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Love Phantom ひたすら過保護なお父様から逃れたくて、私は友人と一緒に行く、と、偽って、ひとりきりでオペラを見に出かけた。 ひとりきりで見るオペラは決して楽しくはなかったのだけれど、お父様を偽っているとのだというそのひねくれた優越感が私を虜にした。 幼い頃から、何でもお父様の言うとおりにしてきた私の、初めての反抗、だったのかもしれない。 けれど、帰りの馬車がつかまらずに、とぼとぼと夜の街を歩く私は、確実に後悔していた。 ガス灯の燈る夜の街は、まだ人通りが少ないわけではないけれど……コツンコツンと石畳に響く自分の足音がとても虚しく響いた。正装をしているが故の動き辛いドレスにも、少しイラついた。 普段、こんなに歩いた事のない私は、すぐに疲れてしまったのだけれど……そのままそこに座り込むわけにもいかず、人に見られないように、店と店の間に開いた裏道に入って、壁にもたれかかった。 「ばか、みたい……」 呟いた。 自分の幼い反抗心が? 父親の過保護すぎる態度が? ……全てが。 私は母の面影しか知らない。幼い頃に、私の弟の出産で亡くなったというお母様。母が命をかけて出産しようとした弟も結局死産だったという。 お父様は何も語りはしないけれど、それが、わたしを異様に過保護にする原因なのは確かなのだろう。 ただひたすらに美しい母だった。幼心にも、その妖しいまでの美しさは心に刻まれている。 けれど、優しい母であったかどうかは知らない。……私は、母の手で育てられはしなかったから。ずっと乳母や養育係の手で育てられて、母と触れ合った記憶はほとんどない。私を育てられないほど体が弱い人だと父は言っていた。 恥ずかしいくらい大きな溜息をついて肩を落とした私は、けれど、路地の奥から響いてくる声に気づいた。 興味を惹かれた。 盗み聞き、盗み見なんてはしたないと思いはしたけれど、興味は、驚くくらいに私を誘惑した。 足音が響かないように足を踏み出し、路地の少し先に……見てしまった。 何のことはない、男女のラブシーンだった。 こんな路地裏で愛を交わすのは、きっと、忍ぶ恋だから。 女友達とのたわいない会話ではよく耳にするそれだと想像はついたけれど、そういう事に免疫のない私は、そういったシーンを目の前に、すぐに恥ずかしくなった。 いえ、別に濃密なそれではなく、まだ口付けとかその程度だったのだけれど、それだけだって、私には十分刺激的で……というか、口付けだけにしても、それは異様に官能的にさえ見えるもので。 背中の開いたナイトドレスを着た女性の後姿も艶っぽかったけれど、何より、彼女を翻弄している男性のしなやかな動きは、ぞくぞくするほど、蠱惑的だった。 私は、その場からさっさと逃げようとしたけれど、視線が男性の動きに釘付けになってしまった。 男性が女性の白い肌に口付ける。ドレスの襟元を押し広げ、首筋に唇を寄せる。 その時。 男性の眼差しが……私を捕らえた。 眼差しは……赤い、瞳だった。 闇の中で光りを放つ、妖しい赤い瞳。 私の存在に気づいて、瞳がかすかに細められた。 それは、まるで……私の存在を見つけて、悦んでいるようだった。 ぞっとした。ぞくりとした。 私は、激しい引力に逆らうように眼差しをそらせて、慌ててその場を逃げ出した。 足音をしのばせるほどの気遣いはできなかった。 まるで、背後からあの男性が追ってくるような気がして、後ろを振り返るのも怖くて、走った。 走り辛い踵の高い靴や、大きく広がったスカートに苛々しながらも、生まれて初めてな程に全力で走って、家を目指した。 家に帰り着いて、その中に入って……やっと胸を撫ぜ下ろして……男性が追ってこなかったことに、ほっとしつつ……どことなく後ろ髪を引かれた気がした。 使用人たちが、私の異様な様子にお父様をすぐに呼び寄せて、お父様が慌てて私の所までやって来た。 馴染み深い父の顔。私のただひとりの肉親。心配そうに私を見つめるその顔。