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[鳥貝大学1年の夏]

浴衣


 7月に入ってしばらく経った。
 鳥貝は大学に入学して初めての試験の為に、生真面目な彼女らしく毎日熱心に勉強を積み重ねていた。勉強なんてしなくても、講義の教本と講義ノートさえあればたとえ出席していない講義であっても理解する事が可能な百合子とは違うのである。
 大学では講義のない時間は図書館や食堂、空き教室を使って友人と共に、寮に帰ってきてからも、食堂で誰かを捕まえて聞くか(幸い、寮には頭脳明晰な4人の先輩がいるのである)、早々に自室に篭るかなのだが、それらのいずこの時間にも百合子から直接または携帯にてちょっかいが入るけれど・・・・・・構っている余裕はなかった。もちろん、夜百合子が泊まっていくなど論外である。ちなみに、天才型の百合子は他人に勉強を教えるのがイマイチ不得手でもあった。
 鳥貝的も少しだけ百合子の温もりや優しい甘い囁きが恋しくもあったけれど、前期試験が終わって夏休みが始まったらいくらでも遊べるのだし、と思うと頑張れたし、百合子にもそう説得していた。
 そんなある日、寮に鳥貝の地元から荷物が届いた。
 時折、寮住まいの人間に親元から支援物資が届いたりもするが、自然豊かなN県を地元とする鳥貝家の差し入れは、寮の他の人間にも大層好評だった。
 今回の荷物の中に入っていたのは、沢山の杏と・・・・・・もうひとつの箱。
 中身は。
「・・・・・・浴衣だ、」
 明るい青地に赤い金魚と緑の水草の柄の仕立てあがった浴衣だった。金魚をモチーフにしているわりには、落ちついたデザインで、大人を自称したい鳥貝でも着られそうである。他にも赤字に白い斜め格子柄の帯と木目が美しい赤い鼻緒の下駄が入っていた。
 母親の添え書きがついていて《良い反物があったので、浴衣を作りました。有効活用しなさいね。》との事。
 届いた荷物は、食品だと思っていたので食堂で開けていたのだが、後ろで気配があった。
「ああ、いいね。夏らしく浴衣か。百合子が喜びそうだ。勿論、おれも君の浴衣姿は見てみたいけれど。」
 鳥貝が寮で暮らし始めて三ヶ月も経った頃から、台所の管理者は多飛本から鳥貝に移行していた。そして、朝食、夕食共に鳥貝が作る事が多くなっていた。けれど、試験の近いこの時期、鳥貝にばかり負担をかけられないという事で、期間限定の当番製に戻っていた。
 というわけで、本日の夕食当番の時屋が、台所で今日のメニューらしいあんかけ焼きそばをつくる途中、鳥貝の手元を見て声を弾ませた。
「ここらへんでも夏祭りはあるよ。それを着ていってもいいんじゃないかな。」
 居間にいた白熊が時屋の声を聞いてやってきて、鳥貝の背後から箱の中身を見て云う。
 自宅にも浴衣は持っていた。けれど、色柄も大概子供っぽく思えてきていた所だったので、新調されたこの浴衣は嬉しかった。
 ただ。
「でも・・・・・・わたし、浴衣の着付けできないんです・・・。お母さん、知ってるくせに。せめて帯は造り帯にしてほしかった・・・・・っ。」
 鳥貝は愕然として、田舎にいる時に母にちゃんと習っておくべきだったと後悔した。折角の新調浴衣なのに、着られないのでは意味がない。
 しかし、浴衣の着付け本を見ながらすればなんとかなるんではないかとも思うけれど・・・・・・自信はない。
「あ、それなら、斎さんが着付けできるよ。」
 いつからいたのか、安羅がひょっこり顔を出した。
「あの人、ああ見えて旧家のお嬢サマだから、そういう古式ゆかしいもの大得意。確か、着付けは勿論、華道、茶道、香道、古武術系とか、子供の頃から色々やってたみたいだよ。」
「けど、斎さんだぜ? 着付け教えるつもりで、別なこと教えられたらどうする。あの人の前で、まんまと素肌晒すのか?」
 あんかけ用の野菜を刻み終えたらしく、フライパンの準備をする時屋が不安げな声で云った内容に、鳥貝も同意する。
「別に裸になんなくてもいいでしょ。服着たままでも着付けの練習はできるさ。斎さんの返答次第だと思うけど。」
