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「好き」



 「好き」……それは、子供の頃、もっと簡単な言葉だったと思う。


 子供の頃……そう、あれは確かまだ幼稚園の頃、俺は女友達の誰にでも「好き」って言い回っていた。だって、子供の俺には好きか嫌いかしか価値観がなかったから。嫌いな友達なんていなかったから。
 けど、その結果、女の子同士でちょっとした争いになってしまって……結構痛い目を見た俺は、それから「好き」って言葉を使うのは慎重になったんだ。

 ただ……家族への「好き」は平気だと分かっていたから、家の中ではよく言っていた気がする。
 特に、ねえちゃんに向けて。

 俺が「ねえちゃん、だいすき」って言うと、ねえちゃんも嬉しそうに笑って「私も尽が好きだよ」、と、言ってくれた。時々、ぎゅっと抱き締めてくれた。
 そうして、抱き締めてくれるねえちゃんの優しい香りとぬくもりで、余計に俺はねえちゃんの事が好きだって実感した。

 だから、何も分かっていない幼い俺は子供がよく口にする例の科白をねえちゃんに向けていっていたようだ。つまり……「オレ、おおきくなったらねえちゃんとけっこんする」ってヤツだ。
 普通は、母親に言うものなんだろうけど、俺の場合はあくまでねえちゃんだったみたいだ。

 両親は、そんな俺を可笑しそうに囃し立てるだけだったんだけど、ある程度物の分かる年齢だったねえちゃんは、俺の頭を撫ぜて言う「私も尽は好きだけど、姉弟は結婚できないんだよ?」と。
 けど、やっぱり、幼い子供に、そういう事が分かるわけもなく、ねえちゃんも、何故結婚できないのかまでは説明する知識を持っていず。

「おおきくなったら、できるよ! だから、ねえちゃんはオレのおよめさんになるんだ!」
 否定されるたびにムキになって、子供らしい理屈で無理を押し通そうとする俺に、最後には苦笑いしてたっけ。


 さすがに、小学生ともなれば「好き」って言葉の意味が深いものであるのを色々実感し始めて……ねえちゃんにさえ、その言葉を使う事はなくなったけれど。

 そう、小学生ともなれば、俺は、恋愛方面には男よりも早熟な女の子達から、時々告りを受けるようにもなっていった。
 もっとも、俺はその告りをどれひとつ受け入れなかった。
 恋愛、ってものを意識してはいたし、女の子の事も好きなのは確かなんだけど……ひとりの女の子に対して「好き」とは決して言えなかったし、告ってくれる女の子達の誰にも「好き」って気持ちを実感しなかったから。

 俺が「好き」だったのは、「好き」だって言いたいのはいつまでたっても、ねえちゃんだけだった。いや、もう、その年頃には、照れもあって決して口には出せなかったんだけど。
 いや、照れというか……その気持ちが、なんか違うものであるのをそれとなく理解していたのかもしれない。


 そう、そして、記憶に残っている出来事……あれは、俺が9歳の時だった。

 今の家、はばたき市に引っ越す少し前。既に引越しが決まってしまっていた春の初め。
 俺は後少ししか一緒にいられないから、って、残された時間を無駄にしないように、よくダチ達と遅くまで遊んでいた。二度と会えないわけじゃないけど、子供にとっては二度と会えないような距離だったからな。

 ねえちゃんも、多分、そうだったんだろう。
 というか……多分、ねえちゃんは、それだけじゃなくて……。

 その日も、学校帰りに、結構遅くまでダチの家で遊んできた帰りだった。

 前の家の傍には大きな川があって、その川原は公園のように整備され、堤防は近隣の人間達の良い散歩コースとなっていた。
 俺も、夕日を背中のランドセルに浴びながら、散歩がてらに堤防の道を歩いてたんだけど……川原の方に、どこかで見たような人影を見た。

 制服と背格好、髪型……ねえちゃんだ。ねえちゃんが、同じ中学の制服を来た男子生徒と歩いている。ふたりきりで。
 華奢なねえちゃんのすぐ隣に、ねえちゃんより随分背が高くて肩幅の広い男が並んで歩いている。
 二人の影が、夕日に照らされて、長く伸びて、重なって見える。