でも、私は初めて違和感を感じた。 「なんでもないわ。ただ……大きな犬に追われたの。それだけ」 そっけなく言い切って、私は自分の部屋へと引きこもった。 寝る支度をして、ベットに腰掛ける。 でも……帰ってきてから、何をするにも上の空だった。 心の中には、ひたすらあの赤い瞳が焼きついていたから。 薄い夜着だけの姿で、淡いランプの燈った部屋で、美しい装飾のほどこされた天井を見上げる。 この家で生まれ育って。 お父様に愛されていて。 不自由はない。 けれど、何かが違う。 昔から感じていた。 あの赤い瞳が、それを、はっきりと私に感じさせた。 「何者、だったのだろう?」 もう一度会いたいと思う。 けれど、会いたくないとも思う。 とても惹かれて……同時に恐怖も感じて。 私の中に、ふたりの私がいるよう。 胸がきりきりする。 私は、深い溜息をついて、ランプの燈を落とそうと手を伸ばした。 その時。 バタン!! と激しい音がして、閉ざされていたはずの窓が開いた。 激しい風が部屋になだれ込んできて、カーテンを勢いよくなびかせた。 「なっ、なに!? どうして……!?」 驚いて。 体を硬くした私の目の前に、風に乗るようにふわりと部屋に舞い込んできた存在が、目に映る。 正装した姿に黒いマントを羽織った、男性。 綺麗な面立ちをした、見たこともない男性だった。 「こんばんは。お目にかかれて光栄です、レディ」 微笑み、何事もないように、私の前で恭しく一礼をする。 わけのわからない状況に、私は固まってしまうけれど……目の前の男性に感じた。 顔を上げた瞳は、黒とも思える深い青だったけれど……その心をも惹きつける瞳と雰囲気。 「あなた、は……さっきの……」 そう。赤い瞳の男性。女性の白い肩に唇を這わせていた男性。 美しい男性は、嬉しそうに瞳を細めて、私を見つめる。 瞳の色が、変わっていく。 青から、赤に……闇の中でも輝く赤色に。 惹かれる。とても。 眼差しは彼に釘付けになり、心までも彼に引寄せられる。 何もかもが彼に向かっていく。 心が麻痺してしまったように、彼だけに向かっていく。 水が高いところから低いところに流れるように、自然に……彼に向けて。 身も、心も、彼の所に……彼の腕の中に……。 赤い瞳が、私の網膜から入り込み、体中を満たしていく。 けれど。 違う。 私は。 「やめて!」 何をやめてなのか、私自身気づいていないけれど……彼に、操られている気がした。私自身の意思ではない気がした。 だからそう叫んで、私は目を閉ざした。 「あなた、は……一体……っ!?」 言葉を発するのが、苦しかった。 彼の赤い瞳が、まだ、私を縛っている。 私の喘ぎ混じりの言葉に、私の前に立つ青年は……笑った。かすかに声を立てて。 「俺の、呪縛を振り切る女がいるなんて、な。やっぱり……」 ゆっくり目を開いた。 目の前には青年のつま先。 顔を上げていくと、青い瞳の青年が微笑んでいた。 初めて見るはずなのに、その青年を知っている気がした。 私より少し年上だろうか。 きっちりした正装の黒いタキシードがよく似合う。 美しい容姿。理知的な雰囲気。洗練された立ち居振る舞い。 あきらかに上流階級の人間に見えるのに、私はこんな青年を見た事はなかった。いえ、私だって、全ての人間を知っているわけでないけれど、こんな青年、ひと目見たら忘れない。忘れるわけはない。 「あんた、同族だな。けど……自覚はない」 同族? 何と? 誰と? いや……わかるじゃない。 彼は、人間じゃない。 人間であるはずがない。 こんな人間いない。 そうして、私、は……? 私が、同族? 「しかも、あんた……」 青年が私の頬に触れる。 ひんやりした、体温を感じさせない手だった。 「ああ……やっぱり……」 青年は笑った。 嬉しそうに笑った。 それは、心からの笑みに見えた。自然と漏れた笑み。 私の鼓動は、トクンと脈打つ。 そんな青年の笑顔にこそ。 青年の青い瞳が、私を覗き込んでくる。 半眼閉ざした眼差しが、近づいてくる。 私は目を閉ざす。 触れる冷たい唇。 