悠久の川 〜ずっと一緒に 『二人の物語は、ここから始まります。そして終わることはありません』 澄みきった青空には真っ白な雲。 工業惑星の人工天体であるにも関わらず、空気が清澄なのは天体全域に配置されている発達した空気清浄機のおかげである。 この人工天体は、その名の通り、人工の鉱物によって形成されている。遥か昔、増えすぎた工業惑星の人口と工業プラントを移すために造られた、その地殻さえ完全な人工物である天体。 進んだ科学技術は、古来より人を育んできた自然を搾取し、破壊し尽くしても、人だけは……自分達だけは、生きて行ける環境を作り出した。人工の土、人工の空気、人工の雲、人工の水……人工の自然。強かな人間達は、自然なくしても生きて行ける事を、その身をもって実証したのだ。その実例こそが、この人工天体なのである。 工業惑星の母港から、人工天体の宇宙港まで、旅客として行き来する宇宙船は日に何十便もある。工業用品などの貨物の運搬も含めれば、膨大な数の宇宙船がその空港に訪れ、発って行っている。その為の大きな空港には、いつも人がごったがえしていた。 そんな中、ひとりの少年が貨物の受取所でそわそわと順番待ちをしていた。 身体にぴったりとしたライダースーツを来ている少年は、意思の強そうな顔に現れる苛立ちの表情を隠そうともせず、時折、きょろきょろと辺りを見回していた。 硬質でくせのあるプラチナの髪と、ルビー色をした瞳は、この惑星の人間としてはさして珍しくもない容姿である。 その少年は、自分達の乗船する旅客用の船とは別の貨物船で先に送ってあった、荷物を受け取りに来ていたのだった。 『荷物受け取り』と書かれた機械にカードタイプの引換証を差し込むと、荷物が保管されている倉庫の番号を記した札が出てきた。 少年は、その発行を待ちきれずに入たようで、出てきた札を引き抜くように素早く受け取ると、一気に駆け出した。 彼は宇宙港の待合所に人を待たせてあったのだ。 あまり治安が良いとは言い切れないこの人工天体の、得体の知れない人間も多数集まるこの宇宙港に、生まれ育ちが主星の、世間知らずな連れを待たせてあるのだから、その慌てようも分かる。しかも、その相手は彼にとって、なによりも大切な存在なのだから……。 「ちゃんと捕まってろよ。落っこちても知らないからな」 今回のこの旅は、ゼフェルがアンジェリークに提案したものだ。 新しい宇宙が安定を見せるまで、との条件の元に聖地に滞在していた新宇宙の女王陛下レイチェルと補佐官アンジェリークであるが、最近新宇宙も次第に安定し始め、彼女たちが聖地に留まる理由がなくなった。つまり、彼女達が新宇宙に向かう日が近づいてきているのだ。 アンジェリークが新宇宙に行ってしまえば、恐らく、今までのように頻繁に会う事は適わなくなる。 いつか、約束をした言葉。 『故郷の星に連れていく』 それを履行できるのは今しかない。 そう考えたゼフェルは、数日の間、執務もそっちのけで、以前からこつこつと造ってきていたエアーバイクを完成させた。 そして、会心のできとも言えるエアーバイクにアンジェリークを乗せ、後にジュリアスあたりに大目玉をくらうのを覚悟で、置手紙だけ残して聖地を飛び出してきたのだった。 人工天体。高層ビルが立ち並ぶ街の上空をエアーバイクで駆け抜ける。 懐かしい光景色だ。 守護聖として聖地に行き、彼の時はまだ一年しか経過していない。聖地の時間と外界の時間の流れが違う以上、この地もあれから何十年かが過ぎているだろうことは、頭では分かっている。しかし、変らない景色を前に、彼はこの星で過ごした時間と彼が生きる悠久の時間を何のためらいもなく、記憶の中で結びつけた。 あの頃、仲間たちと一緒になって、ビルの谷間をエアーバイクで飛びまわっていた記憶が、まるでついこの間のことのように鮮明に記憶に蘇る。 ただ、あの頃と大きく違うのは、今、彼の後ろにはなによりも大切な少女が乗っていることだろう。 急速降下。 ほぼ直角にビルの谷に降りて行く。 降下の浮遊感と足元からの風に、身体が浮き上がる。 「きゃっ!!」 生まれて初めてエアーバイクに乗るというアンジェリークが、急な降下と浮遊感に小さな悲鳴を上げて、ゼフェルの腰にしがみついてきた。 「うわっ、馬鹿! あぶねーだろ!」 