 ……どくん、と、鼓動が低く脈打った気がした。

 声をかけることもできず、立ちすくんで、川原のふたりを見てるしかできない、子供な俺。

 ふたりは、とても楽しそうに喋って、笑って……川原のベンチに座る。しばらく、見詰め合って……そして、顔を、寄せた。

 ドラマとかでしか見たことのないソレ。

 ねえちゃん、キス、してた。俺の知らない男と。

 彼氏がいるという話は聞いた事がなかったのに………軽く触れただけの唇を離したねえちゃんは、俯いて、困惑したような表情で二言三言言葉を交わして、立ち上がって小走りにそこを離れた。

 俺は、身動き取れなかった。
 背中の、大して中身の入っていないランドセルが、とても重く重くのしかかってきて、そのベルトが肩に食い込むような気がした。

 俺は、きゅっと唇を噛み締めて……わけもわからずこみ上げてくる切なさを、ランドセルのバンドを握り締める事で耐えようとした。

 ねえちゃんが、俺よりも年上の大人なのだと、実感した。
 自分が、子供の世界に取り残されているような気がした。
 今まで、そこにねえちゃんも一緒にいたのに。いたはずだったのに。
 「好きだよ」って抱き締めてくれたのは、つい最近だった気がするのに。

 ……子供の世界に、取り残された、俺ひとり。

 だから、俺は、切なさを吐き出す。
 言葉にして、吐き出す。
 でないと、涙が、溢れてきてしまいそうだった。
 涙を流すくらいなら、まだ、言葉にしてしまった方がいいと思った。
 男が泣くなんて、みっともないと思った。

「ねえちゃんは、俺より年上なんだから。俺より年上で、大人で……だから、彼氏のひとりふたりいたってさ……ほら、俺だって、彼女、3人もいるし……! だから、ねえちゃんだって……大人なねえちゃんだって……」

 けど……涙は、溢れてきた。
 止められなかった。

「………っ!!」

 涙が零れ落ちるのを止めようと、更に強く唇を噛み締めたけれど、無駄な抵抗だった。
 ぽろっ、と、一粒零れ落ちたソレは、次の涙を誘い……俺は、俯いた。

 誰かに見られるのは嫌だった。
 自分がガキなのは自覚済みだけど……こんな風に泣いたら、本当にただのガキじゃないか。そんなの、誰にも見られたくない。

 そうして、嗚咽交じりに呟く……どうしようもない、遣る瀬無さを。

「イヤだ……っ。なんで……なんで、オレ、ガキなんだ……オレだけ、こんなガキで……ねえちゃんは、もう大人で……。俺は、おいてけぼりで……っ。俺、早く大人になりたい。こんなガキじゃ、イヤだ……っ」

 ガキがいきなり大人になれないのは、ガキな俺でも分かっていたけれど、そうやって、吐き出さずにはいられなかった。
 どうしようもなく、切なくて、胸が痛くて……。

 そこで、俺は、初めて知ったんだ。
 それが『恋』なんだって。

 いや、それこそ、昔のねえちゃんが言っていたように、姉弟が結婚できないのは重々承知していたと思う。
 けど、その感情が俺に自然と理解させたんだ。

 俺はねえちゃんに恋していると。
 初めての恋の相手はねえちゃんなんだ、と。

 ……勿論、そんな事、口に出して言えるほど、幼すぎなかったんだけど。

 俺は、思ったんだ。
 ねえちゃんと結婚できないのは、仕方ないから……せめて、ねえちゃんを幸せにしてやりたい、って。
 俺が、ねえちゃんを幸せにしてくれる最高の男を探してやろう、って……。

 まぁ、結局……ねえちゃんは、高校時代、俺のその好意と努力を無為にして過ごしてくれたわけなんだけど……。
 実際……俺は、ほっとしていたりもした。だって、ねえちゃんが、誰のものにもならなかったんだから。

 複雑、だよな。
 イイ男とくっついて幸せになって欲しいのは確かなのにさ。
 だから、ねえちゃんの卒業式の日、言った。

「イイ男になって俺が弟だって事を後悔させてやる」と。

 イイ男になる予定の俺よりもずっとイイ男を捕まえろ、と、イイ男じゃないと、俺は認めてやらない、と、暗に意味をこめて。
 その想いは、ねえちゃんをからかう調子で、笑顔で言えていたと思う。ちゃんと、笑えていたと、思う。
 心の中では俺の方が後悔していた。ねえちゃんが、ねえちゃんである事を。
 ねえちゃん以上のイイ女は、絶対に存在し得ないから。俺は、一生後悔する自分を思いつつ……。



