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<オリジナル話・8>

Rio【6】


 夏目は月成が出ていった扉を閉める音で我に返った。
「な、夏目・・・、」
 情けない格好で、表情でソファに座っている弟分。彼女によってされた痕跡は、とりあえず手近にあったクッションで隠している。
 一度深呼吸すると、浅く微笑む。
「ばか、何やってるんだ、ユキ。」
 まだ手は戒められたままだった。彼女の制服のスカーフによって。
 それをほどいてやり、そのスカーフを・・・握りしめた。
 彼女の忘れ物も、彼女は捨てろと云ったけれど・・・できそうもない。
「夏目、その・・・あれは、さ、」
「彼女も云っていただろう。自分から無理に、って。そりゃそうだ。おまえの性癖はぼくも知っているからね。」
 平静そのものの口調に聞こえる。
 いつもと何ら変わらない夏目の口調に聞こえる。
 でも、いつもと違うのは、百合子には分かった。
「夏目・・・、怒ってる?」
「どうだろう。自分でも分からない。」
「夏目?」
「ぼくの事より、ユキ、トイレにでも行って身支度してこい。あんまりみっともないぞ。女にレイプされたなんて、今の情人が聞いたら、さぞおもしろがる。」
 テーブルの上、彼女が口につける事の無かった湯飲みを流しに運びながらの夏目の言葉に、百合子はトイレに向いながら「云うなよ。」と告げる。百合子の恋が長続きすることはないが、それが珍しく半年以上にわたる場合は、大抵夏目もその相手のことを把握していた。
 百合子がトイレに消えたあと、すれ違いざまの彼女の香りに胸が騒いだ記憶をたどる。
 彼女を愛していた。
 こんな事があっても、愚かではない彼女の真の意図を考えたとき、胸が痛くなるばかりで、彼女を嫌う事はできそうもない。
 けれど、彼女が強くそれを望むのならば・・・せめて、完璧に彼女を忘れる事を貫かなければならいと、そう思った。
「彼女が望んでいるのなら、ぼくは・・・、」
 それが、夏目の懐の深い愛情だった。



