※この二次創作小説についてとオリジナルキャラ紹介
>>こちら

<オリジナル話・8>

Rio【1】

 その日は厚く折り重なった雲間から小雪が舞っていた。淡く儚い小雪は、斎場に入りきれず、外で待つ弔問客の頭や肩に降り落ちては、すぐに溶けていく。それでも、彼らはその場を動くことなく、斎場の中にいる、今はもう語りかけてくれる事もない、彼らの友を想った。
 外で待つ弔問客はほとんどがTK大の学生だった。喪服を着ている者もいれば、あり合わせの礼服の者、あるいは私服の者さえいた。けれど、皆、若くして亡くなった、愛すべき学友の死を心から悼んでいた。
 そんな彼らがざわめいたのは、あまりに意外な存在がその場に現れたからだ。
 喪服を着た女性がふたり。そのどちらも長身である。肩まで切りそろえられた髪をした、メガネの女性は誰もに覚えがあった。TK大の学生で、有名人でもあったから。けれど、もう一方、長い髪を結いまとめた女性に対しては二通りの反応があった。彼女を知る者の驚きの声と、彼女を知らない者の感嘆の声だ。
「斎さんと一緒にいるの、誰だ? すごい美人。」
 これが後者の主な反応であり、
「あれ、モデルの月成リオじゃないか? なんで、夏目の葬儀に?」
 これが前者の反応だった。
 斎がさしかける傘の中を歩いていた月成の、基礎メイクすらしていない顔に浮かぶ表情はひたすら無であり、それでも、彼女の美しさは疑いようもなった。
「紗織、ここでいい。わたしだけで行く。」
「・・・そうか、わかった。わたしはここで待つ。」
 傘を渡そうとする斎の手をそっと押しやって、月成は小雪の中を歩き出す。まっすぐ伸びた背筋、迷いない足取り。それは、モデル特有の美しさで、そこに彼女個人の何らかの感情を見いだすことは困難だった。喪服の上に着た黒いコートの肩にも、白い雪は舞い落ちる。

 受付を済ませ、焼香中の式場に入る。誰も、月成の存在に気づいても、騒ぎ立てる事はなかった。その代わり、彼女と夏目の関係を知る者たちは、夏目の死による深すぎる悲しみに、さらなる哀しみを付け加えた。
 月成の焼香の後、喪主である美羽子が席を抜け、彼女を追いかける。誰もそれを見とがめない。
 式場の外、ロビーの人気のない場所でふたりが交わした会話。
「おばさま、お久しぶりです。このたびは・・・ご愁傷様でした・・・、」
 少しだけ月成の声が震え、表情が痛ましくゆがむ。
「リオちゃん・・・ありがとう。夏目も、喜ぶわ。・・・本当に、ありがとう。」
 美羽子は泣きはらした目に再び涙を浮かべ、月成の手を取った。
「あなたに、お願いがあるの。もちろん、ご迷惑じゃなければ・・・、あの子の形見分けを受け取ってくれないかしら?」
「おばさま? でも、わたしは・・・、」
「まだ、遺品整理なんて出来る状態じゃないでしょう。でも、近いうちにはしなきゃね。それでね・・・、」
 美羽子の声が震える。遺品整理、などという言葉を使うには、まだ、心の整理はできていないのだ。夏目の死を受け入れきれないのだ。
 月成は、美羽子の手を強く握り替えした。
「・・・あの子がずっと持っていたみたいなの、あなたとの思い出の品。それを、できれば・・・、」
 今度は、月成が震える。
「わたし、の・・・? だって・・・、」
 戸惑う月成の背後から声がかかる。
「夏目が、おまえをずっと想っていたのは事実だよ。これ、連絡先。後で連絡をよこしてくれないか。」
 式場から出てきた多飛本だった。月成に名刺を渡す。
 何年かぶりに会った夏目の親友は、月成には相変わらずに見えた。いつも夏目のそばにいて、彼女の事を「頭の悪い困った小娘」でも見るように見ていた男。彼女が憎々しく思っていた存在のひとり。
 けれど、名刺を受け取って、睨むようにその顔を見上げれば・・・目が赤い。それに、よく見れば、こんな気弱そうな雰囲気のこの男は初めてだった。おそらく、泣いたのだ。夏目が死んでから、たぶん、何度も。
 月成はすぐに多飛本から視線をそらして、美羽子の手をそっと握りしめる。
「分かりました、おばさま。必ず。」
 月成は、泣かなかった。表情をほとんど崩さなかった。その理由を、女である美羽子は感じていた。彼女も、夏目の父親が死んだとき、泣かなかったから。
 夏目が、その長くはない生涯の中でもっとも愛していただろう女性は、きっと、夏目と同じ想いを抱えてこの葬儀に訪れた。
「夏目は、あなたの中に、いるから。」
 美羽子は微笑んで、そう云った。月成は驚いた表情をした後、微笑を浮かべ、すぐに踵を返した。



