない事も、その試練のひとつなのだろうか。……いつもは、試練はいつか乗り越え、それを乗り越えたときにより強い自分になれる事を疑いもせずに、試練に立ち向かってきたつもりだ。が、これが、試練だと言うのなら……こんなに辛い試練は初めてだった。今、初めて、この試練に恐怖さえ、感じた。

 そして、考える。

 若い彼女を、自分の元に繋ぎ止めておくことが、彼女のためになるのだろうか?

 何年も、あるいは、もう二度と、彼女の元には戻ってこられないかもしれないと言うのに、確定のない未来を彼女に期待させて、待たせておく事は……できない。するべきでは、ないのかもしれない。

 イチゴのショートケーキを幸せそうにつつくアンジェリークを見て、ヴィクトールは知らず、苦痛に満ちた表情をしてしまっていた。

「ヴィク、トール……?」

 アンジェリークに名前を呼ばれて、すぐに表情を緩めはしたが……今度はアンジェリークの表情が曇ってしまった。

 何か、言おうとした。

 言って、彼女の笑顔を取り戻そうとした。けれど……。

「ねえっ」

 ヴィクトールが口を開くより前に、アンジェリークが不意に立ちあがった。

「確か、マントルピースの上に、女王陛下の彫像があったよね?」

 今では使われることのなくなった、飾り暖炉の上に、丁寧に布にくるまれた女王陛下の彫像はあった。

 アンジェリークはその布をそっと外し、彫像をあらわにする。

 いつの時代の女王陛下だろうか? 恐らく、特定の女王陛下のものではなく、女王という存在をイメージして造られたものだろうが、その表情は慈愛に満ちた美しいもので、確かに、現在の女王陛下の御顔にも共通するようなものがあった。

 それから、アンジェリークは、何を思ったのか、リビング中をぱたぱたと動き回り出した。

「アンジェリーク?」

 ヴィクトールがしばらくそんなアンジェリークを見守っていると、彼女はマントルピースの上に即席の祭壇を作り出した。

 マントルピースの上に、白い布を被せ、その上の女王陛下の彫像の両脇に、銀の燭台を配置して蝋燭を立る。

 そして、蝋燭に火を燈した上で、部屋の電気を消した。

「おい?」

 幻想的な光景が出来あがった。

「何を……?」

 ヴィクトールに悪戯っぽい笑みを向けると、再びアンジェリークは小走りに駆け出してキッチンに姿を消し、それから……。

 戻ってきたアンジェリークは……。

「……!?」

 頭に、ヴェールをかぶっている? いや、違う。あれは、キッチンのカーテンだ。

 けれど、この光景の中で、彼女は―――花嫁にしか、見えなかった。

 硬直するヴィクトールの腕を取って席を立たせる。

「ここで、誓いたいの。あなたとの未来を」

 真摯な瞳で見上げてくるアンジェリークに……ヴィクトールは思わず目を逸らせてしまった。

 彼女が眩しすぎた。

 真っ直ぐに思いを向けてくる彼女が……胸に痛かった。

 顔を逸らせてしまった直後、さすがにはっとした。彼女が自分の素っ気ない態度に傷ついたのではあるまいかと思った。

 けれど、彼女は相変わらず真摯な瞳と温かな微笑みをヴィクトールに向けていた。

「……私は、あなたの負担にはなりたくない……でも、あなたの希望にはなれるから……。誓って、欲しいの。私の為に、必ず戻ってくると……それがあなたの負担になるというのなら、強制はしないわ。でも、私は、あなたが戻ってくると信じて待っています。あなたがここで誓わなくても、ずっと待っています。私の為に……誓って、ください。あなたが、私の事を、本当に想っていてくれるのなら……」

