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[鳥貝大学1年の春]

Mom


 梅雨。この鬱陶しい季節にも楽しみはある。
 鳥貝は百合子に誘われて、彼の地元のK市を訪れていた。この季節にこそ美しく栄える花、紫陽花を見るためである。
 百合子の自宅のあるK市にはこの春から何度か訪れて、半ば嫌々気味の百合子にお願いして観光名所を案内してもらった。この春、自分の出生を尋ねる為にこの地に訪れるまで、鳥貝は一度もここに来たことはなかったから何もかもが物珍しくて、まさしく観光気分で各所を見て回った。
 とはいえ。
 子供の頃から住む勝手知った地元であり、人混みが苦手である百合子は、わざわざ観光地の裏側に回り込むような案内ばかりをしてくれたのではあるけれど。
 それでも、観光案内とはいえ鳥貝とのふたりきりのデートには違いなく、その都度百合子が上機嫌だったのは云うまでもない。
 その日も、やはり観光客の多さにうんざりしていたかと思えば、そのうち観光名所から離れた住宅地の方に入り込んでしまった。けれど、そこにも、雨に打たれて彩りを増す紫陽花の低木が、各家の庭やちょっとした土手から、赤や紫、青、色とりどり、様々な形の顔を覗かせていて、鳥貝は隠れた名所で目を楽しませた。
 紫陽花を見た後、直接寮に帰るのではなく、百合子の自宅に立ち寄った。この春から、もう何度もお邪魔して気安い場所になっている。
 日曜日だというのに、自宅には誰もいなかった。
 いや、日曜日だからかもしれない。
「ばぁさんは友達と観劇、千早はY市までショッピング、親父とお袋は休み関係なく仕事だよ。ターシャが留守を守ってくれてるから、この家は成り立っている。」
 云いながら、足下に纏わり付くアフガンハウンドのターシャの頭を撫でてやる。
 ちゃんと家族の動向を把握しているあたり、やはり百合子は家族を大切にしているのだと、鳥貝は微笑ましくなって、こちらに顔を向けたターシャの耳元をくすぐりながら笑う。
 鳥貝にとって父母が大切なように、百合子にとってもそうであるのは嬉しい。色々と違う価値観を持ち合わせているけれど、こういう部分で価値観が合うのは、嬉しい事だ。
「おじさま達、大変ですね。お休み、ちゃんと取れているんですか?」
「出産は土日祝、盆も正月も関係なくやってくるからな。じぃさんが引退してから、ふたり揃っては休みは取ってないと思うぜ。それでも、おれがまだ進路を決めていない頃は、おれが跡をついでくれるようになったら、ふたりでゆっくり旅行に行きたい、あと10年の我慢だ。とか云ってたけど・・・それも不意になったしなぁ。」
 悪気無く云う。
 やはり元々は百合子に跡を継いでもらうつもりだったようだ。
「どうして、医学部に進まなかったんですか?」
 多分、頭脳の面ではまったく問題はないだろう。現役でどこの医大でも受かっていただろうと思われる。
「・・・前も云ったかもしれないけど、おれに医者が向いていると思うか? まして、産科医だぞ?」
「・・・そう、ですよね・・・、」
 医者に必要なのは頭脳だけではない。むしろ頭脳よりも、医師に向いた性格や本人のやる気の方が必要なのだろう。
 あの両親の息子と思えない、この百合子の性格では・・・難しいかもしれない。
 鳥貝が自分の云った言葉に納得した事に対し、理不尽にもむっとしたらしい百合子は彼女の頭をくしゃくしゃっとなで回した。
 湿気でまとまらない髪を気にしていた鳥貝は、その行為で髪が更にまとまらなくなって・・・頬を膨らませた。
「千早が医者になるまで更にあと十数年我慢すればいいだけさ。仕事できるうちはぼけない。ばぁさんも病院の手伝いがあるからこそ矍鑠としていられる。」 
 憎まれ口はきくけれど、家族を大切に思っている気持ちは疑いようもなく本物だと知っているから、鳥貝は髪をくしゃくしゃにされたお返しに、お茶を用意している百合子の背後に近づいて、背筋に指を走らせてみた。
 一瞬だけびくっとした百合子は、すぐに般若の形相で振り返る。折角の美形が台無しである。
「は、る、み、」
「お返しですっ、」
「春海のくせに生意気、」
「なんですか。わたしだって反撃くらいします、」
「じゃあ、反撃の反撃、」
 云って、危機感に身を翻した鳥貝の身体を背後から素早く捕らえて、そのままぎゅっと抱きしめる。