「そりゃあ、教えてもらえればありがたいですけど・・・そんな事で時間とらせられません。斎さん、忙しい人なのに。」
「どうかな、お気に入りの君の頼みなら、喜んで引き受けそうな気がするけどね。ダメ元で聞いてみれば? 連絡先教えてもらってるでしょ・・・無理やり。」
 そう、携帯での連絡先を、無理やり教えてもらって、無理やり教えるはめになっていた。「何か相談事、困ったことがあれば、是非連絡してくれ。」と。
 今回の事態も、斎の云う困ったことに当てはまる気がするけれど、鳥貝としては極力人に頼るのは控えたいと思う性分であり、さらにあの斎に何か借りを作ると後々が怖い気がしていた。
 鳥貝の考えが分かったらしい。安羅はくすっと優しく笑った。
「あの人は誰かに頼られるのが殊の外好きなんだ。勿論、頼りがいもあるしね。だから、あの人の周りには人が集まる。彼女が同性愛者だってのは、彼女の人徳からしたら、どうでもいい事なんだよ。だからね、君も一度甘えてご覧。それだけで充分なくらいに喜ぶから。」
「安羅さんは、斎さんの事買ってるんですね。」
「いや、ぼくだけじゃない。彼女を知る人間なら皆そう言うさ。夏目も彼女には一目おいていたからね。」
 兄の名前が出ると、妙に納得してしまう鳥貝だった。
 けれど、やはり、抵抗がある。
「そ、ですね。では、試験が終わってから・・・、」
「試験が終わってからじゃ遅くない?」
「・・・え?」
 ここにいるハズのなかった意外な声が真後ろから聞こえた。
「勉強ばっかじゃ息が詰まるだろ。息抜きにこの週末にでも教えてもらえよ。」
「百合子さん!? なんで、帰ったんじゃ・・・、」
「一旦家に帰ってターシャの散歩してから、戻ってきた。今日はバイトもないし、家にいても暇なだけだし。」
 云いながら、鳥貝の首筋に腕を回して、後ろから抱きしめる。
「ちょ、百合子さんっ!」
「かわいい浴衣じゃないか。おれ好み。」
「浴衣が好みなんじゃなくて、春海ちゃんが着る浴衣ならなんでも好みになるんだろ。」
 安羅が百合子の頭を小突いて、公共の場所でいちゃつくの禁止、と云う。
「勿論。春海は何着ても似合うしね。」
「百合子さん・・・もうっ!」
 鳥貝は自分の首筋に絡みつく百合子の腕を抓り上げ、怯んだ百合子の腕をすり抜けた。
 百合子とのコミュニケーションにも大分慣れてきた鳥貝だった。
「で、春海は浴衣、着たいんだろう?」
 抓られた腕を撫ぜさすりながら、百合子は笑う。
「そりゃあ。やっぱり着ると夏を感じられるし、それに、浴衣ってなんとなく気分が引き締まるというか。」
「うん。おれはそんな春海が見たい。浴衣を着た春海と歩きたいな。みんなにおれの彼女だって自慢してやる。」
 相変わらずの殺し文句のオンパレードである。
 鳥貝は赤くなる。嬉しいよりも、恥ずかしい。寮の他のメンバーもいるのに。
「じゃ、じゃあ・・・斎さんに連絡してみます。オーケィしてもらえるかどうか分からないけれど。」
 鳥貝は顔を赤くしたまま斎にメールを打った。
 何だかんだ云っても、恋している百合子にそういう風に云われれば鳥貝だってその気になるようだ。
 周りの男たちは、やれやれと苦笑をもらした。
 鳥貝は平均的な女の子から、ややずれ気味で、心の中の恋情を表面に現せる事はあまりないけれど、それでもこういう様子を見ると・・・やはり、百合子の事が好きなのだな、と微笑ましい気分になっているのである。
 もっとも、かわいい妹の心が奪われて、兄代わりの面々は少しばかり面白くないのも確かではあったのだが。
 メールを打つ鳥貝の傍らで、百合子がにこにこしながら言う。
「もし斎さんがオーケィしてくれて、着付けを教えてもらうとしても、その間おれが一緒にいてやるよ。」
「・・・というか、一緒にいたいだけだろ?」
「着付け途上の春海ちゃんの色っぽい姿が見たい、と。」
「まったく、変態だよな・・・って、百合子、夕飯は食ってきたんだろう?」
 それぞれが、冷たく百合子に言葉を向けた。
 ちなみに、最後はあんかけやきそばを仕上げた時屋の言葉だ。
