| 11111hitのカウンターリクエストで差し上げた創作です |
| 天使の実を手にする者3 −3−
翌日、6人は、ばらばらに行動する事となった。 まぁ、それぞれかなり個性が違うのだから、当然目的も違い、別行動の方がお互い楽なのだろう。 意外なのは、リモージュがひとりで出かけたいと言い出した事だ。 さんざん心配する他の面々に、にっこり笑う。 「私だって、子供じゃないから、大丈夫。危なそうな場所には絶対に入らないし!」 何度もそう繰り返し“絶対に裏通りには入らない。危なくなったら迷わず悲鳴を上げる。暗くなる前に帰る”事を約束に、嬉しそうに出かけて行った。 まだ、心配そうにしていたオスカーが、後をつけようとしたが……すぐにリモージュに見つかって、すごすご引き返してきたという。
「うん、特に異常なし!」 港に停泊させている『レッツゴーチュピ号』を一通り確認し、ランディはにっこり。 日に一度、二度、交代で誰かが船を見回りに行く事になっていた。 大概の貴重品は持っていっていたし、船室にはしっかり鍵もかかっているが……アンジェリークがしこたまため込んでいる金品の一部、セイランが精選した食材・食器などが置いてあるため、(主にそのふたりの言葉により)当番制の巡回が決せられた。 「今日もいい天気だなっ! よぅし……!」 甲板から遠く、どこまでも続くような青空に水平線から立ち上るような白雲。湿った潮風に目を細めて、ランディは大きく伸びをし、その勢いのまま、船から埠頭にランディジャンプ! スタン、と、身軽に地に着くと、周囲の一部の人間から拍手を受ける。何かの曲芸師だと思って近づいてきた子供達の為に何度かジャンプを繰り返して見せた後、意気揚揚と日課のロードワークに繰り出そうと、した。 が……。 エリューシオンはこの海域では一番大きな島で、周辺に点在する島々の中心とも言える。その為、交易の為の船が多く寄港し、この港に下ろされる荷物は多い。よって、埠頭にはそれらの荷物を一時保管しておく為に、数多くの倉庫が立ち並んでいた。 ぎりぎりの幅で立ち並ぶ倉庫と倉庫の間は狭く暗い。そして、まるで迷路のように入り組んでいて、分かりづらい。 そこに人が入り込んでしまえば、見つけるのはかなり困難だろう。もっとも、そんな所に入り込むのは、かくれんぼで遊ぶ子供か、物好きな倉庫番か……他人に知られるのがマズイような事をしている人間、か……。 「ん……?」 倉庫の横を駆け抜けるランディは、どこかで言い争う声を耳に入れ、立ち止まった。普通の人間ならばほとんど気に留めない程度の物音だが……ランディは、野生動物並の聴覚を持っていると言える。 まぁ、喧嘩っ早い海の男達が、十分以上喧嘩しない事態の方がおかしいくらいの日常なのだが……ランディが気にしたのは、言い争いの声に女性の声が混じって聞こえたからだ。 大きく華やかで、手に入らないものはないと言われる都市。けれど、裏に回れば……どうだろう? 一応、ランディも、それくらいの認識を持ち合わせている。 君子危うきに近寄らず、というのがこういった場所での本来の生き方だろうが……それを認識できるほど、彼は要領に長けてはいなかった。 『困っている女性は助けるべし』 彼のお師匠(笑)からの言い付けを、彼は、何より忠実に心に刻み込んでいた事もある。 人ひとりが体を横にしてやっと入り込めるような隙間に体を滑り込ませると、狭い隙間に反響する声はより大きく聞こえるようになった。 「…………だわっ!」 「……か?」 「…………信用……の!? …………よ!」 「……。…………か……」 もっとも、狭い隙間での反響は、あまりに音が割れ、重なり……明瞭ではなかった。 カニ歩きで十数メートル入ると、T字の突き当たり……少し広い隙間に出た。 じめじめした石造りの床に歩を進めると、ふいにまるまるとしたドブネズミが走りぬけ、ランディは身をすくませた。 声は、かなり近づいてきていた。 「…………ひとりで……じゃない!」 「どうかな、現に…………」 「もうひと押しなのよ! …………からっ!!」 「…………手段に、出るぞ?」 