 本人達がどうあれ・・・どう見ても、いちゃいちゃなカップルのじゃれあいである。
 春先・・・つきあい始めの頃に比べて、コミュニケーションが濃密になったのはきっと・・・身体を重ねて、素肌の互いを知ったから。
 特に、鳥貝に関してそれは顕著だった。以前は手を握るのや抱きしめられるのを、ふたりきりの時でさえ恥ずかしがっていたのに、最近はふたりきりだと、自分からこんなコミュニケーションを求める事もある。
 百合子にきつく抱きしめられて抵抗しながらも、くすくす笑っている。その表情は幸せそのもの。
 少しだけ力を抜いた百合子の腕の中から、同じように笑う百合子を見上げて、更に表情を笑みに崩した。
 それが殊更にかわいかったらしく、百合子は躊躇いなく、鳥貝の唇に自分のそれを重ねる。鳥貝は、少しだけ躊躇いながらも・・・それでも、受け入れる。
 雨に覆われた少しだけ肌寒いこの季節に、互いの体温を確認するのは、幸せだった。
「な、今日は寮まで一緒に帰るから・・・、泊まっていって、いいよな?」
 キスの後の耳元での囁きに、鳥貝は顔を真っ赤にした。
 こういう事を昼間っから確認取らないで欲しいと思う。
 キスくらいではあまり動じなくなったけれど、さすがに、これは恥ずかしい。
「そっ、そんなこと、いちいち聞かないでくさいっ、」
「・・・いちいち聞かなくてもいいのか? 同意取らずに押しかけてもオーケィしてくれる?」
「そっ、それは、その時次第です・・・、」
「・・・ちぇ。でも、今日は・・・いいんだよな?」
 耳まで真っ赤にした鳥貝は、しばらくどう答えようか考えた後・・・こくんと頷いた。
 百合子の素肌の熱を感じるようになってから、まだ二ヶ月も経っていない。その間、肌を重ねたのは片手の指で数えられるくらい。
 鳥貝にとってその行為はまだまだ恥ずかしいことだらけ。けれど、普段聞けない百合子の熱気をはらんだ声とか、吐息とか・・・表情とか。素肌に感じる素肌の体温とか。それから、眠る百合子の顔とか・・・それらを実感できるのが、幸せだった。
 何より恋する男を間近に感じられる事が、こんなにも嬉しい事なのだと思うようになっていた。
 だから・・・鳥貝も、百合子の誘いを拒めない。
 百合子は、「かわいい、春海、」と呟きながら、再び鳥貝を強く抱きしめてくる。
「ゆ、百合子さん、その・・・お湯、涌いてますから・・・、」
 家人がいないとはいえ、百合子の自宅台所でのいちゃつきはさすがに恥ずかしくなってきて、鳥貝は百合子の腕の中で身をよじって、顔を上げて・・・。
「ひゃっ!?」
 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
 だって、顔を上げた視線の先、台所の入口に・・・百合子の母が立っていたのだ。
 面白いものを見るように、口元に手を当てている。口元は見えないけれど、目は完全に笑っている。
 怒っている風でないのはいいけれど・・・そういう風に楽しげに見られているのは、相当に恥ずかしい。
「ゆ、ゆゆゆ、百合子さんっ、」
 おかしな声が出た。けれど、構わず百合子の腕をふりほどいて、どうにかそこから逃れた。
「・・・お袋?」
 百合子の方は、母親がいた事に気づいても、平然としている。
「面白いわねぇ、あなたたち。」
「お、おばさま、お邪魔してます。それから、えっと、ごめんなさいっ、」
 半分パニックになっている。何故かぺこんと頭を下げて謝る。・・・多分、家族に声も掛けずに上がり込んで、百合子といちゃついていた事が後ろめたかったからだろう。
 その鳥貝の様子がおかしかったのか、百合子の母なお美は声を立てて笑い出した。
「どうして謝るのかしら。千里と仲良くしてた事は、別に全然構わないから。仲が良いのはいい事よ。千里、お茶、わたしにも入れてね、」
 言葉の最後は百合子に云いながら、なお美はターシャを足下に従えて居間のソファに座り込んで、大きな溜息をついた。
「・・・おばさま、お疲れですか?」
 ティーカップの用意をしながら問いかける鳥貝に、なお美は嬉しそうに笑う。
「朝から出産が2件あったのよ。1件はごく安産だったんだけどね、あと1件が中々出てきてくれなくて・・・少し前にやっと。恥ずかしがり屋の女の子だったわ。どちらも健康に問題なさそうだから一安心。」
 嬉しそうに云うなお美には、自分の仕事に対する誇りのようなものも感じられる。
