新婚生活 in 油屋

その1



「ハク。ねぇ、起・き・て」

 甘ぁい声が耳元にかかる。

 さすが、新婚サン!

 それにしても、千尋がハクよりも早く起きているなんて、随分珍しい。

 普段は起しても、起しても、しつこいくらいに寝たくっているのに。(←原因はハクにもあろうか?)

 乱れて顔を覆っているハクの髪を、指先でそっとかきあげて、更に声は言い募る。

「ね、起きてってば。もう朝よ……ハ、ク」

 女らしい艶のある声は……ここのところの成果とも言えようか……と、布団の中、夢現で微笑んだハクは、自分の髪に触れる手を掴み……(あれ? 千尋の手、こんなにふくよかだっただろうか?)とか思いつつ、ぐいっと自分の方に引き寄せた。

 新婚サンらしいですね〜。

 朝からイチャつくつもり満々ですね。

 んがっ。

「……っ! ぐあっ!!

 千尋の倍以上の重さが……いえ、ヘタすると小型の象さんくらいの重さが、ハクの上にのしかかった。

「なっ……なに……!?」

 慌てて飛び起きてみれば……千尋とは似ても似つかない……朝から決して見たくはないよーなモノが……。

「ハク、おまえ、いつもそういう事してるのか?」

 いつもの声音にもどった、少し舌っ足らずな喋りは……。

「坊の声真似、似ていただろう? それにしても、やっぱり、リンの言っていたとおり、おまえってむっつり助平なんだな。千、こんなののどこがいいんだろ……?」

 がばっと起き上がると、そこには……湯屋『油屋』の跡取息子のどでかい図体が……。

 ちなみに、千尋はまだ寝ている。昨晩も、よほどハクに酷使されたのだろう。

「ぼっ、坊!? ど、どうして!」

 結界が張ってあるはずなのに。

 油屋の一室に新婚部屋があるなぞ、いつ何時、どのような邪魔が入るとも知れず……故にハクは、その予防策として、毎晩、必ず人を入り込ませない結界を張るようにしているのに……どうやって、坊は入り込んだと言うのか。

「坊だって、毎日修行しているんだからな。婆婆の弟子のおまえの結界くらい、簡単だったぞ」

 そう、坊だとて一応魔女の息子。

 それなりに魔法の才はあるというのか。

 ハクは、唖然として、得意げな顔をする坊を見て……心に誓った。

 ――今晩からは、絶対に、強力な結界を、幾重にもかける、と。

 ところで、坊がこの部屋に入ってきた訳は、ハクには十分な程に分かっていた。

「千尋は、疲れて寝ている。坊と遊んでいる暇はないよ。さぁ、お帰り。湯婆婆も心配するだろう」

 最近、千尋がハクとばかり一緒にいて、ほとんどかまってやらないから、わざわざ乗り込んできたというわけだろう。

 努めて冷静に諭すように口にしたハクに、坊は丸い顔を更に丸くして、ぷぅぅとむくれてみせた。

「疲れさせたのは、ハクなんでしょ!?」

「……!?」

 実年齢がいくつかは知らないが、肉体・精神年齢では少なくとも子供の域を脱していないはずの坊のセリフではない。

 さすがにハクも、子供にそんな事を指摘されては……驚き、押し黙るしかなかった。

 けれど、すぐに浮かぶ思考。

 そういう事を嬉々として吹き込みそうな顔ぶれ。

 瞬間的に、ハクの頭の中では、それらの者どもに対する、お礼方法が浮かぶ。

 ――カエルのから揚げは美味いかもしれない。
 とか、
 ――人手不足のため、今後ずっと大湯番専任(勿論、千尋とは別に!)。
 とか、
 ――経費削減のため、ススワタリの数を半減。
 とか、
 ――ナメクジには塩。
 とか。

