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[鳥貝大学2年の秋]

夢、だから【1】


 最初は、なんて純粋で可愛らしい女の子なのだろうと思った。
 それだけだった。
 純粋で、喜怒哀楽を表立って表すのが苦手な彼女をからかうのはひどく楽しかった。自分の言動に簡単に翻弄されて、顔色をくるくる変える彼女のかわいらしさに、癒された。
 自分がまだ幼かった頃に付き合った女の子たちでさえ、もっと「女」だったのに、彼女は「少女」そのものだった。
 だから、彼女を異性としてではなく「妹」として愛しく思うようになったのは、すぐだった。
 それは、他の男たちにしても同じ気持ちだった思う。
 最初こそあった、亡き親友の忘れ形見だから、という想いが作った心のフィルタは、彼女としばらく過ごすうちに簡単にはぎ取られ、誰もが彼女そのものを愛しく思うようになっていった。
 そして、その彼女をあっさりと手に入れてしまったのは、亡き親友の死を一年以上経っても思い切れず、人生を前に踏み出せずにいた男。
 最初は、誰の心にも少しだけあった「亡き男の何か」を彼女の中に求めているにすぎないのではないかという疑念は、その男の彼女への態度を見てすぐに消えた。
 男は純粋に彼女を愛しているようだった。
 だから、彼女も男の愛情に応えた。
 時に無茶すぎる男の恋情に振り回されながらも、彼女は純真なまでに男を愛し続けている。
 それは、男の親友であり、彼女の兄代わりが板についてきていた自分たちには、嬉しい状態に違いない。
 ・・・はずだった。
 自分のそれが欺瞞だと気づいたのは、随分経ってからだ。普段から自己分析を難なくこなしている自分が、その壁にぶち当たった時、愕然とした。
 他の男たちにそれとなく探りを入れることは幾度もあったけれど、その欺瞞を続けているのは確実に自分だけなのだと悟って・・・自分のあまりの愚かさに、何度自分を罵った事か。
 自分は、彼女に「恋」していたのだ。
 いつから?・・・きっと、出会ってよりほとんどすぐ。
 出会ってすぐに彼女が男と付き合い出したその時も、かすかに嫉妬らしき物を感じていた覚えがある。いつもの口先だけの軽口で男を羨む発言をしていたけれど、それは事実心の内の想いだった。
 これまで多くの女性と出会い、付き合い、枕を共にし、別れ・・・恋する事は当たり前で、そういう出会いと別れさえ当たり前の事だった。常に恋をしていると云ってもいい。来る物拒まず去る者追わずの自分だから、余計にそうだ。
 恋心も、相手の女性に好意を抱けばすぐにでも花開いた。付き合っている間は、真実相手に恋をしていたし、相手を大事にしていた。
 だから、自分にとっては異質であった、彼女への恋心に気づけなかった。
 出会ってすぐに芽吹いたごく小さな恋心が、年月を経て徐々に育っていっていたのだ。
 本当は誰より感情豊かな彼女。
 真っ直ぐで純粋で嘘などつけない彼女。
 妙な所で責任感が強くて、いつもそれを全うしようとする彼女。
 意外と頑固な所も、勝ち気な所も。
 見た目より実はずっとしっかりしている所も。
 その笑顔。泣き顔。怒った顔。
 声。言葉。眼差し。
 すれ違いざまの香り。
 触れてはいけない・・・その柔らかい身体とぬくもり。
 彼女の事を知れば知るほど、想いは育ち、それと分かるくらいに育つまで、己自身さえ気づかなかった。
 けれど、気づいたからと言って、何ができるわけではなかった。だって、彼女は、あの男のものなのだから。
 あるいは、ふたりが別れれば、とちらりとは思った。
 彼女にも親友である男にも、裏切りと取られてもしかたのない醜い想いだ。
 けれど、確信があった。ふたりが別れる事は、ない、と。
 ふたりは一緒に過ごした年月の分だけ、絆を強くしている。単なる恋情だけがふたりを結びつけているのではない。