 食ってきた、と言いながら百合子は浴衣を箱から引っ張り出した。
 浴衣だけではない、浴衣の着付け用の小物も何点かついていたのを、百合子はものめずらしそうに見る。
「へぇ、やっぱり浴衣着るのって、複雑なんだな。」
 色鮮やかな紐が数本、浴衣より薄い布地の単純な白い着物は下着なのだろうか。
「・・・って、百合子さん、何を引っ張り出してるんですか・・・、」
 メールを打ち終わった鳥貝は、女物の浴衣なんて、そうそう見る機会もないのだろうかと、百合子の好奇心を呆れて云った。
「いや、浴衣の着付けも難しそうだけどね、脱がせるのも面倒なのかな、と・・・、」
「あ、なるほど。だから、着付けの様子が見たいわけだ。脱がせるために、その構造を知って・・・、」
 とは、時屋。
 鳥貝の地雷を見事に踏んでしまう。
「百合子さん、時屋さんっ! そういう事、言わないっ!! というか、そういう下心があるなら、百合子さんは教えてもらう時に絶対、締め出ししますっ。」
 鳥貝はふたりを交互ににらみつけた。
 賢明な白熊は口をつぐみ、時屋と同じような事を考えていた安羅は、先に言わなくてよかった、と胸をなでおろした。
 この寮の男たちは、いつの間にか鳥貝に弱くなっていた。純粋な彼女を頻繁にからかいはするけれど、彼女の逆鱗にだけは触れたくないようである。というか、彼女に真剣に嫌われるのだけは避けたいと皆が思うのは・・・きっと、彼女の事が大好きだからに他ならない。
 鳥貝が怒鳴り終えた頃に着信があった。
 斎である。色々と忙しい人であるのに、随分返信が早いのは、丁度暇だったのか、相手が鳥貝だったからなのか。
「よかった。大丈夫みたいです・・・えーと・・・週末でも大丈夫らしいですけど・・・斎さんのお宅に誘われました。」
「ダメだ。」
 とは百合子の即答。
「あの女のテリトリーに入ったら、何をされるかわかったもんじゃない。せめてここの寮にしろ。」
「教えてもらう上に、来てもらうのは、悪いです。」
「斎さん、今はマンションに一人暮らしだっけ? 密室にふたりは、確かに危険だよねぇ。さっきも心配してたけど、きっと手とり足とり別な世界教えられそう。・・・あ、それはそれで楽しいかな? 春海ちゃんも人生経験として・・・、」
 まだ何か続けそうな時屋の頭を百合子が軽く叩く。
 大事な鳥貝がまかりまちがって別世界の扉を開いてしまい、しかもそちらに行ってしまうような事態になったらえらい事である。自分も別世界の扉を往復していただけに、その世界にハマった時の状態は身に染みているのだろう。
 安羅は彼らのやりとりをくっくっと笑って、渋面をする鳥貝を見て提案する。
「斎さんをこの寮に呼び寄せるなら、春海ちゃん以外にもいい餌があるよ。それ云ったら、多分自分から来たがるから。」
 ウィンクしながら云う安羅の餌とは何か。それは。

「これはまた、かわいい。生後二ヵ月くらいか。丁度良い頃合だな。」
 一階の物置の片隅に置かれた、籠の中を除き見て云う。
 そこには、遊び盛りの子猫が3匹。ミス・ノーラの子供だ。
 ミス・ノーラが子猫を出産したのは、GW直前の鳥貝の部屋だった。鳥貝がはじめてのバイト料でミス・ノーラの為に買ってあげた箱型のベッドの中でだ。普段は使わないそこから気配がすると思って覗いてみると、中にはミス・ノーラとネズミのような小さな生き物が3匹いて、生まれたての子猫を見たことのない鳥貝は、ひどく驚いた。
 最初は鳥貝の部屋で子育てするかと思われたミス・ノーラなのだが、GW後しばらくして、いつの間にか家移りしていたのは、百合子が鳥貝の部屋に頻繁に訪れるようになったのが理由であるか・・・分からない。鳥貝は少しだけ淋しいと思っていた。
 けれど子猫達は、物置の片隅ですくすくと育ち、毎日離乳食をもりもり食べて、後は予定している里子に出すだけの状態になっていた。
 斎は指先の動きだけで子猫をじゃらし、手玉に取っている。
 どうやら、相当にお好きらしい。
