Perfume
<前編>



 尽は、ここ数年で随分と変わった。

 きっと、小学生の頃の尽しか知らない人が現在の尽を見たら、唖然としてしまうだろうほどに、変わったと思う。
 それは、成長した、という言葉でも言い表せるけれど……きっと、それだけじゃない。

 身長が伸びた。あっという間に私を追い越して、会話をするときには見上げなければならなくて、首が痛くなってしまうくらい。

 顔立ちがしっかりしてきた。小学生の頃の女の子とも見紛う可愛らしさがなりを潜め、精悍と表せる男らしい顔になってきた。

 声変わりを繰り返して、声が低くなった。口調や言い回しのクセのようなものは相変わらずだけれど、その分、その低く響く声が不思議に感じる。

 性格は……どうなんだろう?

 きっと、父さんや母さんからしたら、相変わらずなのに違いない。喋り方、喋る内容は物の分かった大人に近づいているけれど、身内に対する態度が変わるわけないから。

 でも……私は……。

 私に対して、尽は、随分変わったかもしれない。
 それが思春期特有の女兄弟に対する、ごく一過性の態度だとしても……それでも、私は、尽のその態度が少し度を過ぎている気がする。

 嫌われているのかな?
 と、何度も思った。

 直接、聞いても見た。
 けれど、尽は、そんな私を鬱陶しがるように顔を背けて押し黙る。

 たったふたりの姉弟なのに。 
 数年前のふたりの関係が、すごく懐かしくて……寂しい。

 そして、こんな事思うのもきっとダメなのに……時々、変わってしまった尽が、とても…………怖いの。




「ねえちゃん、そろそろオトコできたか?」

「あんたには関係ないででしょ!?」

 これ、いつもの会話。ほとんど、挨拶代わりの。
 顔を合わせると尽が聞いてきて、私が反発する。

 高校の頃、男友達に関して何くれなく世話を焼いてくれていた尽は、それでも彼氏のできなかった私が大学に進学したら、今度はダイレクトに話題を振るようになってきた。さすがに、大学の広いキャンパス内のイイ男チェックは厳しいとみえる。

 けれど、そんな話題を振られても、私に返す言葉はない。
 だって、やっぱり、私にはまだ恋人がいないから。

 どうも、私は恋愛方面に鈍いのか、融通がきかないのか……一旦友達と見てしまった男性を恋人にする事はできず……高校の頃の男友達も相変わらず友達のままだし、大学でだって、友達は出来ても恋人は出来そうもない。

