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[鳥貝大学1年の冬]

Conventus【3】


 店内は前よりも静まりかえっていた。
 店の客は男性客数人が増え、カウンター席に男女カップルが一組といったように、変化しているのだが・・・先ほどの女性達と時屋の姿がなかった。
 それほど長くトイレにこもっていたわけではないと思うのだが。
 カウンターの中のヒロと目が合うと、鳥貝に目配せを送ってきた。
 カップルを避けた位置に座ると、ヒロが近づいてきて小声でおかしそうに云う。
「長いことトイレの中で、ふたりっきりで、何してたのかしら?」
 完全に茶化す口調だと分かるけれど、鳥貝は慌ててしまう。
「そっ、そんなに長い時間経ってましたか?」
「ん〜・・・10分くらいカナ? それくらいあれば、ヤル事はできるでしょ。お店ではそういう事しない暗黙のルールなのにねぇ、ユキってば。」
「っ、あの・・・ごめんなさい、」
「なんでアナタが謝るの? アナタから仕掛けたとか? 顔真っ赤にして・・・かわいお嬢ちゃんね、まったく。何か飲む?」
 饒舌なヒロの言葉に鳥貝は翻弄され、戸惑っている間にもヒロの手は動いている。
 百合子はトイレからまだ戻らない。ああいう状態になっていたから・・・精神統一しているのかもしれない(以前の本人談の云い方である)。 
 今度ヒロが用意しているのは、薄いピンクをしたカクテルだった。炭酸の泡がふつふつとわき上がっている。グラスの縁に皮を螺旋に巻いたグレープフルーツをつけて、鳥貝の前に置く。
「お嬢ちゃんには、コレ。どうせ、ユキが手を出したんでしょう、我慢できずに。時屋くんのお遊びにあんなに怒るんだもの、どれだけあなたを可愛がってる事か。箱入り娘にも程があるわよね。・・・ああ、そうそう。時屋くんと云えばね、女の子達と飲み直しに出て行ったわよ。あなたはユキに任せるってね。初めからそのつもりだったんじゃない? まぁ、マイちゃんのご機嫌も直って、お店に戻ってくれる気になったからいいケド。でね、ユキって女の子相手でも上手?」
 ヒロの舌はくるくるよく回転する。まるで鳥貝の母がご近所の女性達と話している時のようだ。
 最後の言葉が自分への問いかけだと認識するのに数秒かかった。
 甘酸っぱいピンクグレープフルーツの炭酸ジュースらしいものを喉に通していた鳥貝は、自分への問いかけとその内容を認識して、目を丸くした。
 どう答えたらいいだろう。
 鳥貝だって、数を経験しているわけではないから、よく分からない。
「多分、」
「多分って・・・アナタ、ユキしか知らないの? 18でしょ?」
「高校時代に付き合っている人はいましけど・・・比べたこと、あまりないです、」
「あら、完全にお嬢ちゃんでもないのね。でも、比べなくても感覚で分からない? あなた、ユキとして気持ちよくなんない?」
 実はふたりの会話内容の認識にはずいぶんなズレがあるのだけれど、ふたりとも気づいていない。
「っ、あの・・・多分、その、上手なんじゃないかと・・・、気持ちイイ、から・・・、」
 これを云うだけでも、精一杯で赤くなる鳥貝。
「ふぅん、やっぱりそう。ユキって、快楽には逆らわない性質しているらしいし、気持ちイイことはとことん追求しそうよね。相手が男でも、女でも。自分だけが満足しちゃう男って世の中多いわよねぇ、それ思ったら一緒に気持ちよくなれるのってイイわよね。ユキが時々、アナタの事惚気てるのが可笑しくて。女の子にここまで惚れ込むのなんて、珍しいのよね、ユキにしては。あんなイイ男にベタ惚れされててアナタ、ホントラッキー。」
 ラッキーとかそういうものだろうか。 確かに巡り会えた幸運はあるのかもしれないけれど。
 相変わらず、会話内容のズレを気にせずに鳥貝は思った。
「・・・で、ユキはなんでまだ出てこないわけ? ついでに掃除でもしてくれてるのかしら。」
 鳥貝は答えようがなくて、カクテルに口をつけて、ヒロの疑問を聞かないフリをした。