「実家にも3匹いるんだが、猫という生き物は実に愛らしく癒される。今のマンションでも飼いたいんだが、部屋を留守にする事が多いので、飼えないんだよ。」
 一番ミス・ノーラに似たふかふかの毛足の三毛子猫を抱き上げて、その喉元を指先で優しく撫ぜると、子猫は喉を鳴らしながら目を細め、そのうちうとうとと船をこぎ始める。
 その愛らしい所作に、斎は瞳を細める。
「猫、お好きだなんて、ちょっと意外です。」
 斎の隣にしゃがみこんで、足元にじゃれ付く黒シマの子猫をあやしなが鳥貝はふふと笑う。
「そうか? 私は、かわいいものは何でも好きだぞ。うさぎも愛らしいと思うし、小型の犬もいい。栗鼠や小鳥も見ていて和まされる。けれど、そんな中でも、君のような子ひつじが特に大好物なんだが・・・、」
 とか云いながら、斎が鳥貝に手を伸ばそうとするのを、寸前で百合子が妨害する。
「油断も隙もあったもんじゃない・・・、」
 ちっと舌打ちする斎は、眠りかかっている子猫をそっと籠の中に戻して立ち上がる。
 背の高い斎は、ヒールを履くと百合子とあまり身長が変わらなく見える。
「さて、それじゃ、本題だな。始めるとしようか。」
「はい、先生。」
「うむ、かわいくてよし。だが、たとえかわいい君相手でも、稽古に関してはきびしいから、覚悟するように。」
 との、斎の言葉は本当だった。
 着付けの練習にかかった途端に、人が変わったように厳しくなり正しくスパルタな「先生」と変貌した。
 練習は、鳥貝の部屋で行われた。鳥貝は全身の映る姿見を持っていなかったが、安羅に可動式のそれを借り、Tシャツとショートパンツを着て練習しているわけであるが。
「違う。それじゃどうみても、バランスが悪いだろう。さっきも同じような事を言ったと思うが。」
 厳しい斎先生の叱責の声が響く。
「だいたい、なんだ。裾が地面に摺っているぞ。いくら下駄を履いても、完全に土で汚れるな。もう一度、最初からやりなおし。」
 最初こそ警戒して子猫と共に鳥貝の部屋に居座っていた百合子だったが、鳥貝を口説くそぶりも見せない斎の熱血先生ぶりに・・・途中から退屈になって鳥貝の部屋を辞した。
 だから、百合子がいなくなった部屋で、斎が唇に笑みを浮かべて、鳥貝に吹き込んだ事と、鳥貝に今回のレクチャー代として請求したものを、百合子は知らなかった。
 吹き込んだ事の内容については、ありがちではあるが、以下の通りだ。
「浴衣の下に下着はつけない! 下着のラインが見えて、見苦しい。粋な着こなしを意識するのなら、絶対的タブーだな。それに、今の人間は浴衣を夏の着物のくせに暑い暑いというが、それは無知蒙昧な輩が着物の下にブラやパンツをはいて厚着をするからに他ならない。考えても見ろ、江戸時代や明治時代の女性が、着物の下にブラやパンツを履いていたか? 浴衣は、元々が風呂上り、あるいは寝巻きとして着るものだ。そんなラフな装いに、身体を締め付けるような下着はご法度! 浴衣とは、もっと開放的でしかるべきものだ。」
 正論に斎の個人的主張をプラスした内容を、鳥貝はいともあっさり信じてくれる。斎は、鳥貝のその純粋さを、いっそう愛しく思ったとか。
 ほぼ形になった鳥貝の浴衣姿を眺め回して「及第点」を与えてから、喜ぶ鳥貝の頬を捉えて、キスを求めたのは・・・ぎりぎりセーフで飲み物を運んできた百合子の手で阻止された。
 けれど、百合子は知らない。
 斎が鳥貝とした約束を。
 それがどんな約束だったかは・・・夏の終わりに分かることになるのだが、その時になってやっと鳥貝は、その約束を大した内容ではないと思ってあっさり受けた事をほんの少しだけ後悔する事になる。
 ・・・それは、また、別の話。

 何はともあれ、どうにか浴衣をひとりで着られるようになった鳥貝は、この浴衣を着て百合子と夏祭りに出かける事を楽しみに、再び大学の試験準備にとりかかったのだった。
 夏の楽しみがひとつ増えた。
 鳥貝の夏はますます充実しそうな予感がする。
 そしてまた、百合子にとっても楽しみがひとつ増え、この夏をますますもって愉快に過ごせるだろうと日々にやにやしていて、鳥貝を不気味がらせたとか。



おわり