突然のことに驚いたゼフェルは、彼女を叱りつけたものの……密着する彼女の感触とぬくもりに気づいて顔を赤くした。 「そんなに……そんなに、くっついたらよ……」 言葉は尻すぼみになってしまい、迫力は皆無だった。 女王試験が終わり、付き合いらしい付き合いが始まってこの方、手を握った事ぐらいしかないのだから、この密着度に胸を躍らせてしまうのは、十代の少年である以上、仕方がないのかもしれない。 ふたたび、エアーバイクは上昇する。 ガラス張りのビルの側面ぎりぎりに沿って昇って行くのは、今にもぶつかりそうな迫力があった。 ジェットコースター等、絶叫マシーンが得意とは言いがたいアンジェリークは、ジェットコースターどころではないこの迫力に、目も開けられず、悲鳴さえ出ず、ただただゼフェルの腰にしがみつきっぱなしだった。 そんなアンジェリークは気づいていないけれど、ずっと顔を上機嫌ににたつかせているゼフェルからして、実はわざとビルぎりぎりに飛んでいるのかもしれないが……アンジェリークはそんな彼の思惑に気づくはずもなく……すこーしだけ、エアーバイクに乗ったことを後悔していた。 高層ビルも下から見上げるだけでなく、上空から見下ろすと実に面白いものだ。 大小さまざまな異形の四角形が集まった、オモチャのようでさえある。けれど、それらの間は日が差し込みにくく、薄暗い影となっている。それは、まさしく千尋の谷だ。 眼下にそんな光景を見下ろして、エアーバイクは飛びつづける。 そして……ゼフェルはふいに目を細める。続く景色はこれまでと大差ないものだが、彼には分かる。彼の生まれ育った故郷が近づいてきていたのだ。 次々と蘇る思い出達に、彼は湧き上る興奮を抑え切れなかった。 「ほら、みえるか!? あれが、オレの育った街だよ!!」 弾んだゼフェルの声にアンジェリークはやっと目を開き、彼の故郷を初めて訪れる期待感に目を見開いて前方を見渡した。 「ねぇ、ゼフェル様?」 「あー?」 彼が育ったという街を上空から素通りして、今ふたりは昼食を取りにレストランに入っている。 「立ち寄らないんですか?」 アンジェリークとしては極めて素朴な疑問だったが、ゼフェルはパスタをつつく手を休めて難しい顔をした。 「今は、まだ、見てるだけでいい。今回はおめーに、オレの生まれ育った故郷を見せに来ただけだからな……」 どこか遠い目をするゼフェルの顔を下から覗き込んで、アンジェリークは肩をすくめた。 なぜ、彼が故郷の街に立ち寄らないのか……アンジェリークには分かってはいた。ゼフェルのその懐かしそうで、切なそうな表情が、雄弁に彼の考えを語っていた。 彼にとってはまだ一年。けれど、彼の家族や仲間達にとっては何十年。 老いて、変っている彼らを見るのに抵抗があるのかもしれない。 守護聖として三番目に在位期間の長い、地の守護聖であるルヴァ様が、以前話していたことを思い出す。 『私の故郷の星では、私が生まれた頃の事がもう研究され始めているのですよ』 その時は、あの方の、のほほんとした雰囲気と口調で、その言葉の意味がどれほど重いものか、分かっていなかった。 けれど、他の守護聖の方々が懐かしそうに、切なげに、自分の家族や故郷の事を話すのを聞き、そして、自分自身もまた、恐らく家族には二度と会えないということが実感として湧いて来ると……その言葉の意味が重すぎる現実として頭に染み渡ってきた。 今まで,同じ時を生きてきた家族や友人と異なった時間を歩まねばならない。 家族や友人と別れて間もないアンジェリークには、今が新鮮すぎて、その現実を辛い・悲しいと思うことはあっても、それまでだ。 が、もっと長い間、その現実に直面している彼ら守護聖は、それだけで片付けられる想いでもないのだろう。いや、あまりに長い時を守護聖として生きている方々は、それらを割り切って考えているのだろうか? いや、それは人それぞれかもしれない。……割り切れなかった典型が闇の守護聖クラヴィスのように思える。 そして、ゼフェルは……? 「ゼフェル様?」 「なんだよ?」 「ゼフェル様がこの故郷を離れられて、ここではどれくらいの年月が過ぎているんですか?」 彼は答えなかった。 答えを知らないからではなく、知っていても……言いたくないからだろう。