| 千尋の眠れない夜 1 |
油屋でわたしが働きはじめてから、結構な時間が過ぎた、と、思う。 色々……本当にもぉう、色っ々、あって、わたしは油屋に残って、ここで暮らす事にしたわけなんだけれども……つい最近、リンさんにごくごく基本的な事を指摘されてしまって、只今……混乱中。 いつものように開業準備に湯殿の清掃をするわたしの目に、1階の湯殿から続く吹き抜けの2階、宴会場の下準備に指示を出しに来ていたハクが目に映った。 そう、ハク……本名ニギヤハミコハクヌシ……川をなくした川の主、今は油屋の帳場の責任者、そして……わたしが、ここに残った最大の理由。 真っ直ぐに伸びたしなやかな黒髪、作り物かとも思えるくらいに整った顔立ちと、磁器のように白い肌……まるで、精工に作られた日本人形かとも思えるくらいの美しさ。 でも、仕事中の厳しすぎるくらいの厳しい表情は……鋭利な刃物のように鋭い。人の心を和ませるはずの人形が決して持たない、冷たく尖った表情。 でも、わたしは、そんな表情にも、見惚れちゃう。 しばらく、ほけっとハクの横顔を眺めていると、ハクがどうもこっちに気付いたらしい。 わたしの方を見下ろして、にっこり笑った。 そう、笑ったの。 途端に、冷たい鋭利な刃物は溶け去って、春の柔らかなそよ風が吹く。 どんな精巧な日本人形でも表現できないほどの柔和な笑顔。 わたしポニーテールが激しく揺れ動くほど、ぶんぶん手を振ってしまった。 ハクも、小さく手を振ってくれたのだけれど……仕事中だから、すぐに宴会場に戻ってしまった。 残念……。 でも、いいんだ。 また、お仕事が終わったら会えるもの。 ううん、お仕事が始まる前にも会えるし。 ふたりだけの、でぇと。うふっ。 実は今日も、お仕事始まる前に、会ってたんだ〜。 人気のない町をふたりっきりで歩いて回って、色々お話したの。向こうの世界でハクが川の主をしていた時の事、こっちの世界の不思議な事。 わたしも、向こうの世界での生活の事、色々お話したよ。でもね、お父さんとお母さんの事思い出して、ちょっとうるうるきちゃった。そんなわたしの手をハクは強く握ってくれたの。 それだけで、もう、幸せ。 こっちの世界に留まって良かったなぁ、って、思う。 ハクの傍にいたかったから。 ハクと一緒に過ごしたかったから。 ハクと離れて暮らして行くのに耐えられそうもなかったから。 だから、わたしはここにいるの。 リンさんや、坊や、カオナシに、おばあちゃん……こっちの世界でお友達になれたみんなとも別れづらかった、っていう事も勿論あるんだけどね。 でも、ハクがいなかったら、この世界には残っていなかった。 つまり、わたしの今の世界はハク中心に回っているわけね。 更に言えば、わたしは、ハクの事が……好き。 きゃ、言っちゃった。 ……って、リンさんに言わせれば、わたしがハクの事好きなのは、もう、油屋中の常識になっているらしいから、ここで照れても今更かもしれないけれど。 多分……きっと、ハクが初恋。 ハクも、ね、わたしの事、大事に思っていてくれる。はっきりと聞いた事はないけど、ハクもわたしの事好きでいてくれるのが自惚れじゃなく分かる。 つまり……相思相愛なわけね、わたしたち。 そう、らぶらぶって言ってもいいと思うのっ! きっと、もうちょっと大人になったら、ふたりは永遠の愛を誓うんだわ。(幸い、神様ならそこらにいるし) ――なんて、夢の世界にトリップしている私に容赦なく現実の声はかかるの。 勿論、わたしの相棒(?)のリンさん。 「千! 気色悪ぃから、明後日の方向見ながらにやつくなよ。つーか、掃除しろ、掃除。さっきからおれひとりでやってんだぜ」 「あっ、ごめんなさい〜」 言って、デッキブラシを動かしながらも、にやけ顔を止めないわたしを見て、リンさんは呆れて溜息をつく……それから、何やら企む表情になったんだけど……有頂天のわたしは気付かない。 鼻歌交じりに湯殿をブラシで清掃するわたしに、湯釜をタワシ代わりの荒縄でこするリンさんが何かを思い出したように声をかけた。 「なぁ、千。おれ、前から思ってたんだけどよ、ハクの奴って……男……だよなぁ?」 「え?」 どういう意味? わたし、掃除する手を止めて、リンさんを見た。 