続・お風呂に入ろう
中編



「っ、ハクぅ!?」

 上半身裸……と、いうか、お風呂に使っているのだから当たり前だろう。

「いっ、いつから……!?」

 ふううっ、と、殊更大きく溜息をついてハク。

「そなたたちが入る少し前から、だよ。出て行くに出て行けないし……おかげで、のぼせそうになってしまった」

 とか言いながら、どうやら、自分の能力を最大限に利用していたらしく、ハクの周囲のお湯は、お風呂の他の場所より冷たい。

「本当に、女性というものは、どうしてああいった話が好きなのか……」

 形良い眉根を寄せて、こめかみに指を当てている。

 全部、最初から最後まで聞かれていたのだ、ハクに。

 そう、自分が、詰め寄られて漏らした言葉、も。

 千尋は、また、泣きたい気分になって、表情を情け無く崩した。

 そんな千尋を、ハクはじっと見ている。見つめている。

 そして、ふいに立ち上がる。

「え? きゃ!?」

 まさか、風呂に入るのに、服や下着を着けているわけあるまい。

 千尋は慌てて目を塞いで、俯いてしまった。

 くすっ。

 ハクの小さな笑い声が耳に届く。

 まだ全然長くはない夫婦生活。

 けれど、もう、互いの存在がすぐ傍にある事に違和感を覚えないくらいには馴染んで来ている。

 ただ……やっぱり、普段は暗闇でしか互いを確認しあっていないから……。

 俯いたままの千尋には分からないが、ハクは、露天風呂の岩場に腰掛けてじっと……千尋を見つめ続けている。

 千尋は……どう反応していいかわからない。

 ハクが何か言ってくれるのを待つだけだ。

 待って……待って…………ふわぁ、っと、意識が遠のきかかった頃。

「千尋は……綺麗だね」

 千尋は、自分が、美人とか言われる顔立ちでないのは、十分に承知している。だから、突然、そんな事を言われて、慌てて顔を上げ……ハクのまっすぐな緑の瞳に出会った。(幸いかな、腰にはタオルを巻いている……)

「わっ、私……!?」

 ハクの白皙の肌は、ほんのり桜色に染めあがっている。しっとりと濡れた黒鉛のような髪の毛は、頬や首筋にまとわりついて……少し、潤んだような瞳は、ただ、千尋を、千尋だけを捕らえている。

 ――ハクの方が、全然綺麗だ。

 千尋の方こそ、ハクに見惚れてしまう。

 じっと……いや、ぼうっとハクに見惚れていると、ハクの唇が柔らかく弛んだ。

「綺麗だ……」

 再び、囁くように……言い聞かせるように呟いて、ハクは、湯船につかる千尋にゆっくりと、近寄ってきた。

「千尋……」

 熱を孕んだ吐息と共に、吐き出される声。

 すぐ傍まで近寄って来て、千尋の素肌の肩に手を置く。

 細められた瞳に宿る、切ないまで追い詰められた感情………それは、愛おしみ。

 千尋を、愛して止まない眼差し。

「心配、だったのだ。だが……」

 ふぅっと息を吐き出し、微笑む。

「よかった。千尋を、ちゃんと気持ち良くさせられていて」

 聞かれていた。

 ぼっと、本日何度目か、頭に血流が激しく上るのを感じる。

 眩暈が酷くて……でも、立ち上がるとハクに見られる、と、思うと恥かしくて……あうあうと口を空回りさせるだけ。

「千尋……」

 意識が朦朧としかかっていると、お湯の中から引っ張り出されるように引き寄せられて……抱きしめられた。

 ハクの身体は、熱くて、冷たかった。

 足元がふらっとして、ハクの肩に頭を預けると、ハクの身体が動いて、顔を覗き込まれた。

「のぼせているの?」

 微かに頷く千尋の額にハクが手を当てると、嘘のようにすうっと、気分が楽になる。

「ハク……」

 呟いた途端に、攫われる。
 

「やっ、ハク! だっ、だめ!」

 抱きしめられたまま、身体の位置が変えられる。

 そっと、身体が離されて、湯船の中の岩場に手首を、強く押しつけられて……捕らわれた。

「……!!!」

 何か、言おうとした。

 でも、恥かしくて……また、唇が空回りをする。

 だって、見られている。

 今まで、こんな風に見られたことなんてなかったのに……。

 恥かしくて、きゅっと瞼を塞いでいると、唇に触れる、熱。

 ハクの唇の熱。

 最初は、そっと、触れるだけ。

 千尋の唇の輪郭を確かめるように、触れて……離れる。

「すまない、千尋……」

 押し殺した声を、耳元で囁いた。

 何に謝っているのか?

 千尋が目を開けようとした途端、また、唇が重なる。

 今度は……いつもより、ずっと激しく、千尋を奪い、貪る。

 長く、強く、千尋の内にある何もかもを吸いこむように。

「……優しく……できないかもしれない……」

 前置きの謝罪。

 頬に触れるハクの手。

 それから、繊細なまでに細く長い指先は、濡れた髪をかきあげて……閉ざした瞼の上を這う。

「そなたが、こんなに綺麗だから……」

 手の動きが止まって、千尋が恐る恐る瞼を開けると、そこに、うっとりとした表情のハクがいた。

 やっぱり、ハクの方が全然綺麗だ。

 視線があうと、ハクはふっと小さく笑って、ゆっくりした動作で、千尋の首筋に唇を落した。

「……っ!」

 ――どうしてだろう、いつもより、ずっと……。

 考える自分に、赤面してしまう。
 どきどきが、止まらなくなった。

 恥かしくて……でも、嬉しくて……それから、少し、怖くて。

 ハクの唇は、優しく千尋を溶かして行く。
 ハクの唇が触れた部分から、自分が溶けて、流れて行ってしまう。

 それが、怖くて、千尋は、ぴくんと身体を振るわせた。

「や……だめ……。ハク、こんな所で……いや……」

 頼りない声で、ハクを、拒絶する。

 胸を少しだけしめる恐怖が口に出させた言葉。

 それを、ハクはあっさり見破る。

「……本気で、嫌がっていない」

 少し意地悪な口調。

「……でっ、でも……やっぱり……」

 今度は、恥かしさが千尋を動かす。

「ね、部屋、行こう?」

 精一杯の、譲歩。

 でも、ハクが応じるわけが無かった。

 肩を震わせて、声なく笑い、再び千尋の鎖骨に唇を這わせ続ける。

「……っ……やっ……」

 本気で、嫌がっていない。

 ハクの言葉は、千尋自身でも自覚しきれていない心をまっすぐに覗き込んでいた。

 口では、抵抗してみせても……心から、嫌がってなどいない。

「ハク……も、止めよう? ねぇ……っ……ぁ」

 千尋が、もし、本気で嫌がっていたら……ハクが強要するはずがない。

「や……っ……」

 千尋の声が、甘い色彩を帯びてきた事を実感して、ハクは、更に千尋を攻める。

 両手首を戒めていた手を解いても、千尋は、逃げない。

 首筋から胸元に落ちてきたハクの唇……優しく、でも、激しく、千尋を追い詰めて行く。

「んっ、やぁ……」

 自分を攻める手を緩めないハクより、こんな所でされている事より……おかしくなっていきそうな自分が、怖い。


「も、いやぁ……」

 こくん、と、呼吸を飲み込んで、千尋は……涙を落した。

 頬を流れるだけで、すぐに蒸発してしまうほどの小さな雫。
 顎まで滑り落ちて滴る前に、すぐに消えてしまった透明な雫。

 ハクは、気付かない。

 でも……。

つづく



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