 だから、彼女の事は諦めるしか、ないのだ。
 けれど、一度だけ、彼女を抱きしめたい。想いを告げたい。そして、彼女の心と身体に、生涯忘れられない痕を残してやりたい。棘のように細くて小さくて、けれどいつもどこかで痛みを誘うようなそれを、彼女に残してやりたいと・・・そんな甘くて非道い事を考えるようになっていった。
 そんな欲望を持つ心には、いつか小さな悪魔が棲み着いて、ふたりの隙を伺うようになってしまった。
 醜い自分に気づいていながらも、どうすることもできないでいた所に、また悪魔が増長するようなモノを目撃して・・・。



 鳥貝が寮で暮らし始めて2年目の冬。
 様々な事があっという間に過ぎて行ったこの2年間を振り返られるほど、鳥貝にはまだ時間に余裕はない。
 寮での生活と、大学の勉強と、アルバイトと、百合子との付き合いと・・・鳥貝は大忙しなのである。
 ついでに、この秋になんの偶然の積み重なりか、TK大のミス・キャンパスなどというものになってしまい、時折そちらからのオファーがかかるのも、忙しい事に拍車を掛けている。
 もっとも、大学数の多い東京都内の、あまり名の知れていない大学、さらには男子が大半の工業大学のミスだから、印象として華やかさに欠けるのか、実際のメディアなどからのお呼びはこれまで数度しか掛かったことがないのが幸い。・・・お呼びが掛かったところで、忙しい事を理由に何度かは断っているのだけれど。
 そして、鳥貝がミス・キャンパスになったこの秋以来、鳥貝のミス優勝で、これまで自分だけのかわいい恋人だった鳥貝が、大勢の人間に持ち上げられる事となったやきもちによって、少しだけ不機嫌になってしまった百合子の締め付けがより一層キツクなっていたのも、鳥貝が忙しいと思ってしまうひとつの理由。

 その日もまた、百合子に騙されるようにして呑んだ(呑まされた)お酒によって、酩酊状態になった鳥貝は、嬉々とした百合子に部屋まで運ばれた。
 お酒だけに限らず、あの手この手、持てる限りの知略を用いて日々鳥貝を攻略しようとするからたちが悪い。頭は飛び抜けて良いくせに、その使い処が何か間違っている、と鳥貝は思わずにはいられない。
 そして、鳥貝も、百合子とする行為が好きなのを既に自覚してしまっているので、積極的には拒めない。
 お酒の酩酊感に加え、百合子の甘い囁きや愛撫で、結構簡単に鳥貝は百合子を受入れた。
 鳥貝は、百合子が単なる性欲だけで自分を求めているわけではないのは、この2年近い歳月で理解しているけれど・・・それでも、百合子はこの行為が好きすぎるのではないか、他の恋人同士もこんなものなのだろうか、という疑問を最近誰かにぶつけてみたい気分に駆られることもままあったりする。・・・いまだ誰にもぶつけられないのは、確固として存在している鳥貝の羞恥心故。
 すっかり百合子の愛撫に敏感になってしまった鳥貝の身体は、百合子の導きで何度も達し、やっと百合子がイッた後には、既に疲れ果てている。
 行為後でも元気が有り余っているらしい百合子は、息をつく程度の休憩の後、2度目のそれに及ぼうと鳥貝の身体をまさぐり始める。
 勿論、疲れ切った鳥貝は、行為を拒むのだが・・・こういう場面においてはいつも聞く耳持たないのが百合子。
「男女の体力差を考えてくださいっ、」 
 呼吸を乱しながら、どうにかその声だけ吐き出す。
 アルコールが回っている事もあって、激しい運動をした直後のように、身体中がだるい。けれど、百合子と愛し合った甘い気持ちは心中に詰まっている。
 心地良い倦怠感を感じる今、行為を再開するよりも、抱き合って穏やかな時間を過ごしたいのに、百合子はそれを許してくれない。
「春海ならダイジョブだろ。見た目より、結構体力というか持久力あるよな。運動神経も割といいし。」
