新婚生活 in 油屋

その6



 それから……どこをどう飛んだのか、千尋にはよく分からない。
 ずっと目を閉じて、柔らかなハクのたてがみに顔を埋めていたからだ。

 そのうち、空気に大地と水の強い匂いが混じったのを感じて、目を開き……陽射を受けて煌く泉をすぐ眼下に認めた。

 鬱蒼とした森の中がぽっかりと開けた場所に、泉とその周囲を取り巻く花畑があった。

 そこに、ハクは、千尋に決して衝撃を与えないようにそっと降り立ち、千尋が背から下りると、すぐに人身に戻る。

 油屋の季節感のない豪奢な花々の咲き方もすごいが、ここの花畑は、泉と奥深い森を背景に、背の低い野の花が色とりどりに咲き乱れてていて、優しい美しさに溢れていた。絵心があれば絵画として写し取りたいくらいだ。

「キレイ……」

「ああ……随分前に見つけて、いつか、千尋とこようと思っていた場所だよ……」

 その場に腰を落とし、ハクは小さく笑う。
 千尋も、ストンと、ハクの隣に腰を落した。

「素敵だね」
「……そうだね」

 しばらくの沈黙。

 ふたりの目の前で、いく匹もの蝶々がふわふわと舞うように飛んでいる。

 まるで春先の日溜りの中にいるように、そこは心地くて……なぜだか、優しく素直な気分になれる気がした。

「……千尋」
 ハクが、最初に口を開く。
 千尋を直視せず、真っ直ぐに前を向いたままで。

「私は……まだまだ子供だな。自分の心を律する事もできない。千尋の事となると、特にそうだ……みっともない……。馬鹿な嫉妬をして……あんな、醜態を曝すなんて……。私は、まだ、千尋に会うべきではなかったのかもしれないな……」

 形の良い薄い口元には、自嘲。
 自分自身に厳しいハク……きっと、今、ハクの中では、己が葛藤を続けているのかもしれない。

 千尋は、ハクがどうして怒っていたのか……何がハクを怒らせたのか……完全ではないが、少し、分かった。

「……私だって、まだまだ子供だよ……。だって、ハクを不安にさせちゃったのは、私でしょう? 私が、意地をはっちゃったから……」

 真っ直ぐに前を見るハクの眼差しを、自分の顔で遮る。

 ハクの目の前に、愛らしい千尋の顔だけが広がる。

「それに、ね……私、またハクに会えて……こっちの世界にきて、とっても良かったと思っているよ?」

 その心のままに、真っ直ぐな眼差しが……痛い。痛いけれど……嬉しくもある。

 前に向けたままの眼差しを、千尋に移して、ハクは、微笑むしかなかった。

 微笑んで……それでも、ついこだわってしまう、男の意地……。
「千尋……私のいない間、銭婆の家で、坊となにしてたんだ?」

 脈略のないハクの言葉に、千尋は一瞬きょとん、としてから……ぼっと頬を染めた。

 まさか……そんな、まさか……!

 と、ハクは、思うものの……千尋が頬を染めた理由は、勿論そんな事じゃない。

「えーっと、ね……コレ……」

 大事そうにずっと持っていたバスケットをハクの前にずいっと差し出して、蓋を開けて……出てきたのは?

「……え?」

「だっ、だってね、私、向こうでも料理はお母さんにばかりしてもらってて、自分ではほとんどした事ないから……私より、ハクの方が全然お料理上手いし……。だからね、ほら、いつかハクにもらった"元気の出るおにぎり"みたいなの、私も作れないかな、って、思って……。だって、ハク、時々、とっても疲れた表情するじゃない? で……おばあちゃんなら作り方教えてくれそうだし……坊は、舌が肥えてそうだから、ちゃんとした評価もらえるかな、って……。だって、ハクってば、私の作ったもの、そんなにおいしくないのに、いつもおいしい、って言ってくれるから……」

 そんな事で……。

 唖然としているハクに、千尋は顔を赤くしたまま続ける。

「でもね、やっぱり、"元気の出るおまじない"は、魔法が使えないとだめなんだって。けど、おばぁちゃん、私が作ったものならなんでも、ハクは喜んでくれるだろう、って。だから、料理の腕を上げればいいだろう、って……それで、おばあちゃんから色々教わって……坊に味見してもらって……あっ、あのね! 坊がね、とてもおいしい、って言ってくれたの、これ。だから、嬉しくて、坊に抱き付いて、坊と一緒にバランス崩して倒れちゃったんだけど……」