 代わりに、先ほどの百合子との会話で気になっていた事を口にした。
「あの、このお店のオーナーさんって、どんな方なんですか・・・?」
「気になる? もしかして、聞いてるのかしらね、ユキの昔の男だって。」
 鳥貝は戸惑いながら頷いた。
 ヒロは、ふふふと笑う。
「イイ男よ、そりゃもう。年は今年で・・・41かな。あら、もうそんな年齢だったんだわ。でも、全然若いわよ。顔も躯もすごいステキなんだけど、色々とすごく変わった人。それが魅力なんだけど。ゲイではなくバイセクシャルかな、あの人は。K県と東京にいくつかのお店を経営していてね・・・ああ、時屋くんのバイトしてる画廊もそうよ。クラブが数件と、普通のレストランもあるわね。アメリカのH大で経営学修めてるんだって・・・で、経営しているのは、こんな店。特殊よねぇ。特殊な性癖のわりに、マトモに結婚してるけど、子供はなし。奥さんも好き放題しているらしいわ・・・浪費ばかりの好き放題じゃなく、自分の好きな仕事諸々って事。あちらはあちらで会社経営してるみたい。おもしろ夫婦ね。仮面かと思えば、仲は悪くないみたいだし。お互い遊びの情人もいるから、かえって長続きしてるのかもね。」
 一気にしゃべり上げたヒロの言葉内容を、鳥貝は6割方は理解できた、と思う。
 ヒロは相当にオーナーにぞっこんらしく、ひどく嬉しそうに話す。
「このお店は彼が学生時代に始めたお店らしいわよ。だから、思い入れもあって、とても大事にしてくれてる。アメリカに渡っている間は休止していたみたいだけれど・・・。わたしはね、再開されてから、オーナーに拾われてお店に居着いたのよね。ちなみに、ユキがこのお店に初めて来たのは・・・、」
「ヒロさん、」
 やっと出てきた百合子は、先ほど鳥貝を抱きしめていた熱っぽさもどこへやら、ちゃんとバーテン用の表情をしている。・・・無表情ではないほどの表情だ。
「喋りすぎ。その手の話は、おれからいつかするから、止めといて。あと、オーナーについてコイツに興味持たせないで下さい。」
「でも、オーナーはこの子に興味あるみたいよ?」
「・・・話したのか?」
 百合子がむっとする。
 ヒロには惚気ていたくせに、そのオーナーには黙っていたらしい。というよりも、知られたくなかったのだろうか。
「あら、ごめんなさい。だってねぇ、別件で時屋くんから聞いてたみたいだから、アナタとの事も聞いてるんじゃないかなぁ、と思って・・・口を滑らせちゃった。」
 あまり悪びれず云うヒロに、百合子は何か云いかけて、やめ、鳥貝に向き直る。
「また後でおれから話すから。面倒な人だから・・・、まだおまえには会わせたくない。」
 百合子にとってのオーナーは、余程因縁のある人らしい。昔の恋人、今の雇い主という以上に。
 鳥貝は、こくりと頷いた。
 こういう表情をしている時の百合子は、鳥貝に対して嘘はつかない。鳥貝は、信じている。
 百合子はほっとした表情をして、鳥貝は微笑んだ。
「・・・で、ユキ、ロス時間約20分よ。遊んでいた分、働いてちょうだい。注文してあったお酒が届いてるから、在庫整理しといてね。伝票の確認忘れないで。最近若いバイトの子がよく間違えるのよ。」
 当人らはともかく、端から見たらいちゃいちゃムードのふたりの遣り取りに水を差したかったらしいヒロの上司命令に、百合子は「はぁい、」と軽く返事をしてカウンター奥の扉から姿を消した。
「・・・ほんと、マジ惚れみたい。こりゃあ、オーナーますます興味示すわ。」
 百合子の背中を見送りながら、ヒロは呟いた。
 百合子とそのオーナーとの関係に、鳥貝はひどく興味を惹かれた。今のところ、やきもちとかそういう感情はないけれど・・・。
「・・・気になる?」
 にやっとヒロが笑う。
「・・・それは、気になります。でも、百合子さんがああ云ってるんだから・・・本人から聞きます。」
「あらあら。お嬢ちゃんは聞き分けが良いのね。」