現実を思い知りたくないのかもしれない。 「アンジェリーク、おめーさぁ……いい加減、その“様”付けと敬語はやめろって言ってんだろ? 元々、オレは“様”付けで呼ばれるのは柄じゃねーんだよ。だいたい、それじゃあ、まるでまったくの他人みてーじゃねーか」 話を逸らそうとしているのだろうか? アンジェリークも敢えて追求はしない事にした。話せる時が来たら、きっと自分から話してくれると、信じている。 だから、彼の言葉に乗ることにした。 「だって、癖になってるから仕方ないじゃないですか。癖ってなかなか直らないものですよ。それにね、ゼフェル様、これ、前から聞きたかった事なんですけど……。そりゃ、私達、まったくの他人じゃないですけど……それじゃあ、私達の関係ってなんなんですか?」 少し、意地悪な言い方をしてみた。 この手の話をゼフェルが苦手としてる事は百も承知だ。 「関係、って、おめー……」 さっそく言いよどんで、落ち着きなく視線を逸らせる。 シャイな彼をからかうのは、確かに楽しい。 「あの日の森の湖以来、その手の事、なーんにも言ってくれないじゃないですか。ふたりでいることが当たり前になりすぎてません? いえ、私も楽しいからいいんですけどぉ、なんか不安定だな、って……」 半分本気の言葉ではあった。 「だから、おめー、それは……。言わなくても分かるじゃねーかっ。ここに連れてきたのだって、その……おめーだから……」 顔を赤くしてぶちぶちと言い出したゼフェルが可愛く思えて、アンジェリークは笑いを吹き出した。 彼の素直な反応がとても好きだ。 「……っ!! アンジェリーク、からかってっだろ!? オレがこーいのうの苦手だって知ってるくせに……。もしかして、おめー、あの極楽鳥に感化されてねーか? まったくよー……」 この場合、極楽鳥とは守護聖のひとりを指す。 照れているのか、唇を尖らせて窓の外に顔を向けた彼の横顔が、とても愛しくて、アンジェリークは微笑んだ。 「ゼフェル様、大好き」 「……!?」 彼女がぼそりと言った言葉に、ゼフェルは顔を真っ赤にして目を真ん丸く見開いた。 その驚きぶりと照れぶりが可笑しくて、またアンジェリークは笑い出した。 他愛のない一時だ。 ゼフェルは故郷の空気に懐かしげな表情のままであったが、それだけで満足しているように見えた。 このまま、家族にもかつての中間達にも会わずに、帰るつもりなのだろう。 彼の心の安定から考えて、それは確かに無難に思えた。下手に再会してしまえば……後ろ髪を引かれずにはいられないだろうし、何より、時の残酷さを思い知る事になってしまうから。 ―――今、私に出来るのは、彼の故郷を見られた喜びを素直に表すことくらいかな。もしかすると、ゼフェル様は新しい思い出を過去のそれに重ねに来たのかもしれないわ。 拗ねているのか、照れているのか、むすっとした顔で再び食事を始めたゼフェルを見て、アンジェリークはくすくす笑いを止められなかった。 ……ずっと、思っていた。 守護聖なんか辞めたいと。守護聖なぞやめて、かつて夢見た通りに宇宙一のエンジニアになるんだと。故郷に帰って、ずれてしまった人生の軌道を修正したいと。 けれど、守護聖であって良かったと、これからも守護聖の職務を全うしていこうと思える今、故郷に帰ってきた目的は……ただ、懐かしむためだけなのだろうか? アンジェリークに故郷を見せたかった。自分を育んだ所を見て欲しかった。ここに着く前は家族や仲間たちに会うことも考えていたように思う。自分を構成する礎とも言える物を人達をアンジェリークに見て欲しかったし、大切な人達にアンジェリークを見せたかった。だが、いざ、着いてみると、怖くなった。自分はあの頃とほとんど変っては、いない。けれど……。 これでいい。会わずに帰るのが正解だ。 そう、今回はアンジェリークにこの故郷を見せに来ただけなのだから……。 心は決まった。 アンジェリークに工業惑星についての話をしながら、ゼフェルの心は決まった。なのに……。 「……君……?」 ふいに声を掛けられた。 見ず知らずの男だ。 四十代も半ばを過ぎたぐらいの、体格の良い男だった。 幽霊でも見るようにゼフェルを凝視している。 ゼフェルが表情を強張らせているのを見て、アンジェリークが口を開いた。 「あの、なにか?」 