千尋の眠れない夜
3



<千尋の奇行その1>

 つい数日前の事。

 その日は別段、特別な用をいいつけられたわけでなく、残業があったわけでなく、つつがなく一日の仕事が終わり、疲れを癒す為に従業員用の風呂場に向かったハク。

 従業員用の風呂場には、終業時間後間もない事もあり、まだ多くの者たちがいた。

 油屋は、湯屋……けれど、客用にしつらえられた区画と従業員用の区画に大きな差があるように、従業員用の風呂場は、客用のそれに比べられないくらいのもので……カエルが十人も入れば目いっぱい。

 その時も、脱衣所に入ってみれば、従業員カエルが十数人もいて、湯殿が芋洗い状態であるのは容易に想像できた。

 カエルたちも、どうやら順番待ちをしているようで、浴室に入れないもの達が立ち話で時間を潰している様子。

 ハクは、一旦脱衣所に入ったものの……そこをぐるりと見まわして、諦めて帰る事にした…………………んだけれども……。

「????」

 カエルっぽくない者がいた。

 油屋にいる男性従業員は、賃金が安い事もあって、8割方がカエルである。あとの2割はカエル以外の動物変化とか、(ごく稀であるが)ハクのようなはぐれ神だったりする。

 さすがにハクだとて、従業員カエルたちのすべてを把握しきれているわけではない。だが、カエル以外の従業員はごく珍しいため、大概覚えている。

 なのに、まったく知らない者が、いた。

 脱衣所の隅っこの方でしゃがみ込んでいるのは、カエルにしては随分華奢な体型をした者で、何故か……手ぬぐいでほっかむりをしている。顔は……向こうを向いていて分からないけれど……。

「……?」

 じっと、見る。

 じぃぃっと、見る。

「………??」

 ほっかむりの人物は、ハクが見つめるたびに、体の位置をハクから離れた方向に向け、なおかつ、じりじりと逃げるように移動している。

「…………???」

 何者?

 客人の神が迷い込んできてしまったのか?

 ……いや、でも、なんだか、その後姿にはとても見覚えがある気がした。

 とてもとても見知った後姿な気がした。

 だからハクはその人物に向けて一歩踏み出したのだけれど、途端にその人物はビクンとあからさまに体を跳ねさせて、すっくと立ちあがり……。

「そなた……?」

 ハクが声をかけると、前を、向いた。

「え……あ、あ、ちょ、ちょっと、間違えて入ってしまったようじゃ。ワシとした事が面目ない」

 果してその顔は……!?

 ――おたふく?

「いや……それじゃあ……さらばじゃ!」

 おたふくの面をつけた人物は、とてもとても聞き覚えのある声をくぐもらせて、早口にまくしたてると、ぽんぽんと自分の頭を叩いて……脱兎のごとく脱衣所を飛び出していった。

 その時、ほっかむりで覆われていたその人物の後頭部から、ぴょこんと飛び出して跳ねるのは、ポニーテール。

「あ………っ!?」

 誰だかいわずもがなですね、はい。

 ハク、何が何やら分からずに、しばらく呆然としていた、とか。





 <千尋の奇行その2>

 ごくごく平和な昼下がり。

 賄いの昼食を食べ終えたハクは、仕事に戻る前に厠に向かった。

 厠……そう、便所である。

 や、もう、美少年キャラクターだとて、尿意をもよおす時はもよおすもんです。

 つーか、神様でもするもんはするんです。
 だって、食ったもん、どうするんですか?
 食ったんと同じ所から出すか(<カオナシ流)、別のトコから出すかしかないじゃない。


 ……ともかく……。

 ハクは、それで自分の仕事場傍にある厠になんの気なしに向かった。

 日本風の厠……男性用の便所は、2種類。白陶器でできた立ち用と木戸のついた座り用(笑)。

 とりあえず、小さい方のハクは木戸に一瞥も向ける事なく、白磁器の方に歩み寄って……。

 ガタン!

「あうっ……!?」

 突然、どこからか音が……声が……。

 そう、ごく、近くから……。

 ついでに、にょう……じゃく、みょ〜〜うな気配も。

 そぉっと、振り向いて、そこに……。

「……!?」

 木戸の上から、手が……頭が……。

「……あ?」

 ――もしや、トイレの花子さん!? ……花子さんも神様の一種だったのか!?<単なる妖怪だろ。

 いや、厠の神様といえば、一応存在するらしいが……女神らしいが……果して厠の神様、女神の身であって、勿論、男性トイレも守ってくれているのか!?

 つーか、いつの間に従業員用の厠まで忍び込んだのか!?