人間ではない、彼。 でも、そんなの……。 「……こんなに、愛しい想いがあったんだな」 ゆっくりと唇を離した青年が呟く。 体を引き寄せられて、胸の鼓動は早まる。 薄い夜着ごしにその胸の鼓動は伝わっているに違いない。 まだ会ったばかりの青年なのに……私は、彼を……。けれど、この想いは、あの赤い瞳のせいじゃない。私自身の意思だ。 「ねえちゃん……」 青年が囁く。 体温を感じなかった青年の体に、不意にぬくもりが灯る。 ゆっくりと顔を上げた私が見たのは……少年、だった。 「見つけた。俺の、ねえちゃん」 人間の、少年? 私より小柄な少年。 けれど、先ほどからの私の胸の鼓動は、その少年にこそ感じる。 それは、この少年があの青年だから。 考えなくても、私には理解できる。 もう一度、今度は暖かな唇が触れてくる。 「俺の名前を呼んで。俺は、尽……」 「尽……?」 私がオウム返しにその名を呟くと、私を抱きしめて口付けをする少年の体の熱が上がった気がした。 彼が、愛しい。 胸の奥からあふれる想いを、止められない。 そうして、私は漠然と彼の、尽の存在を理解した。私自身の、存在もまた。 薄い夜着は少年の手に簡単に剥ぎ取られ、私は少年に身を任せる。 触れてくる少年、尽の全てが、熱くて、心地いい。 「尽……っ」 彼の名を呼ぶ。 体じゅうを優しく、激しく愛撫される。 初めてのはずなのに、おかしくなりそうなくらいに……乱される。 どうしようもなく体が火照って、私は、絶え間なく熱い呼吸を吐き出す。 尽は、その姿のままの少年の初々しさで、私の体を探るように愛撫していく。丁寧に、けれど、時々どうしようもない情熱に突き動かされるように。 「この姿で、こんな事するの……初めてだ」 くすっ、と、私の耳元で笑って呟いた。 それが、とても可愛く思えて、私は彼の背を抱きしめた。 「いつも、あの姿?」 「普通の女は、この姿じゃ嫌がるだろう?」 「私は……嬉しい……」 心からの本音に、尽は笑う。 「ああ。ねえちゃん、だからな。けど……」 私を転がして、私の背中に愛撫を落としながら、私と尽は会話する。まるで、以前からふたり、こうして愛し合っているように。 「人間は、姉弟でこんな事しちゃいけないんだよ、な?」 「……。……いけないわ……」 私の力ない言葉に、小さな吐息で笑った尽は、肩甲骨のあたりを一際丁寧に愛撫していく。 「あ……やっ……あぁ、だめ、そこ、熱い……っ!」 普段、考えたこともなかったけれど……尽に愛撫されているその部分に、なぜか、違和感を感じた。 「ここ……だよな」 尽は、背骨を挟んだその両側を、一際熱心に愛撫する。 唇で舐め、食み……。 「あっ、あ、あ……あぁ、も……やっ……」 体が熱くなる。頭がぼうっとする。何も考えられなくなる……っ! 「んっ、ふぁ……や、あ、痛っ……」 尽の爪が、背中のその二箇所に深く食い込んだ。 冷たい感触だった。 きっと、私の背に赤い血が流れているに違いない。 でも、痛みは、すぐに、途方もない開放感に変わる。 「な、に……?」 「やっぱり」 体から尽の熱が離れて、私がゆっくり振り向くと……。 「…………!!」 私の背中に、羽が生えていた。 肩甲骨をはさんで、一対の黒い羽。 そして、尽は青年の姿をして、嬉しそうに私を見つめていた。 「これ、なに……?」 尽に何かされた、とは、思わなかった。 驚きはしたけれど、その翼は最初から自分にあったものかもしれないと、自然と認識した。 「片側ずつそれぞれが親父とお袋、ふたりがねえちゃんに施した血の封印」 青年の落ち着いた声がする。 「まだ、封印は解けていない。形を現しただけ。本当は、親父とお袋が揃わないと解けないんだが、俺なら、解ける。ふたりの血を受けた俺なら」 青年はそこで一旦言葉を止め、呼吸を呑み込み、静かに言葉を続けた。 「……ねえちゃんは、どうしたい?」 どうするも、なにも……今晩、不思議な青年に出会って、惹かれて、抱きしめあって……漠然と把握した全てのもの。一晩も経たないうちに起こった、目まぐるしい出来事。 