 皮肉っぽい口調にむっとしないではなかったけれど、この人独特のからかい口調にも少しずつ慣れてきてはいた。
「おかわり、いる?」
 鳥貝の手元のグラスが空になっているのに気づいたヒロの言葉に鳥貝は「お願いします。」と云った。
 さっきからしゃべっているのはヒロばかりだけれど、鳥貝もつられたように口の中が渇いてきた気がした。
 まだ緊張しているせいかもしれないけれど。
 今度、ヒロが鳥貝の前に出してきたのは濃いピンク色をしたカクテルだった。
 ぱっと見はいちごミルクのように見える。
 鳥貝は素直に受け取り、素直にそれに口をつける。
 いちごミルクではない。どちらかというと、ブルーベリーの味だ。そして、ひどく甘い。
 甘い物大好きな鳥貝ではないけれど、今は何となく甘い物が嬉しくて、それを喉に通した。
 ヒロが他の客からのオーダーで、そちらに行ってしまっている間、鳥貝はぼんやりと思いを巡らせる。
 百合子の過去の「男」であるこの店のオーナーについてだ。
 ヒロから得た情報を頭の中で反芻する。
 あの百合子でさえ「尊敬する大人の男」と表するからには、かなりの人物であると分かる。けれど、また鳥貝から見れば十分に特殊に見える百合子やヒロにさえ「変な人」「性格にクセがある」と云われる程だ・・・それがどういった人物なのかを想像するほど怖くなる。
「できれば、会いたくないかも・・・、」
 ぽつりと呟く。
 百合子にさえ振り回されて疲労困憊なのに、あの百合子を上回る「変な人」ならば、どうなってしまうのだろうか。もっとも、会って挨拶をするだけでは、そうそう何事も起こらないだろうけれど。
 そもそも。
「・・・百合子さんの周り、変な人多すぎ・・・、」
 N県の田舎でのんびり暮らしてきた鳥貝は、この春からの生活で曰く「変な人」に多く遭遇してきてしまった。田舎にいた頃には知り得なかった変な性癖や性格の人間達である。ほとんど地の人間で構成されている田舎と違い、都会が様々な人間の吹きだまりだとはなんとなく認識していたし、そうとなれば様々な特出した個性もあるんだろうとも思ったけれど、それにしても・・・。
「おまえも、十分変だろ、」 
 ぼんやりと残り少なくなったカクテルに視線を落としていると、カクテルグラスの前に人影・・・百合子だ。
 小声で話しかけてくる。笑顔を抑えた表情は、苦笑に見える。お店ではあまり笑わないらしい。
「時屋さん、さっきの女性達と出て行ったって。」
「・・・だろうと思った。あの人たちがいなくなったから、やっとおまえにも話しかけられる。」
「他の人達はいいんですか?」
「男達はいいだろ。余計なこと云ってこない。」
 鳥貝に触れたくてたまらないのを抑えるように、手元の酒瓶を整理する。
 それから、鳥貝の手元を見て首をかしげる。
「・・・それ、ノンアルコール?」
 残り少なくなった鳥貝のカクテルグラスを見て、手元の酒瓶を見て再び首をかしげる。
 赤い酒の入った達磨型の瓶には、中央にブルーベリーらしき絵とアルファベットによるラベルが貼られていた。
「そう、だと思いますけど・・・?」
 小首をかしげる鳥貝の顔をじっと見て、百合子は綺麗な眉根を寄せる。
「・・・まだ、大丈夫かな・・・、」
「はい?」
 ぽつりと呟かれた百合子の言葉に鳥貝はますます首をかしげた。
 店のドアが開き、新しい客が入ってきた。ヒロから声がかかり、百合子はそっちに向かう。
 今度の客は外国人のようだったが、ひどく親しげに百合子に笑顔を向けているから、常連客らしい。細面の整った顔立ちをしている。
 英語らしき言語で早口に何か云っているのを、百合子は同様の言語で答えている。百合子が英語を喋れるとは知らなかった。何かにつけ器用な百合子なので、それくらいできても大しておかしくはないのだけれど。
 新たな発見に鳥貝は目を丸くしたのだが、それ以上に目を丸くする事態が。
 外国人男性が百合子の手を取って握手をした後、その頬にキスをしたのだ。
 目が丸くなっただけでなく、毛が逆立つ気がした。
