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[鳥貝大学2年の秋]

夢、だから【2】


 鳥貝は、トレイを手にして安羅の部屋の扉をノックした。
 返事はない。
 シャワーでも浴びているのだろうと思い、引き返す事もないのでドアノブを回すと、鍵はかかっていなかった。
「安羅さん、入りますよ?」
「悪いね、春海ちゃん。テーブルの上に置いておいてくれるかい?」 
 声をかけるとエコーの掛かった声がお風呂場から聞こえ、鳥貝が部屋テーブルの上にトレイを運ぶ間にお風呂場の扉が開く音がした。
「わざわざごめんね。」 
「いえ、構いませんよ・・・、っ!」 
 鳥貝が笑顔で振り向くと、腰にだけバスタオルを巻いた安羅が、髪をタオルでぬぐいながら風呂場から出てきていた。
 百合子以外の男の人の半裸なんて、見慣れないから、慌てて視線を逸らした。
 海水浴に一緒に行ったりして、半裸姿くらい目にしているはずなのに、鳥貝にとってそれとこれとは違うらしい。すっかり顔を赤くしている。
 少し見ただけだけれど、安羅はやっぱり綺麗だ、と鳥貝は思う。キャラメルブラウンの髪は、濡れてつややかにうねって、その先端に雫を蓄えている。メガネを外した素顔は、より彫りの深さが際立って見える。長いまつげも、視界不良によってか少しだけ細められた瞳も、シャワー後で上気した肌も・・・全てが綺麗だ。
 百合子も客観的に見て綺麗な男ではあるけれど、鳥貝にとってはそこの所はもうほとんど意識されない。
 綺麗な安羅に多少胸はときめきはするけれど、それと恋とはまったく違う。
 安羅は戸惑う鳥貝の様子に、喉の奥でくすっと笑って彼女に近づく。
「っ、あの、じゃあ、戻ります。また後でコーヒー持ってきますね!」
 安羅を直視しないように、俯いたままそこを離れようとした鳥貝の手を、安羅は取る。
「・・・ねえ、春海ちゃん、」
 声が、艶っぽい。
「きみは、百合子の事が本当に好き?」
 唐突な質問だ。
 手首にしっとり熱い安羅の手の熱を感じる。
 訳が分からないながらも、鳥貝は素直に答える。答えはひとつしかないから。
「す、好きです、けど・・・、」
 戸惑いながら答え、どうして、と続けようとする声に、安羅の声が被る。
「奴とのセックスに溺れているわけじゃなくて?」
「・・・っ! そ、そんな・・・、」
「経験のないきみの最初の男があいつだったのが最悪だ。きみはあいつとのキスに溺れた。セックスの虜になった。だから、今でも奴と付き合い続けている・・・、」
 安羅らしくない、ひどい云い方だ。
 なぜ、今、こんな事を云われるのか分からない。
 怒るよりも前に、混乱してしまっている。あまりの安羅らしくない言葉に。
 戸惑って、安羅の顔を見上げてしまう。彼の表情からその真意を読み取ろうと。
 けれど、安羅こそ困惑した表情をしていて、彼が何を考えているのか、鳥貝には分からなかった。
「・・・私は、百合子さんが好きなんです。好きだから、そばに居るし、キスもするし・・・その、えっちも、します。好きじゃない人として、気持ちいいだけのものなんて・・・望んでいません。」 
 安羅がどうして、何を考えてそういう事を云い出したのか分からないけれど・・・それは自分の真実の想いだから、真摯に口にした。
 一瞬だけ違う男の事が脳裏をかすめたけれど、それは気付かなかった事にした。
 鳥貝の真っ直ぐな眼差しを受けた安羅は苦笑し、鳥貝の手を引き寄せると、驚く鳥貝を裸の胸に抱きしめた。
「・・・っ! や、安羅さんっ!」 
 安羅の胸の中はシャワーの後だから、しっとりしていて、熱かった。
 百合子よりも少しだけ高い身長。百合子よりも広い肩幅。百合子より薄く感じられる胸。
 つい、百合子と比べてしまう。鳥貝の比較基準は全て百合子なのだから。
 鳥貝は安羅の胸を必死で押しやろうとする。
 混乱している。でも、どこかに冷静な部分が残っていて、普段とは違う安羅の異常の原因に考えを及ぼそうとしていた。
「離してください!」
「・・・、このままきみを奪い取れればいいのに、」
 鳥貝に話しかけるというより、独り言に近い言葉が鳥貝の耳を掠めた。掠めただけで、鳥貝にははっきりとは届かず、ただ、ひどく切ない声色だけが心の中に残る事になった。
 安羅はやんわりと腕を解いて、鳥貝を解き放った。
 真っ赤な顔で、目に涙まで浮かべた鳥貝に、いつものように優しく微笑み掛ける。
「・・・ごめん。色々あって、疲れているみたいだ。目の前に優しい春海ちゃんがいたから、つい、甘えてしまったね。・・・きみの温もりに、癒された。ありがとう。それから、レポートに集中したいから、コーヒーはいらないからね。」
 そっと鳥貝に手を伸ばし、びくつく彼女の頭を軽く撫でた。
 いつも通りの安羅だった。
「っ、あの・・・じゃあ、食器の片付けはお願いします・・・っ、」 
 安羅の綺麗な笑顔に、色々な意味で顔を赤くした鳥貝は、慌ただしく踵を返して部屋を出て行った。
 安羅はしばらく、鳥貝の後ろ姿の残像を追った後、一瞬だけ腕の中にあった彼女の温もりを思い出して、自嘲した。
「欲しいと思えば思うほど・・・遠ざかる。・・・上手くいかないものだな、」
 
