Dragon in mating season
後編



「どこに、行くの?」

 問いかけても、答えない。
 答えられない、という方が正しいかもしれないが。

 今、ハクは竜の姿で夜の空を飛んでいる。

 その背には、千尋。

 春とは言え、夜風はまだ冷たい。

 すぐにつくよ、という風に、ハクは小さく唸っただけだ。

 千尋も、きゅっと強くハクの背にしがみつく。

 遮るものの何もない夜空を飛翔する。なんて、気分がいいのだろう。
 目を上げれば、満月に少し足りない月が、周囲の闇を蒼く照らしている。
 眼下には、夜の街。人工の光り……ネオンが瞬いている様がよく見える。

 ネオンの光りがあれど、やっぱり夜は夜。千尋には、一体ハクがどこをどう飛んでいるのか、さっぱり分からなかった。

 ハクの背に乗っていたのは、ほんの十数分だったろうか。

 夜空からかすかに下降し始めたハクは、千尋に何か注意を促すように、小さな唸り声を上げる。

「え?」

 顔を上げ、眼下を見下ろせば、何やらマンションが立ち並んでいる様が見える。

 どこかの住宅街か……いや、なんとなく見覚えがある気もする。

「ここ?」

 首を傾げた途端、自分がしっかり抱きしめていたはずの、ハクの身体が消える……いや……。

「きゃっ!?」

「竜の姿では、見つかった時にまずいからね」

 ふわっと、一瞬頼りなく浮いた体が、すぐに温かいものに包まれる。

 そう、人形で空を飛ぶハクの腕の中に抱き込まれていたのだ。

「千尋は……軽いね」

 にっこり笑うハクに、ただただ赤面する千尋。

 やっぱり、今日のハクはオカシスギル!!

 と、本能が告げるが……それよりも、乙女心が勝っている。

 好きな相手の胸の中にいられるのが、ただただ嬉しいのだ。

 一度、千尋を安心させるように微笑んだハクは、すぐに進行方向を向いて、あっという間に、眼下にあったマンションの一室のベランダに……。

「え? ここ? なに?」

「空き部屋」

「へ?」

 千尋をそっと下ろして、ハク、腕を軽く上げると、内側から鍵の空く音がして、同時に、部屋に灯りが燈る。

「入って」

「いいの?」

「元は、私の家のようなものだからね」

「???」

 千尋は、きょとんとしつつも、ガランとした、何もない室内に入る。

 人の気配のない、部屋の空気は冷たくて……なんだか、人間を拒否しているようにも思われた。

 千尋が、居心地悪そうに肩をすぼめているのに気付いたハクがパチンと指を鳴らすだけで、何故か、空気が変わる。
 暖かな、ものに。ふたりを歓迎しているかのように。

「大丈夫……土地の記憶はまだ私を忘れていない」

「???」

 ハクが何の為に千尋をここに連れてきて、何故そんな不可思議な事を言うのか……分からなかったけれど……とりあえず、千尋は自分を落ち付かせるためにも、その場に座ってみた。
 何故か、板張りのはずの床も、ほんのり温かい。