男は、その声に我に返ったようで、喉を鳴らせて息を呑みこむと、苦笑いを浮かべた。 「ああ、いや、まさかな……。世界には何人かはそっくりな人間がいるとは言うが……。すまないね。君があまりに昔の知り合いに似ていたものだから……。あいつがこんな所にいるはずはないし、それに、あれからもう何十年と経っているのに……」 寂しげに表情を崩す男。 まさか、とアンジェリークは思う。 ―――まさか、ゼフェルの昔の仲間のひとりだろうか? 「君たちは旅行者なのかな? こんな所にいても面白くないだろう? この周囲には旅行者が見るべきものは何もない。居住区域と工業プラントばかりだ。よかったら、観光区域に案内するが、どうだね?」 男から顔を逸らせたゼフェルは、唇を噛んでいた。 「必要ねーよ。ここいらの地理はよく知ってる。行きたきゃ、自分のエアーバイクで行くさ。自分で造った、最高のエアーバイクでな……」 うめくように言ったゼフェルの言葉に、男は目をむいて、顔色を変えた。 こわばった真っ青な顔をして、男は、絞り出すような声を出した。 「おまえ……まさか……ゼフェル? ゼフェルなのか!?」 顔を上げたゼフェルは笑っていた。これど、それは今にも崩れそうな脆い笑みだった。 「もう、二度と会う事はねーよ。じゃあな……あばよっ!!」 言いながら立ち上がったゼフェルは、勢いよくその場を走り去った。 アンジェリークが止める間もなかった。 「ゼフェル……」 呆然として呟く男性は、しばらくゼフェルの去って行った方向を見据えていた。 「あのぉ……」 男性に声を掛けたのはアンジェリークだった。 「君は……。あ……あの少年は、本当にゼフェルなのか……? 君は知っているのか……?」 混乱したような男の言葉に、アンジェリークは微笑んで応えた。 「多分……あなたが知っているゼフェルと彼は同じ人だと思います。人工天体で生まれ育って、突然鋼のサクリアに目覚め、守護聖として聖地に連れて行かれたゼフェル……ですね?」 「……君は……?」 「私はアンジェリーク。聖地でゼフェル様と出会いました。そして、今回、彼がここに来たのは私とそう約束したから……」 男はしばらく黙っていた。 それから、重く口を開いた。 「守護聖になると歳をとるのが遅くなるとも、聖地の時間の流れは外界とは別物だとも、聞き知ってはいたが……さすがに驚いたな……別れた頃のままだ。ねえ、君……アンジェリーク?」 「はい?」 「あいつは、幸せなのか?」 「ええ、きっと……幸せですよ。聖地にも素敵なお友達がいますし、なにより、今は私がいますから」 アンジェリークの言葉に男は声を立てて笑う。 「それは、よかった。女嫌いのあいつにも甲斐性はあったわけだ……」 少し長めに息をついて、男は急に真剣な顔になった。 「あいつに、伝えてくれないか? 俺達はいつまでも親友だと。―――それから……あいつの両親、数ヶ月前に母星の工業惑星に出かけた時に事故で……いや、これは伝えなくてもいい……すまない……聞かなかった事にしてくれ……」 「……」 言葉を飲み込んで、男は再び微笑み、まっすぐにアンジェリークを見た。 「あいつの事、頼むよ」 「ええ」 「いつまでも、元気でな、って、言っといてくれないか」 最後に、互いに微笑み会い、アンジェリークはゼフェルの後を追った。 ゼフェルは、駐車場のエアーバイクにまたがって、うつ伏せになっていた。 泣いているのかしら……? どきりとした。 コンクリートの床に響く足音に顔を上げたゼフェルは、泣いてはいなかったが……何かを堪えるような脆い笑みをしていた。 「アンジェリーク……帰るぞ……」 それ以外、何も言わなかった。 「あの人が、ゼフェル様に……俺達はいつまでも親友だから、って……」 その言葉にも、何も答えず、アンジェリークがエアーバイクの後ろにまたがると、ぼそぼそと小さな声で言った。 「いつか言ったろ? 俺が聖地からの迎えのシャトルに乗せられたとき、離陸したシャトルに最後までついてきてくれたの……あいつ、なんだ……。兄弟みたいに仲良くしてた……」 「……。いつまでも、元気でな、って、言ってました」 ゼフェルの背が震えた。 ためらうような沈黙の中で、エアーバイクのエンジンがかかり、ふたりは主星への帰路に着いた。 |