 
「はーるみ、」
「・・・っ、はい、」
 顔が真っ赤になっている自覚があったから、一旦自分の部屋に戻って顔を洗って冷やしてきた後、食堂に向かった。
 鳥貝が来るまで食べるのを待っていてくれたらしい百合子が、朝食が置かれた自分の目の前の席にちょいちょいと手招いた。
 時屋は台所で大あくびをしながら食器を洗っている。
 白熊が台所と対面のカウンター席で時屋に話しかけていたけれど、鳥貝を認めると「おはよう」と笑う。
「えらく遅かったけど・・・安羅と何か話してたのか?」
 少しだけ真剣な顔の百合子。
 まさか、安羅に抱きしめられたなんて・・・云えるわけがない。
「えーと、はい・・・、」 
 どうやって言葉を濁そうかと思っていると、百合子の方から口を開いた。
「様子、おかしくなかったか? もしかして、色恋の事何か云ってなかったかか? 女心が一番分かるのは一応おまえだし、」
 鳥貝は少しだけぎくりとする。まるであれらの事を見透かされている気がしたからで・・・でも、決してそうではないのは、落ち着き払った百合子の態度から分かる。
 そう、様子は、おかしかった。
 色恋のこと・・・も、云われたといえばそうだけれど、あれらの出来事を話すわけにはいかない。
 安羅にとっては普段より少しばかりエスカレートしたちょっかいがけだとしても、百合子が完全に激昂してしまう。
「そう、ですね・・・色々あって、疲れている、と云っていました。・・・詳しい内容までは話してくれませんでしたけど。なんか・・・普段よりずっと、箍が外れ気味というか・・・、」
「箍が外れ気味、ねぇ・・・。何か、された?」 
 百合子は隠し事の上手くない鳥貝の言葉に隠された真意に、気付かないまでもひっかかりをおぼえたようだ。
 そしてまた、鳥貝も上手く誤魔化せばいいものを、顔色ですぐに読み取られてしまうのである。
「ふぅん、何かされたんだ。・・・おれが怒るような事だな、おまえが誤魔化そうとするって事は。」
「・・・っ、そのっ! あ・・・、」
 じーっと真っ直ぐに見つめてくる百合子の眼差しに、あらがえない。
「だっ、抱きしめられました・・・、その、癒されたいって、」
「・・・で?」
「そっ、それだけです。」
「・・・。・・・、」
 相変わらずじーっと見つめてくるけれど、本当に抱きしめられただけだ。ただ、安羅が半裸だったり、変なことを聞かれたりしたけれど。
 鳥貝自身にやましいことはない。
 だから、鳥貝も顔を赤くしながら百合子を見つめ返す。
「まぁ、それ以上はしないよな。確かに、おまえといると癒されるし。」
「そうそう。春海ちゃんは超癒し系だから。おれも抱きしめたい・・・、」
 洗い物を終えた時屋が悪ふざけに手を伸ばしてくるのを百合子がはたき落とす。
「時屋、今から寝るんだろ? さっさと部屋に行って寝て来いよ。」
「はいはい・・・ふわぁ・・・、」
 再び大あくびをして「おやすみ」と手を振ると時屋は立ち去っていった。
 代わりに、白熊が百合子の隣の席に移ってきた。
「安羅の様子がおかしいって?」
「なんか微妙にな。あいつ、真剣な感情ほど押し殺すから分かり辛いけど。」
「へぇ・・・、何があったかな?」
「総合的に考えて、女性関係、」
「・・・らしいと云えばらしいし、珍しいと云えばそうかな、」
 鳥貝は百合子の意識が自分から逸れた事にほっとして朝食を取り始めたけれど、百合子達も心配する安羅の変な様子は、鳥貝でさえ確かに気にはなった。
 だから・・・。


