特別なもの




 成人式には、雪が降った。

 所々に青を残す鉛色のまだらの紗がかかった空から、風に煽られながら舞い落ちる淡く儚い白い花びらは、冷え切った路面に落ちても、すぐに消えてなくなってしまう。

 悲しいくらいあっけないその姿に、尽は唇をゆがめて、笑った。



 それは、特別な日だと、皆が言う。
 けれど、何が特別なのか分からない。

 尽にとって特別なのは、ただ、ひとつ……彼女の存在だけで。彼女こそ全てで。それは、幼い日から変わらない想いで。
 今日の風花のように頼りないはずの想いだったのに……簡単に溶けてしまわなければならない想いのはずだったのに。

 二十歳を迎える特別な年、大人だと認められるべき特別なその日でさえ、尽にとっては彼女に比べればどうでもいい事で。

 なのに、彼女は……。

「特別な日だもの。それに、滅多に集まらない人達も集まるんでしょう? 行っておいでよ。私の事はいいから」

 風邪を引いて、熱の下がらない赤い顔のまま、無理して笑ってみせる。
 何度「行かないよ」と、言い張っても、彼女は「行ってきなさい」を繰り返す。
 そのうち、喧嘩になりかかって………病人相手に、何をしてるのか自分に嫌気がさして、結局、彼女を安静にさせるには自分が彼女の言う事を聞くべきなのだと諦めて、出てきてしまったけれど。

 気になるのは彼女の事ばかり。

 小雪舞い落ちる会場の外で、集まった懐かしい面々と挨拶を交わし、くだらない近況を話す。

 振袖を着た女性達、正装した男性達。
 皆、大人だと胸を張って言うために、この日に集まってきたのだろう。
 大人の顔をした子供たちの群のひとりになっている自分を自覚して、尽は誰にも気付かれないように唇を歪めた。


 何が大人だと言うのだろう。

 何を持って大人と言えるのだろう。


 子供の頃は、幼いあの日は、大人に憧れた。

 大人になれば、もっと、何もかもが上手くいくのだと。
 子供のできない多くの事を大人はする事ができるはずだと、子供の自分が見えないことも見えてくるのだと。

 けれど、大人は思っていた以上に不自由なものであるのを、実感する。いや、今の自分が大人だなんて、とても思えないけれど。

 そう、ただひとり、特別なあの人への想いも、きっと上手く処理できるようになるものだと思っていた………忘れるにしろ、成就させるにしろ。

 想いは………成就、したのだろうか。けれど……子供の頃思い描いたその夢想は、決して解決ではなかった。余計に、出所のない迷路に迷い込んでしまった。

 子供の頃ならば、きっと、その迷路さえ、面白がって遊びにしてしまったかもしれないけれど、大人になった……あるいは、近づいた自分だからこそ、その迷路は果てしなく、長く………出所は、見付からない。

 いや、もっと、ずっと、先になれば、抜け出せるかもしれない……と、思う事もあった。けれど、それこそ、子供の頃に現在の自分にかけていた望みと同じ物で。結局、その望みをかけられたもっと大人の自分も、この迷路から抜け出せるかは難しい事で。

 大人になるという事は、より深い迷路に迷い込むことかもしれない。

 子供の頃に遊び気分で入り込んだそこに、本格的に迷い込んで……抜けるに抜け出せなくなって。あるいは、迷路は年を経る毎に大きくなっていっているのかもしれない。
 特別なのは彼女だけ。心は子供の頃からいつも真っ直ぐに彼女だけを想うのに、大人になってしまえば、その真っ直ぐさが余計に迷路の渦をかき混ぜる。


 ……大人は、不自由なものだ、と、思う。


 成人式の式典が終わり、子供の顔をした大人達は、再び会場の前に集まって、小雪舞い落ちる寒さに首をすくめながら、二次会の相談を始めた。

 特別な日。
 二十歳という特別な年齢。

 今まで子供だからと禁じられていたものの多くが、その年齢を境に許される。
 自由が増える分だけ、不自由になっていく。

 自分より年上の彼女も、こんな気持ちでこの日を迎えたのだろうか。
 ふと、思った。
 自由な不自由さを感じながら、それでも、自分を愛する決意をしてくれたのだろうか、と。

