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春は来る 尽と喧嘩してから……というよりも、一方的に私が怒っちゃってから、どれくらいが過ぎたのかな。 多分、一週間かそれくらい。 でも、たったそれくらいなのに、すごく……寂しかった。 うん、素直に私から声をかければ、尽は笑顔で応じてくれたかもしれないのに、私、声をかける機会をずっと逃していた。 逃して、逃して……ある日の事。 アルバイトがない日、お昼頃までお部屋でぐーたらしていた私がやっと起き出して、階下の居間に入ってみると……そこには、とっても懐かしいものが、あったの。 「わぁ……雛人形! うわぁ、まだ、あったんだ!」 立派なものじゃないんだけどね。 お内裏様とお雛様だけがガラスケースの中にお行儀良く座ってる。 いつ転勤になるか分からない父さんだったから、そんなに立派なのを持ってお引越しできないでしょう? だから、こんなこじんまりしたガラスケースで……でも、ねぇ、そうよ、このはばたき市に引っ越す前の年、前のお家で見て以来全然出してなくて……本当に、すごく、久しぶりで、なんか嬉しい! まだ春というには外は寒いけれど、陽射しはとても暖かくて、暖房なしでも日当たりのいい居間はぽかぽか小春日和な感じ。 ガラスケースの中の桃の花と橘の木が生き生きしてるみたい……勿論、作り物だって分かってるって。 ああ、やっぱり……。 普段使われていないテーブルに布が引かれてて、そこのケースが置かれているんだけれど、私はその前に座り込んで、知らず、唇に笑みをのせてる。 お雛様、綺麗。 お内裏様も、男の人なのに、とっても綺麗。 なんか……いいな。 幸せそうで、いいな。 三人官女も五人囃子も、右大臣左大臣もいないけれど……でも、ふたりきりでも、幸せそう。 ふたりだけの世界で、ふたりきりで……それでも、幸せなんだろうな。 やさしい顔をしたお雛様は、真っ白な頬を淡くピンクに染めて、紅を刷いた唇を薄っすら開いて物いいたげで。 整ったお顔のお内裏様も、真っ直ぐ前を向いて、お雛様と同じように何か語っているようで。 なんだろ、ふたりの目を釘付けにしてるものは、ふたりの前にあるものは。 餌をついばみに来た小鳥かな? 陽だまりで眠りこける子猫かな? それとも、夜空に輝くお月様? ふたりの会話は尽きる事なくて、ずっとずっとふたりで同じ方を見て……でも、時々、もしかするとふたり、視線を合わせて笑い合ってるのかもしれないな。 ずっと見てても、飽きないよ。 幸せな気分になれちゃう。 それで、寝起きも手伝って、しばらくぼーっとお雛様眺めていたら、いつの間にか私の背後に人がいて……それは……………。 「ねえちゃん、雛人形出したのか?」 「………!!?」 尽。帰ってきたんだ。 ヤダ、もうそんな時間!? 恐る恐る振り返って、でも、普段どおりの様子の尽がいて、どことはなしにほっとする。 「ん……出したの、多分母さんかな。降りてきたら、出してあったの」 「ふーん……なんか、懐かしいな」 鞄をソファに放り投げ、私を真似て雛人形の前、私の横にかがみ込んでじっとケースの中を見詰めてから……言い出した。 「このお雛様、ねえちゃんに似てるよ、な?」 「え?」 「チビん時から、ちょっと思ってた。似てる、なんか」 そお、かな? 考えた事も、ない……。 意外な事を言われて、驚いて尽の方を見ると、丁度私の法方を向いた尽と視線が合った。 にっこり笑ってた。 「ちょっと、間抜けな顔が、な」 うっ……なんなの、その間抜けって! 「綺麗なんだけどさ、なんか、ちょっと鈍そうだよな、このお雛様。きっと、お内裏様ととぼけた会話してんだぜ」 いや……なんか、さ、そういわれればそう見えてきちゃうから不思議なもので。 尽、私のお雛様へのイメージ、崩さないでよぉ! 「だって、綺麗なだけじゃ取っ付き辛いだろ? 愛嬌あったほうが親しみやすいって。俺としては、誉めてるつもりだけど?」 そ、そりゃ、そうだけど……。 なんか、いいように言い包められちゃってる、私!? 「いいよな……このふたり。いつも、ふたりきりで。雛祭り以外の時、ずっとしまわれっぱなしで、暗い納戸の中で……でも、仲のいいふたりだから、さ、そんな所でも互いがいて幸せなんだろうな」 尽の言葉は、私がさっき考えていたのと良く似た内容で……しかも口調はどこかに実感と羨望があって。 あのね……尽……。 その……。 