 平日の今日、鳥貝の講義は2枠目からで、百合子は午後からだ。だから昨日のうちに、朝鳥貝の散策に百合子が付き合う約束をしていた。
 散策、というか・・・建築物の見学である。
 時間がそうあるわけでもないので、電車で2駅ほどの街中へ出向くことにした。
 ショッピングに最適なその通りの店のほとんどは開店前だけれど、それは鳥貝にとっては構わない事。モダンな現代建築の外観を見て、あわよくばいつか内観も、と考えていた。
「写真も撮るのか?」
「はい、勿論。色々比べてみたいですしね。・・・あ、そうそう、うちの卒業生の建築家のY氏設計デザインのお店もこの近くにあるんです。一度、先生に聞いたので、ネットで調べました。それも見てみたいので・・・、」
 鳥貝とふたりきりのデートには違いない。もう慣れもした。けれど、女子として、お店の中の服飾雑貨よりもお店そのものに釘付けになっている鳥貝には苦笑を禁じ得ない。
 もちろん、百合子にはそういう所も可愛いく思える。
 だから、夢中になって周囲に少々不注意になっている鳥貝を気をつけてやるのが自分の務めととばかりに、街行く人にぶるかりそうになる鳥貝の手を引いて、さりげなくガードしてやる。
「・・・あ、あのお店、」
 歩道橋の上で不意に鳥貝が立ち止まった。
 視線の先にはモノトーンをベースとした外観のお洒落なメンズファッションショップがある。
「ああ、確か、安羅御用達の店じゃないか? 」
「・・・、大丈夫でしょうか、」
 朝食後、鳥貝たちが出かけるまで一度も安羅は姿を見せなかった。
 百合子はじめ男達は「マジにしんどくなったらもっと何か云ってくるだろ」程度で傍観を決め込むようだし、鳥貝も気にはなりつつも、その部屋の扉をノックできずにいた。
 食後のコーヒーはいらない、と云っていた安羅を思い出す。あれはつまり、放って置いて欲しい事の意思表示だったのだと、さすがの鳥貝も気付いていたから。
「おまえが気にしすぎることはない。あいつも大人なんだ。どうしても助けが必要になったら、誰かしらに声をかけるさ。それまで、おれらは見守るだけだ。そのためにおれら親友はいる、」
 実際、百合子も、夏目の死後そういう距離感で男達に接せられていた。直接的な助けにはならないとしても、傍にいて感情を共有してもらうだけでも心は落ち着いていられた。
「まぁ、願わくば、おれの親の方の助けがいる状況じゃないとありがたい・・・、」
「・・・。それって、そういう・・・、」
「・・・一応あいつらの名誉のために云っておくけどな、今まであいつらの誰も、一度もうちの親の助けを借りたことはないぞ。」
「・・・。・・・。・・・百合子さんは・・・、」
 疑り深い眼差しで百合子をみる。ほとんどじゃれ合い。お互い分かっている。
 百合子はにやにや笑って答えず、じゃれあいのつもりの鳥貝の不安を誘う。
「・・・百合子さんっ、」
「・・・気になる?」
「当たり前ですっ!」
 ムキになる鳥貝ににっこり満面の笑みをするのは、鳥貝のやきもちを実感できたから。
「うん、当たり前だよな。で、おれも頼ったことなんて、今までない。」
