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<オリジナル話・1>

歓迎会の夜【2】


  数枚に渡る横書きの罫線の入った便箋には、書いた人間の人柄が分かるような、几帳面で、達筆というよりも読む人間を意識した読みやすい文字が並んでいた。

*****

『春海へ
 君がこの手紙を読んでいるという事は、君が二十歳になったか、何かの理由で僕の事が君に知れたからだろうと推測する。
 残念ながら、僕は生きている間に君に会う事は叶わないようなので、この手紙を君に遺そう思う。君が僕という存在を知り、戸惑った時、僕という存在を君に理解してもらう足がかりになれば良いと思うからだ。
 もしも、僕の存在を聞いた時、それを迷惑だと感じたのであれば、これ以上先を読まずにこの手紙を破棄してくれても構わない。だが、鳥貝という家で幸いなる両親の手によって健やかに育った君ならば、この手紙を読んでくれると信じている。
 この手紙を読んだ末に、僕という人間が君の中で兄たる存在であれればと心から願う。
 先に、感情的な文章になる事を謝罪する。

 君の事を知ったのは、半年前だった。僕の病気が知れ、君ならば僕を救えるかもしれないと母が告白してくれた事による。そして、幼い頃の君の写真を見た。君の両親と話した。けれど、僕は、君に僕の事を話さないようにお願いした。君に僕の事を知らせるのは、僕自身でありたいと思ったからだ。その時から予感はしていた。君に会う事はないかもしれないと。
 友人のひとりが、君を知るために君の地元にたびたび訪れていたらしい。けれど、君には話しかけなかったという。話しかけない代わりに、幾枚かこっそり写真を撮ってきてくれた。友人が隠れて勝手に君の写真を撮った事は申し訳ないが、僕のためを思っての事だったので、許してもらえると嬉しい。写真の中の君は僕が思うよりずっと美しく成長していて、僕は君を誇らしく思った。
 僕自身君の存在を知ってからはっきりと思い出した事だが、僕と君と会った幼い日の事を君は覚えているだろうか。いや、僕より幼かった君だから、もう覚えてはいないかもしれない。一日だけの思い出だ。けれど、それは、心地よくあたたかなものとして、ずっと僕の心の奥底に在り続けた。君の存在は僕にとって、ふわふわした白いひつじの夢だった。とても、しあわせな夢だった。
 叶うなら、君に兄と呼ばれたかった。君を名前で呼びたかった。
 少しの間だけでもいい、当たりまえの兄妹のように、君と日々を過ごしたかった。
 いつか君に好きな男ができて、君が彼を僕の目の間につれてきたら・・・と、実に笑える想像もしてしまった。すまない、退屈な入院生活で、想像力ばかりが豊かになっているらしい。

 もう、僕の友人たちには会ってくれただろうか?
 皆、誇り、尊敬できる男たちだ。僕を必死で助けようとしてくれ、僕を必死で想ってくれる、欠けがえのない親友たちだ。彼らこそが、僕の人生最高の宝であり、僕という人間を構成する重要な要素なのだろう。君が僕という人間を知ろうと欲する気持ちがあれば、彼らの間から僕という人間を見つけて欲しい。君が彼らと話してくれれば、きっとそこに僕が見つかるだろうと思う。
 そして、また、もしも君に、何らかの助けが必要となったら、彼らならば必ず大きな助けになってくれるだろう。困ったことがあれば、彼らを思い出し、彼らを頼って欲しい。
 ただ、一部、女性である君には好ましからぬ性癖も持つ者もいるが、僕の妹にまで魔手を伸ばすことはないと信じている。とはいえ、君もその部分については、少々気をつけて欲しい。
 けれど、先に書いたとおり、皆僕にとっては素晴らしい親友たちだ。客観的に見ても、良い男たちだろうと思う。もしも、君が彼らの中から君自身の心を預ける相手を選んだとしたら、僕は手放しで喜ぶ事だろう。君にとっては正体不明に違いない僕が言うのもおかしいが、彼らのうちの誰を選んだとしても、君を幸せにしてくれるに違いないと太鼓判を押そう。僕はそんな君の姿が想像できる。
 ・・・・・・また勝手に想像が膨らんでいる。押し付けがましくなってしまったようだ。

