春が来た



 卒業式。
 春というにはまだ寒い3月始め。

 俺は鏡の前でじっと自分の姿を見る。

 これが、最後、だ。

 この制服を着る最後の日。
 それから……。

 にっと、笑う。

 そう、今日こそ……ねえちゃんと……!!!!


 
 
 式が始まるよりも随分早い時間に身支度を整えて家を出る準備をする。

 クラス内で、お別れやらなにやらするらしいので、早いトコ集まるように召集がかけられてる。
 もっとも、はば学の中等部から進学するのはほとんどはば学高等部。一部、余程頭のいいヤツがもっと名の知れた進学校に進んだり、のっぴきならない事情で出て行くヤツが、ほんのごく僅かいる程度だ。
 だから、今更お別れをするっつてもなーとか思ったりするんだが、まぁ、そういう感傷に浸りたいヤツは多いんだろ。
 俺は……基本的に興味ないけど。

 そんな事より、もっと大事な事がその後に控えてるしなっ!!

 俺が身支度をすっかり整え終わり、お袋が長〜い準備に取り掛かり始めた頃、ねえちゃんがやっと起き出してきた。
 リビングで、ちょうど出かける所だった俺と、朝飯を食べに来たねえちゃんがばったり。

「はよ」

 ねえちゃんの顔を見た途端、なんていうか、こう、躍りまわりたい気分になった俺が、にっと笑って言うと、ねえちゃんはてんで寝ぼけた顔で「おはよ〜」と返してきた。

 あれれ?
 拍子抜けな反応。
 なんか、もしかして……今日が俺の卒業式……つまり、ふたりの卒業式だって事、忘れてるのか?

 寝ぼけ顔のままふらふらと、朝食の用意されたテーブルに近づいていくねえちゃんの腕を不意に取り、そのままその体を引き寄せて、お袋がいないのをいい事に……軽いフレンチキス。
 爽やかな朝だしな!

 ねえちゃん、目を丸くして……お、やっとお目覚め?

「っ……くしぃ!!」

 叫ぶねえちゃんに、くすくす笑って、俺は瞳を細める。

「卒業式、行ってくる」

 ねえちゃんの腰に手を当てて、俺の方に引き寄せて、抱きしめたまま言う。

「式が終わったら、早い目に切り上げて連絡入れるから……」

 俺の言葉に、ねえちゃんの顔がカァと赤くなる。

 約束、やっと思い出したのか、もしかして?
 鈍いなぁ……。

「心と体の準備して、待ってて」

 最後の言葉を、悪戯っぽく囁けば、ねえちゃんは爆発しそうなほどに顔を真っ赤にして、口をぱくぱく開けた。
 ねえちゃんにとって、朝っぱらからの会話じゃなかったかな。

 もぉ、本当にかわいいんだから!

「じゃあ、俺、もう出るから。お袋には先に行ったって言っといてな!」

 名残惜しく、ねえちゃんの頬にキスをして、俺は飛び出すようにリビングを、玄関を出た。

「っ……尽、でも、私っ……!」

 何か言いたそうにねえちゃんが呼び止めて来たけど、今更あの約束を取りやめにはしたくないから、聞く耳持たずにそのまま駆け出した。

 やぁ、もぉ、ホント、楽しみっ!!
 卒業式、さっさと終わらないかなぁ!!
 



 式開始より2時間近く前から、卒業生一同は互いのサイン帳や卒業アルバムにサインしあったり、プレゼント交換しあったり。
 俺は……まぁ、ご多分に漏れず、引く手あまな第二ボタンをねだられたり、ひとりひとりのサイン帳にサインしたり。
 あ、ちなみに、ボタンは誰にもあげないって、宣言した。だって、第二ボタンは唯一個のものだし、他のボタンだって数が限られてる。んなの、もらったのもらわないのって不平等になっちゃうだろ? 

 で、まぁ、それから式まで、色々なやりとりあって、人気者の俺はひっぱりだこで……しかも、式でいくつか大事な役どころをもらってるもんだから、その準備にまた早い目に先生に呼ばれたりして、あっという間だった。
 式そのものは、結構早く終わったんだけどなー。
 学園長の話も天之橋理事長の話もそんなにくどくどしくなかったし。
 ただ、やっぱりというかなんというか、今度は在校生達とのやりとりが色々あったりして……。

 個人的に挨拶したりされたり、花束やプレゼント、手紙なんかももらったり、写真を撮りまくられたり。
 俺って、フェミニストつか、人付き合いを大事にしたい方だから、そういうのいちいち快く応じてたら、あっという間に昼なんてとっくにすぎて。
 しかも、その後、昼食会兼ねた卒業パーティのようなものがあって。

 ……って、付き合いのいい俺は、皆に誘われるままにそのパーティにまで出席しなきゃならなくて。
 ちょっと……いや、かなり、悶々としちゃったよ!