 千尋の言葉尻が徐々に小さくなる。

「……? ……?? ……ハク?」

 隣に座っているハクが俯いて、肩を震わせているからだ。

「どうしたの? もしかして、坊と喧嘩しちゃった時、どっか打ってたの!? 大丈夫!? ハク!?」

 慌てて、千尋はハクの肩を抱くけれど。

 ハクは………笑っていただけだった。

「っ……くくっ……」

「?????」

 涙さえ浮かんだ瞳できょとんとする千尋を見上げ、ハクは声を出して笑う。

「……はははははっ……」

「ハク?」

「いや、すまない……やっぱり、千尋は千尋だと、そう思ったんだ……」

「……??」

 笑い続けながらも、ハクはバスケットの中に手を伸ばし、千尋お手製のパイを取り出す。

「ミートパイだよ。おばぁちゃん特製だって。私、初めて作ったんだけど……」

 ミートパイを口に運ぶハクを、じぃぃっと、見つめる千尋。
 もぐもぐ、ハクが咀嚼する様を見つめて……ハクの言葉を待つ。
 その胸の内は、ひどくどきどきしているに違いない。

「おいしいよ、千尋」

「ほんと? ほんとに? ハクってば、いつもそれだから……」

 ハクの言葉は、嬉しいけれど……いつも、ハクはそう言うのだ。
 千尋自身が、あんまり美味しくないかな、と、思ったものに対してさえも。

 だから、ちょっぴり拗ねた眼差しでハクの表情を探るのだが、ハクは、やっぱり、いつも千尋の料理を食べている時と同じ、にこにこ笑顔しか見せない。

「いや……本当だ。ほら、千尋も食べてご覧」

 食べ掛けのパイを、そのまま千尋の口に近づけると、千尋はぱくん、と、それに齧り付く。
 もぐもぐもぐもぐ……。
 しばらく味を舌で堪能して……千尋は瞳を大きく見開いた。

「おいしい……」

「ね?」

 にっこり笑ったハクは、ぱくぱくっとパイを食べきってしまうと、また更にバスケット中に手を伸ばして……中から……。

「おにぎり?」

 そう、真っ白なご飯をにぎった、おにぎりがあらわれた。

「あっ、あっ、それ……ミートパイとじゃ合わないと思ったんだけど、でも、やっぱり、ハクにおにぎり食べて欲しくて……。あの、ね……ちょっと、私なりにおまじないかけてみたんだけど……」

「千尋の、おまじない?」

 くすっ、と、笑う。

 そんなもの、必要ないのに、と、ハクは思う。

 "千尋が""ハクの為に"作った……それだけで、ハクには、なによりの"元気の出るおまじないのかかったおにぎり"なのに。

 ぱくっ。

 すっかり冷たくなった白いご飯は、千尋の愛にあふれていた。
 千尋の想いが、こもっていた。

 けれど……。

「って……ナニ……コレ?」

 おにぎりの中に異物感。
 梅干とかオカカとかなら構わないが……これは……一体……。

 千尋、にっこり。

「疲れたときは、甘いものがいいんだよ」

 ……ジャムだ……。

「おばあちゃんのジャム、私、大好きなの。食べると、元気になれるんだ。だからね、ジャム入れて……いっぱいお祈りしたの。ハクが元気になりますように、って……」

 えへへ、と笑う千尋に、ハクは何も言えない。

 ただ……とりあえず……残りのそれを、口に押し込み、ごっくん。

 そして、にっこり。

「おっ……おいしいよ、千尋。千尋のおにぎり、元気が出るね」

 愛の力です。

 や、確かに、時々、千尋の作る料理には、謎なものが多かったけれど……。

「よかった! じゃ、他のも食べて!」

「ほ、ほか、の?」

「とりあえず、私の好きな……キャンディと、カスタードクリームと、いちご、なんか入れてみた」

 えへっ。

「………………………………」

 そお、愛の力!!!

 ハク、愛に洵ず。

 千尋お手製おにぎりを、全部食したハク……! 愛という以外に、なんの感情がそうさせ得るだろうか!? ねっ!?

 千尋特製おにぎりを食べつつ……『やっぱり、もうちょっと料理の練習はして欲しいかも……』とか、ひっそり想う旦那さま、ハク。
 もっとも、それを口に出して言える日は……きっと、なかろう。

 今後とも、愛の力で耐え続けるに違いない。

 天晴れ!! 親ばかならぬ、夫ばか……愛妻のためなら、死ねる!! らしいぞっ!(そこまで千尋の手料理は強烈か? ……強烈、かもしれない……)
 


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