 百合子の言葉に、拗ねた表情をする鳥貝の頭をぽんぽんすると、鳥貝は頬を赤くして向きを変えた。
 百合子には、その態度の全てが愛おしくて、くすくす笑ってしまう。
 鳥貝は百合子の笑い声をうけて早足で歩道橋を渡りきって、階段を降りながら、くるりと振り向いた。
「もし、安羅さんが相談もちかけてきたら、ちゃんと真摯に対応してくださいねっ。わたしも・・・、何か力になれればいいんですけど、」
 言葉の後半は声のトーンを落とす。
 抱きしめられたとき、かすかに囁かれた声が、気に掛かっていた。内容は聞き取れなかった。ただ、切ない調子が、胸に痛かった。
 改めて、今日の安羅を思い出せば、やっぱり何から何まで普段の安羅らしくなくて・・・。
 不機嫌の八つ当たり・・・ならいい。ちょっと腹は立つけれど、単なる不機嫌なら元に戻るのも早いだろうから。あれが・・・思い悩んだ末の混乱だとしたら・・・もしかすると、自分があの時もっと突っ込んで聞き出すべきだったのかもしれないと、鳥貝は自責にかられる。
 鳥貝にとって安羅も大切な存在のひとりなのだから。
 ぼんやりしていた。
 だから、鳥貝は・・・階段を踏み外して・・・。
「っ、ちょ、春海!?」
 慌てた百合子が咄嗟に鳥貝の腕を取って、その体を抱き寄せようとしたけれど・・・タイミングが悪かった。ふたりして、歩道橋の階段を転げ落ちて。
 目の前が一瞬だけ真っ暗になった。
 他人の悲鳴が聞こえ、身体に衝撃と同時の痛みを感じ、冷静な部分と混乱した部分が頭の中をちらつく。
 最初に、はっきり分かったのは。
「・・・って・・・、」
 自分の体の下の、百合子の温もり・・・それから、そのうめき声。
「・・・っ! 百合子さんっ!」
 目を開け、慌てて百合子を見る。周囲を見る。
 変な風に階段の下に横たわった百合子の体の上に鳥貝はいた。
 百合子は顔をしかめているが、意識はしっかりしているらしく、鳥貝の手を握った。
「・・・っ、春海、無事か?」
「・・・はい、それより・・・っ!」
 鳥貝は体を動かして、百合子の上からどく。多少痛い部分もあるけれど、特に問題なく体は動く。
 周囲に集まった幾人かの人間から心配する声が漏れるけれど、とりあえず百合子だ。
「百合子さんこそ、大丈夫なんですか!?」
「・・・痛い・・・、」
「どこが!? 頭とか!?」
「や、頭は強くは打ってない、けど・・・腰と脚が・・・、」
「動けますか!?」 
 鳥貝の言葉に身動きしようとする百合子だけれど、上手く体が動かせない。
 その様子を見ていた周囲の人間が「救急車だ、」と、救急センターに連絡を入れてくれている。ありがたい。
 鳥貝は顔を上げて礼を云い、百合子の手を握った。
「ごめんなさい、わたしのせいで・・・、」
 上半身だけ起こした百合子は、苦笑しながら鳥貝の手を握りかえした。
「・・・まぁ、死んじゃいなから、大丈夫だろ。」
 少し暢気な言葉だけれど・・・百合子が無事な証拠だ。
「脚は骨折って所か・・・腰は折れてないといいけどなぁ・・・、色々面倒だ、」
 やっぱり少しだけ暢気な百合子の言葉に、鳥貝は苦笑した。
「それだけ口が回るのなら、平気そうですね。とりあえず・・・ご実家に連絡入れます。」


