| これがきっとふたりの日常 2 |
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「ハク、ちょうどいい所に来た。頼まれとった薬が出来あがった所だ」 忙しなく動く複数の腕の中、開いている一本の腕で紙袋をハクのところまで持っていく。 千尋のことは、言わない。 「ありがとうございます、おじいさん」 「いや、なぁに。おまえさんにはいつも世話になっとるからな。この間も、わざわざ貴重な薬の材料を取って来てもらったし」 釜爺から受け取った紙袋を、その腕に大事そうに抱きかかえるハクの表情は……とても嬉しそうで……優しいものだった。 「できるだけ、寝る前に、白湯に溶かして飲むといいぞ」 「はい」 にっこりとひどく穏やかに笑って、ハクは弾むように、駆けるようにボイラー室を出て行った。 「……一体、何のお薬なの?」 ハクが出て行った後、そろりそろりと釜爺の台の影から顔を覗かせ、ハクが確実に部屋にいない事を確認してから、千尋は聞いた。 「ん? なんだと?」 「ハクが頼んでたあのお薬」 釜爺は、ひたすら忙しげに薬湯の為に薬を煎じている。 「あ、あれか? まぁ、別に大したもんじゃねぇよ」 「え? でも……」 「まぁ、そんな事ぁ、どうでもいいじゃねぇか。わしは、今、忙しいんだ…………こぉら! チビ共、忙しいと言っているだろぅが!」 カンカンカンカン!! 木槌を脇の金属性のハンドルに打ち鳴らす。 「いつまでサボってんだ!!」 結局……ひたすら忙しそうに六本腕を蠢かせる釜爺から、薬の名前は聞き出せなかった。 千尋は、追い出されるようにボイラー室を出て、仕事場に向かう事となる。 が……。 「千! そなた、今まで何をしていたのだ!」 戻った途端、コレである。 ひゃぅ、と、肩を竦める千尋。 今しがた、がなったのは、ハク。 さっきの、ボイラー室での穏やかな笑顔なんて想像できない、冷たすぎる公の顔で千尋を一喝。 このハクの態度変化には、なれたつもりの千尋だったが……今日は、千尋だとて、虫の居所が悪い。 ぷぷっと頬を膨らまして、恨めしげにハクを見上げてしまう。 「千……」 千尋のそんな態度に気付いたハク、眉根を寄せて、咎める眼差しになる。 が、口に出して咎めはしない。 千尋の不機嫌の理由を、一応理解はしているからだ―――あの女神の一件だと。 「まぁ、いい……早急に仕事に戻りなさい」 眉間の辺りを押えてハクは言う。 言い訳は、しない……と、いうか、仕事中の今する事じゃない。 千尋の唇が開く。 何か言いかけ……でも、止める。 ゆっくりと呼吸を飲み込んで、もう一度ハクを思いっきり恨みがましい眼差しで見やって……千尋は踵を返し、ポニーテールを揺らしながら仕事に戻った。 ハクは……千尋の揺れるポニーテルを見て、深く、深く溜息をついた。 「ハク、随分久しいの。が、わたくしは、それほど永きに渡り、こちらを訪れていなかったか?」 黒曜石のようにしっとりとした艶を放つ瞳をおかしそうに細めて、真っ赤な唇を意味ありげに吊り上げて笑う。 「人間の時間にして6年ほどです」 ハクは、女神の言葉に含まれる皮肉に苦笑しつつ……営業用の笑顔を取り繕う。 「6年! たった、6年じゃと? ほぅ、それにしては、そなた、随分見目良くなって……わたくしが目をかけていた少年が、たった6年で、まるで人間のように成長しているとは。喜べば良いのか……それとも……そなたを急かした者を、恨めしく思うべきか?」 くくっ。 喉を震わせて笑い、重量感さえ感じる長い長い緑の黒髪を、風もないのにふんわりと揺らせる。 長い睫毛で覆われた切れ長の目の中、大きな瞳だけを動かし……ずっと遠くにいる少女を……千尋を見付ける。 「人間の小娘、か」 八百万の神々に含めるのが失礼に当る程、高貴な女神の眼差しひとつ。 ハクは、ぞくりとしたものを感じずにはいられない。 その気になれば、この女神は、唇から漏れる吐息ひとつでこの油屋ごと消し去る事も可能だと、知っているから。 ハクは全身を総毛立たせた。 