 最後に、いくつか、消極的なお願いをしたい。君や君の今の状態がいかなるものか、僕には想像がつかない。だから、可能であるならばの願いだ。
 君に兄と呼ばれた事すらない、君に何もしてやれない、君に幸せを与えてやる事もできない、どうしようもない僕の身勝手な願いを、書き連ねる。だから、君はこれを重荷に感じないで欲しい。
 母を気に掛けてやって欲しい。僕がいなくなる事で、母は家族を失うことになるだろう。もっとも、僕が入院している今、母の心の支えになってくれそうな存在も現われたようだから、ここで僕が気にするまでもないのかもしれないが。ご両親のいる君には申し訳ない願いだが、時折でいい、君を生んだ母を思い出して話し相手になってやってくれるとありがたい。
 次に、これは、僕の勝手な気がかりなのだが。
 友人の中に百合子という男がいる。君よりひとつ年上で、僕にとっては弟そのものの存在だ。頭の良い子だ。しっかりした家で育っただけあって、きちんと節度と分をわきまえている。けれど、彼には脆く危うい部分がある。今までは、僕がその部分をどうにかフォローしてきていたが、もうそれもできなくなる。兄として、彼の指標にならなければと思いながら過ごしてきた部分が、彼の僕への依存を強めてしまったような気がしてならない。僕がいなくなってしまってからの彼が心配なのだ。
 不肖の兄の願いだが、機会があれば、彼と話してやって欲しい。他人にはあまり執着しない彼が、君の事を気にしているようで(君の地元に訪れていたのが彼だ)、もしかすると、君ならば僕がいなくなった後の彼の心を救えるかもしれないと思うのだ。

 君に重荷を負わせるもりはなかったはずだが、改めて読み返すと面識のない君に随分甘えた手前勝手な内容になってしまっている。気にしないでくれと今更書いても遅いが、母の事、百合子の事が気になってしまうようなら、僕の友人たちに相談してくれるだけでもいい。
 兄たれなかった僕だが、君に少しでも理解してもらえたなら良いと思う。

 これから、僕にはもう別の世界から君の幸福を願い続ける事しかできなくなる。
 君が、幸福でありますように。
 生きている今は、そう祈ろう。
 君が、誰よりも幸福な一生を過ごせるように。
 別の世界から、祈り続けよう。

