★骸骨騎士様SS

骸骨騎士様、異世界のそれから
【4】

<感情の行方>

 アークの転移魔法発動により突然視界が切り替わると、そこはとてもよく見知った場所だった。
 しかし、その場所は・・・。

「きゃっ!?」

 お湯の中だった。
 解呪の泉、温泉の真ん中に到着していた。
 アークは今朝もこの温泉に入っていた。その記憶のままに飛んだのだろう。
 しかし、転移魔法を発動させた当のアークは、鎧姿のまま溺れかかっていた。

「ちょ、アーク!?」

 アリアンが慌てて抱き起そうとするが、鎧はかなり重い。
 頭の部分だけをお湯から上げて、咳き込む彼の顔を横向かせて呑み込んだお湯を吐かせたが・・・意識を失っていた。

「息は、あるわね・・・」

「きゅん、きゅん?」

 転移魔法で此処に着いた瞬間に、ポンタは自分の風魔法で温泉の岩場に飛び移っていた。

「一体、何なの・・・」

 アリアンは眉を寄せて呟く。
 自分も感情を乱してしまったが、アークの方も様子がおかしくなったのはなぜだろう・・・。
 というか、感情に走って、己がした行動を振り返って、アリアンは頭を抱えた。
 恥ずかしさに絶叫したい所だが、さすがにそれはやめておく。

 それよりも、アークだ。
 彼がなぜこの状況になったのか考えたい所だけれど、その前にお湯の中に鎧ごと使っているこの状態を何とかせねば。

 お湯の中の浮力を利用して、アークを湯船の端まで運び、そこから引き上げようとするが・・・鎧と肉体の重さで、力の強いダークエルフの彼女でさえ、お湯から上げるのは難しい。

「鎧を先に脱がせないと」

 鎧の着脱方法は、何となくは知っている。
 胴部分については、何度かアークが着脱しているのを見ている。
 肩当てから外して、胸の部分、腕の部分、手の部分。
 どうにか外すことはできた。アークは普段軽々動いているが、この鎧、結構重い。
 上半身の鎧を外して大分軽くなった体を、どうにか湯船から引っ張り上げる事ができた。
 気を失った状態の彼をどこかに寝かせるなら、下半身のそれらも脱がせた方がいいだろうと、四苦八苦しながら外していく、が。

 通常、こういうフルアーマーの下には何かしら肌着を着ているはずである、が、アークの場合素肌に鎧であるのは、骨の姿が彼の平常だからだろう。
 しかし、現在、彼は肉の身を取り戻している。
 ・・・という事は。

「・・・ふぁっ!?」 

 かつて、初めて泉に入って気を失った時に、裸の彼を担ぎ上げて運んだ。その時にも目にしている、が。

「いやっ、なにっ!?」

 女性にはないその器官の状態に、アリアンは顔を赤くした。

「・・・いえ、落ち着いて、そう、落ち着いて・・・」

 自分に暗示をかけるように呟いて、アークの脚からブーツを取り去り、彼の鎧をすべて外し終えた。
 金属製の鎧は塗れたままではよろしくないだろうから、濡れない場所に運び置いておく。
 アーク本体については・・・

「どうしよう・・・」

 途方に暮れてしまう。
 裸のまま温泉の石床に横たえている。
 以前のように、自分が担いで家屋の中に運んでいくべきなのだろうけれど・・・。今はあの時と違い、家の中には布団もあるし、衣服もあるはずだろうけれど・・・。
 この状態のアークを担ぐのには、抵抗がある。

「きゅん?」

 足元に寄って来たポンタが、戸惑うアリアンを見上げて不思議そうに鳴いて、はっとする。

「そ、そうね、まずは、タオルとかそういうのを持ってきて、掛けてあげないと」

 アーク自身も頻繁に利用するが、アリアンもよく利用しているこの温泉の脱衣室にはバスタオルが置かれている事に思い当たり、それを持ってきてアークの体の上に掛ける、が・・・。

「っ! ・・・ど、どうしよう・・・」

 タオルを掛けたところで、その部分は余計強調された気がして、顔を真っ赤にして視線を逸らせて、ひとり、身もだえてしまう。
 そう、温泉場には、アリアンひとりしかいない・・・はずだったのに。