 それから数分後に救急車が到着し、百合子は担架に乗せられ、鳥貝もそれに同乗した。
 運ばれた病院で、ふたりともが検査を受け、結果。
 鳥貝は数カ所の打ち身だけですんだ。全て百合子のおかげだ。
 対し、百合子は。
 右脚の単純骨折、左足首の亀裂骨折と、腰の打ち身、内出血各所、という状態。
 全治2ヶ月を言い渡された。
 若くて運動神経が割といいからこの程度で済んだのはありがたい事だ。
 何にしろ、手術としばらくの入院は必要になる。
 骨折の方はすぐに手術となり、待ち時間に鳥貝は病院に向かう車の運転中だという百合子の母に代わって出た祖母に報告した。
 それから、寮の男達にも一斉メールをし、何人かがすぐに病院に向かう、と返信を寄越した。件の安羅からは、少し間を置いて、時間が出来たら行く、とメールが届いた。


 救急車によって運ばれた病院は、幸いというか、大学傍の病院だった。 
 手術を待っている間、大学にいたという多飛本がメール後しばらくして現れ、その後に時屋と白熊がやってきた。
 事情を事細かに説明すると、皆がほっとした後大笑いした。
「鳥貝に大事がなくて何よりだ。もしきみに何かあれば、それこそただ事ではなくなっていたはずだからな。」
「春海ちゃんをかばっての骨折なら、名誉の負傷も良いところだよねぇ。むしろ、しばらく自慢されそうだ。・・・春海ちゃん、うざいから覚悟しときなよ?」
「頭の方がまったく無事なら、問題ないな。睡眠途上で来たから眠い。あいつの間抜け顔だけ見て、帰るわ。」
 百合子の母と祖母もやってきて、鳥貝の事情説明と謝罪に笑って応え、白熊と時屋と似たような言葉を口にした。


 数時間後手術も終わり、医師より百合子の母たちへの説明も終わり、病室に運ばれた百合子の麻酔も覚めた後、麻酔でぼんやりしながらも、問題なく口の回る百合子に皆はほっとした。
 無事だと云われても、実際その姿を目にするまでは不安だったのだろう。
「春海は、どこも何ともないんだな?」
 しかも、自分の状態を聞くより真っ先に鳥貝を心配するあたり、相変わらずの百合子だ。
 鳥貝も、泣きたいくらい嬉しくなってしまう。
 だから・・・というわけでもなく、それは当然の事なのだと思いつつ、鳥貝はこう口にした。
「百合子さんが完治するまで、わたしにお世話させて下さい、」と。
 骨折程度の怪我でもしばらくの介助は必要だし、入院中の洗濯等もしなければならない。
 だから。
 百合子は当然大喜びし、百合子の母と祖母はしばらく顔を見合わせた後、それを快諾した。
 ただ、もちろん「無理はしないでね。あなたが疲れる前に、必ず連絡して。」の言葉も付け加えたけれど。
 そして、鳥貝の慌ただしい日々は始まった。
 もちろん・・・それらの日々で、安羅の事を真剣に考える余裕は、なかった。


 早朝病院に立ち寄ってから、大学に向かい、昼休みや休講などの余裕がある時もできるだけ病院に出向き、講義終了後は必ず病院に行って消灯まで百合子の相手をする。
 寮の食事係はしばらく鳥貝以外の当番制となった。
 当初の3日は講義も欠席した、鳥貝がどうしても心配した結果の泊まり込みだった。
 両足それぞれがギプスで固定されているが両腕は無事、鳥貝に介助してもらえるとは云え、自分の自由にならない状態が嫌な百合子は、松葉杖と車椅子での移動をすぐにこなせるようになったから、鳥貝も始終傍にいる必要はなかったけれど、責任感と多少の自責の感情と、他諸々の理由と・・・何より百合子に会いたかったから、鳥貝は自ら忙しい生活を望んだ。
 見舞客はひっきりなしに訪れる。大学の傍の病院という事もあってか、見舞客が絶える事はなく、いつの間にか病室は見舞いの品の山になっていた。
 もっとも、見舞客の大半が百合子が心配と云うよりも、この男の滅多に見ない無様な姿を見るためにやってきていたようだが。
 寮の男達も毎日誰かしら訪れる。安羅も何度かやってきて、鳥貝や百合子からしたら普段と変わらない態度で、様子のおかしい安羅に対する心配もすっかり忘れてしまうほどだった。
 中ノ瀬も見舞いに訪れ、百合子と鳥貝を散々構った後、妙なことを百合子に吹き込んでいった。
 斎や月成さえ現れて、百合子の姿に大笑いし、むしろ鳥貝を気遣って食事に連れ出した末、鳥貝に無理はするなと何度も釘を刺して帰って行った。
 百合子の特殊な人脈と人徳の成せる技だ。
 賑やかな百合子の病室は、看護師達にも注視されていた・・・色々な意味で。患者である百合子が、綺麗な青年だったからも当然の一因であり・・・鳥貝が連日病院を訪れてた理由は実はそこにもあった。



つづく