「あと、二日! ………たら………から! 約束……!?」 「……が、俺は好きにするぜ?」 「ヒドイ!!」 声に近づくたび、内容が明瞭になっていく。 そして、女性の声が、ひどく聞きなれたものであるのをランディは確信し、思わず、叫んだ。 「リモージュ!?」 今日、ひとりで出かけると言った金の髪の少女。 愛らしい微笑をした、そう、まるで天使のような少女。 ――彼女の身に何か!? そう思うと、ランディは駆け出していた。 走り、すぐ右手の広めの袋小路に、リモージュと……見知らぬ男を、見た。 男に二の腕を掴まれたリモージュは振り向いて、緑の瞳を見開いていた。 男は……黒い髪、長身の……緑と金左右、色違いの瞳の男。ゾクッとするほど冷たい空気をその身に纏わせた男は、血相を変えて腰の剣に手を伸ばすランディを見て、唇の端を歪めた。 「リモージュから、手を離せ!」 野生のカンによってその男がとんでもない力量の相手だと理解できたが……ここで引けるわけがない。 細身の剣を引き抜き、男に向かって身構える。 袋小路。逃げ場はない。 けれど、男は。 「……きゃっ!?」 「リモージュ!?」 リモージュを激しく突き飛ばし、ランディがそちらに気を取られている隙に、その脇をすり抜けて倉庫の隙間、暗闇にその身を滑らせ、消えた。 「大丈夫!?」 少女の薄い肩を抱いて引き起こすと、少女は潤んだ緑の瞳でじっとランディを見つめ……その胸に飛び込んだ。 「……ランディ様……ランディ様!」 きゅっと、ランディのシャツの胸元を掴む。その細い体は、小刻みに震えていた。 「怖かった……怖、かったの……」 ランディはそんなリモージュを強く抱きしめ、震える背を何度も慰撫した。 しばらく、そうしていて……次に顔を上げたリモージュの瞳は、うっとりとランディを見上げていた。 その濡れたピンクの唇には、魔力があったのだろうか……いや、魔力などなくとも、その唇を拒める男はいないのかも、しれない。 気がつけば、ランディは、リモージュに唇を寄せていた。また、リモージュもそれを、優しく受け入れていた。 うっすらと開かれた瞼の、金の睫毛の隙間から覗く瞳は、闇の中にあっても、明るいグリーンだった。
「どうして、あんなことに……?」 リモージュの体を抱き寄せ、ランディは問う。 視線を伏せたままのリモージュは、震える声で応える。 「……突然、あの男に捕まって、ここまで、引っ張り込まれて……それで……」 しばらく、躊躇った後、リモージュはゆっくりと口を開いた。 「あの男……私の乗っていた船を襲った、海賊船の人間みたいなんです……」 「……どういう事……? 君は……?」 海賊が一般の船を襲うのは当然だが……その船に乗っていた一乗客を、わざわざ追ってきて、襲ったというのか? それは、彼女自身に何か余程の価値があるか、それとも、彼女が、何か貴重なものを持っているか、だろうか? 言葉の続きを、言いあぐねているらしい少女を見つめていると、しばらくして、少女は覚悟したようにランディを真っ直ぐに見上げ、口を開く。 「天使の実……それが、あの海賊達の、狙いなんです……」 ランディは、その言葉に……身体を振るわせ、これ以上はないほど、驚愕した。
「お願い、この事は、皆さんにはどうか内密に……」 ふたりで宿に帰る事になって、リモージュはランディに懇願した。 「どうして? だって、君は狙われてるんだよ!?」 「皆さんに、心配をおかけしたくないんです……それに、先程の海賊に私が天使の実を持っていない事は言いましたし……ランディ様のような勇敢なボディーがードがいるって分かったのだから、もう、襲ってはこないでしょう」 少し頬を染め、ランディを見上げるリモージュに、ランディも顔を真っ赤にする。 「え、ああ……うん、そう、だといいんだけど……。でもね、リモージュ。君に何かあったら、俺は、自分が許せない。だから、今度外出する時は、俺を一緒に連れて行ってくれないかい?」 「……ええ、勿論ですわ、ランディ様」 ふんわりと微笑むリモージュに、ランディは、完全に舞いあがっていた。