 笑い声が聞こえて来た。
 低い男性の声には・・・聞き覚えがある。
 声のする方に目を向ければ、温泉の湯気の奥に大きな影が見えた。

「きゅん、きゅん!」

 ポンタが嬉しそうに鳴いて、その影に向けて滑空していった。
 この温泉を頻繁に利用する大きな影を作れる男性、あるいは男性的存在に、アリアンは心当たりがあり、驚くと同時に少しばかりほっとした。
 その人物(?)ならば、アークのこの状態を相談できるであろうから。

「ウィリアースフィム様、いらっしゃったのですね!」

「のんびり沐浴している所に、慌ただしい者どもよ。そして、また何か厄介事か?」

 影が徐々に近づいてくると、龍人、とでも表すべき体長4メートルほどの人型の存在の輪郭がはっきりしてきた。
 龍王ウィリアースフィムである。
 その頭には、ポンタが乗っている。この社の家で過ごすようになってから、ポンタはウィリアースフィムとも交友を深めているらしい。

 ウィリアースフィムは湯船から出る事なく、近い場所の湯船に浸かり直し、可笑しそうな顔でこちらを見てくる。
 ヒルク教国の戦時のアークの活躍により、やや自信を喪失しかかっていた龍王のウィリアースフィムであるが、その後、長命な彼の知恵を借りたいと、アークが幾度となく頼るうちに自信は取り戻したようだ。今は時折、アークと手合わせをするような関係に落ち着いているらしい。
 そう、龍王である彼の知見はとても頼りになるのだ。

「アークが、意識を失ってしまったんです! 以前、初めてここに浸かった時のように。ウィリアースフィム様なら、この状態、何かお分かりになりませんか!?」

「ふむ・・・」

 しばらく、ウィリアースフィムは目を眇めてアークの体を見回して、龍顔の口元を歪めた。・・・多分、笑った表情なのだろうか。

「其奴がこうなるに至った状況を説明してくれぬか?」

 こうなるに至った状況・・・それをすべて話すのは、さすがに気恥しすぎる。
 少し躊躇った後、やや状況を端折って説明をした。
 人族の城の茶会に出席し、ちょっとした事で自分と揉めて、その際に様子がおかしくなって、意識を失いそうになる直前に彼自身がここに転移魔法で飛んできた、と。
 アリアンの、少しばかり気まずそうな様子での説明を、ウィリアースフィムは静かに聞いていた後、しばらく考え込んでから口を開いた。

「恐らく、最初に泉に入った時に近い状態だろうな」

「えっ・・・!? 何故です!? だって、あれからアークは頻繁にこの温泉に入ったり、お湯を飲んだりしているわ。こまめに肉体を戻しておけば、問題がなかったのでは!?」

「確かに、定期的にこの泉に入る事で、感情の負荷はかかってはいなかった。しかし、おそらく、だ・・・それらの感情以外に、其奴自身が抑え込んでいた別の、何か特定の感情があったのだろう。最初に泉に入った時でさえ、その感情は抑えられていた。その感情だけが肉体に戻らずにいた所、何らかの要因・・・話を聞くに、恐らくお主との揉め事がきっかけとなり、それらの感情が一度に肉体に流れ込んだ、という所だな」

「アーク自身が抑え込んでいた、感情・・・? 私との揉め事がきっかけ・・・?」

 アリアンは、城での状況を思い出し、顔を赤くしてから首を傾げた。
 ウィリアースフィムの言葉が正しいとして、アークが抑え込んでいた感情とは一体何なのだろう。
 考え込みそうになり、はっとして、目の前の状況を思い出す。