                               僕の愛する妹へ』

*****

 はじめて、兄が見えた。生きた兄が見えたのだ。実感をともなって、鳥貝の感情に入り込んだ。
 涙が、溢れた。
 この手紙の主を、兄と呼びたかったと心から思った。
 そうして、鳥貝は、まるで彼女の現状を予見していたかのような手紙の内容に、泣きながら微笑まずにいられなかった。
 鳥貝が今まで夏目をまったく知らない、夢の中の存在にひとしく思っていたのと同じく、夏目も鳥貝の人となりを知らないはずなのに、どうしてこうも的確に鳥貝の心を動かせる手紙をかけるのか。
 この寮の男たちが夏目を慕っている理由が、とてもよく分かった。夏目の影響力を強く実感した。
 そうして、百合子が兄の死からいつまでも立ち直りきっていないのも、彼の悲しみも、全部ではないにしても、理解できた気がした。
 緩くなった涙腺から、つぎつぎ涙が溢れる。喉の奥がつまって、押し殺そうとしても、嗚咽が漏れてくる。
 不意に、ふわっと体が温かくなった。
 百合子の胸の中にいた。いつの間にか、隣に座っていた百合子に頭から抱きしめられていた。
「仕方ないから、なぐさめてやるよ。」
 尊大な内容だけれど口調はとても優しく、そこにも兄の影を見た気がした。
 鳥貝は、百合子の胸にすがって泣いた。
 自分が感情の起伏が人よりも乏しい自覚はあった。喜怒哀楽は勿論感じるし、表現もする。けれど、どこか、冷めているというか。喜怒哀楽のどれをも、本気で表現したことがなかったように思う。
 けれど、このほんの数日で、感情を開放する術を知った。いや、思い出した。子供の頃、当たり前にできていて、成長して忘れかかっていたそれらを、今思い出したのは、子供に還ったからではない。きっと、今生まれ変わったのだ。
「・・・・・・ご、ごめんなさい、」
 随分長いこと百合子の胸の中にいた。嗚咽が収まってきて、鳥貝は百合子の胸を離れようとしたのだけれど、百合子はそれを許さず、さらに抱きしめてきた。
「ばか、違う。そこは、ありがとう、だ。」
 お礼を言うまで離してくれそうもなかったから、鳥貝は素直にお礼を言いなおした。少しだけ離れがたそうに、百合子の腕が鳥貝から離れた。
「おまえをここまで泣かせるなんて、夏目も悪い男だな。・・・・・・で、何が書いてあったか、聞いてもいいのか?」
 後半は少し遠慮がちだった。夏目が妹に個人的に宛てた手紙の内容だ。知りたいけれど、聞いていいかどうか戸惑いもする。
 涙が、鳥貝の感情をきれいに洗い流してくれた。兄や百合子に対して素直な気持ちになっていた。だから、鳥貝は少しだけ意地悪な事を思いついた。
「・・・・・・いいですよ。でも、そうだな、ふたつ、お願いしたいんです。それを聞いてくれたら、手紙の内容教えます。・・・・・・聞いてくれますか?」
「は、願い? 内容にもよるだろうけど。何だ?」
 百合子の不審げな声に、鳥貝はくすりと笑う。兄の手紙を読んで、実感できた。素直になろうと思った。
「ひとつめのお願いです。・・・・・・キス、してください。」
 一瞬目を見張った百合子だが、すぐににやりと笑って、鳥貝を抱きしめてきた。それから、キス。はじめての不意打ちキスから何度目になるだろう。百合子のキスが上手いかどうかなんて、数をこなしていない鳥貝にわかるわけがないけれど、しびれるような百合子のキスの虜になっているのを認めないわけにはいかなかった。
「やっと、素直になったのか。」 
 少しだけ唇を離して、囁くような低い声で言う。それは、嬉しさで弾みそうになる声を押し殺しているからのように思われた。
「まだ、続ける? それとも、次に進む?」
「次には、進みません。ふたつめのお願い聞いてください。」
「ふたつめの願いは、次に進む事じゃないのか?」
 からかう口調のわりに、百合子の表情はこれまで見たことのないくらい、甘くとろけていた。鳥貝は見とれそうになって、あわてて目をそらせ、口を開く。
「・・・・・・幸せに、してください。」
「・・・・・・え?」
「私を、幸せにしてくれる、って・・・・・・お願い、聞いてはくれませんか。」
 胸の中から百合子を見上げると、百合子はぽかんとした表情をして、鳥貝を見つめていた。
「・・・・・・えぇと、それは・・・・・・、」
 完全に戸惑っている。こんな百合子を見るのは初めてで、鳥貝は愉快な気持ちになる。出会ってこの方、自分ばかりが翻弄されてきたのに、今はじめて自分が百合子を翻弄しているのだから。
