これがきっとふたりの日常



 薄暗い部屋を照らすのは、ゴウゴウと絶え間なく燃え続ける大きなボイラーからもれる真っ赤な炎の灯り。

 頭はつるつる……その代用なのか、ふさふさのヒゲを蓄えた、六本手の部屋の主は、薬草を煎じながら、降り返る事なくむすくれた表情でお茶をすする、ポニーテールの少女に声をかける。

 そう、言わずもがな、下働きの千こと千尋、である。

「なんじゃ、また喧嘩したのか?」

「だって……」

 仕事を抜け出してきた後ろめたさもあるのか、少し落ち付かない様子で、千尋は板張りの床に視線を落して言う。

 怒っている、というよりも、拗ねているのだろう、少し尖った唇やピンクに染まったふくよかな頬には、まだまだ幼さが残っている。

「……そりゃ、ハクがああいう人だって、分かっているけど……」

 恋人と喧嘩してきて、心安い……まるでお爺さんのようになんでも相談できる、この部屋の主、釜爺の所まで愚痴りにやってきたのだろう。

「仕事中は、きっちり公私を分ける人だって、ずっと前から分かっていたつもりだけど……」

 喧嘩した原因を思い出したのだろうか、ピンクの頬を更にカッと赤くして、見たくないものを遮断するように強く目を閉ざして、頭をぶんぶん振った。

 釜爺は、ゴリゴリと、薬草を細かく煎じながら、ひたすら自分の心と葛藤を続ける千尋を、濃いサングラスの影からちろりと伺った。

 あえて言葉はかけない。

 千尋が自分から言い出すのを待つだけだ。

 ゴリゴリ。

 ごぅごぅ。

 人の声ではない音がしばらく室内に響いて……千尋は、口を開く。

「お客様は大事にしなきゃならない。それは、もう、理解しているの。うん、だって、お客様が来てくれるから、私達は仕事があるわけで……」

 口を開いても、遠まわりばかりする千尋に……余程、大きな喧嘩をしたのか、と、釜爺は勘繰った。

 まぁ、もっとも、このふたりにに対して、心配はいつも杞憂に終わるのではあるが。

「でも……でもね、なんで、帳場のハクが……わざわざ出向いてまで、接客するわけ?」

 話が核心に近づいてきたのだろう。

 千尋の声は、かすかに震える。

「上得意様だって……」

 まさに、その時の事を思い出したのだろう、眉と目尻を吊り上げて、唇を思いきり引き下げている。

「あんな……あんな、美人でないすばでぃの女神様の……!!!!」

 千尋が言いきった途端、釜爺は、ぶっと吹き出した。

「美人、ないすばでぃ……ほほぅ、そりゃ、また、羨ま……いやいや、ハクも大変だのぅ」

 釜爺の相槌など、耳に入っていない千尋。

 一度、憤りが口をついて出てきたら、後は次から次へと溢れるままだ。

「あんな親しそうに笑って……手を握られて……。何が、これは仕事だよ、よっ!! ハク、絶対、でれでれしちゃってる! だって、むっつりだもん!」

 拳を握り締めて力説。

「……千尋、それで、ハクは、その女神様のお風呂のお世話も……」

 どきどきどき。

 薬草を擦る手を止めて、いまや、千尋を振り向いて、見えない目元や口元の変わりに、顔中の皺を期待と興奮に引きつらせている……ようだ。

 が、キッ、と千尋の涙ぐんだ視線に睨まれて……ひやひや、しぶしぶと薬草を煎じるのを再会した。

 触らぬ千尋に祟りナシ。

「いくら、単を着てたって……他の湯女達がいたって………。ハク絶対、ぜぇったい、喜んでお世話してるんだわっ! 公私の公なわけ、ないもんっ!」

 どうやら、お風呂の世話もしていたようだ。

 高貴な女神様であるものだから、恐らく、通常の湯場でなく、個室を用いていたのだろう。千尋にも、その個室の中で、何があったかなんてわかっていない。勝手に怒っているだけだ。

