遠ざかりし岸辺

(セイリオス×ディアーナ)


 あれから……そう、すべてを捨てる決意をした日から、3日が過ぎていた。

 今、すべてを捨てたふたりは、船上から、次第に遠のく岸辺を……生まれ育った大陸を、見つめて身を寄せ合っていた。

「さようなら、ですわ……」

 腕の中で小さくつぶやく恋人に、彼は、苦笑を浮かべるしかなかった。

 自分はともかく、彼女にもすべてを捨てる決意をさせてしまった自分に歯がゆさを感じると同時に……そんな自分についてきてくれた彼女を、ますます愛しく思った。

 少女は身じろぎして、手を組み合わせると、ゆっくりとまぶたを閉じる。

 これからの生涯、二度と会うことはかなわないであろう友人たちや……自分をはぐくんだすべてのものに、少女は、別れを告げているのだろう。

 初冬の切なさを感じさせる淡い色彩の空に、海鳥が1羽、2羽と羽ばたいて、航路へと向けて掠れた声を上げた。

 十一月の冷たくなった海風が、二人の髪をなぶる。

「寒く、ありません?」

 切り捨ててきたあまりに大きな数々の物を思って、岸を見つめていた彼に、腕の中の少女がふいに問い掛けてきた。

「ああ。私は大丈夫だよ」

 スミレ色の瞳が、真摯にじっと見上げてくる。

 彼女が、何より大切だから……後悔なんてない。

 自分の人生最大の決意に、間違いなんてあるはずがなかった。

 彼は、そうしていつも、最良の方法を選んできたのだから……。

「もう……いいんですの?」

 遠慮がちに尋ねる少女を見て、愛しさが湧き上がる。

 彼女は、もう、自分のものなのだ。

 改めてそう実感すると、彼は足元から上ってくる歓喜の震えを彼女を抱く腕に力を入れることで押しとどめた。

 彼女と再会して以来、暴走しそうになる自分の想いを戒め続けていた重い鎖は、今は、もう、ない。

 あるのは、彼女と自分の確かな繋がり。

 互いに伝わる体温が、ふたりの想いを優しく繋げる。

「おまえこそ、もういいのか?」

「……ええ……大丈夫ですわ……」

 押し黙り、互いに胸に抱えるさまざまな想いを整理するために、しばらく、ふたりして遠ざかる陸地を見つめていた。

「……かしら?」

 ぽそりとつぶやく細い少女の声は、海風に掻き消えた。

「なんだい?」

「……メイたちは、大丈夫かしら?」

 ふたりの逃避行に手を貸してくれた友人たちを心配して眉を寄せる彼女。

「おまえに今まで付き合ってきた友人たちだ。これくらいの事態、大丈夫じゃないわけがない」

 いまいち、文脈の怪しい言い回しに、少女はしばらく小首をかしげたあと、唇を尖がらせた。

「まぁ、それではまるで、わたくしがいつもトラブルを起こしているみたいじゃありませんの」

 いつもの彼女らしい口調に、彼は微笑んで、彼女の体から腕を解く。

「起こしていなかったと、言えるのかい?」

「わたくし、お兄様が言うほどトラブルメーカーではありませんわよ!」

 ――何度注意しても、長年の呼称を変えるのは難しいらしい。

 彼がねめつける表情をすると、彼女は自分が何を口にしたか思い当たって、とたんに押し黙った。

「……ごめんなさい……わたくし、だめですわね」

 しゅんとしてうつむいくと、強い風に流された彼女の柔らかな桜色の髪が、ふんわりと彼の胸元を漂った。

 素直で、穢れない彼女が、愛しい。

 兄であったかつては、言えなかった……決して言っていはいけなかった言葉を、彼は口にする。

「そんなおまえだから、私は好きなんだよ」

 桜色の髪を指先に絡めて、彼は囁いた。

「お兄……じゃなくって、あの……セイル……」

 ぽっと頬を染めて見上げてくる彼女に、とびきりの微笑を向ける。

「いつものおまえでいてくれ……私は、それだけで救われるんだから……」

 彼女を得る代わりに捨ててきたすべての物――それまでの自分という存在、約束された未来、守るべき国家……そして、友。彼女がいれば、それさえ、惜しくはないのだから。

「さあ、もう中に入ろう。いつまでもここにいては風邪をひく」

 彼女の肩をだいて、彼はデッキを後にした。

 遠ざかる岸……遠ざかる過去。

 ふたりを繋ぎ止めるすべてのものは、小さくなり、見えなくなった。

〜END〜


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