色々、聞きたい事があるの。 この間から、胸がざわざわしてるの。色々考えすぎちゃって。 あのね……私、ね……。 「つく……」 「あら、ふたりとも、いたの?」 口を開きかけたところで……母さんの登場。 タイミング悪いったらっ! 「お雛様、さすがにしまいっぱなしはかわいそうだから、虫干しかねて出してみたわ。全然虫食いされてないし、良かったわねぇ」 洗濯をしていたらしく、取り込んできた洗濯物をどっさりとソファーの上に置いた。 「そうそう、あのね、雛人形はついでなのよ。実はね、父さん転勤が決まってね。一ヶ月先なんだけどさ、その下準備に納戸片付けててお雛様も見つけたんだけど……」 「転勤!?」 えぇ!? もしかして、また引越し!? 私、驚きに目を丸くして母さんを見詰めちゃった。尽の事そっちのけで。 尽との事よりも、まず先にそっちでショ! だって、引越しってなったら、尽との仲を深めるどころじゃなく、慌しくなるじゃない! つか、私も尽も学校どーするのぉ!? 尽も、きっとそんな表情で母さんを見上げていたんだろう、その驚いた私達の表情をうけて、母さんは苦笑した。 「ううん。今回は父さんの単身赴任よ。尽もせっかく高等部に進学決まったし、おねえちゃんも今年は就職活動でしょう? 家族揃って引越しは無理だから、父さんだけで行って貰う事にしたのよ」 あ、なるほど。 そっか、父さん、ひとりで転勤行っちゃうのか。ちょっと、寂しいけどなぁ。 「また、詳しい話は父さん帰ってきてからね」 話を終えて洗濯物を畳みだした母さんに、尽は肩をすくめて自分の部屋に行ってしまった。 その時……ちょっと、私に目配せしてたのは……気のせいじゃない、よね? 洗濯物を畳むのを手伝うように催促する母さんに言い訳して、私は尽の後を追った。 「尽?」 開いている扉から部屋に入れば、椅子に腰掛けて私を迎える尽がいて。 そうか……そういえば、尽の部屋に入るのはあのバレンタイン以来だ。 ちょっと、緊張しちゃう。 「ねえちゃん、あのさ……ねえちゃんも、さっき言いたそうにしてたんだけど……俺から言わせて。つか、多分、ねえちゃんの聞きたい事と俺の言いたい事、同じだと思うし……」 私、あの日と同じように尽のベットに腰掛けて、尽の顔をじっと見た。 私の聞きたい事。 尽の言いたい事。 私が怒っちゃった原因……。 今、冷静に考えたら、あそこで怒るよりもまず、尽に直接聞いてみるべきだったと思うの。 いや、それでも結果的に怒る事になりそうだけど……でも、私があの事で怒っちゃったのって、やっぱり尽の事が好きだ、って感情があったからだろし……尽が何を考えてるのか分かれば、尽の言い訳でも聞く耳が持てたかもしれないから。 すぅと息を吸い込んで、私、尽の弁明に耳を傾ける事にした。 「あのさ……ああいう時、相手が何も知らないって不安じゃない? だから、ねえちゃんを怖がらせないように言わなかったんだけど……俺も……まだ、だよ」 鈍い私でも……ちょっと遠まわしな、尽の言葉の意味は、わかる。 だって、それこそ、私が聞きたかった事だから。 素直な尽の告白に、私、ちょっと頬を染める。 そっか……尽もまだ、だったんだ。 なんか、ほっとしたっていうか……嬉しいっていうか。 「それに、男がさ、ああいう場でああいう事言うの……なんか、格好悪いだろ?」 尽もちょっと頬を染めて、私から視線を逸らせている。 なんか……私もだけど、二人揃って、初々しいったら。 私もあれだけの事で怒って、今まで意地張って……馬鹿みたいで、可笑しいな。 それで、思わず、ぷっと吹き出し笑いすると、尽が少しむくれた表情で私の様子を伺い見てきて……それから、くすくす笑い出した。 「なんつーかさ、ふたりで、色々試してけばいいんだよな、きっと」 「ん……。私、普段はやっぱり、そういう事考えらんないけど……でも……」 尽の顔をじっと見る。 私が好きになった人。 弟じゃなくて……恋人。 ただひとり、大好きな、人。 この人になら……何をされてもいいと思える。 この人となら、未知の事だって挑める気がする。 そりゃ、まだ、そういう事を考えるだけで怖いってうのは本音だけれど……。 「でも、尽なら、いいから……。尽がしてくれるのなら、きっと……」 言ってから、改めて自分がすごい事を言っている気がして……顔がかぁっと火照ってくる。 尽の顔を見られない。 「うん……」 俯く私に、とても弾んだ尽の声が届いて、そっと顔を上げると……すごく嬉しそうに微笑む尽と目が合った。 