 プレゼントや花束を大量に貰ったのは嬉しい。俺と別れるのが辛い、って泣いてくれる在校生たちの気持ちも勿論嬉しい。
 晴れやかで、嬉しくて、寂しい卒業式…………の、ハズなんだろうけど、俺はさー、そんな事、正直、どうだっていい
 そう、そんな事より、何より、俺の一大事は他にあるってのっ!

 隙をみてねえちゃんに、卒業式が終わってパーティに出ている旨の連絡はメールで入れた。
 けど、ねえちゃんから返事は返ってこずに……逃げられたか!? と、そっちのが不安でたまらなかった。
 でも、両脇から皆にがんじがらめにされてりゃ、メールを打つ機会も携帯鳴らす機会もなかなか見付からず……。

 うあぁぁっ! いい加減、解放してくれよぉ!!
 って、外面のいい俺は叫ぶ事もできず……。

 長々と3次会のカラオケまで付き合うハメになったりして……。つかさ、そのメンバー全員高等部に持ち上がり組じゃん……在校生だって、敷地がほとんど隣なんだから、会おうと思えば会えるだろ!?
 それに、確か、在校生が春休み入ってから、またお別れパーティで集まるような事言ってなかったっけか!?

 ……………あぁ、もぅ……。

 ちょっと……いや、もうかなり焦れて来た俺はトイレに立つふりをして……逃げた。
 大逃走!

 ごめんなー。
 けど、こうでもしないと、解放してくれる気ないだろ、おまえらっ。
 今日は俺にとってぁ、一大事なんだ! 
 穴埋めは次回してやるから、カンベン。
 ……と、逃走しながら出席メンバーにメールを入れた。

 で……逃げ出した俺は、ねえちゃんに連絡を……!
 携帯持つ手もドキドキで震えてる。
 数度のコールの後、ねえちゃんは、出た。

「ねえちゃん! お待たせ!」

 うきうき声で言うと、ねえちゃんは、息を飲んで……おどおど口を開く。

『あ、あのね……』

 まだ、緊張してるのか?
 心の準備しとけっていったのに、まったく。

「今家か? お袋、帰ってきてるだろ、もう?」

『うん。帰ってきてる……。で、あのね……』

「ねえちゃん、今から出て来い。バイトって言い訳使えるだろ?」

『使えるけど……あのね……』

 何か言いた気なねえちゃん……今更待ったはなしだぞ?

『私、その……やっぱり、今日は……』

「1時間後くらいに、臨海公園地区、ショッピングモールに! 今から、俺も行くから。ついたら連絡するよ」

 ねえちゃんの言葉を続けさせない。
 有無を言わさないっ!

「話があるなら、会ってからな。夕飯食べる時間くらいの猶予はやるから」

 言い切る俺に、ねえちゃんは電話の向こうで諦めの溜息。
 それから、小さく「うん」と言って……電話を切った。
 往生際が悪いな、まったく。

 まぁ、でもねえちゃんって相当流されやすいから……俺が頑張ってねえちゃんを押し流せばいいだけか?
 想像するだけで、くくくくっ、と笑みが漏れてきて……多分、道行く人間からは、相当怪訝な目で見られてただろうな。別に構わないけどっ。




 約1時間後、落ち合った俺達は、ショッピングモール内にあるファミリー向けのイタリア料理屋で食事する事にした。
 さすがに、夜景の見えるレストラン……なんて、まだ俺には無理だしな。これでも、奮発した方なんだけど。

 ちなみに、制服姿ではまずいから、ロッカーの中に事前に用意してあった服にトイレで着替えて来ている。
 準備万端!
 だからさ、ここまでこの日を俺は期待していたわけで。

 ねえちゃんは……一応お出かけ用だけど、普段通りの格好、かな?
 ま、何着ててもねえちゃんはカワイイし、どうせすぐに脱がしちゃうしな!

 で、ねえちゃん……態度がひどくおかしい?
 緊張してるのか……?
 食事にも殆ど手をつけないし。
 なんか、時々すごく物言いたげにしてる。
 そんなに……嫌なのか、もしかして……?

