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[鳥貝大学3年の春のアナザーストーリー]

Memories〜春海【4】


 扉を開けた百合子とその気配に振り向いたNと鳥貝。
 刻が凍る瞬間は確かにある。
 その氷を熱波で砕くのは百合子。
「なにをっ、なにしてやがる!」
 つかつかと近寄って、Nを鳥貝の上から引きはがした。弾みで、Nは椅子にぶつかり、派手な音を立てる。Nは床に座り込んだ。
「・・・っ、ちょ・・・、Nくん!」
 鳥貝が慌てて起き上がるのに、百合子はふたりの間に立って、Nの方を向いて怒鳴った。
「出てけ! 帰れ! 二度と春海に近づくな!!」
 派手な音と声に、ナースステーションから駆けつけてきた看護師が中をのぞき込んだ。
「どうしましたか!?」
 それに、意外にも冷静なNが苦笑して応える。
「すみません! いえ、ちょっと弾みでこけただけで。単なる痴話喧嘩です。すぐに、収めますから、」
 苛立っている百合子が、Nの冷静さに更に苛立つけれど、大人げない態度までは取らない。押し黙って、険しい表情をする看護婦に会釈だけした。
 看護師が「ここは病院です。くれぐれもお静かに!」と、お小言を口にして立ち去った後。
「・・・帰りますよ。」
 いてて、と小さく呟いて起き上がったNは云う。
「けど、春海ちゃんが許してくれる間は、春海ちゃんの所には来るつもりです。ぼくも、さっきの事は・・・亭主の留守を狙っての間男だと、自覚してます。彼女が可愛すぎて魔が差しました。じゃあ・・・喧嘩、しないでくださいね。」
 そういう言葉を、怒り心頭している百合子に向かってさらりと云う。
 腹立たしいけれど、憎みきれないのは、彼が自分の否を認めているからか。
 Nが帰って行き、百合子と鳥貝は・・・。
 百合子が鳥貝に向き合った途端、また頬を平手打ちされた。
「勝手に入ってくるなんて、失礼すぎます!」
 顔を真っ赤にしているのは、ああいう所見られた羞恥のためだろう。
 涙目なのが・・・ひどくかわいい。
 だから、自分をはたいた方の手を取って、その体を引き寄せて、無理矢理キスをした。
 Nとしていたキスを忘れさせたいとも思ったためでもある。
 最初こそ抵抗していた鳥貝も、そのうち抵抗を止めて、百合子のキスに体を委ねた。
 唇を離すと、うっとりした表情をして見上げてきた。戸惑っている。けれど、抵抗はない。
「・・・どうして・・・、」
 吐息のように吐き出された鳥貝の言葉は続かず、じっと百合子を見上げる。
 百合子は再びゆっくりと鳥貝に唇を合わせて、Nと同じようにベッドに横たえ、その体を抱きしめた。
 鳥貝の体を優しくなぞる百合子の手に、鳥貝はしばらく抵抗を忘れる。髪を、首筋を、腕を、胸を・・・這い回る彼の手に違和感はなかった・・・Nのキスや愛撫に感じたようには。
 心地良かった。
 そのまま、続けて欲しいと思った。
 でも。
 今の鳥貝にとっては、違う。
 彼は事実20歳の自分の恋人だったとしても。今の自分の恋人ではない。恋人ではない男性にこういうことを許すのは間違っている。
 頑なな鳥貝は己にそう暗示をかける。
 だから・・・自分の上に覆い被さる百合子の肩を叩いて、頭を振って唇を離して、泣いた。
「・・・っ、ばかっ・・・、」
 ぼろぼろあふれ出した涙は止まらない。
 見下ろしてくる百合子の頬を、力なく叩いた。
「ばか、ばかっ・・・どうして、そういう事するんですか、」
 百合子が切ない表情で見下ろしてくる。形の良い眉が寄って、切れ長の瞳が細められて。
 整った綺麗な顔なだけに、その憂えた表情は胸に突き刺さるように、印象に残る。
「わたしは、あなたの恋人じゃないんです。違うんです。あなたの事、好きじゃない。あなたに、こんな事されたくない。」
「春海、おれは・・・、」
「馴れ馴れしく名前で呼ぶのもやめてくださいっ。」
 強い語気で云う。
「わたしに関わらないで。わたしを束縛しないで! わたしは、あなたの恋人じゃない!」
 泣きじゃくりながら、云う。
「わたしは・・・あなたなんか、嫌いです、」
 涙で目がかすんで、見下ろしてくる百合子の表情も判然としない。
 けれど、体に感じる彼の体の熱と重みが消え、すぐに部屋の引き戸の閉まる音がした。
 鳥貝はゆっくりと体を起こして・・・自分を抱きしめた。
 自分の事が分からない・・・それが、怖い。
 確かにNの事が好きなはずなのに・・・キスも、体の熱も、吐息も、全部、あの百合子という男の方に惹かれてしまう。あの男にキスされると、抱きしめられると、胸の奥から甘い気持ちがわき上がってきて、胸がうずいて、どうしようもなくなる。
 今の自分は百合子に嫌悪を感じているはずなのに。
 あんな男、好きになるわけないのに。
 なのに、どうして・・・自分を見つめるあの男の切ない表情が胸に突き刺さったまま抜けないのだろう。
 ・・・鳥貝は、眠れず、その晩を過ごした。