 「行っておいでよ」と、熱に赤くなった顔で気だるそうに言って、彼を送り出した彼女が思い浮かぶ。

 そう、式典は終わったのだ。
 彼女が行くように望んだ、特別な日、は、終わった。

 だから。

「ごめんな。俺、二次会パス。ホント悪い。大事な用、あるんだ」

 特別な彼女の顔が、その笑顔が、目の前に浮かぶ。

 儚く振りつづける雪も、少しずつ積もっていく。

 尽は、異口同音に尽への不満を投げかける友人達を振り返ることなく、家路へと急いで走り出した。

 白い息を吐き出して、全速で走る。気ばかりが焦って仕方ない。全力で走っても、家への距離はなかなか縮まらないような気がして、じれったくてしかたがなくて。
 やっと自宅が見えてきても安心なんて出来なくて、家の鍵を冷えた指先でもどかしく開けて、靴を脱ぐ間も惜しんで、家に駆け込む。

「ねえちゃん!」

 どうしても呼びたかったその特別な響きを乱れた呼吸と共に吐き出す。

 答えは、ない。

 多分、寝ているのだろうとは思うけれど……なぜか、ドクン、と、不安になった。
 根拠なく不安になって……でも、それが間違いないと直感が告げて、導かれるようにキッチンへと続くドアを開けると……。

「ねえちゃん!?」

 倒れるその姿に、どうしようもなく心が乱れる。どうしようもなく、感情が掻き毟られる。

「ねえちゃん……っ!」

 真っ赤な顔で、荒い呼吸を繰り返す。

「ばかっ、なんで……っ!」

 額に手をやれば、朝、確認した以上に熱が上がっている気がした。
 冷たいキッチンの床に、どれだけ彼女はいたのだろうか。手には、ミネラルウォーターのボトルが握られている。

「つ、くし……?」

 薄っすら目を開けた彼女を、叱り付けたくもなるけれど……自分を確認して、ほっとしたように、嬉しそうに笑うその弱々しい笑みに、結局何も言えなくなってしまう。

「ばか……」

 小さく呟いて、彼女の体を冷たい床から引き上げる。
 発熱して熱い体を抱き上げて、尽は、彼女を部屋まで運んだ。

 腕の中の、特別な彼女の重みに、こんな事、子供の頃じゃできなかったな、と、大人になった自分を少し誇らしく思いながら。
 


「一体、ねえちゃん幾つになったんだ? 自分の管理もできないなんて! そもそも、水なら、俺がちゃんと置いていったのあったろ?」

 夜、お粥を食べられる程度に熱の引いた彼女に説教をすると……彼女は、子供のように頬を膨らませた。

「だって、冷えたのが飲みたかったんだもん。まさか、倒れるなんて思ってなかったんだもの」

 上目遣いで拗ねたように自分を見上げてくる、甘えるような口調とその態度に、尽は少し嬉しくなる。
 彼女に頼られているのが分かって。それこそが、自分が大人な証にも思えて。

「でも……ねぇ、尽?」

 お粥の器を片付ける尽に疑問系で声をかける。

「二次会とか、良かったの? 帰ってきたの、随分早かった、よね?」

 申し訳ないような口調にも思われて、尽は肩をすくめて見せた。

「特別な日、は、終わったよ」

 何か言いたそうにする彼女に微笑んでみせる。

「成人式が大人だって認めてもらえる日なら……俺は、あの式典よりも、ねえちゃんを助けられたって事のほうが、俺に大人だって実感させてくれたから」

 誰から大人だと認められても……自分自身がそう思えなければ仕方ない。大事な女性を守れないような人間なら、大人だなんて言えない。

「二十歳の俺は、ガキの頃の俺が思い描いていたよりもまだまだずっと子供だけど……でも、ねえちゃんを抱き上げる事ができるくらい成長した。ねえちゃんを守ってやれる大人の男……には、まだなれてないとしても、近づいてると思うから」