 食後に紅茶を飲むねえちゃんを、俺はじーっと見つめる。

「あのさ……」

「……え、え? あ、なに?」

 何かなぁ、その慌てぶり……。

「……そんなに、浮かない顔するほど、嫌?」

「え?」

「俺と……するの……」

 少し声を潜めて言うと、ねえちゃんは目を見開いた後、顔を赤くして、ぎこちなく頭を振った。

「や、あの、そんなんじゃなくて……!」

「じゃあ……どうして?」

「あ……あのね……」

 チラチラと周囲を見回して、ねえちゃんは更に顔を赤くした。

「とっ、とりあえず、お店出てから……」

 はい?
 なんだってんだろ……?
 けど……とってもヤな予感だけが……。

 店を出て、ねえちゃんは足早に臨海公園に向かう。夕刻を過ぎた臨海公園は、人気が薄くなった代わり、カップル率が高くなる。
 ベンチに腰掛けて、または海を眺めながら、愛を語り合う……つか、イチャつくカップルばかりになってくる。

 ねえちゃん積極的じゃん!
 まーさーか、ねえちゃんの方から俺を誘ってくれるなんてな……。くくっ。

 ちょっぴりどきどきする俺を、そこまで引っ張り出したねえちゃんは、やっぱり人気のない所まできて、俺を手招きする。
 そんで、俺の腕をきゅっと掴んで。

 え? なに!?
 ねえちゃん、マジ!? 
 うそ、やっぱ、マジで……ねえちゃんから!?
 ドキドキと鼓動が耳元で痛いくらいに脈打って、俺、ゴクンって息と生唾を同時に飲み込む。

「ねえちゃん……」

 ねえちゃんの見慣れたはずの顔が、すごい蠱惑的に俺を誘ってるように見える。
 淡いピンクのリップが塗られたねえちゃんの唇が、ゆっくり俺の名を呼び、それから……。

「ごめんね」

 え?
 なんで、ここで謝罪??

「私……昨日から何度も言おうとしてたんだけど……」

 はい?
 期待をする甘いドキドキが、今度は不安のドキドキに取って代わった。

 ねえちゃんはとても躊躇いがちに、眼差しを伏せて、重く口を開く。

「私、今日、ダメだから……」

 え?
 何?

「あのね……昨日から……その……」

 もじもじ言いにくそうに口を開いて、ぼそっと、極めて極めて小さな声で言った。


「……………生理に、なっちゃったから……」


 ………………!!!

 はい?

 せっ、生理……?

 聞き覚えあるようで、ちっとも実感の湧かないその単語、男にはまったく無縁の代物で……俺は……すっかり失念していた。
 呆然と、ただ呆然とする俺の胸元に、ねえちゃんは、こつんと頭を預けてきて、申し訳なさそうに言葉を続ける。

「もっと、早い目に言えばよかったんだけど……あんたがあんまり期待してたから、なかなか言い出せなくて……」


 生理………。


 その言葉が、ぐーるぐると頭の中を泳ぎ回る。
 月に一度の女性の体に起こる現象。
 一応、それがどういうものかと知識はある。

 けど、けど……よりによって、こんな日に重ならなくてもさぁ!
 今まで期待していただけに、ショックで目の前が真っ暗になりそうで。

「生理中って、やっぱり、できないもんだよ、な……?」

 呆然と呟いた俺の言葉に、ねえちゃんは「ばか」と小さく言った。

「今日はだめだったから、その、また今度……」

「………今度、って?」

 ちょっと、不貞腐れてる俺の声は、八つ当たり気味にねえちゃんを追求した。

 や、ねえちゃんに当たるのは間違ってるって分かってるけど!
 ここまで我慢して、期待して、それが裏切られた虚脱感って、どうよ!

「あ……あの、終わってから……だから……その……」

 ねえちゃんは顔を赤らめたまま、もごもご言葉を言いよどませ……でも、しばらくの無言の後、結構はっきりした声を上げた。

「ホワイトデーは、どうかな?」

 俺の胸の中から、俺を見上げてくる頬は真っ赤で……でも、その目は真っ直ぐに俺の目を見ていた。

「ホワイトデー?」

「それくらいなら、終わってるし、しても、多分、大丈夫だから……」

 ねえちゃんにしては、相当勇気の要った決意だった、と、思う。
 うん……ねえちゃん、俺に悪いと思ってるんだ。でも、それだけじゃない。その気持ちと同じくらい、今日出来なかった事を、ねえちゃん自身も残念に思ってくれてるんだな、多分。

 嬉しい。
 すげぇ、嬉しい。

 どうしよ、口元が勝手に笑みを刻み、喉の奥から自然と笑いが漏れる。
 今日できなかったのは、相当にショックだけど……このねえちゃんの心と決意がすごい嬉しすぎる。

「うん!」

 胸の中にいるねえちゃんを、更にきゅぅっと抱きしめる。
 腕の中に確実にあるねえちゃんのぬくもりが、完全に俺のものなのだと実感できる。
 その心は勿論、体も確実に、俺のものなのだ、と。
 なんか、ねえちゃんの体がいつもより随分暖かい気がする。