 こういう人だから、産婦人科医になり、その仕事を続けていっているのだ。
「人にもよるけれど、初産はやっぱり大変よね。春海ちゃんも、覚悟しておいた方がいいわよ。美和子さんも、夏目くんの時、結構しんどかったから。」
「・・・はい?」
 急に何をふられるのだろう。
 鳥貝は思わず動きが固まってしまう。
「大丈夫。そん時はおれがずっと春海の手を握りしめておくから、」
「・・・。・・・はい?」
 しかも、百合子は何を云い出すのだろう。
「いやだ、千里。あなたの子供とは限らないわよ。そりゃ、そうであってくれればこの上なく嬉しいけれど。春海ちゃんを無理に束縛しちゃだめよ、ね?」
「・・・はぁ、」
 冗談か本気か分からない親子の会話に、鳥貝はどうやって口を挟むべきか戸惑うばかり。
 でも、実際・・・百合子とは子供のできる行為をしているものだから・・・まったく現実味のない話でもないのだけれど。
「まぁ、何にしろ春海ちゃんの出産なんてまだ何年も先の事には違いないわ・・・千里、気をつけるのよ?」
「そりゃ、もちろん。でも、春海になら、おれの子産んでもらってもいい。というか、近い将来に産んでもらいたい。・・・いや、むしろ春海じゃなきゃ、ヤだな、」
「・・・っ!」
 そういう話は鳥貝にはまだ早い。たとえ、そういう行為をしていたとしても。
 顔赤くして無言を貫くしかない。
 母息子の会話に口を挟まず、入れ終わったお茶をなお美の前に置く。
「ありがとう。・・・あ、そうそう、春海ちゃん、保険証、ご実家から持ってきてる?」
「・・・保険証、あ、はい。一応何かあったら困るので、いつも鞄の中に・・・、」
「あら、えらいわね、さすがだわ。じゃあ、ちょうどいいわ。処方したい薬があるのよ。保険証、貸してもらってもいいかしら?」
「え? おばさま、どうして・・・、わたしはどこも・・・?」
「料金はもらわないから、大丈夫よ。だって、春海ちゃんに迷惑かけてるのはこっちだから。あ、それと、一応簡単な問診もさせてもらうわね。ちょっと待っててくれる?」
 戸惑いながら差し出された鳥貝の保険証を手に、なお美は病院へと続く廊下を歩いて消えた。
「・・・百合子さん、一体なんでしょう?」
 戸惑う鳥貝に、母の言動に思い当たる節のある百合子は小さく笑う。
「ま、おれの信用がないからだよな、」
「・・・え?」
 百合子の言葉の意味もさっぱり分からない。
 ただ、百合子に促されて台所の椅子に座り、目の前に缶ごと出されたお茶請けのクッキーを囓って、首をかしげた。
                    

 なお美はすぐに戻ってきた。
 手に薬の袋と、カルテを持っている。
「ついでにカルテつくらせてもらうけど、いいわよね。体調が悪いときは利用してちょうだい。女性の病気なら随時相談に乗るわよ。」
「はあ、」
 やや強引な所はやはり百合子の母だ。
 なお美の座るソファの対面を勧められて、鳥貝は診療室の気分も感じながらそこに腰掛けた。ちらりと百合子を見ると、母につきあってやれ、という意味に感じられる諦めの表情をしている。
「初診の人は事前に問診票を書いてもらうのが本来なんだけれどね、別に診療時間の診察じゃないからいいわね。病気なわけでもないし。必要なことだけ聞かせてもらうわ。」
「はい・・・、」
「普段の病気のことからね・・・持病は持ってる?」
 本当に、病院に診察に来た気分になってきた。ただ、鳥貝が普段、風邪の時などに行く内科と違うのは・・・病気や通院歴、過去の疾患の事などを聞かれた後に。
「生理は正常に来る?」
「・・・っ、」
 百合子が台所にいるのだ。こちらの会話も丸聞こえである。いくら体を許した相手とは云え・・・先月求められた時にはそれを理由に拒んだとはいえ、聞かれたい内容ではない。
 それを察知したなお美だけれど・・・苦笑して鳥貝に云う。
「付き合っているなら、千里にも知ってもらっておいた方がいいと思うわ。色々と、ね。」
 なお美の言葉の妙なニュアンスの真意を鳥貝は推し量れないままに、問診に答えるしかない。
 それに加え、更に。
「性交渉の頻度はどれくらい?」
「・・・っ!! そ、それは、」
「・・・って、そうよね、云いづらいわよね。婦人科では聞くのが普通なんだけどね。」
 真っ赤になってしまった鳥貝を見て、なお美はくすっと笑う。
「その質問は、今はなし、でいいでしょう。当事者とはいえ、医者として守秘義務は遵守する必要があるものね。」