 夏目の葬儀から2週間が過ぎた。
 多飛本と連絡をつけた月成は、斎と共に、何年かぶりに夏目の家、現在は美羽子だけが暮らすアパートを訪れた。
 アパートには美羽子と多飛本、百合子がいた。
 居間の片隅に、位牌と遺影だけの簡素な祭壇があって、月成と斎は形式のようにそこに手を合わせた。
 部屋は、夏目の遺品整理が終わっただけにしては、いやに整然として見えた。居間のソファを勧められ、かつてより随分マシになった手順で、百合子にお茶をふるまわれた。
 久しぶりに見る百合子は、月成より少しだけ身長も高くなり、男っぽさがましたものの、相変わらず整った綺麗な顔立ちと年齢にしては華奢な体つきをしていた。そして・・・目が赤く、腫れぼったかった。
 月成に対して当然笑いかける事もないかわり、悪態もつかない。
「夏目の四十九日が終わったらね、引っ越そうかと思って。」
 美羽子の言葉に、月成は目を丸くする。
「どのみち、夏目の私物も大してあるわけじゃないし、できるだけ身軽になって、色々やり直そうと思って。・・・郷里に帰って、お店をしようかなって。だからね・・・夏目の残した物、なんでも持って行って。」
「郷里って・・・N県、ですか?」
 顔から哀しみの影が消える事はないけれど、随分さっぱりした顔で美羽子が言う。何割方は強がりだと分かってしまうけれど。
 そして、その言葉に、月成は引っかかりをおぼえる。
「リオちゃん、知っていたの? じゃあ、もしかして・・・、」
「夏目くんの、妹の所・・・、」
「やっぱり、その事も知っていたの。でもね、違う。あの子に会いに行くわけじゃない。そこに夏目を見いだすわけじゃない。ただ、本当に・・・やり直したいと思って。そして、少しだけ、彼女の成長を見守れたらな、って。わたしが母親だなんて、名乗れないもの。」
 云ってから、美羽子は頭を振る。
「ごめんなさい。こんな事云うつもりじゃなかったのに。・・・リオちゃん、夏目の部屋に入って。大学に入ってからは、お休みごとにしか帰ってこなかったから、元々随分荷物も少なかったんだけど・・・、」
 夏目が、志望のTK大に受かり、白熊の家の持ち物の洋館で、親友達と共に暮らしている事は聞いていた。斎もTK大に入学した事もあって、夏目や男達の情報は斎からそれとなくもたらされていたのだ。
 夏目の部屋は、ふたりが付き合っていた頃からほとんど変わりなく見えた。
 ベッドと机と本棚だけが主な家具で、無駄な物はない。簡素ですっきりしている。ただ、そこにある荷物がほとんど姿を消していた。 
 月成が懐かしさに瞳を細めているわきで、百合子が夏目の机の引き出しから紙袋を取り出し、無言のまま月成に渡した。
 とても見覚えのあるそれだった。あれから4年が経ち、随分くたびれているけれど、あの時の紙袋。
 中身は、アルバムとちょっとした文房具、帽子・・・それから、スカーフ。
「夏目は、あんたの事、全部分かってたよ。なんで、あんな事したかも。だから、あんたの事、嫌ってなんか無かったし、むしろ・・・、」
 かすれた声で百合子が云う。
 でも、それを最後まで聞くまでもなかった。
 意識したわけではなかったのに、月成の瞳から涙がこぼれて頬を伝っていた。唇をぬらしたものに気づいて、やっと自分が泣いているだと月成は理解したのだ。
 夏目が、自分の事を嫌っていなかったのは分かっている。 
 誰にも云っていない・・・云えないけれど、月成は、昨年末、夏目に会ったのだ・・・入院中の病院を訪ねて。
 本当は会うつもりはなかった。会えば、自分がどうなるか分からなかった。でも、居ても立ってもいられなかった。遠目でその姿を見るだけでもよかった。
 けれど、夏目と会ってしまった。夏目が、月成を見つけた。
 そして、4年前と何も変わらない微笑みを月成に向けて云ったのだ。
「リオ、久しぶり。」
 何事もなかったかのように。
 それだけで、無理に夏目から離れようとしていた4年間の空白が一気に埋まった。
 再び、心に夏目があふれた。
 わざと忙しくしていた4年の間に、別の人間と恋をした。女の子とも、男性とも。けれど、それら全部、月成にとっては空虚なものだった。夏目に対して感じていた手に負えないほど荒れ狂う恋情を感じられはしなかった。
 けれど、再会した瞬間。名前を呼ばれた瞬間、再び心は夏目で満たされた。
 やはり、彼を愛しているのだと、実感せずには居られなかった。
 だから、彼にすがった。
 彼を求めたかった。
 つきあっていた頃も考えた願望を口にした。
 ・・・彼の子どもが欲しいと。
 でも、彼はやんわりそれを拒否した。
 父のいない寂しさは、誰より分かっているから、と。
 その時、理解した・・・夏目がもう、己の死期を悟っているのだと。彼は、死にゆく覚悟をしているのだと。
 最後の希望の「妹」に助けを求める事なく、静かに死に向かっていくつもりなのだと。
 けれど、それをどうして月成が止められただろうか。
 夏目は優しく月成を抱きしめる。
 恋人を抱きしめるようにではなく・・・大切な存在を抱きしめる、そんな抱擁だった。
「斎さんから、聞いたよ。きみが、ぼくのためにHLAの検査をうけてくれた事。きみがぼくの妹の事を聞いてしまった事。そして、N県まで行こうとするきみを止めるのに苦労したって事。」
 最後はくすりと笑う。
「でも、思いとどまってくれたようで、ありがとう。妹には、いらぬ負担をかけたくないんだ。見も知らぬ兄のために骨髄を提供するなんて、彼女には負担に他ならないだろう。だから、きみも・・・もしもこれからぼくの妹に関わるような事になったとしても、彼女を責めないでやって欲しい。」
 夏目を生かす最後の希望をあきらめ切れていなかった月成だったけれど・・・夏目の切願ともとれる言葉に、うなずかないわけにはいかなかった。
 キスは・・・してくれなかった。
 もう、恋人ではないのだから、と。
 夏目にとって月成は、今ではもう大事な友人のひとりにすぎないのだと、少しだけ自嘲がこみ上げたけれど・・・嫌われていなかった事で、救われた気分になった。
 それが、最後だった。
 それから、一月も経たないうちに、夏目は、彼女の・・・彼を愛する全ての人間の前から消えた。
 夏目を愛した心は、夏目に会った瞬間によみがえって、まだ胸の内にある。けれど、夏目の訃報を聞いた時、葬儀に出た時、それらは凍り付いていた。あまりのショックに、自己防衛が働いたのか、現実的な領域から取り外して、凍り付かせていた。
 けれど、今・・・彼を強く感じられる場所で、彼の想いを改めて感じて・・・月成は、崩れ落ちた。
 操り人形の、全ての糸が切れたように、その場に突っ伏した。
 涙と嗚咽が、壊れた蛇口のように出て、止まらない。
 少しだけ残った理性が、それらを止めようとするけれど、もう無理だった。
 涙も嗚咽も、出し切るまで止まりそうもなかった。
「・・・おい・・・、」
 さすがに声をかけようとした百合子が、多飛本に止められて・・・月成以外の人間は、部屋の外に出る事にした。
 夏目がもっとも愛していた・・・きっと、別れた後もずっと愛していた女性、そして、夏目を愛し続けた女性。今だけは、彼女を夏目との想い出に浸らせておいてあげたかった。