例え、油屋が消えるとも、千尋だけは……。 百戦錬磨、齢一体幾つになるのか分からない、物好きにも、自分の住まう清浄の地からわざわざこんな異次元の銭湯まで湯につかりにくる女神は、ハクの警戒ぶりにすぐに気付いてふふっとばかりに吐息を吐き出した。 「面白い事よの。そなたは、あの小娘の為に変わった。その姿形だけでなく、内に秘めるものも……」 女神には何もかもお見通しなのだろう。 「そなたの名を、素性を知りながらも、意地悪く黙っておったわたくしの不覚かの。惜しい事をした」 さも、おかしげに笑う女神。 「せっかく、そなたの成長の様を楽しみにしておったのに。まぁ、良いか……済んだことじゃ。今更、人間の小娘に嫉妬するのもみっともないしの。じゃが……」 いい事を思い付いたように、肩を竦めて見せる。 物好きな女神は、その高雅な外見に似合わず、随分悪戯好きであった。 「嫉妬させるのは、楽しいかもしれんの」 にっこり。 「……!?」 まさか、と、思った時にはもう遅し。 「ハク、そなたに今宵の湯浴みの手伝いを頼む」 わざと、かなり離れた位置にいる千尋にも聞こえるように言う。 それから、今度はハクの耳元に囁きかけるのだ。 「なかなか楽しい意趣返しじゃの……わたくしの小姓を奪った罰じゃ」 ほほほっ。 誰が、誰の小姓か……。 脱力ひとしおの、ハク。 ちらり、と、千尋を方を振り返ると……千尋の、冷たい眼差しが……。 「ち……!」 慌てて言い訳をしようと、振り向いたが、その前に、見事に女神に掻っ攫われる。 「さぁ、ハク、参ろうぞ!」 がっちり手を握られて、引きずられるように特別仕様の湯殿に……もちろん、女神のお世話をするためにハクが呼び寄せた、選りすぐりの湯女達も一緒ではあるけれど……。 ――ああああ……。 ちらり、と、降り向いた千尋は、もう、別の方向を向いていた。が、その激しく揺れるポニーテールの動きで、いかに千尋が憤っているかが知れる。 ――違う、違うんだ、千尋! と、弁解をしたかったけれど……本気でこの女神の機嫌を損ねることが、いかほどに恐ろしいか分かっているから……無下に、できない。 ほほほほほ……。 ハクのそれらの葛藤を全て分かった上で、上機嫌に笑い続ける女神に手を引きずられて、ハクは……個室の湯殿に軟禁状態! 高貴な身分の神は、湯浴みの時でも裸にならない。 白い単を着て入浴する。 が……。 やっぱり、それでも、白い単だけでは、透けるものは透ける!! 「ハク、そなたも手伝えと申しておるのに……そのお硬さは、昔と変わらんのぉ」 湯殿には入っているものの、女神の世話は湯女たちにまかせてある。 自分は、勿論、別方向を向いて……とりあえず、女神の話し相手、と、いう世話を仰せつかっているわけだ。 「まぁ、いいわ。それより、あの娘との馴初めを、聞かせてくれんのか?」 声が弾んでいる。 余程、その手の話題に飢えているわけだ。 ハクは……しばらく、押し黙っていたものの……何度も催促する女神に「あの娘の名前はなんと言ったかの? 随分、御しやすそうな人間の娘だな」と、暗に脅しをかけられて、しぶしぶと口を開いた……ようだ。 ちなみに、そこらへんのくだりは……同行した湯女達によって、相当歪曲(いや、もう捏造?)されて千尋に伝えられた。 「ハク様と女神様、とても親しげだったよ! ありゃ、ただの仲じゃないね。昔、なにかあったんじゃない?」 「おおアリだって。ハク様、あの女神様に全然頭上がっていないしね!」 「あれだけのお美しさだもん。絶対よ! 普通の男なら、簡単に参っちゃうさ」 「女神様、帰り際超上機嫌だったよね〜。また近いうちに来る、とかおっしゃってて」 8割方、湯女たちの、千尋へのからかいであろうか。 が、それを簡単に信じてしまうのが、千尋。まぁ、それが、いい所でもあり、悪い所、でもあるのだが。 で、結果として……仕事のボイコット&釜爺の部屋に立て篭もり、となったわけだ。 ここらへんの経過をすべて考えて、ハクは溜息をついた。 しばらく、千尋の旋毛は曲がったままかもしれないな、と。 つづく |