新婚生活 in 油屋

その3


「千尋〜〜」

 坊が部屋に駆け込んでくる。

 運動療法を中心としたダイエットが効いているせいか、随分と動きが身軽になったようだ。

 千尋に抱き付こうと手を伸ばす……が、寸前で跳ね返される。

 勿論、誰の仕業かは言うまでもない。

「坊、その大きな身体で千尋に抱き付いたら、千尋が潰れる」

 整った顔立ちを不機嫌に歪めて、千尋にかけたバリアを解除すると、自分は堂々と千尋を抱きしめる。

 さも、千尋に触れる権利が自分だけのものだと言わんばかりに。

 大人気ない!

 バリアに跳ね返され、尻餅をついたままの坊は、ぷぷっと膨れる。

「千尋を一人占めなんて、ずるいぞ!!」

「仕方ない。千尋は、私のものだ。私の、""なんだからね」

 言いながら、更にこれ見よがしに千尋の頬に唇を寄せる。

「ハクっ!」

 当然と言うか、なんというか……頬に口付が落ちる前に千尋に拒否されたようであるが。

「坊に、意地悪しちゃ、可愛そうでしょう! もぅっ!!」

 ハクの腕をするりとすり抜けて、千尋は、半泣きのまま座り込んでいる坊にそっと手を伸ばした。

「いけないお兄ちゃんだね」
(ハクにお兄ちゃん!!<そぐわない、そぐわない……)

 目尻に浮かぶ涙を指先で弾いてやって、巨大な頭をイイ子イイ子と頭を撫でてやる。

「千尋〜〜」

 えうっえぐっ、と、いささか(いや、かなり)わざとらしいすすり泣きで、千尋にしがみつく。

 しがみつくというか……千尋よりも随分体格があるだけに、千尋を抱きしめる形になる。

「よしよし……」

 最近、千尋もすっかりお姉さんが板についてきている。
 にっこり笑って、随分年下の弟……あるいは、子供を(<こういう表現はハクが激怒しそうだが…^^;)あやしているようだ。

 ちなみに、坊は千尋にあやされながらも、ハクと視線が合うと……細いひとみを更に細くして、にんまり、笑って見せた。

 そお、勝利の笑み!(笑)

ゴウッ!!

 室内に、不自然な風が、吹く。
 けれど、千尋は気付かない。

 その風を、ハクが巻き起こしていることを。
(千尋に見えないと思って、すんごい形相をしています。普段の美形な様も、どっかに吹っ飛んでいます。ええ、とても、形容できる形相ではありません)

「あれ、すごい風。窓、開けっぱなしだったかな……?」

 のほほ〜ん、と、髪をかきあげて、最後、とばかりに坊をきゅっと抱きしめた。

 室内で小型の竜巻ができている(やはり、竜巻は竜が起すものだったか……)。

「ね、坊も泣き止んだし、いきましょう! おばあちゃんのところに!!」

 くるりん、と、振り向いた千尋の無邪気な笑顔に、ハクは、見事、表情を取り繕った。

 いつも通りの、クールな美形の出来あがり。

 偉いものだ。

 うむ、これも、愛の力だろう。


 
 ともかく、ひと騒動を追えた三人は、銭婆の所に向かう事にした。

 

「おばーちゃ〜ん!!!」 

 ハクの背に乗れば、銭婆のいる沼の底まであっというまだ。

 ちなみに、あの頃より竜身でも成長したハクであるが……さすがに、人形の坊を乗せるのは無理があるため(と、いうか、ハクが完全拒否した)、坊はネズミ姿で千尋の肩にくっ付いている。

「千尋、ハク……それから、坊も、よくおいでだね」

 顔の作りは同じハズなのに、湯婆婆には真似できない柔らかな微笑で銭婆は3人(?)を迎えた。

 辺りは、うっすらとした暗闇が迫って来ている。

 黒々とした沼と森に囲まれてぽつんと建つ銭婆の家だけれど、ここに来るたびに、妙に安堵した気持ちになるのは、何も千尋だけではない。

 質素な建物のドアを開け、ほんわりとした暖かな灯りの中に迎え入れられ……ハクも、少し瞳の力を緩めた。
(坊があまりに馴れ馴れしく千尋の肩にくっついているのが、気に入らなくて、目をとがらせていたらしい。……振り落とそうとわざと乱暴に動くと、今度はより強くしがみつくし……何より、千尋が、坊を胸に抱き込むのだ! 気分がいいハズがない)