 先ほど、百合子が女性にキスをされていた時は、ひたすらショックで悲しくなったけれど、今度のこの感情はどうだろう。
 外国人の挨拶が頬にキスであるとは知っている。知っているけれど、目の当たりにするのは初めてで。しかも、ここは同性愛男性の多い店である。
 で、あるからには・・・。
 鳥貝はむかっとした。悲しくはならないけれど、腹が立ったようだ。
 百合子が心配するような視線をこちらに向けてきた気がしたけれど、それに応答してやる事もないと、鳥貝はカクテルを一気に最後まで飲み干した。
 外国人客は久しぶりの来店らしく、長く百合子に話しかけ続けて・・・百合子を解放してくれそうにはなかった。
 他の客のオーダーを終えたらしいヒロが、鳥貝の所までやってきた。
 一応、気の利く人なので、何かフォローをするのか・・・それとも、純粋な鳥貝をそれと知ったから、再びからかいに来たのか。
「今の客、半年ぶりくらいよ。以前、何年かこっちの大学に在籍していて、しばらく本国に帰っていたみたい。何度もユキを口説いてるけど、ユキは応じない。まぁ、ユキのタイプではないわね。」
「・・・百合子さんのタイプって・・・、」
「知りたい?」
 にやりと笑うヒロに鳥貝は少し唇を尖らせる。知りたいけれど、ヒロの態度は癪にさわる。
 けれど、鳥貝が答えるまえに、ヒロは口を開く。むしろ、しゃべりたいらしい。
「うちのオーナーみたいな人、」
「・・・。」
「落ち着いた大人で、知的で、懐が深く、思慮も深く・・・でも、どこかおかしな人。・・・女の好みからはかけ離れてるわね。」
 鳥貝の頭をつんと指先でつついて、ヒロは笑う。
「合ってるのは、どこかおかしな人、という所? サービスして、知的もつけといてあげましょうか?」
「どうせ、子供だし、短慮です。」
 普段から気にしている事を会って間もないヒロに指摘され、鳥貝はむくれる。
 口説いているのか、英語で話しかけ続けている外国人に百合子は苦笑に近い表情を向け続けている。しばらく、離してくれそうもないだろう。
 その様子を見ながら、またヒロが口を開く。
「ねぇ、ユキって格好いいわよね?」
「・・・はぁ、」
「ナニ、その味気ない返事。アナタ、自分のオトコの魅力にどこまで無自覚なの? さっきも見たとおり、女の子達にも、今みたいに男達にもモテてるわよぉ。・・・彼女として心配じゃない?」
「そりゃ、嫌な気分ですけど・・・わたしがどうこう云えないですから。こういふうに目の当たりにしたらちょっと嫌ですけど、さっきみたいに無理やりでも、百合子さん自身がイヤならちゃんと拒むでしょうし、」
「浮気の心配してない、って口調ね。」
「どうでしょう。心配してても、されるときはされるものかもしれませんし、」
「アナタ、相当淡泊ね・・・さっきは泣いたくせに。」
「でも、その時になってみないと、その状況での気持ちはわかりませんから。」 
「ふぅん。面白いコ。アナタもアナタで変わってるわねぇ。」
 鳥貝は自分が少々ズレている自覚が、一応はある。
 だから、ヒロの言葉に微苦笑した。
「じゃあ、ユキが浮気しそうでも、止めないでおいてあげるわ。」
「・・・っ、それは、それだと思います。一応止めてください。」
 鳥貝が慌てて云うのに、ヒロはクスクス笑った。
「ほぉんと、ユキって面白いくらいモテるわよぉ。わたしが欲しいくらいのイイ男にも云い寄られてて、悔しいったらないわ。さっきみたいな女達もたくさんいるわよ。隙あらば、ユキを押し倒そうとしてる。」
「・・・百合子さん、表向きはゲイなんですよね? 女の人たちも、ソレ知ってるって・・・、」
「知ってても、それでもいいのよ。そりゃそうよね、あれだけの美形、見ているだけで眼福。抱いてくれなくても、イイ男を見てるだけでも気分が良いのが、女ってものじゃない? 花や動物を愛でるのと同じね。ただ、それが自分の手の届く範囲まで来ちゃったら・・・分からないけどね。」
 ヒロの方が鳥貝より余程女心に詳しい。