「あ、あの、じゃあ、アークはまた何日かは気を失ったままという事でしょうか?」

 それならば、何とかして部屋に移さねばならない・・・とても、複雑だが。

「分からぬ。今回、流入した感情がどの程度の物かは分からんからな。もっとも、前回以上・・・という事はないとは思うが」

 それならば、やはり、アークをどうにか担いで移動させなければ。
 アリアンは、一度アークの方を見てから、顔を真っ赤にして頭をぶんぶん振ってしまう。

 それにしても、アークが自分自身で抑え込んでいた感情・・・あの時の自分の言動がきっかになって呼び起こされたというそれ。
 それは・・・。

「それは、一体どんな感情なのでしょう・・・?」

 ウィアースフィムに問いかけたところで、明確な答えは得られないと思った。だから、呟くように、そう口にした。
 なのに、ウィリアースフィムは可笑しそうに喉を鳴らして笑う。答えに思い当たりがあるように。

「まあ、その体の状態を見たら想像はつくがな」

 体の、状態。
 先ほどからアリアンが見ないように、考えないようにしていた部分だ。

「儂らとて、そういう感情自体は理解できる。ただ、肉体的な欲求については、儂らには関係がない故、理解が及び辛いのだが・・・肉体で子孫を成すお主らには、必要な欲求であろう?」

 何か、少しだけ揶揄するようにこちらに言葉を向けてくる。
 ウィリアースフィムの言わんとしている事が何となく理解できてしまい、アリアンは顏に熱が籠ってくるのを感じてしまう。

「其奴の状況の確認の為にお主に問うが、其奴がここで肉の身を取り戻して以降、お主と交尾はしていたのか?」

「へぁっ!?」

 直接的すぎる。
 龍王にとっては、子孫を残すための行為は動物の間では当然のそれで、恥ずべき事ではないのだろう、が。
 アリアンは頭に血が上り、否定の言葉さえ出ずに口をぱくぱくさせてしまう。

「ふむ・・・肉のある生物には当然の欲求であるはずなのだが」

 その反応でウィリアースフィムは納得したようで、少しだけ喉を鳴らして嗤うと、言葉を続けた。

「では、其奴がいずこかの女と交尾・・・人族やエルフ族で言う所の情交を結んでいたかは知っておるか?」

 頭に登った血が、グルグル回る。
 アークが、余所の女と、交尾・・・。
 頻繁に彼と行動を共にしてはいたが、四六時中一緒にいたわけではない。しかし、彼からそういう意味で女の気配を感じた事はない。多少女性の匂いをさせている時はあったが、それは大概人助けや知人の類の女性にすぎず。

「そっ、そんな事、してないと思いますっ」

 声が裏返ってしまう。
 ウィリアースフィムはアリアンの反応を可笑しそうに見ている。

「儂は、お主が其奴の番(ツガイ)かと思っておったのだが、その反応ではまだ何もないらしいな。では、原因は、やはり其処だな」

 頭に登った血をどうにか落ち着かせようと、深呼吸しながらウィリアースフィムを見上げる。
 番、とか、まだ、とかいう言葉にひっかかりは覚えるが、龍王の感覚はエルフのそれとは違うのだろうと、思考の隅に流す。

「人族にもエルフ族にも、多少の認識と程度の違いはあるだろうが、生きていくための欲求、というものはある。食欲や睡眠欲などがそうだろう。そして、他にも幾つか必要なものもある。そのひとつが子孫を残す欲求、性欲だろうな。エルフ族は人族のそれよりは合理的に起こるらしいが、其奴はエルフ族としては少々異端ゆえ、どういう起こり方をするかは其奴自身に確認せんと分からんが。その生物として本来必要な欲求が、この世界に流れ着いて以来、何らかの理由で抑えられていたのであろうな」

 つまり、アークが今まで抑え込んでいた感情が性欲の類で、今回はその感情が肉体に流れ込んだのだ、と・・・そういう事だろうか。

「せ、性欲・・・」

 呟いて、回らない思考をどうにか回そうとする。
 自分がきっかけ、なのは間違いない。
 と、すると、先ほどのあれこれで、アークの性欲を目覚めさせてしまった、と。
 キスが、いけなかったのだろうか。告白がいけなかったのだろうか。それら全部だろうか。