夢のようだけれど……でも。 ……それらは、すべて、現実。 尽を愛しいと思った。 そうして、尽が自分にとってどんな存在が知った。 人間ではない彼……そうして、自分の存在は……。 「お母様は……何故?」 「俺たちが人であり続けるのは、難しいから。俺は、生まれたときからそんな存在だったから。ねえちゃんは、人間の……親父の血が濃くて、封印すれば済んだけど」 妖しいまでに美しいお母様。 やはり、お母様は、普通の存在ではなかった。 「まぁ、俺も人の血が入ってるから、力を失うと、どうしても人間としての本来の年齢、子供の姿に戻ってしまう」 言いながら、再び少年の姿をとる。 そうして、子供の姿のままでも、妖しく、にこりと笑ってみせる。 「ねえちゃんは、どうしたい?」 再びの、確認。 封印されたまま、人として生きるのか? 封印を解いて、本来の自分を取り戻すのか? お父様は、きっと、私に人として生きていて欲しがっている。だから、すぎるほどに過保護なのだろう。 でも、私は……何か、違和感を感じるようになった。 いいえ、尽と出会ってしまったからには、私にはそれは違和感ではなく……完全な、違い。 知ってしまって、このまま人として生きていけるのだろうか? 私の戸惑いを静かに見ていた尽が、私の唇を奪い、そっと体を横たえる。 「清らかな乙女の匂いがする。ねえちゃんの血は、俺に力を与えてくれそうだ」 言いながら、私の首筋を甘噛みする。 ぞくりとした甘美な悦びが、そこから全身を巡る。 人であるならば……弟と愛し合うのは許されず、また、弟と愛し合ったなどと知れれば人ではいられなくなるだろう。 それならいっそ、最初から人でなくなれば……。 「ねえ、尽……あなたたちでも、姉弟で愛し合うのは、いけない、の?」 私の問いかけに、それこそを待っていたように、尽は唇を吊り上げた。 「関係ない。親子だろうが、同性だろうが、姉弟だろうが。ただ、愛しいもの同士が愛し合う。それに、何の不都合がある?」 ……愛しいもの同士が愛し合う。 それは、私の心にしっくりくる言葉だ。 きっと……その考えに反発を覚えない私の心は、人から外れてしまっている。 私が、どうしたいかなんて、もう、尽の赤い瞳を見つけてしまった時から決まっていた。 細い少年の背中を抱きしめて、私は呟いた。尽への答えを。 尽は、微笑んで……私の耳元で囁く。 「最初で最後、人としての快楽。姉弟同士で愛し合う禁忌。優しくは、してやらないから。痛みごと、たっぷりとねえちゃんに刻み付けてやろう。人としての最後の痛みと快楽。弟と交わった罪の痛み。……そうして、俺は破瓜の血を飲み下して力を得、ねえちゃんを俺と同じものにしてやろう」 尽の優しい口調で、歌うような囁きのままに……人としての私は、尽の……弟の腕の中、禁忌の領域で女になり……。 「俺と同じものになったのなら、二度とねえちゃんを離さないから、覚悟しておいて」 美しい紫色をした尽の血を背中の封印の羽に浴びると、黒い羽は霧散し、私は開放される。 その瞬間、私は人しての頸木を離れたのだ。 全身に満ちる、途方もない広がりを感じ、己の瞳が赤く輝いているのを実感し……私は、微笑んだ。 「さあ、行こう、ねえちゃん」 差し出された、冷たい尽の手を取って。 私は飛び立った。 夜の闇の中へ。 尽と愛し合える世界へ。 END |
<言い訳とか>
出だしからして尽姉の話・・・ではないようですが、
一応尽姉の話です。
ガス灯の燈っている時代の
ヨーロッパあたりが舞台でしょうか。
まぁ・・・ヴァンパイアとかオペラ座の怪人とか、
そこらへんに被れたお話だと思っておいてくださいマセ。
かなり以前に書いたお話。
本当は、これをベースにしたサウンドノベルを作るつもりで、
実際、作りかけていたのですが、
無駄にディテールをこらしすぎ、
途中でイヤンになって放棄しちゃってました。
完成の目処はまったくたたないので、
うやむやになる前に通常創作としてUPします。
サブストーリも多くあるのですが、
どれも中途半端なので公開予定はなし。