「俺は、ねえちゃんが、好きだったよ」

 俺は、言う。
 子供の頃より、難しくなった「好き」の言葉を、何年かぶりに口にする。
 今まで付き合ってきた彼女達相手への浮薄な言葉じゃない……長年もの重みのある告白……けれど、過去形での。

「ずっと、ずっとねえちゃんが好きだった。……きっと、これからもねえちゃん以上に好きになれる相手は、いないと思う」

 ねえちゃんを見詰める俺の目には、子供の頃のように涙は浮かんでいないだろうか。
 ちゃんと、微笑んでいられているだろうか。

 目の前のねえちゃんは、俺の言葉に、ただ、静かに微笑んでいる。
 優しく微笑んでいる。
 驚きもしないで。
 まるで、俺のその想いを、ずっと知っていたように。

 白いヴェールに包まれた、この時、人生最高に綺麗なねえちゃんは……もうすぐ、俺以外の誰かのものになってしまうねえちゃんは……ゆっくりと頷いて、瞳を細めた。

 俺たち以外に誰も居ない控え室……ねえちゃんは、幾重にも重なった白いドレスで椅子から立ち上がり、俺の傍まで歩み寄る。

「私も、尽が大好きだよ」

 幼い俺に言い続けた、あの頃どおりのねえちゃんの言葉。その笑顔。
 俺は、苦笑いを浮かべる。

 ……俺は、弟だもんな。
 俯いて、唇を噛み締める俺。

 けど……ねえちゃんは、俺の頬にそっと手を添えて……。
 目を上げると目の前に綺麗なねえちゃんの顔があった。

「……っ!?」

 ねえちゃんは、ヒールの踵を上げて、つま先だって……俺に、口付けた。唇に、だ。
 いつか見てしまった、夕日の川原の口付けのように、軽く触れて離れるだけのものだったけれど。

 驚いて目を見開く俺に、ねえちゃんは泣きそうに微笑む。

「あんたが、弟なの、いっぱい後悔したよ……」

 そうして、もう一度、唇を寄せた。
 今度は、大人の口付けだった。

 唇を吸い上げ、舐め上げ……何かの果肉のように甘い舌が俺の口の中を潤す。

 熱く……夢心地の短い瞬間。
 俺が、ねえちゃんの背中を捕まえる前に、ねえちゃんは、その身を引いた。

「最初で、最後……。今だけ、後悔しないように……だって……」

 手袋を外して手を伸ばし、指先でそっと俺の唇をなぞって、そこについた自分の紅を拭い取り、再び己の唇にそれをなぞる。

「私は、多分、一番、あんたが好き。だから……ね、別の誰かのものになる。一生、後悔し続けるように。私自身も……そして、尽、あなたも」

 にっこり、幸せそうに微笑むねえちゃんは……最高に綺麗な花嫁だった。

 そのうち……控え室にトラブル収拾から帰ってきた両親が戻り、人が集まり……ねえちゃんは、行ってしまった。
 俺以外の誰かのものになるために。
 生涯最高に綺麗な瞬間を、俺に見せつけるために。

 子供の頃のように、泣く事はなかった。ランドセルのバンドを握り締めて、泣く事はできなかった。

 けれど……。 
 俺は、ねえちゃんの温もりを残す唇を指先でなぞって、唇を歪めて、濁った笑い声を漏らした。

 そう、俺は、永遠に後悔し続ける。
 ねえちゃんへの「好き」を胸に刻み付けたまま。

 何より複雑で重くて幸福な、たった一つの言葉――「好き」――それは、もう二度とねえちゃんに言う事はないだろう。



END




--BACK--





<言い訳とか>

随分遅くなってしまいました。
こっそり日記で呟いていた表のカウンタ80000hit記念の
カウンタリクです。
瑞希凪さん、ありがとうございます!
ご期待に添える内容になっていると幸いですが。

うちの尽主では珍しい悲恋話です。
両思いなのですけれどね。
しかし、姉弟ものとしてはこれくらいが健全かと(苦笑)。