 2日目、百合子は病室には現れなかった。ただ、待合室には来ていて、頻繁に訪れるお見舞い客達の相手をしていた。
 鳥貝だってずっと病室にいるわけではないから、顔を合わせなければならない時もあったけれど、鳥貝から視線を逸らせ、彼を見ないようにした。
 百合子は、細めた瞳で鳥貝を見つめるだけで、何も、云ってはこなかった。
 明日の朝には両親がやってきて、鳥貝は退院する。そして、その足で寮に向かい、荷物をまとめ、午後から大学に行く事になっていた。寮に1泊した後、明後日の朝に郷里のN県に帰る。
 東京にいられるのは、あと3日もない。
 たった3日。
 それでいいのだろうか。
 鳥貝は、思い悩みながら、退院の朝を迎えた。
 
 
 手続きを済ませ、両親と共にタクシーで寮に向かった。
 閑静な住宅街の中に、その洋館はあった。
 立派な門扉から緑多い道を歩いて現れる洋館を見上げ、鳥貝は目を丸くした。
「こんな所で、生活していたの?」
「そうよ。白熊くんのご家族の好意で、しかも格安で。あなたは恵まれていたのよ。夏目くんのおかげ、」  
 ノッカーで玄関をノックすると、すぐに反応があった。
 顔を出したのは安羅だった。
「お待ちしてました、」
 人好きのする笑顔で笑い、3人を洋館に招き入れた。


「百合子くん、今日は顔を見せてくれないわねぇ、」 
 鳥貝がクローゼットから引き出した荷物を段ボールに詰めながら、母が溜息混じりに呟いた。
 実は鳥貝も気になっていながらも気にしないでおこうと思っていた事。
「どうしたのかしら?」
 言葉と同時に眼差しでも問いかけられても・・・鳥貝は答えられない。首を振って「さぁ、」と云う。
 娘の無関心な態度に、母は溜息をついた。
 百合子の事をまるっきり忘れてしまっている。記憶も気持ちも。
 百合子を気に入っている母としては、彼の事を思い出して欲しいと思う。自分の気持ちだけでなく、彼女自身のためにも、百合子のためにも。
「春海、あのね・・・、」
 クローゼットの中を見ながら考え込んでいる娘に声をかける。
「もうしばらくここにいても構わないわよ?」
 鳥貝はゆっくり振り返った。
「記憶を取り戻すのなら、帰ってくるよりもここにいた方がいいかもしれない。・・・お父さんは心配しそうだけど、こちらのお友達や寮の皆さんや百合子くんがいれば、大丈夫よ、ね?」
「・・・、それ、は、」
 鳥貝は言葉を濁す。
 眠れない夜を過ごしながら、ずっと考えていた事。
 郷里に帰りたい。意識が戻ってからこっち、ずっとそう思っていた。
 知らない土地、知らない人達、知らない環境。
 そんな所で生活できるわけがない。
 けれど今・・・病院に来てくれた知らないはずの人達に好意を感じている。知らないはずのこの寮にも、自分の部屋だと云われて入ったこの部屋にも、懐かしさと安堵を覚えた。足下に擦り寄ってきた猫を、かわいいと思った。
 何よりも・・・気になるのだ。あの男が。
 だから・・・。
「・・・考えて、みる・・・、」
 母親に消極的に切り返してから、鳥貝は荷物整理に移った。
 大半が自分の知らない衣服や身の回りの品だけれど、その一点一点に不思議と見覚えがあった。この服はお気に入りだとか、この服はあまり着ない、とか。
 やはり、この寮にいる事こそ、鳥貝の記憶を戻す最良の方法なのかもしれないけれど、鳥貝は・・・迷っていた。
 すぐそばのソファの上で寝返りを打った猫を見て、鳥貝は微笑み、思い巡らせる。