「千尋は、お仕事だけでも疲れてるのに、ハクがもっと疲れさせちゃ、坊が遊んでもらえないんだ! 最近、千尋はハクがずぅっと一人占めしているから、今日は、坊と遊ぶの! 千尋、今日は非番なんだよね。リンから聞いたもん」

 どうやらハクの頭の中で、『人手不足のため、今後ずっと大湯番専任(勿論、千尋とは別に!)』のお礼方法が確定されたようだ。

 お礼方法を確定して、ちょっとすっきりしたらしいハクは、唇の端を引きつらせて、無理に笑みを刻んで、坊を嗜めようと(無駄な)努力をする。

「坊……今日は、千尋は私と約束があるんだ。約束は、大事だと言う事を、坊も知っているね?」

 この世界において、言霊は大きな意味を持つ。

 一度口から出した言葉には、絶対に近い力が宿るのだ。

 魔女の契約のように、全てをがんじがらめにするほどの束縛力ではないけれど……それでも、言霊を完全に破棄するのは難しい。

 つまり、この世界では、嘘がつけない……と、いうわけだ。

 あの、金の亡者で悪徳非道で業突張りで性根が腐っていて......(以下延々と続く by.ハク、心の内)……そんな湯婆婆でさえ、嘘はつかない

 坊は、しばらく、考え込むように首を傾げた後、ハクをじぃっと見つめて……笑った。

 嫌な予感。
 
 ぞっとしたものが背筋を駆け抜けた瞬間、勝ち誇ったように坊が口にしたのは……。

「坊も千尋と約束したんだぞ! 今度のお休みには、一緒に遊んであげるから、って!!」

 言霊は、絶対。

 ハクは、この騒ぎの中でも、すやすやと眠り続ける千尋を見て……ちょっぴり、恨めしく思ったりした。

 せっかく、久しぶりに二人揃っての非番なのに(何故か、ふたりが揃えて休みを取ろうとするたび、絶対に休めない仕事の入るハクだった)……こんなどでかいコブ付きとは、ついてない限り。

 ハクの中で広がっていた『久しぶりの休日に、新妻千尋と遠乗り(ハク自身に)でお出かけ! To湖のほとりの花畑。(ついでに、アレコレ楽しめれば重畳)』の生クリームのように甘いドリームが、あっけなく溶けて、崩れて、消え去った。

 後に残ったのは、イモリの尻尾やら蝙蝠の羽やら、テングタケやらトリカブトやら(<死にます)を煮詰めた、メイドイン魔女のどろどろシチュー状態の、暗黒のドリーム。

 魔女シチューにも、かろうじて、月の雫やら乙女の涙、というよーなスゥィーティなエキスも含まれていそうだが……それだけを味わうのは、とんでもなく難しそう。

 くしゃり、と、乱れた直毛の髪をかきあげて、はふぅ、と、溜息をついたハクに、坊はにこやかに笑った。

「坊、銭婆のトコに遊びに行きたい! 千尋も、銭婆に会いたがってたしな。仕方ないから、ハクもついてきていいぞ! じゃ、千尋が起きる頃にまた来る。坊はそれまでご飯食べてるから、勝手に出ていったら許さないからね!」

 ヤレヤレ……。

 もうすぐ日が暮れ、油屋に"朝"が来る。

 朝が来る前にここを出て、闇を通して抱き合って、眩しい陽射の元でくつろぐはずの予定が……銭婆の元で茶飲み話……。

 いや、待てよ……。

 坊が出ていった後に、再び部屋に結界を張りなおして(勿論、十分過ぎるほど厳重に)、ハクは切れ長の瞳を煌かせた。

 それから、愛しい千尋の寝顔を見て……優しく微笑んだ。

「千尋……そなたは、私だけのものだよ……」 

 すぅすぅ寝息を立てる千尋の頬に口付を落して……今度は、唇に悪辣な笑みを乗せた。

 むっつりハクが、何を考えているのか………なんにしろ、ロクな事ではなさそうだ。


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