「今回の其奴のこの状態の原因、心当たりがあるようだな」

 己の考えに没頭して、顔色を様々に変えるアリアンを見て、可笑しそうな声でウィリアースフィムは声をかけてくる。

「お主が其奴のその感情を、欲求を呼び覚ました。・・・のであれば、お主が責任を取ってやるといい」

 この龍王はなぜにそんなに楽しそうなのだろう。
アリアンは、考える必要があるのに、どうしてものぼせて、火照ってしまい、考えられない思考をどうにか落ち着かせようと必死になっていたため、その口調に正直ちょっとイラッとした。

「責任って、何を・・・!」

「お主の其奴に向ける感情は分かり易い。それに、其奴がお主に向ける感情も似たようなものだと感じたがな。だから、儂はお主らが番だと思っていたのだ。であるからには、お主が責任を取る事は何も問題はないのではないか? 其奴もお主のせいでこの状態になったというのであれば、そういう事なのであろう? もっとも、其奴が何故感情と欲求を抑えていたのかは、お主が確認すべきことだろうが」

「・・・っ!!」

 そういう事、かは・・・分からない。
 アークがどう思っているか、まだ、分からない。
 けれど、龍王がそう言うのであれば、そうなのだろうか。 

「せ、責任、なんて・・・」

 どうとったらいいか、分からない。
 まだ、彼は目を覚まさない。

「其奴が目覚めるのに、以前ほど時間はかかるまい。目覚めた時に、其奴が今まで抑え込んで、溜め込まれていたであろう感情と欲求を納める手伝いをしてやれば良い」

 意味が分からない。
 戸惑うアリアンに、ウィリアースフィムは意味ありげに笑いながら風呂から上がり、頭上のポンタを指先で突いてその場所から退けると、己の全身を震わせた。

「・・・おぼこ娘には分からんか。まあ、其奴が目覚めたら、納得いくまで話し合うと良い」

 言葉の間に、彼の体の輪郭がぶれ、徐々に拡大していき・・・巨大な竜身へと変わって行った。

「儂は本日からしばらく、フェルフィヴィスロッテ様の元で特訓してくるので、気兼ねする事なくふたりで話し合うと良いぞ。此処に住むエルフ族が増える事に否やはないが、報告だけは頼む」

 やけに機嫌がよく、多弁だったのはそれが理由か。憧れている龍王(女性)との特訓は彼にとっては何より楽しいものなのだろう・・・内容がいかに過酷なものであっても。
 相談に乗ってもらえたのはありがたかったが・・・何か、いらない情報もいろいろ投下されてしまい、アリアンは微妙な表情をしてしまう。

「ではな」

 4枚の翼を一度軽く羽ばたかせると、ウィリアースフィムの竜身は頭上高く飛び立っていた。羽ばたきによって温泉周囲の湯気が一気に吹き飛んだものの、風による衝撃はさしてなかった。
 岩場の上でウィリアースフィムが飛び立つのを嬉しそうに見送っていたポンタは、自分も精霊魔法で滑空すると、そのまま温泉の外に飛び立って行ってしまう。

 そして、目覚めないままの全裸のアークとふたり取り残され、アリアンは途方に暮れた。





<茶会の後>

 お茶会は唐突に幕を閉ざした。

「急用、ですか・・・」

 慌ただしく去っていった2人のエルフ族の背が視界から消えて、最初に言葉を発したのはユリアーナだった。

「・・・姫様の茶会を唐突に退出とは、無礼ではありませんか?」

 背後に控えていた侍女フェルナが棘のある口調で耳打ちするのに、王女は小首を傾げた。

「彼らは私の部下でも領民でもないわ。人族の身分なんてエルフ族の彼らには関係のない事よ」

 静かな声でそう言い、ため息をつく。

「ああ、でも・・・惜しかったわ、もう一押しだったのに。申し訳ありません、ローレン様」

「・・・い、いえ。残念ですが・・・仕方ありません」

 眉尻を落としたローレンの表情は、泣き出しそうにも見える。
 けれど、簡単に手折られそうな花のように可憐な見た目とは違い、芯の強い彼女は王女に微笑みかけた。

「きっと、私が無粋だったのです。多分、あの方は・・・」

 白銀の騎士アークの従者という名目でやってきた、美しいエルフの女性。最後に見た彼女の眼差しに込められていた感情を、ローレンは察していた。

「あの女性が、恋人だったのかもしれませんね。アーク様はお優しいから、私への断りの言葉を熟慮されていたのでしょう」

 彼を連れ出そうとしていた際のエルフ女性の金の瞳には、焦りと悲哀が含まれていた。
 そして、アークはローレンの言葉にひどく戸惑っているようだった。
 彼を困らせただけだった、と、ローレンは少し寂しい気持ちになった。
 本当はもっと色々と話をしたかった。彼と結ばれる事が叶わなくても、もう少しだけ彼の傍にいたかった。