 お昼、鳥貝は白熊と時屋に伴われて大学に向かった。
 院の一年である彼らは割と時間の融通が利くらしい。安羅は院の二年で、現在就職活動中との事。ちなみに、白熊は当初から院に進むのを目的としていたし、時屋は本当は4年で卒業するつもりだったものの、就職活動を途中でリタイアしたとの事。理由は手を出してみたい研究が見つかったから、と言うが、割と奔放な時屋の事だから、別に理由があったに違いないと白熊は悪戯っぽく云う。
 講義が休講中のお昼時間の食堂には、鳥貝の見舞いに来てくれた人間達が集まっていた。勿論Nもいる。
 ただ、百合子はいない。・・・鳥貝は、少しだけがっかりする自分にはっとしたものの、それを表情に出さないように努めた。
 お昼休みの時間を割いて、彼らはキャンパスを案内してくれた。とはいえ、かなり広いそこを案内しきれるものではなく、午後からの講義が始まってから案内してくれる人間は激減した・・・代わりに、斎が現れた。
「ミス・キャンパスのお帰りだな、」
 驚いたことに、昨年の秋、鳥貝はこの大学のミス・キャンパスになったのだと云う。ついでのように、百合子がミスター・ミス・キャンパスになったという補足説明があったが、鳥貝には何の事やら。
「で、あの男は?」
 いつも鳥貝の傍にいるはずの存在がいない事を問いかける。
 鳥貝よりも先にNが口を開く。
「今日は見ていませんよ。現実逃避してるんじゃないですか?」
 さらっと爽やかに皮肉を云う。
 斎ははは、と笑う。鳥貝の過去の恋人だったNという男には割と好感を持っている。あの百合子と平気で渡り合おうとするあたり、特に。
「まぁ、その方がいいか。ここからはわたしが案内しよう、」 
 ごく自然な流れのように鳥貝の肩を抱く。
 百合子がいなければ、Nも、時屋も白熊も、数人の友人達も・・・斎に真っ向から逆らえる人間はいない。斎の怖さは、幾重にも重ねられたチュチュのように尾ひれが大量について、大学内に出回っているのである。
 そして、鳥貝は斎にさらわれた。
 

「どこに行くんですか?」
 一応、斎も大学構内を案内してくれたのだが、それは案内と云うよりもむしろ、後ろからついて回る、鳥貝の身を案じるNを含めた人間達を巻くためのもので。
 気がついたら鳥貝は斎の車に乗せられていた。
 鳥貝は斎に好意を持っている。
 もちろん、初対面で本人が自称した同性愛者だという事に警戒心もなくはないが、彼女が自分に示す好意が心地良かったから、彼女に対する信頼は百合子に対するそれより大きい。
 だから、素直に車に乗せて貰っているのだが。
「きみの記憶が戻るかも知れない場所のひとつ、かな。」
 斎は明言しない。
 明言せず、代わりに、鳥貝と出逢ってからの2年間、彼女と過ごした想い出を面白可笑しく、鳥貝を飽きさせないように語った。
 