「ア……ア、ア……」

 家に入ると、すっかり銭婆の手伝いになれた様子のカオナシが、3人にお茶を運んできた。

「久しぶりだね、カオナシ。元気にしてた?」

 無邪気に笑う千尋にカオナシも、読みづらい表情を和ませているのが分かる。

 自分の帰る場所もわからず、友達もいなくて、寂しかったカオナシ。寂しくて……千を求めた。二心なく自分に声をかけてくれた、純粋な少女を欲した。

 けれど、今、銭婆の元で、仕事を手伝う事によってその存在を認められて、カオナシはそれなりに幸せに過ごしているといえる。

 ただ、やはり、千……千尋に対して、相当の未練がありそうだが。
 お茶を出した後、さりげに千尋の横に座っている辺り……。

 ピキンと、ハクの表情が凍ったが……タイミングを逃したハクも悪い。

 目元を凍らせながらも、しぶしぶと千尋の向かいに座って、香りいいお茶に口をつける事にした。

 けれど……ネズミ姿のまま、千尋の胸元によりかかって、クッキーを齧っている坊を見て、また表情は凍る。や、もう、今度こそ完全に、フリージング。

 坊が、そんなハクに気付いて、勝ち誇ったようににまっ、と、笑い、殊更、千尋の胸元に(あの頃と違い、ふくふくっとして気持ちがいいらしい<や、それは、きっとハクが一番良く知っている)擦り寄った事が、更にハクの内なる激情を煽ったようだ。

 険しい表情で坊を睨み付けるハク。

 目から炎でも出せれば(魔女は口から炎が出せるようだが、魔男……いやいや、魔法使いとしてまだまだのハクには、そういう芸当はできない……と、いうより、出したら、多分千尋が泣く!)、今ごろ坊は焼けネズミ。

 水面下(?)での闘争。

 (勝手に)緊迫した雰囲気。

 千尋が、ほのぼのと銭婆と話している会話の内容なんて聞こえるはずもない。

「……………………………で、ね……ハクはどう?」

 ふいに、千尋の声に呼ばれてはっとしはしたけれど。

「え? どうした? 千尋?」

 話を聞いてなかったらしいハクに、千尋はいたく気分を害したらしい。

 少女を抜けきっていない、ふっくらとした頬を、ぷぷっと膨らませた。

「も、いいよ……!」

「千尋?」

「も、いい。ハクは、しばらく、出てって!」

「ち、千尋!? いっ、一体……!?」

 一体、銭婆とどんな話をしていたのだろう。

 ハクが問い返す前に、意外に強情らしい千尋は、目つきを険しくしたまま、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 憎らしいかな、坊ネズミが、クッキーの陰で、チュチュっと小さく笑っている。ちなみに、カオナシは、相変わらず、黙々とケーキを口に運んでいる。

「わたしがいいよ、って言うまで、入ってこないで!」

「ち、ちちちち…………千尋ぉ!?」

 情け無く上ずった声を上げるハク。普段のポーカーフェイスが崩れまくっていて、結構見物。

「坊には手伝ってもらいたいから、ここにいてね」

 坊ネズミの頭を人差し指でなでなでして、にっこり。

 けれど、再び顔をあげてハクを見る目は、やっぱり険しい。

「じゃ、後でね、ハクっ!」

 すっくと立ち上がって、家のドアを開ける。

 冷えた夜風が部屋の中に入り込んで、渦を巻く。

 見かねた銭婆が溜息をついて、ハクに助け舟をだすものの……。

「ハク……良かったら、隣の物置でも使いなさい。珍しい書物もあるから、きっと、あなたも退屈しないでしょう。頃合を見計らって、呼びますから……」

 けれど、千尋に拒絶された事がかなりショックだったらしいハクは、茫然自失に近い状態でがっくりと肩を落とし……暗ぁい声音を出した。

「いえ……お心遣いありがとうございます銭婆さま。私なら、大丈夫です……」

 言うが早いか、外に飛び出し、竜姿となって何処へともなく飛び立った。

 ああ、憐れハク。

 折角取った、同じ休日。ふたりで蜜月らしい一日を過ごそうかと思っていたのに……邪魔者が入ったばかりでなく、愛しい新妻に拒絶されて……。

 非行に走らず、飛行に走ったようだが……。

 ともかく、あまりに激しいショックを受けたハクは、竜の姿でこの世界を飛び回った。

 風の中を渡り、水を分け、雲を横切り……それでも、気分が、晴れるわけがない。

 しかも、やっぱり気になって、戻ってきた銭婆の家……窓からこっそり家の中を覗き込んで見たものと言えば……。

「………………………!!!?」

 千尋に覆い被さる、巨大な影……赤い腹掛けをつけた……そう、坊!

 ぷちん。

 ハクの中で、何かが切れるよーな音がした。
 


戻る   進む


++目次へ++