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[鳥貝大学2年の春]

言の葉


「なぁ、いい加減その言葉使い、どうにかしないか?」
 2年目の春、百合子が云いだした。
 その内容は昨年の下半期で終わったものと思っていたのに。
「・・・無理っぽい、です。なんか、上手く出てきません、」
 百合子が云うのは、鳥貝の敬語である。
 付き合って一年が経つのに、百合子に対する敬語は崩れそうもない。
 一応、本人も努力しているようだけれど、同い年の友人達にするような平語をしようとすると、むず痒くなって、言葉に詰まるのだ。
「ここの奴らに対しても、もう敬語はいらないと思うぜ? あいつらだって年齢差はあるのに、みんなタメ口だ。」
「・・・はぁ、そうですよね、百合子さんが一番年下なのに、一番偉そうですもの、」
 額をペチンと叩かれる。
「そういう事は平気で云えるのに、敬語が崩れないってのはなんでだろうなぁ、」
「わかりませんよっ、もう・・・、」
 額を抑えてむくれる。
「癖みたいなものです。慣れてください、」 
「慣れてるから困ってるんだ。けど・・・おまえがダチ連中とタメ口でしゃべってるの聞いて、なんか寂しく感じたって云うか。・・・Nともタメ口だよなぁ?」
 ・・・多分、昨年下半期に議論し尽くされたその話題を持ち出してきた原因はそれか。
 鳥貝は浅く息を吐いた。
「そりゃそうですよ。田舎の同級生ですから。」
 百合子は面白くなさそうな顔をして、鳥貝の顔を撫で回す。
 時々、イミフメイの行動を百合子はこうやって取る。ただ単に鳥貝を撫で回したい衝動のままに行動しているだけなのだけれど。
「っ、もおっ!」 
 百合子の手を振り払って、鳥貝は自分で顔を守るように頬に手を添えた。
「無理に平語に崩す必要もないじゃないですか。これも私の個性だって容認してください。」
「うん、確かに敬語キャラの春海もかわいいけどね。・・・敬語って少し遠くて、ちょっと寂しいんだぞ。」
 遠くて寂しい・・・と、云われても。
 鳥貝の中では百合子が誰より近くて誰より大きな存在なのに。
「言葉使いだけで、距離は決まらないですよ?」 
 実際、少し寂しそうな表情をした百合子に微笑んで、その背に腕を回す。
 百合子が大好きで、何より大切なのを伝えたくて。
 百合子も包み込むように抱きしめてくれるのが、とても幸せだ。
「・・・敬語も悪くないけどさ・・・なんで、えっちの時まで敬語なのか・・・謎だよなぁ、」
 と、呟かれて、鳥貝はむっとして百合子の裸の肩に噛みついた。
 百合子は痛そうな声を上げた後、幸せそうに笑った。