 自分勝手な無茶な事を云う。いつもの事。
「また、そういう事を・・・っ!」
 鳥貝の反論を聞く事なく、百合子は再び鳥貝の胸に唇を落とす。
「・・・っ、ばかっ! もぉ!!」
 百合子の頭をぐいぐい押しやろうとしながら、抵抗の言葉を口にるのは、いつも通り本気半分じゃれ合い半分。
 けれど、続く百合子の言葉となされる行為に、抵抗を本気にする。
「じゃあ、・・・優しくしてやるから、今日はこっちでさせて、」
「・・・っ!」
 いつもとは違う場所の入口を指先でなぞられた。
 ほんの数度、そちらでも行為はした事があった。けれど、鳥貝はあまりそこでの行為が好きではない。行為としてはそのうち気持ちよくなるのは、分かった。何だかんだ云っても百合子は優しく鳥貝を導いてくれるから。けれど、どうしても生理的に気持ちが悪いのだ。
「ヤだっ! だめっ!」 
「・・・やだは嫌。今日はこっちでするー、」
「ばかっ、百合子さんのばかっ!!」
「ばかじゃないから云われても平気・・・よっと、」 
 力ない鳥貝の抵抗をものともせずに、軽々と鳥貝の体を裏返し、その上にのし掛かって身動き取れなくする。
「・・・苦しくはないだろ?」
 加減は心得ている。
「っ、やぁ! ばかっ、ばかばかばかっ!」
 鳥貝は手足をばたつかせるけれど、後ろ向きでは上手く抵抗できない。
 本気で嫌だから、本気で抵抗するのに、こういう時も百合子はあまり聞き入れてくれない。自分の快楽への欲求の方が勝っている。
 手がお尻の双丘を割って、その部分に延びる。
「さっきまでしてたから、その汁でぬるぬる。丁度良いな・・・、」 
「・・・っ!」
 卑猥な言葉を云いながら、百合子の長い指が簡単に進入する。
 不快感で背筋がぞくっとする。
「春海は自分で思っているよりスケベだから、こっちでもすぐに良くなるんだよな?」
「そんなこと・・・っ!」
 確かに、最初はともかくその後幾度かの行為では、体は快感を得ていた。
 でも・・・やっぱり、嫌なものは嫌だ。
「・・・っ、ふっ・・・ぅ・・・、」
 自分の意志を無視した百合子の行為と言葉に、遂に鳥貝は泣き出した。
 そもそもお酒が入ると、鳥貝は感情の起伏が激しくなる。
「っ! 春海・・・、」
 さすがに百合子も行為を止める。
 鳥貝を愛しすぎているが故に無茶なことをする百合子だから、もちろん彼女を傷つけるつもりはない。
 伏せられた鳥貝の顔をのぞき込む。
 伏せられている上、手で顔を覆っているから表情は見えない・・・そっと肩を動かして体を横にさせると、頭に手を置いた。
「・・・悪い。すまなかった。」
 鳥貝は応えない。
 顔に掛かる髪を優しくかき上げて、顔を覆う手をどけようとする。
「・・・っ、ばかっ、」
 嗚咽混じりに鳥貝は呟いて、百合子の手をふりほどいて再び顔を伏せようとするのを、百合子は阻止して、抱き起こして抱きしめる。
「悪いって。反省してる。」
 きゅっと抱きしめて、鳥貝の頭を優しく撫でる。
 百合子の悪ふざけも、その後の謝罪も、いつもの事なのだ。
 鳥貝の気持ちを分かっていながら無茶をして・・・でも鳥貝も、いつもわりと簡単に許してしまう。百合子を信じているから。無茶をしていても、常に鳥貝を気遣ってくれるから。
「春海・・・顔、見せて・・・。もうしないから、」
 今回だって・・・こんな風に痛切な声で謝罪されれば、許さないわけにはいかない。
 顔を覆う手を百合子がそっとどけるのに抵抗せず、鳥貝は泣き顔のまま百合子を睨み上げた。
「・・・ばか・・・、」
「うん。おまえといると、おれはとんでもない大馬鹿になる。」
 微笑んで、顔を寄せて、優しい、優しいキスをする。
「春海、すげぇ、好き・・・、」
 キスの合間に何度も囁いて、鳥貝を至福に誘う。
 だから・・・「もう一回、してもいい?」の百合子のねだる言葉に頷いて、再び百合子に身を委ねた。
 

