その町を出て、オレの目的地、つまり中の島までは、半日もかからなかった。
くたびれた格好で歩くオレたちは、戦災にあった兄妹だとでも思われたのだろうか、避難する途中だという人のよさそうな老夫婦の車に拾われて、中の島にたどりついた。
「神域の中の島は不可侵中立地になっているけれど、軍隊がいつも監視しているからねぇ。おいそれと近くには寄れないんだよ」
「避難地が側にあるからね、困ったらそこに行くんだよ? おまえさんたちの、両親も見つかるかもっしれないからね……」
口々にオレたちの身を心配してくれる老夫婦に、丁寧に礼を言って、オレは中の島を見下ろす小高い丘に立った。
文明が発達し、開発の進んだエリューシオンが唯一原始の姿を残す中の島の周囲の土地は、いつ来ても変わりはない。
この小高い丘も、依然となんら変わらない……ただ、中の島への侵入を防ぐためか、物騒な鉄条網が張り巡らされていて、決してその中には入らない周囲に、軍人とおぼしき制服たちが待機している事を除けば。
老夫婦からもらった、この戦時下では手に入りにくい、生の林檎をおいしそうに頬張るアンジェリークの横に座って、オレはオレの心の聖域を見下ろした。
風が優しく頬を撫ぜた。
瞳を細めて、じっと、かの地を見つめていると……ふいに、アンジェリークが食べかけの林檎をオレに差し出した。
「ゼフェルも、たべて♪」
にっこり笑う少女に、オレは更に瞳を細めた。
いつも、この地にくるたびにオレの心が感じる安らぎと不安。けど、今は安らぎしかかんじねぇ。
アンジェリークの存在が、不安を消し去っているのか。
「そうか……」
――オレが、何の為に事ある毎にの地に足を運んでいたのか……それは、こいつに出会うためだったに違いないと、そう、実感した。
こいつと出会うために、オレは、生きてきた。
こいつと出会うために、オレは、旅を続けていた。
すべて、こいつと出会うために……。
オレのすべては、こいつの為にある。
――今のオレがそう思い、それを裏付けるようにばらばらになっているオレの心と記憶の欠片がキラキラと輝いた気がした。
きっと、これから……オレは、オレを取り戻す。
この少女のために、オレは、オレになる。
そして、その先に、何があるのか……オレは、いつか、知ることができるだろう。
オレたちは、その日、避難地で休む事になる。
幼い少女に、野宿させるわけにはいかなし……万にひとつの可能性もない状態ではあるが、そこに、少女の両親がいるかもしれないと思ったからだ。
が、やはり、少女の両親とおぼしき存在はそこには見当たらず、代わりにオレは、奇妙な神官に出会う。
中の島の神殿の神官で、避難地で人々の相談役をしているというその神官は……神官とは思えないような若いオンナだった。
カールする青紫の髪を清潔にまとめ、意志の強そうな青い瞳をした、やたら高雅で上品なオンナで……とっつきにくそうなそのキレーな顔に、意外にも人なつっこい笑みをのせて、オレとアンジェリークに近づいてきた。
「何か、お困りのことでも?」
困ったことなんざ、いくらでもあろうさ。今更、他人に相談して、解消するモンなら、とっくに解消してるぜ。
オレは、激しく神官を睨みつけた。
なのに、神官は、怯む事無く、瞳を細めて小首をかしげる。
「長い旅を続けておられるのですね」
「……?」
「長い、長い旅……あなた、お探しのものは見つかりまして?」
「あ? おめー……?」
何を、言ってるんだ?
いぶかしむオレに、オンナは言葉を続ける。
「そう……あなた自身を探す旅。あなたを目覚めさせるものを探す旅。強い、呪縛を解き放つ旅」
「おめー!!?」
こいつ、何を知ってる!?
険しい形相をしたオレにくすっと笑い、女は、アンジェリークを抱き上げた。
その瞳には……えもいわれぬ複雑な感情が含まれていたと思ったのは、オレの気のせいではないだろう。
神官に抱きかかえられたアンジェリークは、しばらくぼうっと彼女の顔を見上げた後、はにかんだように笑った。
神官は、その笑みに、切なそうな笑みを返す。
「やっと、見つけた」
小さな呟きは……意味不明。
「おめー、なんなんだ!?」
女からアンジェリークを奪うように取り上げると、オレは、そいつに噛みつかんばかりに詰め寄った。
その神官の存在に、オレは、どうしうもないもどかしさを味わっていた。記憶の欠片が、オレの中で暴れていた。
「……あなたは、いつもそうやって……」
少し困った顔で呟きかけて、言葉を切る。長い睫を伏せて、浅い溜息をつく。
憤りを隠せないオレに、ちろりと恨みがましいような視線を向けた後、神官は真顔にもどって半眼を閉じた。
「ねぇ、あなた……わたくしの言葉を、忘れないで……」
「はっ? おめーの言葉?」
心の中であばれる記憶の欠片……それによって、ひどく焦燥感を感じているオレを見透かすように、穏やかに女は言い募る。
「お願い、わたくしに許されているのは、これをあなたに告げる事だけだから……」
確かに怪しいオンナだが、オレに、こいつの言葉を拒否する理由はなく、愁眉を開く事で神官の言葉を受け入れる意を示した。
神官は、オレとアンジェリークに向かって、ふんわりと柔らかく笑うと、重々しく口を開いた。
「彼女がもたらした1つ目の呪縛は開放され、2つ目の呪縛によって全てが修正されるでしょう。だから、忘れないで……彼女が彼女になる時に、あなたが側にいる事。必ず、あなたが側にいなければ、2つめの呪縛は開放されませんわ。彼女も、彼女に戻れませんの。全てが、壊れたまま、無意味に空回りを続けてしまう……」
まるで、ご神託を告げる預言者のような女の声に、何時の間にかオレは聞き入っていた。
「周りの事など何も考えない、利己的な彼女の呪縛……許される事じゃないわ、決して。そう、全てが修正されたとき、あなたは彼女を憎むかもしれない。でも、それでもいいと、彼女は考えていた。想いを残したまま永遠に別れるよりも、会いたい。会って、憎まれてもいいと……憎しみでもいいから、目の前にいる自分に向けて欲しいと……」
何を、言っている?