「春海ちゃんって、百合子さんにも敬語なんだよなぁ。一年も付き合ってるんだろ?」
 Nである。
 同じ聴講講義の前、隣の席に座ってそう切り出してきた。
 少し前に廊下で百合子と話していたのを聞いたのかもしれない。
「・・・それ、百合子さんにも云われてる。私は気にしてないんだけど・・・気になる物?」 
「いや、敬語って敬う言葉、だろ? 昔ならいざ知らず、今は対等な関係の恋人同士なら、年齢差あっても大体タメ口だからさ、不思議っていうか。・・・百合子さんとの関係、マズくないんだろ?」
「やっぱり、そういう風に思っちゃうものなんだ。私はあれでも自然体なんだけど・・・。敬語使いでも云う事はちゃんと云ってるし。・・・親しく見えない物なのかなぁ、」
「ぼくにはタメ口だよね、」 
「当たり前じゃない。向こうにいる間もそうだったでしょう?」
 向こうにいる間、とはかつてふたりが付き合っていた事も示唆する言葉だけれど、鳥貝は何の気なしに口にしている。
 Nは苦笑いする。自分が既に範疇外なのを改めて実感した。
「多飛本さんたちにもよく平語にしてもいいんだよ、って云われるけれど・・・できないんだよね。なんでだろう・・・、さすがに一年以上一緒に暮らしてれば、私も自然に平語にできるかなぁって思ってたのに、」
「一年以上一緒に暮らしてる?」
 妙な所をNが繰り返してきた。
 そういえば、Nには彼らと同じ寮に暮らしていること云っていなかったと思い至る鳥貝。
 男性たちと同じ寮に暮らしている事は、ごく親しい女の友人数人しか知らない。
 誤解されるのが煩わしいから黙っているだけで、当然やましいことはない。
「なに、一緒に暮らしてるって? 多飛本さんたちと? どういう事?」 
「あ、えーと・・・、」
 云うべきか少し考える・・・間に、教授が来て講義が始まってしまった。
 講義中、鳥貝は本来の生真面目さで講義に聴き入っていたけれど、隣に座るNが時々不安そうに自分の様子を伺っていた事を知らない。
 だから、講義後、Nに腕を引かれて、人通りの少ない廊下の端に連れて行かれて、問いただされた事の意味が最初はよく分からなかった。
「多飛本さんって百合子さんの友達の院生だよね? 百合子さんの友達と云えば、あの女たらしの安羅さんとか軽い調子の時屋さんとか・・・もしかして、彼らと一緒に暮らしてるって事、ないよね!?」
 Nが心配している内容に鳥貝が気づけるわけがない。どうして、抑え付けながらもすごい剣幕で詰め寄られるか、分かるわけがない。
「あのね・・・、」 
 鳥貝は少し躊躇った後、小さい声で云った。
 隠し通せないだろうし、ここまで勘づかれては隠す意味もない。
「他の人にはナイショだけど、実は・・・、一緒に暮らしてるの、」
 後ろめたくて視線が合わせられない。それは隠し事をしていた事に対する後ろめたさで、他意はない。
 けれど、意外と想像力のあるらしいNは大層驚いた顔をする。
「そ、そ、それって、百合子さんだけじゃなくて、他の人達とも・・・・、」
 恋する男の妄想力かもしれない。かなり明後日な妄想に行き着いている。
「・・・?」
 鳥貝は慌てふためくNの顔を見てきょとんとする。
「は、春海ちゃんはさ、何人くらいの男の人と・・・、」 
 と、云い出した所で、タイミング良く現れる百合子。
 どうやら、しばらく遠巻きにして彼らの遣り取りを見ていたらしく、Nの額をぱしりと叩いて言葉を止めさせた。
「ばぁか。こいつがそんな玉かよ。おまえ、嫉妬するにしてもそれはないだろ。どこに眼をつけてるんだ。」
「百合子さん?」 
「それ以上云ったら、春海に軽蔑されるぞ? 止めてやったおれはなんて優しい事か。・・・断言する、春海はおれ以外は知らない。」 
「百合子さん!?」
 言葉の意味は把握しきれない。けれど、百合子の云い方で嬉しい事は云われていないとピンと来るのは彼の事を十分に理解しているがゆえ。
「で、でも、一緒に暮らしてるって・・・、」
「・・・。そりゃあ、個人寮での暮らしだし。」
「あのね、Nくん、」
 Nの中で何が誤解が生じていた事をやっと悟った鳥貝は、説明するために小さく息を吐いた。その誤解がどんなものかまでは、分かろうはずもない。
「百合子さんのお友達が、住む場所に困っていた私を入寮させてくれたの。白熊さんのご実家の持ち家で、部屋数はそう多くないから、私と他に4人が暮らしてるだけの寮よ。白熊さん、多飛本さん、安羅さん、時屋さんが、そう。・・・男の人達と暮らしてるとか云うと、誤解されるからあまり公言してないの・・・って、もしかして、誤解した?」
 小首を傾げてじっと見てくる鳥貝に、Nはぶんぶん首を振った。当然、軽蔑はされたくないから。
 兄夏目の事は、内緒だ。説明がとても難しくなる。
 Nが同郷とはいえ、鳥貝が養女だという事は知らないのだし。
「よかった、」 
 ほっとした様子の鳥貝と、むっとする百合子。
 自分には敬語でNに平語・・・やはりそこが引っかかるようだ。
「さ、春海、飯だ飯。これから春海の愛妻弁当だ、羨ましいだろ?」
「誰が愛妻ですかっ、」
「とっても愛しい妻と書いて愛妻・・・春海しかいないじゃん。」
「・・・まだ結婚してません!」
「まだ? まだ、だよな。うん、何年かしたらするもんな?」
「・・・っ!」
 いつものじゃれあい。百合子に言質を取られた鳥貝が怒りながら黙り込んだ。
「ごめんね。もう行くね。」
 Nにだけ柔らかい笑顔を見せてそう云うと、百合子を無視して歩き出した。百合子が慌ててその後を追いかける。
 どう見ても、ラブラブのバカップルだ。
 敬語だろうが平語だろうが、鳥貝の想いは確実に百合子にある。
「・・・やっぱり、敵わないよなぁ、」
 Nは呟いて、いちゃつくふたりを見送って肩をすくめた。



おわり