 酔った鳥貝を部屋に運びこんで、そのまま行為に及んでいた百合子は、部屋の扉をきちんと閉めていない事に気付かなかった。
 だから、彼が苦痛に歪んだ表情をして、部屋の前を立ち去ったのにも、気付くわけがない。


「おまえ、本当に春海ちゃんの事、好きなんだよな?」
 早朝、食堂でぼんやりとコーヒーを飲んでいた時屋が、ふたりそろってやってきた百合子と鳥貝に挨拶をした後、朝食の準備にとりかかる台所の鳥貝に視線を走らせてから、自分の前に腰掛けた百合子に、小声でそう聞く。
「・・・起き抜けに、なんだ。」
 鳥貝と迎える朝は大体機嫌の良い百合子が、にやにや笑いながら云う。
 答える必要もない、というような態度。
「おれは今から寝るとこだけどな。春海ちゃん手製の朝飯食ってから。」
 大あくびをした時屋は、黒縁の眼鏡の奥の眼差しで、百合子に答えを催促する。
 百合子は淹れたてのコーヒーの香りに瞳を細めて、カップに口をつけ、ひとくち喉に通してからゆっくりと答える。
「好きなのかと聞かれたら、そうだ、と答えるだけだが。どう思ってるかと聞かれたら・・・何よりも愛している、と答えるけどな。・・・・・・、で、何かあったのか?」
 2年を越える歳月、百合子と鳥貝のそばにいつづけている男が今更口にする愚問に、百合子はそう切り返す。
「うーん・・・、何もないよなぁ、」 
「・・・?」
「や、おまえと春海ちゃんは相変わらずだ、と。」
「相変わらずじゃない。日ごと夜ごと愛は深まっている。で・・・マジ何なんだ?」
 百合子の言葉に、コーヒーカップを口にあてたまま、時屋は考え込む。
 再び、台所の鳥貝に視線をやってから、小さな声を出す。
「今朝帰ってきてみたらさ、安羅のやつがまだ暗い居間に、灯りもつけずにいてな・・・、変なこと呟いたから、気になって。」
 気を持たせる喋り方をする時屋を、百合子は眼差しで促す。
「うん・・・おまえがさ、春海ちゃんに今でもマジなのかな、って。」
「・・・、はあ?」
 百合子は手にしたカップを落としそうになって、慌てて体勢を建て直す。
「2年もおまえら事見ていたら、分かってると思うんだけどね。・・・安羅、別件で何かあったかな。」
 鳥貝と出逢うまでは、女性の恋人とは1年も続いた事のない百合子だけれど、彼女は特別だから。
 それを、ふたりの傍にいる男達は理解しているはずなのに。
「あいつの今付き合ってるオンナ、一年経ってるか?」
「確か、この夏に付き合い出した彼女のままだと思うけど。それか、昔の彼女と何かあったか?」 
「昔のオンナに未練が出てきたって? あいつが?」
 あまり鳥貝に聞かせる様な内容ではないから、声を潜めて額を寄せてふたりは会話する。
 鳥貝は台所で朝食の準備をしながら、ふたりのその様子に小首を傾げる。
 男達の男同士のああいった会話は頻繁に見て来ているから、別に不審とも思わない。秘密の会話をするほど仲がいいのだな、と鳥貝は思うだけだ。
 ただ、して貰う事はして貰わないと。
「すみません、百合子さん、鶏小屋に行ってきてください。卵も欲しいので。」
 鶏小屋の掃除にも当番がいるけれど、百合子がいる時は大抵百合子がする事になっている。
 話に割り込むのを悪いとは思いつつ、早く取りに行ってもらわないと、みんなが食事する時間に間に合わない。
 百合子は顔を上げて鳥貝に手を振った。了解の意である。
「で、その安羅は?」 
「ジョギングに出てる。そろそろ戻ってくるだろ。様子おかしいからさ、しばらく刺激すんなよ?」
「あいつが女性問題で悩むなんて、青天の霹靂か。」
 話しながら椅子から立ち上がり、鶏小屋の鍵を取りに向かったのだけれど、いつもの場所にない。
「ん?」
 誰かが位置を変えて置いたのかとごそごそと棚廻りを探っているうちに。
「おはよう。」 
 食堂から庭に出る扉を開けて安羅が入ってきた。