 それを、分かっているだろうに、尽はそんな話題をふってくる。

 でも、その日、リビングに入ってきた私に同じように声をかけてきた尽に対して、私はわざと言い回しを変えてみた。

「私に彼氏ができてもできなくても、あんたには関係ない事でしょう?」

 つーんと澄まして、穏やかに言ってみた。
 私としては、単に普段の会話のやりとりに刺激を入れてみたかっただけかもしれない。

 でも、尽は、私のその言葉の変化に不信感を覚えたらしく、じっと私を見詰めてきた。

 その、眼差し。

 まっすぐに、私を見る。

 私を、私という存在の身体も心も全てを貫き通して、私を構成する何もかも全てを見透かすような眼差し。

 時々、そうやって尽に見詰められると、私は竦んでしまって身動きがとれなくなる。

 怖い。

 尽が、怖いの。

 そんな時、尽は必ず、私に対して何かの行動を起こすの。それは、絶対に暴力とかではないのだけれど……私を慄かせる……。
 この時も……。

 不意に私に近寄ってきた。私をまっすぐに見据えたまま。

 眼差しに射竦められた私は、そのまま、壁際まで後退するしかできない。

 きゅっと、私の手首を強く捉んで……尽は囁くような言葉を吐きだす。

「……ねえちゃん……」

 一見、穏やかにも感じられる声音だけれど、生まれた頃からの付き合いである私には分かる。

 それは、感情を抑えた声。
 奔流のような激しすぎる感情を、抑えつけている声。

 尽は、一体、どんな感情を抑えているの?
 ……それは、生まれた頃からの付き合いである、姉の私にも、分からない。

「香水、新しいの? こんな匂い、知らない」

 笑いを含んだ調子に作られた声音。

 尽の事が怖くて仕方ない私は、ただ、眼差しを伏せている。尽が、どんな表情をしているか分からない。
 だから、尽の本当の感情を読み取る事も敵わない。

「甘い、匂い……」

 くんくんと、犬のように、鼻を鳴らす尽。

 香水……今日つけているのは、先日大学の友達からもらったもので……今日、その子に会うから、つけていく事した。
 普段は滅多に香水なんてつけないし、今日だって、耳の後ろにちょっと塗っただけなんだけど……尽は、なんで分かるの?

「友達から、もらったの……」

「ふぅん……」

 おどおどと私が応えると、納得したようなしていないような尽の相槌があり、その顔が近寄ってきた。

 何かされる……。

 きゅっと目を閉じると、尽は顔を私の髪の中に埋めるように密着させ……耳に尽の息がかかる……。
 熱い尽の息遣いが、直に私に触れてくる……。

 ぞくり、と、体が震える

 それは、多分……恐怖のため。

 けれど、他の感情も確かに、心のどこかに蜃気楼のようにゆらゆら揺れているのに気付いて、私は、自分の心の中を掻き毟った。
 そうしないと、恐怖がますます大きく膨らんでくる気がしたの。

「ッ……!」

「この匂い……ねえちゃんには、似合わない」

 耳のすぐ傍の声。同時に、熱く、湿った息が耳に吹き込まれた。

「っ、や……」

「これは、もっと大人のオンナが着ける匂いだよ」

 笑い含みの声に、ぞくりとする。

 怖い。

 怖い。

 尽が…………自分が。

「男から、もらった?」

 くすっと低く笑い、顔を私から離す。

「ちっ、違う……女の子……」

 私から少し距離を置いた尽の気配に、やっと目を開ける。

 苦笑いする尽は……いつもの尽に見えた。

「そう……」

 尽は、呟くように言うと……私に背を向けてリビングを出て行ってしまった。

 私は……涙が目尻に浮かんでいるのを自覚しながら、大きく息を吐き出した。

 尽は……時々、怖い。
 そして、そんな時の、私自身も……何故か、怖いの……。自分の中に自分に対する恐れがあって……その根源が何かを理解したくない自分が、ただ、その怖さだけを感情に伝えてくる。

 怖い。

 ただ……怖い。

 身体が震えて、泣きたくなる。

 わけのわからない恐怖に震える自分自身を、私は、抱きしめるしかできなかった。




 その日、ゼミの飲み会があって遅くなった。

 別に、飲み会とかコンパとか、普段普通にあるんだけれど、その日は卒論についての打ち合わせの後、随分遅くなってからの飲み会だったから、帰ってきたのも日付を大幅に超えていて……危ないから、って、男の子に家まで車で送ってきてもらったの。