 彼女が寮に訪れたのは、9月。夏休みが終わる少し前。
 照りつける夏の陽射しが随分緩くなってきて、いつの間にか蝉の声も聞こえなくなった頃。
 その日、寮には鳥貝しかいなかった。
 メールで連絡をやりとりし、わざとその機会を狙ったのだった。
「ここに来るのは、久しぶりだわ。」
「来たことあるんですか?」
「そうね、2度ほど。あなたがまだ寮に入る前よ。史司くんに会うために、かな。・・・夏目くんの部屋には入れてもらえなかったけど。」
 鳥貝に勧められて居間のソファーに座り、月成はくすっと笑う。
 一度、ゆっくり鳥貝と話がしたい。
 月成がそうメールをよこしたのは、9月に入ってから。
 月成には百合子との仲を引っかき回されたけれど、彼女自身に興味を覚えている鳥貝はそれを快諾した。
 ただ、どうしたった人目をひいてしまう月成と街中で会うのでは、ゆっくりできない。だから、鳥貝は寮に来てもらう事を提案した。更に、月成は、彼女に対してあまり良い感情を持っていない男どもを排除した時間の方が良いことを提案した。
 そして、今日に至る。
 あの海辺で会って以来、久しぶりの対面である。
 体のラインに沿った柔らかなシフォン素材の、淡いラベンダー色のワンピースを着た月成が、凝った装飾の施された洋館の年代物のソファーに座る様は、そのまま写真集の撮影であるかのようだ。
 鳥貝は少しだけ見とれる。
 彼女を理想と云えるほど厚かましくはないけれど、彼女に憧れるくらいは許されるのかも知れない、とちらりと考える。
 もっとも、百合子がそれを聞いたら全否定する事は間違いなさそうだが。
「あの・・・、」
 彼女には色々聞きたいことがあった。
 主に兄夏目の事。それから、多飛本の事。さらにできれば・・・百合子との事。
 だから、鳥貝から切り出そうとしたのだが、月成がそれを遮った。
「まずは、わたしからお話させてもらっていい?」
 優雅に微笑み、そう云う月成に、鳥貝が先を譲らないわけがない。
「ありがとう。」
 云いながら、月成は鳥貝が出した紅茶で唇を濡らし、ほっと息をつく。
 鳥貝に伝えたいことを、最初から用意していたようだった。
「わたしはね・・・、」
 力強い眼差しを、まっすぐに鳥貝に向ける。長いまつげに縁取られた大きな目、その中の色素の薄い瞳が睨み付けてくるようで、鳥貝は呼吸が止まる気がした。
 まるで憎まれている。
 鈍い鳥貝でも、直感的にそう感じられるほどだった。
「あなたを、殺したいほど憎んでいた。」 
 そして、その言葉に、呼吸を止めた。
 他人からそんな強い憎しみの眼差しを、言葉を、感情を受けるのは初めてだった。
 鳥貝は凍り付いたように動きを止め、伝わってくる月成の憎しみを、その身に受けた。
 けれど、それは、一瞬の事だった。
 月成が視線を落として、凍り付いた時は終わる。
「夏目くんの訃報を聞いた直後よ。あなたを殺してやりたいと思った。彼には生死がかかっていたの。なのに、彼は受験生のあなたを思って、あなたに自分の事を打ち明ける事を拒んでいた。たかが受験じゃない。失敗したって生きていけるわ。たったひとつの希望だったのよ。まさしく命綱だったのよ、あなたが。夏目くんが死んで、生きているあなた。永遠に失われた物は、大きすぎて・・・あなたを憎まずにはいられなかった。どうして、夏目くんが死んで、あなたが生きているのか。生きているあなたを憎まずにはいられなかった。」
 一気に話し、一度息をついて顔を上げる。
 その表情は自嘲に満ちていた。
「もちろん、あなたには何の責任もない。あなたは何も報されていなかったのだもの。兄がいる事さえ。・・・だから、理性的な男達はあなたにこういう感情を持つ事は一切ないのでしょうね。・・・でも、わたしは感情的な女だから。弱い、女だから。あなたを憎むことで、自分の精神の均衡を保とうとしていたのかもしれない。」
 月成は一呼吸、置く。
 鳥貝は、相づちを打つことなどできないでいた。
 そう、月成の云うように、夏目に関わる人間から、鳥貝は一度もそういう感情を向けられたことはなかった。兄のことを告白された時、もしかしたら自分が骨髄を提供することで兄が助かっていたかも知れないと報された時、本来なら彼を愛する人間から理不尽ではあるが向けられるべきだったその憎しみを、鳥貝は今初めて受けていた。
 寮の男達も、夏目にかかわる他の人間も、皆、鳥貝には好意的に接してくれていたから・・・忘れかけていた恐れの感情が思い出された。
「夏目くんが生きて、この寮にいてくれて。あなたの存在がこの寮にない。それこそが本来の形だったんじゃないかと、何度も思った。だから、あなたがこの寮に入ったと聞いて、ここに近寄らなかった。あなたを見たくなかったから。あなたと会ってしまったら、やっと抑えてきた憎しみがまたわき出して、どうにかなってしまうのが怖かったから。」