「元々、百合子さんって両方大丈夫だって聞いてたけれど・・・、男の人に関してはいいんですか・・・?」
 ヒロはくすっと笑う。
「男同士は引き際わきまえてるし体裁整えられるけど、女同士はそりゃもう醜いから。・・・だから、アナタのことも秘中の秘。あのコがお店に呼ばなかったの、分かるでしょう?」
 グラスを磨きながら、ヒロはおかしそうに声を震わせる。
「それが、まったく、どんな美女かと思えば・・・ごく普通の女の子。ホント『女の子』。」
 さすがに鳥貝はむっとした表情をしてしまう。
「ああ、ごめんなさい。バカにしてるつもりは、ほとんどないの。」
 ほとんど、の部分に変なニュアンスを込める。
「掌中の玉ってやつね。大事な大事なアナタを『女の子』のまま抱きしめていたいんだわ。・・・まぁ、だから、近頃富に男っぷりが上がって、各方面からもてもてなわけなんだけど。・・・特に、そういうカンのするどい女どもから、ね。」
 磨き終えたグラスを終えて、ヒロはじっと鳥貝の顔を見た。観察するように。
「目鼻立ちは整っているわね。特に目が魅力的。お肌も綺麗。でも、あまり手入れをしていないわ。眉もちゃんと整えないと。アナタの顔立ちならお鼻もそれぐらいの高さが丁度良いのよね。鼻梁の形もすっきりしてる。そうね、欲を言えば、唇の形に魅力がないかな。でも、それは化粧次第でなんとかなる。面白い素材かも・・・ちょっと手を加えてみたいわ。」
「・・・はい?」
 この秋に斎にも似たようなことを云われて、顔中・・・だけでなく、髪や服装までいじり倒されたのは、記憶に新しい。結果として、大層百合子をふて腐れさせた。
「アナタ、素材は良いのよね。でも、無理に着飾らせないのは、ユキの趣味ね。あと、中身が良いのは云うまでもないわよね。そもそもそういう相手しかユキは選ばない。」
 鳥貝は、褒められている部分よりも、言葉の後半にむっとして口を開く。時々こうして勝ち気な性分が出る。
 いや、普段なら抑えていたかもしれないけれど、やけに高揚した気分が口を開かせる。
「別に、選ぶとか選ばれるとかじゃ、ありません。百合子さんがどういうつもりだったかは、本人に真意を聞かないと分かりませんけど、わたしは選ばれたから百合子さんと付き合ってるわけじゃないし、百合子さんを選んだわけでもないんです。ただ、惹かれたんです。惹かれて、気がついたら好きになってて、だから・・・、一緒に、いるんです。」
「・・・青春ね。」
 相変わらず揶揄するような口調だけれど、そこには憧憬が含まれていた。
「ま、いいわ。ユキもこれまでになく本気みたいだし。わたしはおとなしく見守っていてあげる。」
「・・・百合子さんが本気じゃなかったら?」
「そうねぇ、ユキが本気じゃなくて、アナタがつまらない女なら・・・引っかき回してたカモ。」
 うふふと笑って云いながらも、目は本気のようである。でも・・・この云い方は。鳥貝は微笑む。
「ヒロさん的には合格もらえてるんですか?」
「一応あげとくわ。」
 くすくす笑った。
 かなりの皮肉やだけれど、悪い人ではない。人を見る目があり、毒を含む饒舌の中にもちゃんと優しさがある。
 時屋の云う通り、鳥貝はヒロの良い部分を見け、彼(彼女?)にも好感を持ってしまうのだった。
 再び、目の前に出された本日4杯目のカクテルは、オレンジジュースのようだった。
 実際、口をつけてみるとどこか違和感を感じはするけれど・・・美味しいオレンジジュースだ。
「世間一般でとっても名の知れたカクテルよ、それ。アナタでも知ってるかも。」
 話題がカクテルに飛ぶ。
 そういえば、ヒロに次々出されるカクテルに口をつけていたけれど、それらの名称を聞いてはいなかった。
 もっとも、聞いた所で詳しくはない鳥貝には理解不能だったのだろうけれど。
 オレンジジュースをグラスに半分ほど飲み干した頃、ヒロは口を開く。
「スクリュードライバー、」
 鳥貝でさえ聞いたことのある有名な名前だ。けれど、それは・・・アルコールが入ったカクテルではなかっただろうか?
