時が二人を別つまで

(シオン×ディアーナ)


「今、なんと言った?」

 自分の耳が信じられない、というように、皇太子セイリオスは表情をゆがめた。

「だ〜か〜ら、お前の妹を、俺にくれって……」

 魔法研究院時代からの悪友にして、自分の秘密を知る数少ない人間のひとりの言葉に、皇太子は驚愕を隠せなかった。

 もっとも、この悪友が、かなりたちの悪い冗談好きであることを理解していたから、すぐに、強張った表情を失笑に崩したが……。

「まぁた、お前は、何を言い出すかと思えば。なんだ? また、ディアーナをからかって遊ぶつもりか?」

 対して、先ほどの発言者である藍色の髪の青年、筆頭宮廷魔導士である青年シオン=カイナスは、相変わらず唇に喰えない不敵な笑みをのせたまま、にっこりと笑った。

「いんや、マジだぜ、俺は」

「……そうか、なるほどな。女にふられて、自棄になっているわけだ。それとも、熱でもあるのか」

「確かに、熱は出てるかもなぁ……お前の妹のおかげで」

「よほど、たちがわるんだな」

「ああ、最悪だぜ」

「しばらく、頭を冷やせばどうだ? 休暇をやるぞ?」

「お言葉はありがたいんだが、今はそれどころじゃなくってな」

 会話を進めるうちに、互いに真剣な表情に変わっていくのは……セイリオスも事の真意が読めてきたからだ。

 軽い口調ではあるが、この長年の悪友が話す内容に嘘偽り・あるいはからかいがないのを確信した。

「そうか……ならば、私のほうから、2、3ヶ月ばかり休暇をやろう。なぁに、これまでよく使えてくれた有給さ。どこぞの女性とでも楽しんでくればどうだ」

 言葉には、遠まわしではあるがはっきりとした、自宅謹慎の意味が含まれていた。

「それどころじゃない、と、俺は言ったんだけどな? 生憎、『どこぞの女性』にも、今は興味がないことだし」

『女性に興味がない』などと、シオンらしからぬ言葉だ。

 セイリオスは、一瞬真剣に怪訝さを表情に表したあと、唇に冷笑をのせて、わざとらしく大仰に言った。

「………まさか、おまえ……男に興味があるのか?」

 シオンの言葉の真意が分かってのはぐらかしである。

「……あほか……」

 シオンは、普段のこの皇太子らしからぬ、ばかげたジョークに、深く息をついた。

 自分の言っていることを、鵜呑みにしたくないセイリオスの気持ちは、彼の抱える事情や、今の国家レベルの問題、あるいは、彼自身の気持ちからすれば、痛いほどよくわかる。なにしろ、彼は皇太子が気を許している数少ない人間なのだから。