 もっとも……見えなかったからこそ、怒っているのだろうが。
 あるいは、その時に一緒にいた湯女に何か言われたのかもしれない。

 単純……いや、純粋な千尋だから、すぐに人の話を信じてしまう。それで、過去、何度も嫌な思いを味わっているくせに、信じる事を止めない。厄介なほどに頑固。

「そりゃ、私は、あんなに胸もないし、おしりだって扁平だし、くびれもないし……ガリガリだし……」

 今度は、声のトーンが徐々に下がっている。

 自分で自分にトドメを刺しているらしい。

「まだ、てんで子供で、あんな匂い立つような色気、ないし……きっと、あと数年しても、絶対あんな大人の美人にはなれないだろうし……」

 ずずーん。

 まるで、坊が頭の上にのっかってしまっているほどに首を深くうな垂れて、正座した膝の上で拳をぎゅっと握り締めてしまっている。

「……まぁ、なんだな……だがの、ハクは、おまえさんを選んだ。おまえさんには、その美人の神様にはない、あいつを惹き付けるようなもんがあったんだろ? あいつは、それに惚れたわけだ。人間、見た目だけじゃないからな」

 一応、フォロー。

 なんというか、千尋のごちていた内容を否定する事無く、見事に綺麗にまとめているあたり、さすが大人。

 千尋も、相変わらず眉根を寄せながらも、釜爺の言葉に希望を持ったようでもある。

 少し落ち付きつつある千尋に向かって、釜爺は顔中の皺で笑って見せ、この話はお仕舞、というように薬を煎じているのとは別の手で、ぱんぱんと手を打った。

 とりあえず、千尋のヒス(?)が納まって、ほっとした釜爺……だったが、途端に落ちてくる札が数枚。

「なんだ、また! 急に忙しくなりおったか!?」

 札を確認した後、木槌を打ってススワタリたちを呼び出す。

 突然の慌しさに、苦笑した千尋はとりあえず気分も少し落ち着いたことだし……お礼を言って帰ろうとしたが、口を開く前に、くるりと釜爺に振り向かれた。

「千、すまん、ちょっと手伝ってくれ。今煎じている薬は、薬湯用のじゃなくて、頼まれもんなんじゃ。これをさっさと終わらせねぇとな」

 今まで愚痴を聞いてもらって、慰めてもらった千尋としては、手伝わないわけにはいかない。

 千尋がコクンと頷くのを見ると、釜爺は顔中の皺でニッと笑った。

 2本の腕は薬草を煎じるため。
 2本の腕は薬湯用の薬草を探すため、背後の薬棚を忙しなく動き
 あと2本の腕で、ススワタリ達を急かし、時折、乾いた喉を潤すのにヤカンに手を伸ばす。

「千、おまえの後ろに、木箱が幾つかあるだろ? そりゃ、つい最近入ってきたばっかのもんだがな……その、確か右から2つめか3つめの箱だったかな……どっちでもいい、一掴み取ってくれねぇか?」

 千は言葉のままに、木箱の蓋を開けるが……。

「え? どっちでも……って……中身、全然違うんだけど?」

「そうか? まぁ、どっちも、効用は似たようなもんだ。好きな方を取ってくれていいぞ」

 ひとつは、黒っぽい粉……というより、何かのかけらだろうか。元の原料は……ミミズの干物を風呂に入れたり、イモリの丸焼きを好んで食べるくらいだから……あんまり深くは考えたくない。しかも、何かの焦げたような匂いがしているし。

 もうひとつは……砂粒? 淡いピンク色をしている。顔を近づけると、ほんのり甘い香りがした。まるで、頭の芯から優しくなれるような……ほんわりと気分が良くなってくるような。

 千尋は、迷わず……ピンクの砂粒を選んだ。

 一握り掴んで、釜爺の元に。

「おっ、そっちを選んでくれたか?」

「ダメかな?」

「いや、すまんな。それじゃぁ、ここに入れてくれ」

 ニコニコ……いや、むしろニヤニヤ笑う釜爺の下心に、気付く千尋では、なかった。

 細かく擦られた薬草にピンクの砂粒を混ぜる。

 ごりごりと、釜爺が更に薬草を擦るたびに、甘い香りは強くなる。

「これを湯に溶かして呑むんだ。だから、できるだけ、細かくしとかねぇとな」

 ごりごり。ごりごり。

 ピンクの砂粒と、茶緑の薬草が混ざって、奇妙な色彩になる。

「さぁ、できた。できた。そろそろ、取りに来る頃だろうが……」

 出来あがった薬を手元にあった紙袋に移してから、釜爺はさっそく次の仕事に入る。

 千尋も、お礼を言って、釜爺の所を後にしようとしたのだが……。

 コンコン、と、釜爺の部屋の扉をノックする音。

「お、来たか?」

 薬の依頼人か……。

 けれど……。

「おじいさん、いいですか?」

 がらがらと、小さな木戸を開けながら、響くその声に、千尋は、反射的に釜爺の台の影に隠れてしまった。

 今来た薬の依頼人は……ハク、だった。


つづく

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