私までつられて微笑んじゃうくらいの笑顔。 「仲直り、かな?」 尽の言葉に、私は頷く。 「そっか……良かった」 尽の溜息。 疑う余地なんてないくらいの尽の好意を実感しちゃう。 「折角、ねえちゃんとする時の為に買っといたの、無駄にならなかったな」 意味ありげにくすっと笑う声が何を意味するのか分からず、尽の顔をじっと見ちゃっていると、尽は肩をすくめて見せた。 そして、ゆっくりと口を開いて、潜めた声で言う。 ……なんか、それって、まるで私の反応を予想して楽しんでるような態度で……でも、私はきっと尽の予想通りの反応を返しちゃったんだと思う。 だって……。 「コンドーム」 って……って……ダイレクトにそんなの、言わないでっ!! カーッと、極限まで赤くなっちゃったのが自分でもわかった。 言葉を知らないお子様じゃないけどっ、けどっ、その言葉を素で言ったり聞いたりできるほど、経験積んでないもんっ。 「尽ぃ!」 顔を真っ赤にして、震える声で叫んじゃうと、尽は本当に可笑しそうにお腹を抱え、涙まで浮かべてるし。 もぉ、もぉっ! 「ちゃんとする時までには、さ、もうちょっとそういう事に耐性つけといてな? じゃないと、直前でヤダって言っても止められそうもないから、俺」 くすくす尽は笑い出し、私に近寄ってきて、隣に座る。 そして、当然のように、唇を重ねてきた。 久しぶりのキスは、やっぱり、すごく心地よくて。 尽が好きだな、って思って胸が熱くなる。 「な、もし、するのに、何かきっかけが必要ならさ……俺の卒業式に、しない?」 はい? 「だって、もしさ、今日してもいい? って言ったらねえちゃん……うんって言ってくれる?」 はぃぃ? だって、だって!? そっ、そんなの……! 母さんもいるし! 「……って、ほら、すぐにそう逃げちゃう。母さんたちがいるのは、どうせいつもの事だから仕方ないのに」 うっ……それは、そうだけど……。 「だから、決める。俺の卒業式。はい、確定」 確定って! だって……! そんな事、勝手に……!! 「心の準備するには、丁度いい時間あるだろ? 俺としては、今すぐにだってやりたんだけどさ……それまで、我慢するから」 ううっ……。 そんな事言われちゃうと……。 「卒業式だからさ……俺だけじゃなくて、ふたりで、卒業しよう。姉弟って関係を。それから……」 尽はまた声を潜めて、私の耳元でちょっとからかうように言葉を続けた。 「ねえちゃんの処女と、俺の童貞も、な?」 ……………っ!! もぉ………!!!! 恥かしすぎて、涙の滲んだ眼で尽を睨みつけると、尽はにやにや笑いながら私を抱きしめてきた。 「ここじゃダメだっていうのなら、ホテル行ってもいいだろ。ほら、ねえちゃんはバイトで、俺は卒業式って事で、多少帰り遅いの大目に見てもらえそうだし?」 ホッ、ホテルって、ホテルって……やっぱり、その……。 「ファッションホテルってヤツ? ラブホとも言うけど」 うううっ……。 そういう事を、決めてまで……。 「したいに決まってるじゃん」 即答ね。断言ね。 わっ、分かったよぉ。 私も、腹をくくって、心構え用意しとく……多分……。 ごく消極的な私の返答だったけど……尽は、抱きしめた私の体を更に抱きしめて、ベットに押し倒してきた。 「まっ、まだしないんでしょう!?」 驚いて、慌ててそう言うと、尽は上から私の顔を見下ろして、甘く蕩けるように微笑んだ。 「まだしないよ。でも……予行演習しとかないと、な?」 予行演習!? って、必要なものなのぉ!? 反抗する間もないまま、キスされて、ゆっくり体を愛撫されて……。 本番さながらの予行演習に……イケナイと思いつつ、身体は勝手に流される私って、もしかして……尽以上にそういう事期待してたりして!? ……ううっ。 そっ、そんな事、ないもんっ。 ただ、私、人の体温大好きだから、こうしてくっついてるのが気持ちいいだけだもんっ。 意識まで流されそうになるから、そうやって自分を叱咤しちゃう。 つか……つか……尽、あんた、本気じゃない、もしかして?! 「ひゃっ!?」 唇が離された途端、悲鳴上げちゃった……。 だって……まずいってばぁ! 直に胸に手を入れないでっ! 「あ、や……尽、尽ぃ!」 私が、身をよじって、もがいて……やっと尽は私を抱きしめる力を緩めたけれど……。 「あ……まずい。マジでやっちゃうトコだった……」 本気度90パーセントくらい!? 