 月成の鳥貝を見る目つきは、真っ直ぐだ。けれど、そこに憎しみの色はもうない。
「認めたくはないけれど、わたしと同じくらいには夏目くんの事を愛していたユキが、一年がかりでできなかった夏目くんの死を受け入れる事、それがあなたの存在で成し得られた。そして、あなたを受け入れ・・・さらには、あなたを愛していると聞いた時・・・わたしは色々考えたものよ。どうして、憎まずにいられるのかと。それは、ユキが男だからなのかと。」
 ただ、硬直したように全身を強ばらせて、月成の事を見つめ続ける鳥貝に、月成はやっと微笑みかけた。
「紗織から、聞いたの。夏目くんの妹と会ったこと。」
 紗織・・・鳥貝には聞き覚えのない名前だった。
 それが誰か、聞ける心情でも雰囲気ではなかったけれど、次の月成の言葉でそれが誰かはすぐに分かる。
「紗織はかわいい女の子なら大体好きな人だけどね、あなたの事はそれ以上にほめていた。夏目くんの妹だからっていうオプションを除外して、ね。付き合う相手に関しては、結構高いハードルを設定している紗織から『百合子さえいなければ、わたしが欲しいくらいだ。』なんて、云われるなんて、よほどの事よ。彼女の人を見る目は確かなのだから。」
 月成は優しく微笑む。
 紗織とは斎の事だ。
「史司くんも、褒めてた。褒める、というか・・・『純粋でまっすぐで、癒される』なんて・・・恋人の前で他の女の子の事そういう風に云うなんて、不埒な男よね。どうせ、わたしは癒し系ではないから。でもね・・・わたしも、会って、やっと納得したわ。」
 鳥貝に手をのばして、その頬に触れる。
 柔らかくほんのり暖かな月成の指先が目尻をかすめるように撫でる。
「かわいい。」
「・・・っ、」
「本当よ。前にも云ったけど、眼差しや表情の表し方は、確かに夏目くんに似ている。でも、それだけじゃない。あなたの眼差しや表情、声、口調を含めた、雰囲気や空気といったもの・・・それが、優しい気持ちにさせてくれる。心を穏やかにしてくれる。・・・ユキは、それに惹かれているんだわ。あいつは、元々自己制御が下手な奴だから、あなたに指標を求めたのね。同性で兄の夏目くんよりも、あなたの方が、きっともっと広い意味であいつに指標を与えられる。いい影響を、与えられる。」
 うふふとコケテッシュに笑って、鳥貝の頬から手を離した。
「わたしも会った瞬間、夏目くんの妹だと知らなかったけれど、あなたに好意を感じた。分かってからも、不思議と憎しみの感情は欠片もわき起こらなかった。むしろ、愛しいとさえ思ったわ。・・・だから、キスしたのだけれど。」
「っ、あ・・・、」
 その時の事を思い出した鳥貝が、顔を赤くして、目を泳がせる。
 今思い出すと、月成とのキスに感じたのは嫌悪ではなかった。心地良いとさえ思っていた。・・・それを思い出すと、もしかすると自分も月成や斎のような性癖を隠し持っているのかも知れないと実感するのが怖かったから、記憶に封印していたのだけれど。
「春海ちゃん、ほんと、かわいい、」
 挙動不審になりつつある鳥貝を見て月成はくすくすと涼やかに笑う。
 それから、再び鳥貝の頬に手を伸ばし、瞳をすっと細めて唇に笑みを乗せる。
「わたしは、あなたにユキがいても構わないわ。ねぇ、わたしと楽しいことしない?」
「・・・っ、けっ、けけ、結構です! 遠慮しますっ!」
 鳥貝の硬直がやっと解きほぐれたらしい。面白いくらい慌てふためいて椅子がから立ち上がる鳥貝を見て、月成はお腹を抱えて笑った。
 なんて純粋で・・・だから、こんなにも愛しい。
 過去にifをあてはめてもどうしようもないけれど、今だけ少し思う。
 彼女が夏目の傍で夏目の妹として在ったならば・・・きっと夏目は何よりも彼女を大切にしたに違いない、と。そして、自分はそんな彼女に嫉妬しながらも、夏目同様に彼女を大切にしたかもしれない、と。
 手の届かない過去であり得なかった想像をしてもどうしようもない事は、十分すぎるくらいに分かっている。それに、過去を振り返るのは、月成の主義ではない。
 きっと、目の前のこの女性というにはまだ幼い少女もそうなのだと直感している。
 すでに過去にしか存在しない人間になってしまった「兄夏目」の記憶を、彼女はこれからの未来の為に求めている。
 だから、月成は微笑んで、こう問いかけた。
「で、春海ちゃんは、何が聞きたいの?」
 もちろん、鳥貝の一番聞きたいことは・・・月成の知りうる過去の夏目の事。
 鳥貝の言葉に、月成は微笑んだ。



つづく