 が、自分がそう決めたのだ。今のこの強い意志は、悪友にして主である皇太子であっても、絶対に曲げられたくない。

 シオンの価値基準は、常にこの皇太子と自分にあった。

 が、今は、それ以上に大事な基準ができてしまった。

 以前の彼なら考えられないほど、ばかばかしく甘い基準、それは――彼女と自分の幸せ、である。

 もし、テコでも皇太子が了承しないくらいなら、いくらでも自分の意志を貫いた行動を敢行するくらいの心構えはある。

「はっきりいうが、俺のこの決意は、曲げられないぜ? おまえだって、分かっているだろう?」

 そう、この付き合いの長さによって、セイリオスにはシオンが伊達や酔狂をここまでしつこく言い募る人間ではないことを理解している……悔しいことに。

「お前は……何を言っているんだ? 今がどういう状況か、理解しているのか?」

 今更、冗談や言い逃れでこの男をごまかしきれないと悟った皇太子は、憤りを隠し切れない声調で言う。

「理解してるからこそ、言ってるんだろ? 手遅れにならんように」

「あいつは、これからのこの国の未来を左右するかもしれないんだぞ?」

「この国の手駒としてか?」

 間髪入れないシオンの突っ込みに、セイリオスはぐっと息を呑んで黙り込んだ。

「大切な妹を、おまえは、国のためのスケープゴートにするというのか? あれの感情も無視して? チェスの駒のように?」

 もっともな、言葉だ。

 その言葉は、セイリオスの痛いところを突いた。

「……それでも……」

 セイリオスは黙り込み、短く息を吸って言葉を吐き出した。

「たとえ、あいつが大事な妹でも、私は、国の為になることを優先させねばならない……」

 国のためならば、身内でさえ切り捨てなければならない。

 帝王学の基本であらなければならない決断。

 自分の感情を押さえつけて口にした、その言葉は……ひどい苦渋に満ちていた。

「ご立派だな、セイル」

 長い間、皇太子と共にあったシオン。

 その言葉を吐き出すのに、セイリオスがどれほど苦しい思いを味わっているのか、よく分かる。少し前の自分であれば、、きっと、もっと、辛辣なことさえも口にできただろう。

 だが……今は状況が違う。

 彼女を絶対に手に入れる。 

 一度、そう思った自分の意志は、決して曲げられない。

 国や、家族や……この悪友を裏切ったとしても。

 しばらくの沈黙の後、皇太子が短く言った。

「すまない……少し、考えさせてくれ……」

 体中の力を手放して、崩れこむようにいすに座り込む皇太子を横目に、シオンは執務室を出る。

 その時、背後から掛かる声は。

「あいつも、本気なのか?」

「……じゃなきゃ、わざわざここまでしやしないさ……」

 沈黙が続き、シオンはその場を後にした。



「ふーっ……やれやれ……」

 自分の執務室に入る前、思い切りため息をつく。

 セイリオスの気持ちもわかるが、それ以上に、彼は自分の意志が大事なのだ。

 で、執務室に入ると……。

「シオン!! お兄様、なんておっしゃってましたの!?」

 彼の恋人、ディアーナが詰め寄ってきた。

 そう、彼の、恋人。おそらく、生涯最初で最後の、愛しい女性……には、まだ遠いが、これからそうなっていくであろう少女。

「あ〜そうだなぁ……ま、なんとかななるでしょ?」

 子供をあやすように、ディアーナの頭をぽんぽんと軽くたたいて、シオンはいつもの彼らしい顔――つまりは、人を喰ったような表情で笑った。

「むぅうう?」

 じぃっとシオンの顔を覗き込むと、シオンは「ん?」とばかりにディアーナを見下ろす。

「やっぱり、許してはもらえませんでしたのね?」

「ま、そりゃそうだろぅなぁ」

 表情を変えずに言うシオンを、どう判断したのか、ディアーナは、すうっと息を吸い込むと、部屋の外へ飛び出して行こうと、した……が、あっさり、シオンに抱きとめられる。

「姫さん、ちょっと待ちなって」

 軽々と、ディアーナの腰を持って、まるで子猫を抱き上げるように腕に抱いて、シオンは彼女を椅子に座らせた。

「わたくしが、お兄様に直接言ってまいりますわ!」

 駄々をこねる子供のように、再び立ち上がろうとする彼女を、背後から羽交い絞めにして、シオンは笑う。

「まぁまぁ。落ち着きなって、姫さん。今、特性ブレンドの紅茶を入れてやるから、ちょっと待ってな」

 シオンにしてみれば、ディアーナは十歳以上も年下で……お子様でしかないのだけれど……それでも、愛しいという想いは偽りではない。

 ちゅっと、額にキスされて、真っ赤になったディアーナは、しばらくその場を微動だにできなかった。

 ――やれやれ、初心なことだ……だが……きっと、そこに参っちまったんだよな、俺は。掌中の玉、必ず手に入れるぜ、すまんな、セイル。

 真っ赤になった顔のまま、ぎこちなくお天気の話などするディアーナを見て、今までに女性に対して感じたことのない、心にほんわりした柔らかな想いが湧き上がってくるのを不思議な思いで実感せずにはいられないシオンだった。



 それから、数日後だった。

 会っても、ろくに挨拶もしてくれなかった皇太子がシオンを自分の執務室に呼び出したのは。

 あまりにそっけない態度のセイリオスに、こりゃもうだめなかな、と、半ばあきらめていたシオンは、その呼び出しに少しばかり気色ばんだ。

 凶と出るか吉と出るか……。

 ――まあ、どっちが出たところで、俺は姫さんをあきらめるつもりはないんだけどな。

 セイリオス以外秘書官・文官でさえだれひとりいない執務室。

 窓辺にもたれていた彼は、シオンのノックもない来室に、怒る事さえせず、彼をまっすぐに見つめた。

「よぅ。話ってのはなんだい?」

 分かっているくせに、そういう事を言う男なのだ。

 セイリオスは、自分の目前の椅子をシオンに勧めると、眼差しを伏せ、軽く息を吐く。

 なにがしかの決意を固めた男の表情だった。

 顔を上げ、淡い紫の瞳でシオンを見ると、唐突に疑問を投げかける。

「おまえは、あいつを幸せにできる自信があるか?」

 その疑問に、何ら躊躇いを見せることなく、シオンは自信満々にニヤリと笑う。

「自信は……ない」

「……!」

 断言された言葉に、皇太子は表情を強張らせるが……。

「だがな、幸せにしようとする努力ならするぜ。惚れた弱みだからな」

「ふっ……らしくないな」

「だろ? 自分でもそう思っていけねーや。おまえの妹は、どんな魔術師よりもよっぽど性質が悪いぜ。この俺の心を、こうもあっさりと屈服させたんだからな。とびきり高度な恋の魔法でも使うんじゃないか?」