 手には卵。
「おお、おはよ、」
 一番近い位置にいた百合子が真っ先に挨拶するのに、安羅は何故か苦笑いをした。
 先ほどの時屋との会話があっても、百合子は普段通りの調子を崩さないけれど、安羅の方が妙におかしい。
 百合子に視線を合わせる事なく、卵の入った籠を押しつけるように渡すと、その場を立ち去って、台所の鳥貝に近づく。
「緊急レポート仕上げるのを忘れてた。それ仕上げてから朝食取るから・・・ラップかけておいてくれる?」
「後でお部屋まで運びましょうか?」
 鳥貝の気遣いに、安羅はしばらく逡巡した後微笑んだ。
「きみが迷惑でなければ、」
「でき次第、お部屋に持っていきますね。」
 鳥貝がにっこり笑って請け合うのに、安羅は目を細めて何か云い掛け、やめる。
「ありがとう。」
 それだけ云うと、足早に二階へと消えていった。
 それを見送った百合子は時屋の前に戻って眉根を寄せる。
「やっぱり、ちょっとおかしいかもな。」
「だろ? ・・・けど、あいつは素直に話す方じゃないしなぁ。」
「おまえは割とざっくり話すけどな。」
「それはおまえもだろ。男相手の恋愛相談なんて、聞きたくない、っての。マトモに相手してくれたの夏目だけだもんなぁ。」
「じゃあ、春海とのそれには乗ってくるのか?」
「そもそも、春海ちゃんとの間でおれに相談するような事あるのか?」
「そりゃ、あるぞ。春海に拒まれてる。どうしたらちゃんとさせてくれるのか、とか。」
 話が大幅に逸れてきているが、男達は気にしない。
「なんだ、してないのか? 昨晩も泊まってんのに? 生理中?」
「ばか、違うよ。普通のはちゃとしてる。そうじゃなくて、後ろからのだをだな、」
「はぁ? おまえ、春海ちゃんともそっちでしてんの? 女の子相手に、必要ないんじゃね?」
「だって、春海の全部が欲しいだろ。それに、あいつ自身はするのを嫌がってるけど、後ろもすげぇイイんだ。それを、なんで嫌がるかな。」
 百合子と時屋はお互いこういう話を平気でする方だ。だから、こういった会話が普通だと思っている。
 が。
「昨晩も泣かれてさぁ。・・・あいつはもっと性に開放的になった方がいい。見た目も感度もすげぇイイ体してんのに、」
「おまえが性に開放的すぎる。ってか・・・、うん、まぁ、ちょっと・・・トイレ。」
「・・・ん?」
 目の前の時屋が立ち去った次の瞬間。
「っ、うわっ・・・ちょ、春海!?」
 頭の上から流れ落ちる冷たい・・・水。
 そして、顔を上げてみた背後には顔を真っ赤にして空のコップを持った鳥貝。
「いっ、一体時屋さんと何の話をしてるんですかっ!!」 
 真っ赤になった顔で、ふるふる小刻みに震えているのは、怒りというより感情の昂ぶりのせい。
 恥ずかしさに爆発しそうになっているようだ。
「いや、悩み相談を・・・、」 
 したたり落ちる水をそのままに、百合子は怒る鳥貝もかわいいな、などと考えつつ言い訳を口にする。
「大丈夫大丈夫。時屋からも似たような相談されることあるし、あいつはそんな事気にしない・・・、」
 今度は顔にぱしりとエプロンがたたきつけられた。
「ばかっ!!」
 エプロンで頭から滴った水ををぬぐってそっと顔を上げると、ひとり分の朝食をトレイにのせた鳥貝が百合子をぎりっと睨み付けた。
「安羅さんの所に行ってきます! 朝食できあがってるので先に食べててくださいっ!」
 完全な怒り調子で、食堂を立ち去っていき、鳥貝が階段を上りきった頃合いで、時屋が戻ってきた。
「・・・百合子、水も滴るイイ男の顔が崩れまくってるぞ。」
「・・・顔を真っ赤にして怒った春海もかわいいよな、」
 かなり真剣に怒られていたのに、それをまったく意に介す事なく、にやにや笑いながら席を立った百合子に時屋は苦笑いした。
「相変わらずというか、ますますというか、無駄に惚れまくってるよなぁ。」
 


つづく