 1時間程、彼らは部屋を留守にした。
 歩いてすぐにある海岸に向かって、言葉少なく冬の海を眺める。
「夏目は・・・リオちゃんの事が好きだったのよね、ずっと・・・、」
 ぽつりと呟く美羽子の言葉を、誰もが実感する。
 リオの付添の斎も、海を眺めながら口にする。
「リオもですよ。夏目さんと別れてから、ばかばかしいくらいに、無理をしていた。わたしがTK大で夏目さんに再会した話をしたら、本人は平然としていたつもりだったろうが、面白いくらいあからさまな反応を返してきた。」
「好きあってたのに、なんで・・・、」
 とは、やはりまだ、本気で恋をしたことのない百合子の呟きだった。
 それには、誰も答えなかった。
 

 1時間後、部屋に戻ってみると、まだ涙も嗚咽も治まりきっていない月成が、夏目の部屋に正座して座っていた。
「・・・ごめんなさい、」
 弱々しい声で、嗚咽の奥から声を絞り出す。
 消えてしまいそうに頼りないその姿は、幼なじみの斎ですら初めて見た。
「リオ・・・、」
 斎が背中をたたくと、月成はゆっくり立ち上がって、ふらつく足取りを斎に支えられながら、美羽子の傍まで来て、その手を取った。
「・・・おばさま。ありがとうございます。夏目くんが持っていた、わたしの忘れ物、これだけ引き取らせてもらいます・・・。」
「リオちゃん・・・あのね、落ち着いてからでいいから、夏目のお墓参り、してやってくれないかしら。あの子も喜ぶと思うの。」
「・・・はい。おばさま・・・、」
 月成はやっと微笑みを浮かべる。
「いつか、夏目くんの妹にも、会わせてもらうかもしれません。」
「会ってあげてちょうだい。あまり、夏目とは似ていないけれど。」
 美羽子も微笑んだ。
 夏目が自分の生きる可能性よりも、その未来を望んだ存在である。きっと、夏目がそうするだけの価値がある少女に違いない。
「あの女、どっちかというと、美羽子さん似だな。父親似の夏目とは似てない。しかも、随分ぼんやり・・・というか、ぽやぽやした顔してたし。多分、これまで苦労知らずで幸せに暮らしてきたんだぜ。」
 とは、茶化すような百合子の言葉である。この男が、遠巻きに夏目の妹を見てきた事は聞いていたけれど、珍しく女の子に興味を示すような言葉の内容は、その対象が夏目の妹だからなのだろうか、分からない。
 月成は、まだ哀しみに霞んだままの心を抱えて、夏目の家を後にした。
 この4年間、夏目は傍にいなかった。けれど、どこかで元気にしている。その実感がありさえすれば、よかった。
 けれどこれから一生、夏目はどこにもいないのだ。
 しばらく、思い出しては涙に暮れそうだった。
「リオ、ひどい顔。モデルの仕事、明日は休むか? どうせスタジオ撮りだけだったろう。」
 斎の運転する車の助手席で、窓の外をぼんやり眺めていた月成は、首を振った。
「あのね、紗織、」
「うん?」
「モデル、辞める。」
「・・・うちの姉君が怒るぞ? いや、泣くかな。」
「だって、もうモデルする必要もないし・・・しばらく、多分、瞼腫らしたままじゃ、仕事にならない。」
「確か・・・事務所との契約はこの春までだっけ? 売れっ子のくせに。」
「契約切れるまで、やるべき事はなんとかやるわよ。無責任な事してると、夏目くんにも嫌われちゃう。でも・・・後はもう知らない。仕事そのものに興味あったわけでも、どうしてもやりたかったわけでもない。わたしはもっとわたしのやりたい事をする。」
 月成のやりたい事。
 そういえば、斎は子どもの頃聞いていた気がする。夏目と付き合っている頃もまだ、その夢を月成は持っていた。
「海外派遣のボランティア?」
「うん。そう。今度はひとりで世界を旅するの。・・・大学、卒業してからになると思うけど。それまで、誰にも云わないでね。」
 斎はうなずいて、小さく笑った。
 夏目を失った心の穴を、夢に向ける。
 そんな前向きな月成を、好ましく思う。誇らしく思う。
「しかし、おまえ、外国語そんなにマスターしてないだろ? 英・仏・西のみでは難しいぞ。」
 茶化す斎に、月成は笑う。
「この二年で最低あと2ヶ国語くらい、ものにしてみせる。モデルの仕事辞めたら、時間できるもの。それに、もっと有用な資格も取ってみせるわ。がんばるわよ。」
 少しだけ、月成の瞳に力が戻った。
 夏目はきっと、こんな月成だから愛していたのだろう。月成にも、それが分かっている。
 だから、これからも夏目に愛される資格のある自分でいようと、思った。
 夏目を想って泣くのは仕方ないけれど、それでも・・・前を向いていようと思うのだった。

つづく