 自分のらしくない乙女チックな言葉を揶揄するように、くくっとシオンが笑うと、セイリオスも低く笑う。

「……私は……あいつを幸せにしてやりたい。これが、昔からの願いだ。そう、かなうなら、あいつの望むままの幸せを与えてやりたいと思ってきた……。なぁ、シオン?」

「なんだ?」

「私から、我がままを言ってもよいかな?」

「一度だけだぜ」

「何があっても、あいつを幸せにしてやって欲しい」

「……言われるまでもないことだな」

「私から、できる限りのことはしよう。だから、あいつをあきらめないでやって欲しい」

 睨むような真剣さでシオンを見つめるセイリオスに、シオンは思い切り笑って見せた。

「……ば〜か。俺が、一度執着したものを、諦めると思うか? 俺はそんなに潔い男じゃない。周りがなんと言おうと関係ない。欲しいものは頂く」

 力強い親友の言葉に、セイリオスは微笑んだ。

「なのに、私にわざわざ許可をとりにくるお前は、律儀だと思うが?」

「許可なんかじゃねーの。報告だよ、報告。おまえにだけは言っておかなきゃ、ブラコンのあいつが、納得しねーからな。後でうだうだ言われたくはないぜ」

「やれやれ……もし、ここで私が認めなかったら、どうするつもりだったんだ?」

「んなの、言われなくても分かってんだろ? 長い付き合いじゃねーか」

「……ああ、そうだな……まったく……怖い男だ、お前は」

「その誉め言葉、覚えとくぜ」

「誉めているわけではないのだがな……」

「いいや、これから、誉めたくなるのさ。前途多難、だからな」

「おまえのことだ、意に介しやしないだろう?」

「俺だけならな」

「そうだな……あいつを守ってやってくれよ?」

「言われるまでもないって、お兄様」

「……」

 ふたりの話は、秘密裏に終結した。

 その後……宮廷内にディアーナ姫と筆頭宮廷魔導士シオン=カイナスとの婚約の噂が広がり、各所に波紋を呼んだが……皇太子がその事実を認めたこと、カイナス家が王家に次ぐ(ローゼンベルグ家と双璧をなす)筆頭貴族であったこと、なにより、姫とシオンの意外なほどの熱愛ぶりを見た周りの多くの者たちが、ふたりを祝福した事などによって……ふたりは、結ばれえることとなった。

  元老院などでは、王家に最後に残った姫が外国に嫁ぐことなく国内の貴族に降嫁する事に対して、もちろん、反対意見も多かったが――その多くが、政治的手段に姫を利用することを目論む愛国主義者、あるいは、姫とシオンが結婚することで、カイナス家と王家の癒着が進行するのを苦慮した有力貴族たちであった――シオンがすでにカイナス家を勘当された身であったこと、皇太子セイリオスが、自分の在位中のクラインの絶対的平和を強く約束することで、その者達もほとんど押し黙った。

 もっとも、それだけで納得しない輩の方が多かったのも事実だが……そんな事にいちいち気をとられるほど、カインは小心ではない。「来るなら来て見やがれ!」ぐらいの態度で、それらの輩を振り払って見せた。実際、何度も刺客に狙われかけたが、一度たりとも、彼に糸一筋ほどの傷を残すこともできず、逆に惨敗して殺されるか牢の中で生涯を送ることになったようだ。もちろん、それらを差し向けた者たちへの報復も忘れるほど、うっかり者ではないのがシオンである。

 当然、ディアーナはそれらの事をほとんど知らない。

 いつも、無邪気な微笑を見せ付けてくれる。

 それこそが、シオンの原動力となったわけだ。



 そして――

 冬を越え、春が巡る。

 成人を迎えたディアーナは、シオンの花嫁になる。

「浮気は許しませんわよ!」

「そうだな……おまえがお兄様離れをするなら、考えてやる」

「まあ、ひどいですわっ! わたくし、そこまでブラコンではありませんものっ!」

「……どうかなぁ……」

  ウエディングドレス姿を、夫となるシオンに見せるよりも、真っ先に兄に見せに行ったディアーナに一抹の不安を覚えつつ、彼は笑った。

 ――絶対に、俺が守りぬくさ……。

 あの時、約束した言葉をかみ締めて、シオンは愛しい少女を見つめた。

 さぁて、後は………今晩、かな?

 いささか、その場には不謹慎なことを考えてひとり笑ったものの……その後、どんな厄介が待ちうけているか……今の彼には知る由もなかった……。

 それは、また、別のお話。

 そうして、無邪気一徹の若奥様ディアーナに振り回されるシオンの日々が、今幕を開けた。

〜END〜


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