Perfume
<後編>



 尽が、私に触れない。

 尽が、私を見ない。

 尽が、私に声を掛ける事も、ない。




 怖い。

 それ以上のものが、私を責めたてた。
 尽の態度が、私を徐々に憔悴させていった。

 尽に冷たくされるのが、こんなにも自分自身をぼろぼろにするものだなんて……思っても見なかった。
 尽に冷たくされて、はじめて、私は……尽の事しか考えられない自分を実感した。
 自分の心の中が、こんなにも尽に占領されているのを初めて知り…………自分の恐怖が、どこからやってくるのか……分かった、気がした。

 私は……………。

 けれど、分かったからといって、その恐怖が消えるわけではなく、むしろ、恐怖は更に私の心に広がった。
 自分の中の矛盾が、ただただ……ばかばかしくて、可笑しくて、愚かしくて……。

 気持ちを自覚する事の不安に怖くて震えていたかと思えば、自覚したらしたでその気持ちそのものが恐怖となって自身を侵す。

 じゃあ、どうすればいいんだろう?

 考えても、その答えは見付かることなく……堂堂巡りを繰り返す。
 しかも、尽の終始の冷たい態度に、自身がどんどん憔悴していって……結果。

「ねえちゃん……最近、顔色悪いな」

 ある日、尽がふいと声を掛けてきた。
 それは、単なる彼の気紛れだったのかもしれない。分からない。
 けれど、その少し心配そうな真っ直ぐな眼差しは、確かに私だけに向けられていて……。

 尽の眼差しが、胸に突き刺さった。
 胸が痛くて、苦しくて………泣き出して、しまった。

 わけもわからず溢れた涙は、わけもわからず激しい嗚咽交じりになっていて、子供みたいに泣きじゃくってしまった。

「ねえちゃん!?」

 ひどく慌てた尽の声。
 私を、心配してくれてる?

「……ないで……」

 でも、心配されるほどに、胸の痛みは増していって、私は、自分の頭に差し伸べられた尽の手を払いのけた。

「優しく、しないでよぉ!」

 優しくされるのも、また辛い。
 冷たくされて、憔悴して……優しくされて、泣き喚いて。

 私は、一体、何がしたいんだろう。
 尽に何を求めているんだろう。
 6歳も年下の弟に、私は、一体……。

 すぐそばに感じる尽の存在が、とても……大きく思われた。
 伸ばされた両腕に、そっと抱き寄せられる感触。

「やっ……止めて、もぉ……嫌っ!」

 感情がひどく乱れて、ヒステリー状態になっていたんだろうと思う。
 今度は尽の腕を払いのける事ができず、尽の胸元をぐいぐい押しやったり、ぽかぽか殴ったりして、そこから逃れようとしていた。

 もがいて、もがいて……でも、尽の腕は私がもがく度、より力強く私を抱きしめて……。

「尽の、ばか……ばかぁ!」

 言いながらも……今度は、尽の胸元にしがみついていた。

 暖かな、尽の腕の中。
 何も考えられなくなる。
 尽のぬくもりだけが、私を包み込む。

 私の身体をすっぽり覆う尽のぬくもりは、私を抱きしめるその腕の力強さは、とても優しくて……私は、少しずつ気分を落ち着けていって……同時に、己の想いを、改めて思い知る事となる。

 思い知りたくなんて、なかったのに。

 思い知るのが怖くて、怖くて、怖くて……今まで、気付かないフリを続けてきたのに。

「好き……尽が、好き……」

 弟に恋をしてるなんて。

 血の繋がった弟を好きだなんて。

 そんなの、あってはならないのに。

 だから、その感情を自覚する前に、無意識に恐怖を感じて、気付かないように己で己の想いを隠し通して……。

 友人と恋人は別。
 はっきりそう割り切って……割り切れるからこそ、今まで恋人がいなかった私が、なんで、なんで、よりによって、弟に!
 ずっと、ずっと、一緒に育ってきた血の繋がった弟なんかに!

 でも……そんな理屈じゃなく、私が尽を、男の人として好きになってしまったのは……きっと、事実。
 自分自身を怖がっていた原因は、きっとこれなんだろう。
 あってはいけない己の感情に、無意識に恐怖を覚えていたの。

 そして、尽が怖かった原因は……。
 そんな気持ちを、彼に悟られたく、なかったから。
 弟に恋してるなんて、ありえない感情、彼自身に悟られて……軽蔑されるのが、怖かったから。姉としてさえ、傍にいることが敵わなくなる事が、怖かったから。

 それに……尽が、時々、まるで、そんな私の心を見破ったかのような……いや、見破ってなおかつ、私を追い詰めるような言動を、取るから……。

 ……私は、猫に追い詰められた鼠。
 追い詰められて、どうしようもなくて……今、こうして、猫に向かって素直に想いをぶつけてしまった。
 あんまり意外な鼠の反撃に、猫は……きっと、獲物を狩る気もなくなるに、違いない。
 素直に吐き出した自分の言葉に、私は更に激しく泣き出した。