慌てて起き上がった私は、胸元をかき寄せて、自分を抱きしめた。 きっ、気持ち悪くはなかった……んだけど……。 急には、やっぱり、まだダメー!! 涙目で尽を睨み上げちゃう。 もぉっ! 「まぁまぁ……とりあえず、何事もなかったから、いいじゃん。結果オーライ」 「何事かあったら、マズイでしょ! 下に母さんだっているのに、こんな所……」 って、私ががなりだした所、不意にプッっていう機械音がして……。 『尽。おやつあるわよ。食べにいらっしゃい』 電話の子機から母さんの声。 あっ、あぶなかった……。 「あぁ、分かった!」 『もしかして、おねえちゃんもいる?』 ばっ、ばれてる……? って、多分先に私の部屋の方に内線つなげたのかな……。 「あっ、うん。私も行くから」 『お茶が冷めないうちに降りて来なさいね』 その後、再び、子機は静かになった。 私たちは、見詰め合ってから、大きく溜息をついた。 「この内線、まずいよなー。親機の操作で勝手に繋がるんだかさ……」 でも、よかったねー。会話、聞かれていなくて。 あはは……。 冷や汗、でちゃった。 でも、きっとこれから……もっと、色々なこういう修羅場をくぐってかなきゃならないよね、私たち? 「でも、俺、ねえちゃんと一緒にいるためなら、それくらいの修羅場なんとかやり過ごしてみせるけどな」 私たちは、笑いあった。 「お雛様、早いうちにしまちゃうからね」 「どうして?」 階下で、おやつである雛あられを食べながらの母さんの言葉に、私は首をかしげた。 「だって、婚期逃すっていうじゃない、遅くまで出てると」 あぁ……母さんってば、またそんな事……。 ちょっと悪戯含みの母さんの言葉は、やっぱりどことなく尽に似てると思うの。 でも……ごめんね、って心の中で謝っちゃう。 だって、私、多分、婚期は来ない。尽といる限り。……尽とは、結婚できないから。 母さん、ごめんね。 でも……。 はす向かいにいる尽の方を、ちらりと伺い見る。 コーヒーカップに口をつけていた尽は、まるで私の視線に気付いたように視線を上げて、私達の眼差しがぶつかった。 カップから離れた口元に、かすかに苦笑が浮かぶ。 私は慌てて視線をそらせた。 多分……尽も、私と同じ事、考えてる。 母さんが立ち上がってキッチンに向かってしまうと、尽は、私をじっと見詰めてきて……低い声で言う。唇に笑み。 「雛人形、一年中出しておいてもいいよな?」 ……ばか……。 「ガキの頃さ、お袋からその迷信聞いた時、マジで俺、雛人形出しっぱなしにしといてやろうか、って考えてたよ。ねえちゃんがさ、誰かと結婚するくらいなら、って」 くすっと笑う尽に、私は複雑に苦笑する。 「結婚は、女の子の夢、だから」 「お袋の言う結婚は紙切れ一枚の事。俺達はその紙切れを届けられはしないけど……式くらいなら挙げられる。いつか、挙げようか? ふたりきりで」 ………………。 プロポーズ、みたい。 赤面しちゃう。 嬉しいんだけど……なんか、そんな事今言われても……まだ、先の事だもん。 「この雛人形のように、ふたりきりで、ふたりだけの世界を、いつか……」 柔らかく笑う尽の瞳は真剣で……私は、頬を染め上げて、頷くしかできなかった。 きっと、まだまだ先の事だろうけど、そんな事言われると、嬉しい……やっぱり、とっても。 皆に祝福された結婚はできないけれど……でも、尽とずっと一緒にいる事は、私にとって幸せな未来。 「まぁ、とりあえずは……さっさと婚前交渉をしないとな」 ………結局、アナタはソレですか……? 「だってさー、何にしろ、手付は必要だろ? 俺達の場合、紙切れの誓約がないから、ソレを誓約にしてー……」 ばか……。 「何にしろ、卒業式、楽しみだなー!」 くっくっくっと笑う尽を、私は睨みつけた。 勿論、私の睨みつけなんて、尽に効き目があるわけがない。 「ばかっ!」 怒鳴り声も効き目はない。 でも、母さんがリビングに戻ってきて、私達の様子を見て目を丸くした。 「いい年して姉弟喧嘩はやめなさいよ?」 「はぁ〜い」 返事をした尽は、くすっと笑って、私にだけわかるようにウィンクした。 まったく……もう! 穏やかな陽射しに包まれた春の初めの午後、お雛様もお内裏様も、優しく心地よく、微笑んでいた。 おわり |
<言い訳とか>
お約束の雛祭り話。
仲直りしました……というより、ねえちゃんの誤解が解けました。
でもって、卒業式の日に確定したようです(笑)。
次回、尽の卒業式のお話!