「ね、ハク、ここって……?」

 問いかける千尋に、ハクは小首を傾げて苦笑して見せる。

「ああ……随分、変わってしまったからね」

 そっと、千尋の額に手を伸ばし……ハクが見せる映像は、幼い日の……千尋。

「あ……っ!!」

 ほんの断片だけの映像だったけれど、千尋には、全てが分かった。

「ここ……」

 慌ててベランダに飛び出して、きょろきょろ周囲の景色を見まわして……隣に立つ、ハクの顔を見上げる。

「ここって、もしかして……琥珀川が、あった、ところ?」

 こくん、と、軽くハクは頷く。

「随分、変わってしまったけれど、ね」

 少し、自嘲して、ハクは懐かしそうに瞳を細める。

 確かに懐かしそうだけれど……そこに、一片の悲壮感も見当たらない。

 なくなってしまった自分の川の変わり果てた姿を見て……胸は痛いかもしれない。けれど、それ以上に今、ハクの胸の内に在るのは……。

「千尋……」

 優しく呼びかける。

 千尋がハクを見上げる。

 美しく、純粋な瞳。

 千尋の肩にハクの手がかかる。そして……近づく、端整な顔。

 千尋は……少し戸惑いながらも、そっと瞳を閉ざした。

 重なる唇に、至福という言葉の意味を知る。

 肩を抱くハクの手に力がこもる。

 長い、口付に……千尋の体から力が、抜けていく。

 はぁ……。

 甘い、吐息。

 少し離れて、また重なる唇。

 重なるたびに、長くなる……触れ合いの、時。

 互いに、この強い想いが何であるか、実感、する。

「……千尋……愛している……」

 熱に浮かされたようなハクの言葉に、千尋はただ……流される。

 流されて……融けて行く。

 ハクの中に、融けて行く。

 何度も呼びかけられる名前。

 切ないまでの想い。

 千尋も、ハクを呼ぶ。

 愛しい青年を、呼び続ける。

「ハク……ハク……好き……大好きっ!」

 ハクの生まれたこの場所、ハクが守護していたこの場所……そして、ふたりが初めてであったこの場所。

 この場所で、ふたりは、新たな関係を、約束した。


 そんなふたりを、春の月だけが、いつまでも見守っていた……。






 
「……え?」

 その翌週。

 どうしようか、と、思いつつ、責任感と……恥かしくても会いたい、愛しい人がいるから、と、やっぱり来てしまったアルバイト先、油屋。

 食事を運んできたついでに釜爺の所でくつろく千尋が、釜爺から聞いた衝撃的事実、とは……?

「やはり、聞いてなかったかのぉ……」

「だっ、だ、だ、だって……!?」

 顔……いや、全身を真っ赤にして、千尋はわたわたを慌てふためいている。

「元々、自然の生命そのもの……生命の出る川の主であったからなぁ。恋の季節に、敏感なわけじゃよ。一応、人の数倍強固な理性で抑えていたようだが……まぁ、そろそろ限界だったんじゃな。ヤツの年齢的にも……おまえさんの事を考えても」

 仕事が一段落して、呑気に茶をすすりながら、千尋の好意の差し入れせんべいをばりばりと齧っている。

「そうか……じゃが、しかし……先週はふたりして休みじゃったからまさか、と、思っとったが……」

 濃いサングラスの向こうから、じぃぃぃっと、見られて、千尋はひたすらじたばたしている。

「はぁ……愛の力、じゃのぅ。若いとは、ええ事よのぅ」

 ふうっ、と、殊更大仰に息を吐いて、六本の手を腕組して、うんうん頷く。

「ハクも、翌日、ずいっぶん、すっきりした顔をしていたから、まさかとは思っとったが……うんうん。……ええ言葉じゃ」

 勝手に、悦に入っている。

 もう、何がなにやら……恥かしくて、混乱しまくっている千尋。
 全てが筒抜けの恥かしさに、居たたまれなくなって、釜爺の所を飛び出して、仕事に戻る……ものの……。

「千尋……」

 エレベーターを上がって、従業員食堂に足を運ぶ前に……件の話の主にばったり会ってしまった。

 実は……本日、顔を合わせるのはじめて。

「ハ……ハク……」

 釜爺にあんな事を吹き込まれた後だから、つい、後ずさってしまう千尋。

「千尋……?」

 小首を傾げるハクに、千尋は、カッと顔を赤くする。

「や……その……ハク、わっ、私、仕事が、あるからっ……!!」

 だっ、と、走って、逃げ出した……ものの……。

 あっさりと、ハクに捕まったしまった。

「何故、逃げるのかな?」

 にっこり笑顔が……コワイ!

「だっ、だから、仕事が……」

「仕事……そなたは、今、休憩中ではなかったか?」

 何故知っている!?

 千尋の額から、脂汗が……。

「ちょうどいい、私も、今休憩中だ。よかったら、私の所でゆっくりしていかないか?」

 凶悪なまでの、にこにこ笑顔っ!!!

 その言葉の裏に、何かある……なんて、さすがの千尋でも分かるというもの。

「で、でも、その……えと、賄いの料理が……」

「そんなもの、私と一緒に取ればいい」

 千尋のいい訳を打ち消すように、強く言う。

「でも、その……リンさんと……」

「リン……リン、か……。ねぇ、千尋、リンと、私と、どちらが大事かな?」

 あっ、額に青筋。

 千尋は、ぐっと押し黙ってしまう、

 きっと、今の千尋の中で大事なのは……勿論、ハク。
 けれど、そう素直に答えても何か怖いような気がするし……リンと答えたたなら、もっと凄い事になりそうで……。

「言うまでも、ない、ね」

 にっこし。

 千尋の無言をいい事に、勝手に判断をつけたハクは、千尋の手を取って……さぁ、いざゆかん、ハクの私室!!!

「あ……あ……」

 まるで、カオナシのように言葉を吐き出せない千尋が、連れて行かれたハクの私室で何があったか、なんて……言うまでもない?

 結局、千尋は……足腰立たず、休憩以降の仕事を病欠(<ハクが勝手に申告)してしまったり……翌朝、更にすっきりした顔のハクがいたり……。
 


 竜の恋の季節……いわゆる発情期、って、怖いですね〜……な、お話でした(笑)。


幕〜



どうでもいいけど……最近、マトモなラブラブが書けん……(^^;)。
何故か、ラブストーリでも必ず落ちを探してしまう、今日この頃。
ああ。コワイコワイ。

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