「あと一日、か……。まだ、来ないね、あのふたり……」 約束の日まであと一日だとういうのに、リモージュの従者らしきふたりの男は一向に現れない。 このままでは、アンジェリークをひとりで彼女の故郷まで行くという船に乗せる事になりそうだ。 「ええ……でも、もしかするともう既にここについていて、私をさがしているのかも……?」 イマイチ望み薄の期待に、リモージュ自身も気付いてはいるのだろう。その表情は、暗い。 「うん、じゃあさ、今日と明日は、手分けしてあのふたりを探しましょう!」 アンジェリークが、暗い空気を払拭しようとするかのように、明るく言う。 「ほら、セイランの描いてくれたふたりの似顔絵、あるしねっ! ふたりの顔知らない、オスカーとゼフェルでも探せるわ」 食の芸術家は、絵まで達者だった。 特にゼフェルとオスカーに、即興とはいえ良く描けている似顔絵を記憶させ、皆は宿を出た。リモージュを宿において。 しつこくリモージュの同行を主張するランディが、珍しく師匠であるはずのオスカーと喧嘩になりかかったものだから、アンジェリークがふたりに強力な鉄槌を落し(往復踵蹴り!!)、今度は、リモージュの外出は危険だから、と強く言い出すランディの意見に他の男達も共感したため、彼女はひとり、宿に残る事になったわけだ。 絶対に、外に出ない! なにかあったら、迷わず悲鳴を上げ、助けを求める! 知らない人間を部屋に入れない! と、約束させて。 過保護極まりない。
とりあえず、アンジェリークは宿泊する宿の近辺から聞き込みを始めた。 あの男達がこの島でリモージュを探すとしたら、宿にあたるのが普通だろう。そして、この表通り近辺には、宿が多い。 あの男ふたりの特徴を話して、そんな男が来なかったか訪ねて歩くが、十数件訪ね歩いても、成果は得られない。あれだけ目立つ男達だから、印象には残りやすいはずなのに。 「やっぱり……ダメ、だったのかな……」 彼女の両親を助けに行ったというあの男達。男達が戻って来ないという事は、つまりは、彼女の両親も……? リモージュには決して聞かせられない、絶望的な考えに溜息をつく。 「……リモージュ……」 無邪気に笑う少女を思って、アンジェリークは沈痛な面持ちで唇を噛むしかなかった。 石畳につま先をぶつけ、拳を握り締める。 あの少女の笑顔を永遠に奪う事になりかねない事態に、どうしようもなく遣る瀬無かった。 そんな時だ。 ふいに、肩にぽんと手を置かれたのは。 条件反射ってオソロシイものだと、つくづく思う。 気がつけば、アンジェリークは懐から抜き出した短剣を背後に向かって突き出していた。 「うわっ!?」 続く、短い悲鳴に、我に返りはしたものの。 「え?」 肩越しに振りかえり、そこに、どこかでみた顔を見とめる。 「あなた……ナニ?」 「なにって……どっかで見たヤツが歩いてるから、声をかけただけだろ? あれから、無事に帰れたのか?」 少しキツイ印象を与える整った顔立ち。そこに落ちる柔らかそうな、細い銀の髪を軽くはらって、青年は人懐っこく笑った。 「おかげさまで」 やっと、短剣を下ろしたものの、アンジェリークの渋面は崩れない。 「それは、それは。ところで、今日は恋人は一緒じゃないんだな?」 「……………………………………………………恋人?」 「そう。ツンツン髪した、赤い目の小生意気そうなガキ」 「………………………」 ムッとしたアンジェリークは、早足で歩き出す。 青年を振りきるつもりだ。 「おい?」 けれど、青年は、慌ててアンジェリークの後に続く。 リーチの差があるから当然だが、アンジェリークの早歩きは、青年の普通に歩く速度とそう変わらないらしい。どんなにスピードを上げても(あくまで、早歩きで)、青年は息を乱す事無くついてくる。 それで、アンジェリークはまたムッとする。 「なんだ、急に?」 「あいつは、別に恋人なんかじゃないわ。ただの仲間よ」 「仲間? ふぅん……まぁ、どっちでもいいけどな」 「……それより、なんでついてくるの?」 「おまえが危なっかしいからだ」 「……危ないといえば、私の横で歩いている男が、一番危なそうだけど?」 