 これで、もう、オシマイ、だ。

 なにもかも、お終い。


 きっと、私が、これまで無意識的に何より怖れていた事が、今、終に起こってしまったんだ。

 私は姉でなく、女になった。そして、尽はそんな私を見限り、弟じゃなくなる。
 姉弟でなくなったふたりに訪れた破局は……すべての終焉。

 きっと、もう……ふたりが、穏やかな時間を共に過ごす事はないだろう。姉弟としても……もちろん、それ以外の存在としても。

 自分を包み込む尽の優しい温もりと、サヨナラする決心をする。

 止まらない涙を堪える努力をしながら、尽の胸をそっと押しやる。

 私の意外な告白に唖然として、固まっていたであろう尽は、見限った私を簡単に解放するだろう。
 そう思った。

 けれど……。

 押しやろうとしても、尽は私の身体に回した腕を解こうとはしない。

「っ、も、離して……」

 そう呻いて、身をよじろうとするたび、尽は……私を、より強く抱きしめてきて……。

「離してっ!」

 涙声で、激しくそう言って、尽の胸を押しやりつづけながら、その顔を見上げたら……。
 尽は……………。

「……尽……?」

 泣いていた。

「ばか、見るなよな……」

 苦笑しながら震える声で呟いて、驚いて力の抜けた私を再び自分の胸の中に覆い込み、強く、苦しいくらいに強く抱きしめる。

「男が泣いてるトコ、見るなんて悪趣味……」

 くすっと笑って、相変わらず震える声でそう囁いた。

「すっかり諦めてたもんが手の中に転がり込んできて……馬鹿みたい、俺……女々しく泣いちゃってるよ……」

 何を言ってるの……?

「勝手に思い詰めて、煮詰まって。……自分の馬鹿げた感情でねえちゃんを壊してしまいそうで、そんな自分が怖くて……だから、諦めようとしてたのに……」

 怖い? 尽も、自分を怖がってたの?
 だから、私を、避けてたの……?

「ねえちゃん……」

 耳元で熱い吐息と共に囁きかけられる。
 顔を上げて、泣き顔に笑みをのせた尽に見詰められる。

「俺、自惚れても、いいんだよな?」

「……尽……?」

「ねえちゃんも、俺を、弟じゃなくて、ちゃんと男として好きなんだ、って……そう思ってもいいんだよ、な?」

 私の呆然とした思考が、尽の言葉の意味をしっかりとした形で理解して……私は、尽の背中を抱きしめた。

 今度は、嬉しくて、涙が溢れた。
 尽の言葉が私の恐怖を吹き飛ばして。尽の心が私の不安を払いのけて。
 私は、泣いた。

 そして……耳元での尽の呼びかける微かな声に顔を上げて……口付けを受けた。
 今度は、私も素直にそれを受けて……更に強く尽を抱きしめた。

 口付けを続けながらも、私は、溢れる涙を抑えられなかった。
 あり得ないハズの想いの成就は、それほど、嬉しかった。

「自分の気持ち自覚してから……いつも、嫉妬に狂いそうだった……。だって、ねえちゃん、あんまり無防備に男友達と馴れ合ってるから……」

 うめくように告白する尽の切ない声に、私はめまいさえ覚える。
 それが……胸を躍らせるほどに嬉しい言葉の数々だと思えたから。

「俺……ダメなんだ。俺……ねえちゃんを、独り占めしたくて、たまらない。ねえちゃんに、俺だけを見ていて欲しい……。ねえちゃんが、他の男と一緒にいるだけで、たまらない……!」

 その告白に、体中の血が徐々に熱を持ち始めた。
 大好きな人に、独占したい程に想われるのは……こんなに甘美な悦びなのだと、はじめて知った。

 独占されたい。
 それも、また、恋という感情なのだろう。

 己の想いに気付き、実感し……それまで霧がたちこめたようにもやもやしていた私の心は、突然に視界が開けた。
 開けた視界の向こうに見えるものを理解した途端、私のそれまでの怖れは……知らないもの、見えないものを怖れる感情だったのだと、思い知った。

 ……そう、霧の向こうに、私は、無垢な自分の恋心を見つけたのだ。

 相手は、弟だけれど……血を分けた弟で、生まれた時から一緒に育ってきて……でも、それでも、なぜか純粋に愛おしいと感じてしまう。勿論、それは弟に対するものではなく、胸の痛みとときめきと……そんな恥かしいような感情を含んだ愛おしさ。

 尽を想うと、胸が痛くなる。

 尽を感じると、胸が躍る。

 尽に微笑みかけられると、胸がときめく。

 そんな、感情。

 今まで、まともに恋はしたことないけれど……でも、尽へのこの感情が、自分の恋なのだと、わかってしまえる。
 単なる、弟への愛情なんかじゃないと、理解できる。

 尽が、好き。
 尽を、愛している。

「……独占、してくれていいよ……私も、きっと、もう……尽しか、見られないから……」

 私を抱きしめた尽の腕がぴくりと震え、更に私を抱きしめる。

「愛してる」

 低い告白の言葉に、全身が痺れるように震えて……私は、泣いた。

 なんだか、すごい幸せと安堵と……そんなものが一気にやってきたように、体の力が抜けて……尽の存在を強く感じて……自分が、解き放たれた気がした。

「周りの奴らがどう思ったって、俺、ねえちゃんを離さないから」

 力の抜けた私の顎を持ち上げて……私たちは、深い口付けを、交わした。
 


 見ようとしなかったものを真正面から見据え、あり得ない想いを達観した私は、もう、尽を怖いなんて思うことはないだろう。
 ただ……私が怖れるとしたら、それは、いつ来るとも知れない『尽と別れる時』かもしれないけれど……。

 




おわり



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<言い訳とか>

訳の分からない話で失礼(^^;)。
これでも、それなりに手直しはしてますが…。

ま、とりあえず、ハッピーエンドって事で。

このねえちゃんは、うだうだ色々考えちゃう人みたいですね。
ま、実弟への恋なんて、普通ならうだうだ考えちゃうでしょうが。
つか、普通なら、有り得ない、ですがね。はは…。
(いや、だから、それがイイわけで……笑)