 貴族の娘として生まれたからには、恋愛も結婚も自由にはいかない。幼いころから理解していたそれが、腑に落ちる結果になっただけだ。
 失恋・・・と、呼べるほどのものではない。
 ただ、憧れが憧れにすぎないと実感しただけだ。

「・・・ね、ローレン様。折角だから、このままここで女同士のお茶会を続けませんか?」

「う、うむ。折角美味しい菓子と茶を用意してもらったのじゃ。もうしばらくここで話をしていこう」

 ローレンの心の内を察したユリアーナが殊更明るい声音で言い、場の空気に戸惑っていたリィルがそれに便乗した。

 そして、少女たちのお茶会は続いた。

 彼女たちは自由に恋愛も結婚もできない身分。
 けれど、恋に憧れるのは平民の少女たちと同じ。
 恋バナも含めた彼女たちの会話は、しばらく和やかに続いた。

* * * * *

「なるほど。かの令嬢との婚姻話は簡単に流れたか。・・・優秀なエルフの子種が手元にあってもいいと思ったのだがな。それは残念だ」

 間者からの報告を聞き、男は低く笑った。
 本気が半分の言葉ではあったが、そもそも、そう上手く行くとは考えていなかった。
 あのエルフの男の力を欲するなら、彼が城にやってきた際に、媚薬でも盛って手近な女に子種を授けさせるという手もあるが・・・用心深そうな男が簡単にその手に乗るとも思えない。
 子を孕み育てる女と違い、男はただ女に種を与えるだけのものなのだから、気軽に女に手をつけてくれれば良いだけの話なのだが。
 人族の男であれば、酒と美しい女を差し出せば簡単に篭絡できる。

「エルフの貞操観念は、人とはまた違うのかもしれんしなぁ」

 もっとも、彼の男の恋人だとみなされるダークエルフ族の女性は、人族から見ても絶世の美女の部類ではあったが、それでも、男なら誰しも他の女への浮気心は持つものだ。さながら、日常からかけ離れた旅先の地に夢を見るように。

「またの機会を狙うか」

 それを本気で狙うかどうかは別として、今回の話は男にとっては娯楽のように面白い出来事だった。

「だが、しかし、だ、今後ともエルフ族との良好な関係を続けていくというのであれば、あの娘を傍に置くのも良いかもしれんな。少なくとも、あの男の心に彼女は残っている」

 ヒルク教国との戦があって以降、この国の周辺諸国に対する脅威の認識に変化があった。
 北の2大国が脅威であるのは変わらないが、それ以上に、エルフ族に対する脅威度が上がったのだ。
 北の大国いずれかと敵対するよりも、エルフ族と敵対する方がより危険であると。
 何しろ、エルフ族の国を守護する龍王はたった一体で一国を滅ぼし得る力を有し、さらにただ一人のエルフ族の男がそれと同等の力を持っているのであるから。

 ただ、その男は驚異の力を持つくせに、妙にお人よしであるようで、自分を慕う人族の女を無下にできるような性質ではないと見ている。
 万が一のエルフ族との有事の際に、一番の脅威となり得るあの男との交渉の窓口が王族に在れば何かと有用だろう。

「もっとも、僕自身もあの娘は好ましくはあるが」

 王族の結婚に必要であるのは、打算、だ。相手がいかに有用であるかで、そこに愛や情は必要ない。
 しかし、そこに愛や情も伴なえば事はもっと丸く収まる。

「・・・さて、そろそろ身を固める決意でもするか」

 男は・・・ローデン王国第一王子、セクト・ロンダル・カルロン・ローデン・サディエは薄く笑うのだった。

つづく