「おまえみたいなガキには興味ねぇから安心しとけよ」 早足で歩いていたアンジェリーク、突然、ぴたりと歩を止める。 アンジェリークの急ブレーキに勢い余って、青年は、2,3歩先に進んでしまい、彼女を振り向く。 「また、なんだよ、急に?」 「……別に?」 言って、何度か深呼吸を繰り返す。 「あなたに、聞きたい事があるんだけど、いい?」 青年に視線を向けたとき、いつものアンジェリークらしい冷静さが戻っていた。 個人的な憤りよりも、今の彼女にはするべき事がある。 「ん?」 青年は、アンジェリークの目の前まで来て歩を止め、彼女をじっと見下ろす。 「あなた、名前は?」 「ああ、すまねぇ。まだ名乗ってなかったな。俺は、アリオスだ」 「じゃ、アリオス。私、人を、探してるの。あなたなら、知ってるんじゃないかと思って」 「どんなヤツだ?」 「多分、ふたり組。ひとりは、赤茶の髪、榛色の瞳で、かなり体格のいい男。額から右頬にかけて大きな傷があるの。もうひとりは、青い髪と緑の瞳の、メガネをかけたインテリ風の男よ。前髪の一房が額に落ちているの」 「ふぅん。そりゃまた、特徴的だな?」 「知らない?」 「……残念だけど、な。そんなヤツら、一度見たら忘れんだろうが……俺は、知らないな」 「そう……」 アンジェリークは、俯いて、親指の爪をぎりっと噛んだ。 この界隈に詳しそうな、この男でさえ知らないというのならば、諦めるしか、ないのか……。 改めて、アンジェリークは思う。 「……どんな事情があるか知らないが……もうそろそろ、腹減らねぇ? 腹減ってたら、人探しもできやしねぇだろ。俺のお勧めの店、行くか?」 深刻な様子のアンジェリークを気遣ってだろうか? 青年は、優しく彼女を見下ろしていた。 なんだか……青年の笑顔に、ほっとしてしまったアンジェリークは、こっくりと素直に頷いた。で、ちょっと後悔する。
裏通りに近いそこは、貿易商や旅人といった島外の人間はあまり近寄らないような、地元の島民たちが多く集まる場所だった。 食材の市が多く並び、島民たちの賑わいが常に途切れないような通り。 そこの料理店にアンジェリークは連れてこられたわけだが……。 「確かに、おいしい……でも……」 この島独特の、主に海の幸を用いた料理は、宿屋やそこらの旅人向けの料理店では味わえない程美味しい。 けれど……。 「なんで、真昼間からお酒!?」 「ん? こんくらいでは酔わねぇって。てゆーか、飲んでるうちにも入らねぇしな」 と、言って、目の前の青年は何杯目かの発泡酒のジョッキを空にする。 先程から、料理はあまり食べず、ひたすら飲んでいる。 強いと言うか……ザル? 「おまえも飲むか?」 「……結構よ」 「つまんねぇ、女だな」 で、また、次の酒を頼んだりしている。 「……。ねぇ、アリオス?」 「あん?」 「なんで、そんなに親切なの?」 それは、お腹が落ちつくと同時に、気分も落ち着いてきていたアンジェリークの疑問。 「親切? て、言うより、お節介なんだな。おまえ、あんまり警戒心なさすぎ。こんな得体のしれない男についてくるようなマヌケだしな。メシに変な薬でも入っていたら、どうするつもりだったんだ?」 「……!!」 青年は……アリオスは、カッとしたアンジェリークの投げつけるナイフを、皿で叩き落し、ニッと笑う。 「大丈夫、取って食いやしねぇ。ガキには興味ないって言っただろ? ……俺は、おまえに聞きたい事があるだけだ」 「……やっぱり、それで後をつけてたんだ?」 「気付いてたのか?」 「一応。これでも、修羅場をくぐってきてるのよ?」 「そのワリに、俺にほいほいついてくるんだな? どうしようもねぇ、マヌケだな」 「……! それは、あなたの真意が知りたかったから……!!」 「はいはい……じゃぁ、俺の真意ってーのは……」 言いながら、アリオスは真顔になる。 真顔で、真っ直ぐアンジェリークを見つめ、ゆっくりと口を開く。 「おまえ、天使の実って……知っているな?」 「……!?」 アンジェリークは、青年の言葉に、激しい動揺を隠せなかった。 