リンさんは、掃除する手を休める事なく、わたしの方を見る事無く、言葉を続けた。 「おまえさ、頭っから信じ込んでるみたいだけど……おれは、あいつを初めて見た時、女かと思ったぞ。だって、あの顔だろ? 今だって、男かどうか……」 ハクが………………………………え? いや、だって、ほら……。 「やたら綺麗だもんなぁ。それにあのおかっぱ頭もどうかと思うしぃ。強いてゆーなら、声は男、と、言えない事もないだろうけど……あんな声の女もいないことないだろうし」 ……………………………………………………え? いや、だって、ねぇ……。 「誰も、あいつの事男だって思い込んでるようだけどさ、誰一人として、あいつが正真正銘の"男"だって見た者いねぇんだぜ。履歴書や……まして、出生証明書なんてあるもんじゃねぇしなぁ。つーか、そういうもんを見る間でもなく男、っていう先入観があんだろうな」 ……………………………………………………………………………え? いや、だって、でも、まさか、そんな……。 わたしはハクの為にこの世界に残ったのよ。 それは、ハクの事が好きだから。 この"好き"っていうのは、勿論、友達とか家族とかに対するものじゃなくて……男の子への"好き"で……いわゆる恋愛感情で……女の子同士の恋愛感情を否定するわけじゃないんだけど、少なくともわたしは、異性が惹かれあうのが普通の恋愛だと思うわけで……。 「え?」 ハクは、男の子、でしょう? 男の子よ、絶対、いや、きっと……………多分……恐らく……。 わたし、ハクの顔を思い出すの。 うん、確かにとっても綺麗な顔。 ホント、日本人形みたい、って、表現がしっくり来ると思うの。 でも……日本人形の男の子、例えば五月人形の金太郎さんとか想像すると……いや、似てるの、とぉっても似てるとは思うの(髪型まで。さすがに坊とおそろいの赤い腹掛け姿はちょっとカンベンだけど)、でも、金太郎さんはもっと凛々しい。眉なんかきりっと太くて。体型もがっちりしてて。 ハクも、確かに、凛々しいって表現は可能なんだけれども、どっちかというと……市松人形のような優美さってゆーか、時々可憐ってゆーか……そっちの雰囲気の方が似ている、とも、思えてきた……。 そう、ハクが、この下働き用の桃色の水干を着て、黙って立っていたら、きっと、わたし、ハクの事を女の子だと思い込んでたかもしれない。どうでもいいけど、リンさんがハクと同じような水干を着て、あの調子で喋っているのを見たら、きっと、男の子だと思い込んでいた気もするし。 そう、そうよ、そうなのよ。 よくよく考えてみたら、わたし、ハクの事を男の子だと思い込んでいただけど、実際、ハクが本当に男の子がどうかなんて……考えても無かった。 重大事実、発覚!!! わたし、掃除そっちのけで、呆然と……いや、もう、愕然としてしまっていた。 もしかして、わたし、人生最大の大勘違いしてた? 力を無くしたわたしの手から、デッキブラシが離れ、板張りの湯殿にカタンと音を立てた。開店準備で騒がしい油屋の中においては、それくらいの音どうって事なかったのだけれど、その後の大物音にて、わたし、思い切り衆人環視の注目を集めた。 つまり……。 「まさか……うそぉぉぉ!?」 大絶叫を放ってしまったの。 リンさんが、湯釜の中で、肩を振るわせて笑っているのにも気付かずに……。 そして、その日からしばらく……ハクを見るわたしの目が大幅に変わり……かつ、ハクへのストーカー行為が始まったのでした。 お風呂を覗こうとしたり、厠についていこうとしたり、寝込みを襲おう……いや、伺おうとしたり……全部未遂で終わったけれど。 だってね、直接ハクに「ハクって、男の子なの?」って聞くの変じゃな? 恥かしいじゃない? その点、お風呂を覗くのも、厠について行くのも、寝込みを伺うのも、ハクにバレなきゃ問題無いわけだしっ。 でも、それもこれも、ハクが男の子だという証拠をつかみたいが故の、可愛い乙女心なのっ。信じてね。 つーか……ハクがわたしを見る目も変わってきた気もしないでもないような気もするけれど(文脈怪)……問題ない、問題ない。 ハクが男の子でありさえすれば、万事おっけーなんだしね〜。 つづく |