このオンナは、何を……!?
オレは、この神官の言葉に、昂ぶって行く感情を抑えられなかった。
「ちょっと待て! それは……なんだ!? 彼女って、誰だ!?」
詰め寄るオレに、神官は困ったように笑う。
「それを告げるわけには、参りませんわ。告げてしまえば、あなたは彼女を彼女に戻してはくれないかもしれませんから」
そうして、今度は、自嘲を唇にのせた。
「わたくしは、彼女に会いたいの。わたくしの大切なあの娘に、もう一度、会いたいの。誰にも何も告げずに、突然姿を消してしまった、大切なあの娘に。それが、結果的に、あなたを利用する事になっても……」
「おめー……!」
カッとして、女の神官服の胸元を掴んだオレを止めたのは、小さな少女だった。
アンジェリークが、オレの足にしがみついていた。
「ゼフェル、ゼフェル!!」
険悪な雰囲気を察したのだろう。
少女は、必死でオレを止めていた。
「アンジェ、リーク……」
瞳の険を弛めてアンジェリークを見下ろしたオレの手を逃れ、身を翻した神官は、かがみこんでアンジェリークと向き合った。
「アンジェリーク……幸せに、なりなさいな……」
優しく少女の髪を撫ぜ、その場を立ち去った。風に、最後の言葉をのせて。
「ねぇ、あなたもわたくしも、こんな仕打ちをされても、結局彼女を憎めないのだわ。こんなにも、愛しいのだわ。あの一途で純真な娘が……。だから、あなたなら、彼女を彼女に戻せるはず。必ず、彼女を幸せにしてあげてくださいな、ゼフェル様……」
「おっ、おいっ!!」
止めようにも、アンジェリークがオレの足にしがみついていて、離れようとせず……やっと引き剥がしてから追いかけても、もう、神官の姿はなかった。
しかも……その後、他の神官にあの女神官の事を訪ねても、誰も、あの神官を知るものはいなかった。そんな女性の神官は中の島の神殿にはいない、というのだ。
結局、女神官の正体は分からず、その謎を含んだ言葉もオレに混乱をもたらしただけだった。
マジ、ワケがわかんなくなって、オレは、その晩、眠れなかった。
けど、考えても、答えが見つかるはずもなかった。
オレは、女の予言めいた言葉にひたすら混乱し、一睡もしないで、頭の中を分かる範囲でまとめていった。
つまり……オレは、あの女の言うところの“彼女”によって、この状態にされたわけだ。それゆえ、オレのこの状態……呪縛をとけるのは“彼女”だけ。また、“彼女”を“彼女”にもどせるのも、オレだけ。オレは……過去のオレは、その“彼女”を知っていた事になる。いやそれだけでなく、恐らく、互いに特別な感情を持っていたのだろう。今のオレには、まったく思い当たる事なんてないんだがな。でもって、この呪縛は、“彼女”と出会う事で解ける、と。すでに開放されたという一つ目の呪縛が何であったのか……それも、“彼女”に出会えば分かる事なのだろうか。
オレは、頭をかきむしった。
この永遠の生に終着点があるとは、思わない事もなかった。もしかして、オレがこんな状態にあるのには、理由があるのかもしれないと、そう思い、その理由が見つかれば、あるいは、と、考えてここまで来ていた。
だが……こんな風に、答えの出ようのない奇怪なヒントだけ与えられたら、余計に辛くなるだけだ。
ずっと、ずっと、とんでもなく長い間、探すともなく探していた答え……それが目の前にあるかもしれないというのに、オレは、イライラするしかなかった。
オレがひとりであがいたとて、答えが見つかるものではない……そう分かったからこそ、余計にイライラを繰り返す。
いっそ、何も告げられなかった方がよかった。
あの謎の女を恨めしく思いさえした。
が、あの女との出遭いによって、何かが、終ろうとしている――いや、始まろうとしているような不吉で不安で……けれど、胸が踊るような奇妙な感覚をオレは覚えた。
それらの複雑な感情は、そう、つい最近感じたものに、よく似ていた。
オレは、隣で静かな寝息を立てる幼い少女を見て、その感じが更に強まるのを感じた。
「まさか……?」
まさか、そう、まさかと思うだけ……結局、何もわからない。
けど……。
この少女に対しての強い愛しみだけは、分かる。
何が終るのか……何が始まるのか……きっと、この少女に出遭った時に、近い未来は決まってしまったのかも、しれない。いや、遥か昔から、決まっていたのだ。
この少女と出会う事……これから、オレに、オレ達に起こること。
もうすぐ……もう少し先に、手を伸ばして掴み取れそうで取れない位置に、オレの生の終着点は、ある。

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