そのあからさまな反応を、青年は瞳を細めて見る。いや、見咎めるようでさえあった。 「まぁ、巷の海賊は、知らないほうがオカシイよな」 「え……ええ、そう、ね……」 アンジェリークは、視線を落ちつきなくさ迷わせ、膝の上で手を握り締める。 「それを食すると特殊な能力を得られ、同時にどうしようもない呪いにかかる。が、また、呪いを恐れるなら、売ればいい。そう、天使の実は裏ルートでは、人ひとりが一生遊んで暮せるほどの法外が値段がつけられる」 アリオスは、アンジェリークの様子を一瞬でも見逃さず、見つめて、言う。 「その天使の実が、最近、この海域に現れたという噂……知っているか?」 「……え!?」 ビクンと、アンジェリークは体を振るわせる。 「海賊たちの動きが、この噂で活性化している。なんでも、一週間ほど前、大きな旅客船が襲われたらしい。そこに、天使の実がその船にあるという噂を聞いた海賊によってな」 そう、それは、リモージュの乗っていた船の事だろう。 天使の実によって、船は襲われ……リモージュは両親と引き離された。 初耳の事実に、アンジェリークは眉根を寄せた。 「が、結局、ガセだったのか、もうすでに天使の実が持ち出された後だったのか、いくら船を探しても天使の実は見つからなかった。そして……くすぶったままの海賊達は、今だ、この海域で船を襲っている」 「……どうして、そんなに詳しいの? 私に話すの?」 「最新情報を貿易商に聞いたのさ。あいつらの情報は、早く確実だ。そして……おまえを心配してやってるんだぜ、これでも。今、やたらと海に出るのは危険だってな」 アリオスの好意は、本物か? アンジェリークは、じっとアリオスを見るが……判断しかねる。 けれど……そう、悔しい事に、自分がアリオスに向ける好意は……間違いようがなかった。 「ありがと……」 「まあ、どっかの海賊団が、手に入れたっていう噂もあって……今では海賊同士で共食い始めちまってるから、事が治まるのも時間の問題だがな」 肩をすくめて言うアリオスに、何故か、アンジェリークの表情は暗く濁った。 もうすでに、アリオスの前で表情を取り繕う事を忘れている。それだけ、アリオスに心を開いてしまっているのか。 「どうした?」 「あ、いいえ……そうね、出航は見合わせたほうがいいわね……」 真剣に呟くアンジェリーク。 アリオスは、そんな彼女を直視しないようにして、軽く付け足すように言った。半ば、冗談交じりに。 「だな。まぁ、そんな状況だから、やたらにヤバイ誘いに乗るもんじゃねぇし……まさかと思うが、おまえが持ってるってーんなら、さっさと手放した方が身の為だぜ?」 そう、冗談……それで済ませられないくらいに、アンジェリークは目を丸くしてアリオスを見上げた。 「……まさか、マジで持ってるのか?」 アリオスこそ、目を丸くして問うのに、アンジェリークは、頭を数度激しく振った後、勢い良く立ち上がった。 「ありがと、アリオス! ごめん、もう、行くね!! 約束があったの忘れてた!!」 「おい、ちょ、ちょっと! おまえっ!?」 アリオスの静止など耳に入れず、アンジェリークは店の外に飛び出して、人ごみを掻き分けながらどこへとも分からず、走り出した……。
赤く燃え始めた陽射しが深く室内に入り込む頃……一番最初に宿に帰ってきたのは、セイランだった。 「残念だけど、収穫はなかったよ」 セイランを迎えたリモージュは、開口一番に申し訳なさげにかけられたその言葉に、微苦笑をもらした。 聞かないでも分かっていた、とでも言うように。 「他の人達が、何かつかんでくればいいんだけどね……」 セイランらしくない慰めの言葉に、リモージュは更に苦笑を重ね、けれど、その気遣いを無駄にしないように、優しく微笑みなおして、セイランに椅子を勧める。 「お茶、飲みますか? さっき、メイドさんが届けてくださったばかりなの」 「ああ、いただくよ。ありがとう」 セイランはカップにお茶を注ぐリモージュの横顔をじっと見る。 くるくるっとした大きな瞳。ふっくらとした桃色の頬。