 まるで、彼の考えを読んだかのようなアンジェリークの言葉に、ヴィクトールは言葉に詰まった。

 アンジェリークは、祭壇の前に跪く。

「わたくし、アンジェリークは女王陛下の御前に誓います。右なる者ヴィクトールを夫とし、生涯をかけて彼を愛し、彼を信じぬく事を」

 神聖な宣誓の言葉だった。

 アンジェリークの決意は固かった。

 立ち尽くすヴィクトールを見上げ、たおやかに微笑んだ。

 ―――負けた、と、思った。

 彼女には、負けた。

 自分のくだらない迷いを、あっさりと打ち消せる強さを持つのは……自分が愛する彼女だけだ。

 彼女を構成する最大の要因である優しさ以上に、この内に秘めた強さを、自分は愛したのだと、思い出した。

 そして、ヴィクトールもその場に跪いた。

「わたくし、ヴィクトールは女王陛下の御前に誓います。左なる者アンジェリークを妻とし、生涯をかけて彼女を愛し、彼女を信じぬく事を」

 宣誓の言葉を終えて顔を上げたとき、アンジェリークと視線があった。

 微笑みあったふたりは、お互いに手を取り合って宣誓する。

『幸福なれば幸福を分かち合い、いかな苦境に陥ろうとも、共に手を取り、助け合い、これからの生を共に歩んで行くことを……誓います』

 言葉を終えたふたりは、互いの優しい表情を見つめ合って、唇を重ねた。

「愛しています……心から……」

 口付けの後、ヴィクトールの胸に頭をもたせかけて、アンジェリークは溜息と共に呟いた。

 強く、抱きとめてくれるヴィクトールに、アンジェリークは揺るぎない安堵感を覚えた。

 大丈夫。大丈夫だから。

 この人は、必ず私の元に戻ってきてくれる……絶対に。

 でも、本当は自信がない……いや、ヴィクトールを永遠に愛しぬく事に対してではなく……ヴィクトールと離れている間に、ヴィクトールを待っている間に、その寂しさに、空虚さに堪えられるかの自信が。もしかすると、自分がおかしくなってしまうかもしれない、と考えると……。

 ヴィクトールの胸元に添えた手に、知らず力が入ってしまった。

「アンジェリーク?」

 ヴィクトールが顔を覗きこんできた。

「んっ……」

 こんな表情を見られたくなかった。

 だから、わざと彼の胸に顔を強く押し当てる。

 ずっと、こうしていたい。

 彼を……ヴィクトールを、ずっと身近に感じていたい。

 分かってる。これがどんなにひどい自分の我儘かと言う事を。彼は、自分が繋ぎ止めていい相手ではない。本当は、もっと自由に、彼のやりたい仕事をやらせてあげなきゃならないのに……彼の仕事は、一所にずっといるべきものじゃないと、分かっているのに……。

 ヴィクトールが同じような事を考えている、という事をアンジェリークは知らなかった。

 けれど、これは、これだけは、意見の一致があろうとも、実行され得ない考えであった。いくら理性で考えようと、本当は、互いに離れられないことが分かってしまっている。

 ―――離れてしまえば、きっと、おかしくなる……。

「…………さい……」

 小さな声での呟きは、ヴィクトールの耳に届く前に掻き消える。

「? なんだ、アンジェリーク?」

 アンジェリークは腕を伸ばして、ヴィクトールの背を抱きしめた。

 顔を上げて、じっと自分を見つめるヴィクトールを確認して……唇を寄せる。

 触れるだけの優しいキスは、彼らしい。

 ヴィクトールは優しい。

 いつも優しく、アンジェリークを包み込む。

 時折、まるで父親のようにさえ、感じるときがある。

 聖地から戻ってきて、もう二年。でも、ふたりの間には、なにもない。優しい口付けだけ。

 ヴィクトールは、約束を守っている。

 アンジェリークが二十歳になるまでは……結婚するまでは……。はっきりした約束ではない。けれど、彼が自分自身に誓ってしまっている。

 アンジェリークは腕を伸ばして、彼の頬に触れる。

 右顔面を横切る、癒える事のない古い傷を指先でなぞる。

 頬にキスをして、傷にキスをする。傷が横切る瞼にキスをする。

 榛(はしばみ)色の瞳をじっと見つめて……再び、唇を重ねる。

 優しい……けれど、激しさを押し殺したようなキスだった。

 男の人らしい、手入れされていない唇、髭痕のざらざらした顎。

 荒々しい、男性を感じさせる……彼はやはり、男性なのだと、実感する。

 アンジェリークは、唇を離した後、ヴィクトールの耳元で、今度こそはっきりとした言葉を彼に伝える。

「私を、抱いてください……」

 


   





<言い訳>

このシーン、書いているときは、結構あだると? 

とか思っていたけれど、今、改めて、自分の裏創作読むと・・・・・

そうでもないですね(^^;;)。

続きは・・・・・・一転、甘くないっす。守護聖と協力者のゲストが出ます。