 夏目が自分の幸せを願ってくれている。夏目の願いを、百合子にかなえて欲しい。そして、自分がかなえたい。
 鳥貝は、もしかすると百合子にとって自分はひと時の恋の相手にすぎないのかもしれないと、自信のない事も思ってみたけれど、それならそれでもいい。ひと時だけでも、互いが幸せになれれば。それだけでも、夏目の願いはかなう気がする。
「・・・・・・じゃあ、ふたりで幸せになる、に変更です。このお願いも、聞いてはくれませんか?」
 戸惑っていた百合子の表情が苦笑に変わった。夏目の手紙を読んで、鳥貝が変わったのを感じたのだろう。鳥貝の心を強く動かす何かがそこには書いてあった。百合子は笑った。腕の中の鳥貝の、はじめてみるような強い眼差しに胸が躍った。
「おれが簡単に幸せになれる方法ならあるんだがな。」
「それがなにかは、想像がつきますが、とりあえず却下します。私のお願いへの返事を聞かせて下さい。」
「いちど経験したら、ふたりで幸せになれると思うんだけどな。まぁ、でも、それは、きっと近いうちにかなうから楽しみにとっておいて。答えはもちろん、イエス、だろう。それ以外ない。」
 言いながら、百合子は再び鳥貝の唇を求める。
「なにかちょっとひっかかる内容もありましたけど、わたしのお願い、ふたつともかなったので・・・・・・兄さんの手紙・・・・・・どうぞ。」
 兄さん。鳥貝がはじめて夏目をそう呼んだ。鳥貝の中で、夏目へのわだかまりのようなものが解けたのだろう。夏目を心から慕い、夏目がどれほど妹に会いたがっていたか知っている百合子は、心から、嬉しかった。鳥貝が夏目を兄として認めたことが、本当に、嬉しかった。
「読んで、いいのか?」
「構いません。むしろ、読んでもらったほうがいいと思うんです。」
 鳥貝が差し出した夏目の手紙に、百合子は目を走らせた。几帳面に綴られた、懐かしい夏目の字だった。普段口数の多くなかった彼の心の内が語られた内容を微笑みながら目で追い、最後の百合子のことを心から心配する文章に、泣いた。涙は涸れたものだと思っていたのに、涙が、溢れた。
 さすがに、鳥貝の目の前で泣くのはマズイと思い、涙が零れそうだと思った瞬間、彼女から顔をそらせて手で目元を覆ってみたけれど、もちろん、すぐに気づかれた。
「涙、涸れたんじゃなかったんですか?」
「・・・・・・ばか。悲しみの涙は涸れたけど、これは嬉しい涙だ。まだ残ってる。」
「なぐさめて、あげましょうか?」
 鳥貝の口調には多少のからかいもあったが、ただひたすら優しい声音だった。
 涙を拭った百合子が鳥貝を見ると、いつか百合子がしたように、百合子に向かって腕を広げている。
「胸、かしてあげますよ。」
 鳥貝はくすっと声をだし、ふんわり笑う。
 とうぜん、百合子がそれを拒否するわけがなかった。苦笑を浮かべた後、鳥貝に抱きついて、その胸で泣いた。百合子が自分の腕の中にいる間、鳥貝は柔らかい百合子の髪を優しく撫ぜ続けた。
「嬉しい涙、残しておいてくださいね。まだ、これからいっぱい、嬉しくて泣いて欲しいから。そしてふたりで、兄さんに嬉しいことを沢山、報告しましょう。」
 百合子はやっと解放された。夏目の死という絶望の淵から。自分自身が、ずっと自分を縛り付けていたそこから、解放された。心がふわりと軽くなって、夏目の事を心安らかに思い出せるようになった。死の思い出よりも、夏目と過ごした長く幸せだった歳月を思い出し、それを愛しく感じた。そして、思うのだ。夏目と一緒に過ごすことが適わなかった鳥貝に、夏目の事を、もっと沢山知ってほしいと。
 涙も落ち着いた百合子は、成り行きのままに、今度は鳥貝の膝枕をしている。鳥貝も嫌がる事なく、百合子の頭を膝に乗せている。
「なぁ。」
「はい?」
「おれはおまえの事が好きだ。前にも言った。おまえは、どうなんだ? 夏目が言う、心を預ける相手におれはなれているのか?」
「まだ、わかりません。」
 鳥貝は言う。百合子は押し黙る。
「百合子さんに私が、私の心を預けられかはまだ分かりません。だって、出会って一週間も経ってないのに。でも、私は・・・・・・、」
 ふたりの目が合う。鳥貝は微笑む。
「私も、百合子さんのことが好きです。」
 鳥貝が上体を折り曲げ、膝の上の百合子の唇に唇を重ねた。はじめて、鳥貝からもとめたキスに、百合子は至福を感じた。
 夏目が残してくれたもの。
 鳥貝というその存在は、夏目の最後で最高のプレゼントなのだと、百合子は思った。


つづく