柔らかそうな唇と、あまり高くはないが、整った鼻梁の愛らしい鼻。 見ているだけで強く惹かれるのは、そのよくできたビスクドールのように甘い顔立ち故のものだろうか? 自分自身も彼女に惹かれているのを感じながらも、セイランは分析した。 「ねぇ、セイラン様?」 カップをセイランの前にそっと置いた後、その正面の椅子に座って、リモージュはふんわりと微笑んだ。 どきりとする自分の心さえ冷静に自覚して、セイランは小首を傾げた。 「天使の実ってご存知ですか?」 「………!?」 リモージュの言葉に、セイランは僅かに……ほんのわずかだが、動揺してみせ、すぐにいつもの皮肉気な微笑をみせた。 「知らないほうがおかしいね」 馥郁とした香を含んで湯気を立てるお茶をゆっくりと喉に流し込み、真正面にセイランが見たのは、戸惑ったような少女の顔。 「それが、どうかした?」 「ええ……やはり、セイラン様もご存知なのですね……」 「あまりに有名だからね」 眼差しを伏せたリモージュも、カップに口をつける。 「が、君は、なぜ、それを僕に聞くんだ?」 じっと、セイランはリモージュを見つめる。 そう、しばらくの間、じっと……。 彼の名前そのものを示す青藍の瞳は、真っ直ぐに、鋭く、少女を観察しているようでもある。 けれど、少女は、その眼差しに動じる事無く……それどころか、顔を上げて彼をしっかりと見つめ返した。 そして、言う。 「海賊に襲われる数日前でした。私の父が、天使の実を手に入れたのは」 「……!?」 セイランの見開かれた瞳を強く捕らえ、少女は言葉を進める。 「船旅の途中で立ち寄った島の、怪しげな流しの行商人から買い取ったとの事でしたが……まさか、本物とは思いませんでした……。ご存知の通り、数日後、私達の乗る船は海賊によって襲われ……そう、父の手に入れた天使の実を狙った海賊達によって、です。船に乗り込んできた海賊達は父を連れ去りました。父が、天使の実を隠し持っていると、そう、思ったのでしょう。けれど……父は天使の実を海賊達に渡しはしませんでした……」 緑の瞳を翳らせて、少女は呼吸する。 「だって……その時にはもう、天使の実なんて手元になかったのですもの……。父は、連れ去られる時、何度もそう言いました。けれど、海賊達はそんな言葉、信じるわけがありません……。私は、母と、ふたりの従者達に船を連れ出され……あなた方と出会ったのです……」 少女の告白に、セイランは息が詰まったように、しばらく何も言えなかった。 海賊となる以前にも、彼は、身近にいた元海賊により、天使の実にまつわる数々の醜い争いの話を聞いていた。その実によって、力を、富を得た者。最悪の不幸に見舞われた者。 彼女もまた、天使の実の“呪い”に巻き込まれたひとりなのかもしれない。 「……僕は、君に何を言うべきか、正直分からない。君が、何を思って、僕にその話をしてくれたのかが分からないから」 冷たいともとれるセイランの言葉。 けれど、それは、セイランの優しさ。 ヘタな慰めなど彼女が欲していない事が分かるから、セイランは敢えて、彼女の、凝って、濁った想いを吐き出しやすく促す。 「私は……あなたを信頼しています。別れの前に、せめて、あなたには、言っておきたかったの……」 潤んだ瞳をセイランに向ける。少し引き寄せられた眉根、きゅっと結ばれた唇……紅潮した頬。 セイランをひたと見据え……彼女は、視覚と聴覚だけで、セイランを虜にする。後戻りは出来ないほどに、捕らえる。 ふっと、セイランから視線を外したアンジェリークは、半眼を閉ざしてテーブルの上で湯気を立てるカップを見るともなく見つめた。 「私、天使の実なんて……キライ。だから、ねぇ、絶対そんなものに関わらないで」 「リモージュ?」 「もしも、あなた方が持っているのなら……お願い、手放して……。あんな物の呪いになんて、望んでかかるものじゃないわ……」 「……!?」 リモージュは、苦々しく言い捨て、顔を上げる。 そっと立ちあがって……そして、セイランに、口付けた。 「あなたが、好きだから……」 耳に触れる、甘い甘い囁きに、セイランは、眩暈を覚えた……。
|