 心から、そう思うから。
 尽が自分を大人だと認められるとしたら、それは、きっと、特別な彼女を自分の力で完全に守れる男になった時。

「………ばか……」

 呟いた彼女は、熱で赤くなっているのとはまた別に赤くなっていた。
 尽は、くすっと笑う。

「ねえちゃんは、自分が大人だって、どうやって実感した? まさか、あの式典で、じゃ、ないよな?」

 尽の問いかけに、彼女はしばらく考え込み、苦笑した。
 そうして、尽を見詰めた。

「何?」

「………きっと、あんたを好きだ、って認められた日、だよ」

 くすくすっと赤い顔のまま笑う、その答えに尽は目を丸くした。

「悩んでた気持ちを吹っ切れたんだもの。霧が晴れるみたいに思い悩みが晴れて……素直にあんたを想えたの」

 意外な答えだった。
 尽自身は、彼女と思いを通じるようになったからこそ、どうしようもない迷路に迷い込んでしまっていたのに。
 彼女は、その逆だというのか。

「そりゃあ、姉弟でいいのかな、ってまだ思うわよ? でも……私があんたを好きで、あんたも私を想っててくれる。それが、大事、でしょう? 第一、何かに深く悩む事も、大人の証だもの、きっと。子供の頃は、もっとなにもかもが簡単だったから。……って、未だに自分を大人だって言い切れない私が胸を張って言える事じゃないかもしれないけど」

 そう……そうやって、考えられる事が、きっと、大人、なのだろう。

「俺の負け、かな。ねえちゃんは、やっぱりねえちゃんだな……」

 肩を落として苦笑する。

 出口が見えない迷路。
 けれど、それも、彼女と共になら、楽しく道を探していける。出口なんて見付からなくても、それでも、彼女と一緒にいられればいい。
 大人な自分にはまだ少し遠いけれど、彼女の傍いられれば、いつか、自分は求める大人の姿に近づける。

 きょとんする彼女に微笑みかけて、その赤い顔に顔を寄せる。
 驚いたように瞼を閉じる彼女にくすっと笑い……額に額を合わせた。

「まだ、すごい熱だな。今晩一晩は安静に、な?」

 額を合わせながら言うと、恐る恐る彼女が目を開けて……至近距離で尽は微笑んだ。
 そして、熱を出していつもより随分と思考が素直になっているらしい彼女は、甘えるように言った。

「……一緒に、寝てくれないの?」

 どうしようもなく、可愛くて。
 躊躇う事なく、尽は彼女に口付けた。

 尽は大人になる。
 唯一、特別な、彼女を守るために。彼女と共にあるために。
 ふたり、共にある事自体、生涯抜け出せない迷路の中にいる事になるのかもしれないけれど……それならそれで、進んでいくだけ。広がって行く迷路の中にこそ、ふたりの場所があるのかもしれない。
 だったら、そこで、大人になればいいのだろう、きっと。


「雪、降ってるの?」

「……まだ降ってる。この分じゃ積もるし……しばらく、溶けないだろ」


 雪は降り、積もる。決して、儚いだけのものじゃないから。
 降り、積もった、ふたりの想いは溶ける事なく………。




END




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<言い訳とか>

一応成人式話です。
去年に書いた成人式話も尽の成人式もので、
今度はねえちゃんの成人式が書きたいなーとか言っていた
気もするんですが……閃いたのは、このネタでした(^^;)。

シリアス……というか、尽がうだうだ考えている話になっちゃってます。

個人差があるにしろ、今時の20歳って子供ですよね。
私自身の成人式の時も、大人の実感なんてなかったです。
そう、成人式を○年前に終えた私でさえ、
いまだ自分を大人だなんて、言い切れません。
つか、大人になってみて、大人の子供っぽさを実感したというか。
大人って所詮こんなものなんだなーと(苦笑)。

……ま、まぁともかく、成人された方はおめでとうございます!
ちゃんとした、大人らしい大人になってくださいませ(説得力なし)。