 ――と、目まぐるしく想像しなくても、ハクにはその正体がなんとなぁく、分かってしまっていました。

 分かっていたから、どう声をかけようかと暫し考え……とりあえず、木戸を軽く叩いてみた。

 そしたら、少しして、木戸がぎぃっときしんだ音をたてて開いて……。

「あはは……ごめんなさぁい。お手洗い、間違っちゃった」

 てへっ。

 肩を竦めて、ごく可愛らしく笑って……男性用女性用トイレを間違えようがない程度には、油屋で働き始めてかなり時間の経つだろうその少女は、小走りでトイレを駆け出していった。

 そう、ポニーテールを揺らせて。

 何があったのか……呆然と、ただ、呆然と立ちすくむ、ハク。

 陽射の差し込まない明り取り窓からは、うららかな陽気に殊更青く見える空が見えた。

 ああ、今日もいい天気だ……。

 そう、実感して、瞳を細めた。

 午後の、芳しい臭気ただよう、厠での事だった……って、現実逃避も大概なもんですね。

 と……そこに、従業員カエルが現れて。

「おお、やっと開きましたな。ここ一刻ばかり、締まったきりで……誰ぞ通じの悪いものが頑張っていたのですかな? ……お、もしかして、ハク様で?」

 声をかけられて初めて、自分が用を足しに来た事を思い出したのだった。

 漏らさなくて良かったネッ!(殴)





 <千尋の奇行その3>

 草木も眠る丑三つ時。
 けれど、油屋はやっと終業してこれから眠りにつこうかという所。

 他の従業員達よりも遅く仕事を終えたハクも、自室に戻り、布団を敷き、これから夢も見ないような深い眠りにつこうかと目を閉じた頃……。

 ヒタヒタ……ヒタヒタ……

 廊下を音を立てないように歩く足音

 ヒタヒタ……

 その音はどんどん近づいて来て……ハクの部屋の前でピタリと止まる。
 足音が消え、そこにすっと静か過ぎる空間ができて……かえって不気味である。

 障子を隔てて、廊下に在る存在の気配がする。

 ハクは、どうしようかとしばらく考えた後……寝たふりを決め込む事にした。
 その存在の目的がなんであるのか分からない故に……知りたかったからだ。

 まさか、カオナシがこの前手ひどく追い払われたはらいせに、ハクを食べにきたか!?(そして、千尋をひとりじめに……)

 あるいは、坊がこの前おやつを取られたはらいせに、呪いでもかけにきたか!?(そして、千尋をひとりじめに……)

 そんなまさか、リンがこの前1週間ぶっ続けで大釜番させられたはらいせに、絞め殺しにでもきたか!?(そして、千尋をひとりじめに……)

 ハク、結構悪どい事してます。

 寝込みを襲われる身に覚えびしびしだったようです。

 寝たふりをしながらも、警戒して、五感を澄ませる。

 だが、魔法は使えない。

 相手が魔法を使う相手だった場合、魔法の発動の気配を悟られて先手を取られかねない。

 また、こっちが先手を取ろうとしても、もしも、この息を潜めて様子をうかがっている存在が悪意なき場合、とんでもない事になる。

 ――まさか、千尋が夜這いをかけに来たわけでもあるまいに……。

 と、そう思った時、襖がゆっくりと開いた。

 音を立てないように細心の注意を払っているのが分かる。

 目を閉じ、部屋にゆっくりと踏み込む人物の呼吸を、足音を、感じる。

 一体、誰だ……!?

 気配がすぐ傍に。
 しゃがみこんで、布団に手を伸ばそうとしている。

 手が布団に触れるや否やのその時!

「誰だっ!?」

 ハクはがばりと飛び起き、その存在の手を掴み、魔法の力で咄嗟に部屋に灯りを点して……。

「……!!?」

 驚きに目を真ん丸くするその人物を見て、ハクの方こそ、驚きに体が固まった。

 千尋、だった。

 ――ま、まさか、本当に夜這いに!?

 何をどう言っていいものか考え、ただじーぃっと、千尋を見ていると、千尋は……。

「あら、やだっ、部屋間違えちゃった。ごめんなさい」

 うふっ。

 下をペロリとだして、愛想笑いをした千尋。

 するりとハクの手を擦りぬけ、廊下に出て…………………一目散に、駆け去った足音がした。

「………」

 しばらくぼーぜんとしていたハクは、ふいにはっとして、拳を握りしめた。

「しまった。しばらく、寝たふりをしておけばよかったのだな」

 そういう問題じゃないだろ。


 

つづく


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