「おやすみ〜。ありがとね」

 手を振って、去っていく車を玄関先で見送った後、玄関のドアを開けたら……尽が、いた。

 両親には自分が遅くなるようでも先に寝てもらうように言ってあったし……もちろん、明日学校のある尽だって、もう眠っていると思ってたのに。

「尽、どうしたの?」

 寝ている両親を気にして、小声で聞くと、寝起きだからなのか、ひどく不機嫌そうな表情をしていた尽は、何か言いかけるように口を開け……閉じて、私をじっと見詰めてきた。

「尽?」

 小首を傾げて問い掛ける。
 それでも尽は返事をしない。

 尽が寝ぼけているのかとも思って、とりあえず玄関のドアを閉め鍵をかけ……再び尽に向かい合う。

「こんな時間だけど……コーヒーでも入れようか?」

 尽が眠れなくて起きていたんじゃないか、という結論に勝手にたどり着いた私が、そう提案したら、尽は曖昧に頷くような仕草をした。

 とりあえず、私は靴を脱いで家に上がり、尽に笑いかけた後、リビングに向かおうとしたんだけれど……。

「……!?」

 突然、尽に腕をとられて、抱きしめられた。

 びっくり、した。
 びっくりして、声も出なかった。

 尽の胸は、大きくて。その体温は、とても暖かくて。

 私の鼓動は一気に跳ね上がるように強く脈打ち出した。
 それは、きっと……驚いたからだけじゃ、なくて……。

 怖い。

 尽が、自分が。

 怖くて、どうしようもない。

 目をきつく閉ざして、身体を硬くする私の耳元で、尽は囁く。

「ヤニ臭い。ねえちゃん、こんな時間まで、男と飲んでたんだ?」

 皮肉を含んだ言葉。

「で、男に家まで送ってもらって……」

 嘲笑さえ含んでいる。

「随分、いいご身分で……」

 とても、とても、嫌な響き。
 だから、思わず私も目を開けて、顔を上げた。

「違う! 単に、ゼミの飲み会で……!」

 激しく言いかけた私の口を、尽は塞いだ。

 ふたりのやり取りを、眠る両親に聞かれないように……?

 それとも、尽の衝動的な、行動…………?


 私の口は……尽の口で塞がれてた。


 それを、感じた瞬間、私は……何も、考えられなくなっていた。
 無の空間に放り込まれたみたいに。

 静かな夜の闇の中、ただ、感じるのは……尽の熱。
 私の体を包む、尽の体の熱と……唇の熱。
 それから……とくとくと耳元で痛いくらいにはっきり脈打つ自分の鼓動と、尽の体から伝わってくる鼓動。

 ……それしか感じられない。

 私という存在が、尽という存在に包み込まれている。
 鼓動さえ、いつか重なりあっていく。
 何もない、虚無の空間で、ふたりの存在がひとつになったみたいに。

 それは、私を……不安に駆り立てる。
 私の中で相反してせめぎあう感情が、不安を煽るの。
 どうしようもなく不安になって……どうしようもなく怖くなって……。

 私の背中に回った尽の腕が、くっと更に強く私を抱きしめて……やっと、我を取り戻した私は、思い切り、尽の胸を突き飛ばした。

 尽の唇の熱も、その瞬間に私から離れて、私は……瞬間、自分の瞳から涙が湧き上がるのを実感した。

「……っ!」

 感情がひどく高揚していて、何をどう言っていいか分からなかった。

 怒るべきなのに。

 怒らなきゃならないのに。

 姉として、弟を。

 なのに、私は……ただ……涙が、溢れてくるだけだった。

 目の前にぼんやり浮かんで見える尽が、一体どんな表情をしているのか、確認できないままに……私は、自分の部屋へと逃げるように駆け出していた。

 怖いの、とても。

 尽が、自分が。

 怖くてたまらなくて……私は……声を押し殺して、明け方まで、泣いた。
 自分が、どうしてそんなにも恐怖するのか考えられないくらいに、泣き続けた。

 その恐怖の原因を考えてしまうと、きっと……とんでもない事になりそうで……だから、私は…………。




つづく



次のお話>>>



--BACK--





<言い訳とか>

ひたすら、ねえちゃんが怖がっているお話(笑)。
尽が滅茶苦茶に嫉妬する話、を、書きたかったはずなのに。

かなり以前に書き上げていて、あまりの内容のなさに、
うずもれさせていたお話。
ここの所不調気味で新しいのがあがりそうもないので
穴埋めに……あはは……。

香り、って、すごく強烈に印象に残るものですよね。
普段、視覚とか聴覚とかに頼りがちだけれど、
嗅覚から得たものは、もっと、感覚的な何かを呼び起こす気がします。
視覚・聴覚が「記憶」なら、嗅覚は「思い出」みたいな感じかな。
だから、艶っぽいシーンとかの表現に使うと、
すごく色っぽい感じになる気も……難しいですけどね(^^;)。

つて、わけで、尽くんがくんくんねえちゃんの匂いをかいでます(苦笑)。

次回も、うだうだねえちゃんが鬱陶しく考えてます。