新婚生活 in 油屋
| その2 |
起きてもまだぼーっとしている千尋が可愛くて、後ろからそっと抱きしめる。 あの頃は、色気のいの字さえ感じられなかった腹掛け姿であるが、今は、まろみを帯びた体のライン……特に背中の滑らかさや、ほどよい膨らみ(とは言っても、乏しいものではあるが…)が……なんとも、色っぽい。 昨日の名残の散らばる肩から手を滑らせ、そっと唇をあてがい……小さく悲鳴を上げる千尋を、きゅっと抱きとめる。 「ハク……朝から、だめ……」 めっ、とばかりに睨み付ける眼差し。 お世辞にも美人とは言えない顔立ちだけれど、その豊かな表情は、きっと、どんなものより綺麗だ……少なくとも、ハクにとってはそう思える。夫の欲目……愛故に目がくらんでいるだけか? 「目、さめた?」 ハクが、くすっと笑って問いかけると、千尋はピンクの頬をぷっとふくらませて、腹部に回ったハクの手を押しのける。 「覚めたよ。覚めたから、もう、どいて」 こっちの世界のハクの元に嫁いで来て(<そう、一応嫁いできたのです)、8年前には、実は把握しきれていなかったハクの本性が理解できてきて……ちょっぴり詐欺にあった気分の千尋であった。 そりゃあ、ハクが優しいのは間違いない。けれど、実は、結構意地悪だったりした。(竜はみんな優しいよ……優しくて もう、遥か過去のことではあるが、いつかの"ハク様と呼べ"発言も、地だったのかもしれないと、そう思えさえする。 千尋の嫌がる事を、分かっていてしようとする節があるのだ。 はいはい、と、軽い返事をして、ハクは悪びれる事無くにっこり笑う。 これも、ここのところのいつものパータン。 千尋の何もかもを知り尽くしているのだろう、ハクは。 嫌がっても……嫌がってはいない事を。 背後のハクが、自分のそんな様子を面白がっている事を確信しつつ、じっとしているのもくすぐったくて、とりあず、千尋は、いつものように高い位置で髪を結わえる。 「今日の約束、覚えている?」 千尋の、髪を結わえるために高く掲げられた腕からわき腹の華奢なラインに見惚れつつ、ハクは切り出した。 「うん。そりゃ、勿論だけど……?」 あの頃から使いつづけていても、ちっとも磨耗しない、さすがは魔女のお手製というべき髪止めで髪を結い終えて、千尋はくるりと振り向いた。 何を今更問いかけるのか、と、言った風に。 もう、何日も前から楽しみにしていたのだから、忘れるわけがない。 「じゃ、坊との約束も?」 「え……?」 ハクの、どこか千尋の様子を探るような眼差しに、千尋は気付く事無く、首を傾げ……はたとハクの方を見据える。 「あ……そうだ。このお休みが決まるまえに、坊と……って、あれ? なんで、ハクがそれを??」 「………今朝、坊が自己申告に来たんだよ」 にっこり……凶悪なくらいに優しい微笑で、ハクは言う。 「ああ、そうなんだ……。そっか……坊ともお約束してたんだ。……う〜ん……」 ハクの心中知らず、千尋は首を傾げて考え込んだ。 それから、言うのだ。 「じゃ、三人でおでかけしましょう? おばあちゃんにも随分長い間会っていないから、ちょうどいい機会だね。おばあちゃん、きっと喜ぶし……私も、ちょうど色々聞きたい事あったし。ね、カオナシも、元気にしてるかな? そうそう! この間ハクに買って来てもらったお茶、おいしかったからおばあちゃんに分けてあげてもいい?」 にっこり、にっこり。 極上の笑顔。 ハクの邪な想いなど、簡単に浄化してしまうほどの、無邪気な笑顔。 純粋に素直な千尋……。 「……そうだ、ね……銭婆も喜ぶかもしれないね」 憤っていた想いが、力を失うのを感じて……ハクは苦笑した。 苦笑するしか出来なかった。 もしも、千尋が坊との約束を本当に、まったく覚えていなかったら……言霊も、少しばかりではあるが、力を失う。(勿論、忘れているのと、覚えていて無視するのはまったく別物。約束を、相手が覚えていない場合、言霊も、完全に相手を縛れない) そうしたら……すぐさま竜身になって、千尋をここから連れだそうと思っていた。 いや、千尋が、忘れたフリをしたとしても、それでも、連れ出そうと思っていた。言霊の呪縛など、振りきろうと思えば振りきれる自信があったから。 なのに……千尋は、あっさりと認めてしまった。とぼけたって、構わないのに、真っ正直に認めてしまった。 そう……千尋は、言霊があろうがなかろうが、嘘をつける娘ではない。 あの十歳の頃から、身体や精神は成長しても……根本にある心はあの頃のままにまっすぐだ。 ふうっ、と、諦め混じりの溜息をついたハクは、ゆっくりと立ち上がる。 すでに、着替えは済ませてあった。 「じゃあ……坊が来るまでに、仕度をしよう。今日は、私が何か作ってくるから、千尋は、ゆっくり用意をしておくといい」 普段、大概食事は賄いですますのだが、今日はまだコック達も起きていないため、従業員用の小さな厨房で何か作るしかない。 それでなくても、ふたりは、時間のある時は、こうしてどちらかが食事を作るようにしていた。 先日は、千尋が食事を作ったから、今度はハクが、という事なのだろう。 けれど……千尋は、ハクの申し出に一瞬何か言いかけて……押し黙った。 「あっ………うん。それじゃ、お願い」 小首を傾げてにっこり笑う。 少し様子の変な千尋……それに気付かなかったのは、ハクの不覚。 と、いうか、それで後々自分がとんでもない大損をすることなっただけであるが。 人、それを自業自得という。 |