 
 着いたのは、海岸。
 海をほとんど見たことのない鳥貝にとって、目の前に広がる砂地と、遠く見える水平線は新鮮そのもの。
 波間に数多くのサーファーの姿が見える。
「わぁ、海だ! ここ、どこなんですか?」
 感嘆の声を漏らした鳥貝は、斎を見て問いかける。 
 春の潮風が鳥貝の頬を撫で、髪をなびかせる。
 その匂いが、少しだけ懐かしいと鳥貝は思う。
「K市のY浜だ。」
「K市のY浜・・・って、」
 最近どこかで聞いた。
 お見舞いに来てくれた人の中で・・・。
「もしかして、百合子さんの、」
「そう、家のある所だな。聞き及んでいるとは思うけれど、ここにもきみの思い出は沢山あるはずなんだぞ? まぁ、そのほとんどにあのいけ好かない男の影が重なるとしても、」
 どうしてこんな所に、と、眉根を寄せた鳥貝が、眼差しで問いかけてくるのに、斎は笑う。
「千早ちゃんからSOSが入ってな。きみを連れてくるように、と。あの男の妹なのが信じられないくらい良い子だから、無視はできない。」
 云いながら、斎は携帯をいじっている。
「・・・うん、ちょうど浜に来ているらしいな。ターシャの散歩だと、」
「・・・ターシャ?」
 斎は笑いながら鳥貝を誘導する。
 海岸線を堤防にそって、国道の脇を歩く。
 潮風と波の音が、鳥貝にはとても不思議に感じられる。馴染みのないそれらが、自然と身に染みる。懐かしいとさえ、思う。
 僅かな先で声がした。横を通り抜けていく自動車の音で判然としないけれど、聞いたことのある声に思われた・・・と、思えば唐突に。
「ひゃあああ!」
 鼻面の長い、大きな犬が目の前に現れて、鳥貝は思わず悲鳴を上げた。
 犬は飼ったことがないから苦手だ。特に大きな犬は。
 堤防に続く階段から顔を出した犬は、鳥貝に飛びかかるような所作を見せた後、斎の静止にそこに留まった。
「ターシャ、ステイ。」
「・・・ターシャ?」
 ぎりぎりへたり込まなかったものの、後ずさりして腰がひけている鳥貝は、眉根を寄せて斎を見上げてしまう。
「・・・すごい悲鳴だな。」   
 斎はくすくす笑い、その直後にきちんとお座りして尻尾を振り続けている犬・・・ターシャの後ろから、見知った顔が覗いた。
「・・・ああ、やっぱり、」
 浜へと続く階段を上ってきたのは、百合子だった。
 鳥貝を認めて、笑いたいけど笑えないというような複雑で寂しげな微笑をした。
「ターシャ、勝手に道に上がったらダメだろう、」
 百合子が厳しい声で云うと、ターシャは尻尾を振るのを止めて、うなだれた。上目遣いに百合子を見て、それから鳥貝を見る。
「おまえがいるのに気付いたから、寄っていったんだろう。こいつはおまえの事も大好きだからな、」
 どこか素っ気なく鳥貝に云った。
 鳥貝にとって、他人から「おまえ」と呼ばれるのなんて、親しくもない相手であるなら不快に他ならないのに、自然とその呼称を受け止めている。
 素っ気ない・・・というか、鳥貝を直視しようとしない。眼差しを伏せて、ターシャの首輪にリードのカンを繋げる作業をする。
「千早ちゃんから要請があってな。妹に弱った姿を見せる程、キているかと思って、鳥貝を連れてきてやったんだが・・・どうする?」
「・・・何をだよ、」 
「このままUターンで帰ってもいいと云っているんだ。ご両親が寮で待っているだろうし・・・明日の朝には出立だったな、」
 言葉の後半を戸惑う鳥貝に確認し、鳥貝はぎこちなく頷く。
「まぁ、新幹線を使えば片道3時間程度でたどり着ける場所だけどな、それでも、一度帰ってしまえば、こんな機会はまず、ない。違うか?」
「・・・あんたの親切は、不気味なんだけど、」
「おまえの為じゃないさ。鳥貝の為だ。この子が、後悔しないためだ。」
 百合子は真っ直ぐに斎を見て、少しだけ鳥貝に視線を移した、何か云いたそうに唇を開け、閉じ・・・悩ましげに額に手をやった。
「30分だけで、いい。とりあえず。」
「それぐらい待ってやる。・・・わたしから、寮の人間に話をつけておいてやるよ。ふたりきりで気まずいといけないから、ターシャは連れて行け。」
「・・・っ、あの、斎さん!?」 
 自分を置いてきぼりにして、百合子とふたりきりにする方向に話が向いている。
 鳥貝は抗議の声を上げるようとするけれど・・・押し黙らざるを得ない。・・・百合子が自分を見る切ない眼差しを受けて。



つづく