 そう思ったら、不思議と頭がくらくらしてくる気がした。そういえば、先ほどから感じている高揚感のようなものはアルコールのせいだったかと思う。
 鳥貝はアルコールに特別弱いわけではない。けれど、特別強いわけでもないし、飲み慣れていない。だから、効きが良すぎるのかも知れない。
「オレンジジュースそのもので飲みやすいでしょう。それには別名があってね・・・レディーキラー、っていうの。」
 くすくす笑うヒロの声もどこか遠くに聞こえる。
 次第に思考能力が奪われる。
「春海・・・?」
 百合子の声がやっと聞こえてきたと思ったけれど、その頃には鳥貝はカウンターテーブルの上に突っ伏していた。
「ヒロさん、やっぱり・・・、」
「面白いくらい暗示に掛かりやすいわね、この子。」
「何杯飲ませたんですか?」
「えーと・・・、4杯かな。でも最初の1杯目は正真正銘ノンアルコールよ。シンデレラ、アレンジスプモーニ、ブルーベリーリキュールにミルク加えたのと、最後にスクリュードライバー。」
 指折り数えて云う。最初の1杯以外は全てアルコールが入っている。
「ノンアルコールって云ったのは最初だけ。後は本人の思い込みじゃない。お酒だって分かった途端につぶれるなんて、おっかしー。どれだけ純粋なの、この子。」
 けらけら笑うヒロに、ため息をつく百合子。
 百合子にはもちろん、そういう鳥貝だからかわいいのだけれど・・・スクリュードライバーを飲まされて潰れる女なんて今時いない、と心の中で呟いて、改めて鳥貝のこの隙の多さを心配するのであった。
 まずない事ではあるだろうが、たとえば、彼女一人でこういうお店に入ったとして、ジュースだと云われて飲まされたお酒を簡単に信じて飲んでしまった場合・・・大変な事態になる。どこぞに連れ込まれても、うかつな本人にも責任はある。
「だから・・・、」
 ひとりで夜の町を出歩かせたくないんだ。
 百合子の心の中での呟きは、何故か鳥貝の耳には届いたようである。かすかに残る意識で「ごめんなさい、」と呟いていた。
 百合子の仕事が終わるまでまだ1時間近くある。カウンター席の端だから、鳥貝が寝ていても邪魔にはならないし、この店であるならば、鳥貝に何らかの危害が及ぼされることは考えにくい。狭い店だから百合子やヒロの目もすぐに届くし。
 けれど、眠る鳥貝をこんな所に放置したくないとも百合子は思う。
「ヒロさん、事務所に彼女寝かせてきてもいいですか?」 
「関係者以外・・・と云いたい所だけど、その子なら仕方ないわね。原因はわたしだし。運ぶの手伝う?」
「いえ、ひとりで大丈夫。荷物だけ、見ておいてください。」
 いくら女性には興味のないヒロとはいえ、鳥貝に触れさせたくない、という百合子の意思が見て取れる。
 鳥貝はぱっと見はごく普通の体型である。身長も160に足らないくらい、細身ではないけれど、肉付きが良いという程ではない。いわゆる中肉中背。と言うことは、体重も推して量れる。
 普段から特定のスポーツをしているわけでもない、細身の百合子がどうやって彼女を運ぶのか興味を引かれたヒロは、その動向を見守るのだが。
 結構あっさりと、鳥貝を抱え上げた。
「驚いた・・・ユキって結構力持ち?」
 カウンター内の事務所へと繋がるドアを開けてやりながら、ヒロが感心して云うのに百合子は笑う。
「こいつの重さには、慣れてますから。それに、落とすわけにはいかないし。・・・けど、他の人間だったら多分無理。こいつ・・・また少し、痩せたかな。」
 惚気以外の何物でもない言葉に、ヒロは苦笑いするばかり。
 そして、腕の中の彼女を見る百合子の目は、何も聞かなくても、云わなくても、彼女に恋している事が理解できる甘いものだった。
「どうしたら、そこまで?」
「・・・分かりません。ただ、こいつへの気持ちは、時間が経つほどに深まっていくのが分かるんです。」
「・・・お酒みたいね。」
「どうでしょうね。まだそんなに年月は経ってませんから。」
 ヒロは百合子の親友と呼ぶべき男数人とは接点がある。この数ヶ月の間、彼らに会う度に彼らが云う言葉「百合子は生涯最愛のものを手に入れた」を笑い飛ばしていたけれど・・・それは、冗談では終わらない言葉だったのだと実感した。
 彼女が百合子が慕いきっていた夏目の妹だという事も聞いたけれど・・・それだけじゃないのだとも分かる。
 まだ「少女」にすぎないこの女性のどこに、彼をそれほどまでに惹きつける魅力があるのかは分からないけれど・・・。
「色々な意味で興味深い子であるのは確かね、」
 ヒロはおかしそうに呟いた。





つづく