「ねえちゃん」

 呼びかけて、上を向いた顔にキスを落とす。
 ねえちゃんも、もう、当たり前のようにそれを受ける。

 長いキス。熱いキス。

 俺の場合、今日出来なかった分、それはかなり熱の篭ったものになっていたと思う。
 だから、結構しつこいはずのキスなのに、ねえちゃんはいつもみたいに嫌がる様子もなく、俺の好きなようにさせてくれた。
 何度も重ねる唇に抵抗もしないで、俺の背中に腕を回して、きゅっと強く抱きついて。

 ……予定は流れ、期待は裏切られたけれど……それから、俺達は、公園にいる他の恋人達に負けないくらいに、イチャイチャと甘い時間を薄闇の中で過ごした。

 俺達、見事なバカップルになってるよなー、と思うと、なんか、照れくさくて嬉しかった。

 卒業式の卒業は敵わなかったけれど、少しだけ順延されただけ。
 そう思えば、どきどきわくわくした気持ちがまた胸にせりあがってきて、ホワイトデーまでの数日を楽しくすごせそうだ、と思った。




 俺はお別れパーティの帰り、ねえちゃんはバイト帰り……偶然会って、一緒に帰ってきた。

 俺達の言い訳を、両親はいともあっさり納得する。
 ま、これくらいで疑われちゃ、幸先が不安すぎるけどな。

 で、俺達が帰ってきて、妙に改まった両親が手招きするままにリビングに集まると……親父が転勤の話を持ち出してきた。
 単身赴任の話は聞いていたけど、行き先までは聞いてなかった。
 で、その話だったんだけど……なんと、行き先は……海外、だったんだな、これが。

 ねえちゃんは目を真ん丸くした。お袋は苦笑している。
 大丈夫か、海外に単身赴任!?
 まぁ、お隣の国で同じアジア人で、近いと言えば近いし、大丈夫そうな気もするけどなぁ……もっとも、一応、船か飛行機でなきゃいけないわけだけど……。

 で、期間は約2年。
 それも、長いような短いような……親父、本当に大丈夫か? 宮仕えも大概大変だよなぁ……。……って、俺の未来の姿かも知んないわけだけどさ。

 ま、単身赴任がんばれっ!
 ってくらいしか、俺は言えないよな。
 ああ、あと、時々、遊びに行くからな、と。

 で、なんでも、転勤まであと一ヶ月もなく、早いうちに準備をする必要があるって事で、その国にアパートを探しに行くのに家族旅行かねて一緒にいかないか、って誘いだったんだけどさー……。
 その日……ホワイトデー被ってるって……。

 俺、チラリとねえちゃんを見る。
 ねえちゃんも、チラリと俺を見る。

「俺、その日、ツレと約束あるから、ごめん、パス! まぁ、また夏休みにでも遊びに行ってやるからさー」

 俺がそう言い切ると、ねえちゃんも。

「私も、アルバイト。もうシフトが決まっちゃってるから、今からお休みもらえそうもないよ。ごめんね」

 ナイス、誤魔化し。
 ねえちゃんも成長したな、うん。

 両親は残念そうに顔を見合わせたけど……俺にとっちゃ、大ラッキー!
 だって、両親がいないんだぜ、その日!
 いないって事ぁ、ねえちゃんとふたりきり!
 そう、ふたりきり、願ってもみなかった事態じゃないか、それって。
 自宅で、ふたりの関係を卒業できる、ってワケだ。
 もしかすると、今日できなったから、カミサマが俺にラッキーを分けてくれたのかな!

 俺、自然とにやける顔を押さえきれそうもなく、立ち上がって「じゃ、俺、部屋に戻るから」と、震えそうになる声をかろうじて抑えて言うのが精一杯。

 っ……かぁーーー!!

 もぉ、嬉しすぎじゃん。

 居間を出た途端、にやけ顔でガッツポーズだぜ。
 もしかして、今日するよりも、いいシュチュエーションでできるかもしれないな。

 くくくくくく……。

 忍び笑いを洩らしながら、自室に入り……今度は、大声で叫んだ。

だぁぁい、ラッキーーー!!!

 あぁっはははははは!!!

 これは、マジ、ホワイトデーが楽しみだ。
 これから数日はそのシュミレーションで忙しいかな、俺ってば。

 ねえちゃん、ちゃぁんと覚悟しとけよな!


 その頃、階下の居間でねえちゃんが、突然襲いくる悪寒に体を震わせた事なんて、当然俺は知るはずもなく、ひたすら笑いつづけたのだった。
 
 ――くくくくくくく…………。





おわり





--BACK--



<言い訳とか>

春が来たのに……卒業できませんでしたな(苦笑)

思いっ切り、お約束で。

散々期待して、我慢していた分、
尽くん、相当溜まっちゃってるだろうと思われるので…
ホワイトデー…怖いですよ?
ねえちゃん、がんばれっ。