 ちらりと百合子を見て微笑む。
「でも、このお薬の事だけは、聞いておいてね・・・千里も、」
「え? どうして、」
 鳥貝の言葉をよそに、なお美が手招きすると、百合子は何も云わずに側まで近寄って、鳥貝の背後のソファーの背にもたれて、母親と向き合う。
「これが、いわゆる経口ピル・・・春海ちゃんは、知らないわよね?」
「・・・? はい?」
 それからなお美はその薬の効用と服用方法等について説明してくれたのであるが・・・鳥貝は絶句してただ頷くしかできなかった。
 つまり、その薬は・・・妊娠を妨げるためのそれだったのだ。
「スキンはどうしても男性任せになるでしょう? 妊娠して大変な思いをするのは女性なのに、そういう事を男性だけに任せておけないわよね。だから、これは女性からの予防策というわけ。もちろん、併用が望ましいわよ。スキンも100%じゃないし、ピルも絶対とは云えないのだから。」
 ここまでが女医としてのなお美の言葉。
 これからが母親としての感想。
「千里は、いまいち信用できないでしょう。事、あなたに関すると、冷静ではいられないみたいだし・・・千里?」
「あー、まぁ、な・・・、」
 鳥貝はいまいち理解していなかったのだが、最初の夜は生で中だった。そういう事を親に云うわけはないが、思い当たる節のある百合子は曖昧な言葉を返して、さらに訝られた。
「まさか、スキンさえもつけてない?」
「や、それは、大丈夫、うん。」
 普通、親子でこういう会話をするものだろうか。いくら親が産科医とはいえ。
「・・・やっぱり、なんか、信用できない。春海ちゃん、くれぐれも気をつけるのよ? 妊娠して大変な思いをするの、あなたなの。美和子さんの話を聞いても、そう思わなかった?」
 兄夏目は望まれてできた子ではない。子供を身ごもってから、美和子の人生は一変した。
 鳥貝は、複雑な思いながらも、頷いた。
「ああ、でも誤解しないでちょうだいね。もしもあなたに子供ができちゃったとしたら、わたしはむしろ嬉しいのよ? ふたりとも大人な年齢なんだから、そこに問題はないの。ただ、あなたが困るでしょう? 10ヶ月、お腹の中に命を宿した末の大変な出産、それからさらに大変な育児。そうなったら、今のように学生生活が送れなくなるわ。美和子さんのように、自分の人生を変えなきゃならなくなる。・・・ごめんなさい、勝手に産むという前提でお話してるわ。堕胎という選択肢もあるのだけれど・・・あなたたちの子供に、わたしはそれは望まないから。・・・何より、その選択肢は春海ちゃんばかりが苦しまなきゃならないから。」
 云われている事は分かる。
 でも、ひどく現実味がない。
 現実味がないながらも・・・百合子としている行為には、そういう可能性が付きまとうのだと、改めて実感する。
 幸せとか快楽とか・・・それを優先してしまって、忘れてはいけない事がある。
「まぁ、とりあえずお袋、堅い部分はなし。できたらできたで、その時はその時。おれが春海を幸せにするから、」
「なぁに、親の脛囓りの、たかが学生の分際でよくそんな事が云えるわ。」
「金銭面は頼りないけど、精神面ではなんとかする。これがおれの現状。一応理解はしてるよ。」
「現実は厳しいのよ。出産も本来どれだけ費用がかかるか、あなた分かってないでしょう? うちの病院のことに興味ないものね。」
「おれが跡継ぎじゃなくて良かっただろ?」
「本当は跡を継いで欲しかったわよ。お義父さんもそう思ってらしたのに・・・なんでこんな風に育ったのかしら。」
「人には生まれついての向き不向きがある。」
 軽い調子で続く母息子の会話に、やはり口を挟めない鳥貝。
 百合子の母にそういう関係がバレてしまったのは身の置き場もないくらい恥ずかしいけれど・・・でも、理解ある母親の理解ある言葉に、鳥貝は自分がとても恵まれているのだと感じる。こういう所でも、百合子と付き合っていてよかったと思う。
「ともかく、おれは今の現状が気に入っているし・・・何より、春海と一緒にいられるのが幸せだから、今進んでいる道に後悔はない。それから、おれは春海を手放す気はないけど、こいつの負担になるような事態は避けたいから・・・気をつけはするよ。」
「信用していいのよね?」
「・・・頼りないかもだけど、しといて。」
 云いながら、鳥貝の首筋に腕を絡めて、肩口に顔を押しつけてきた。
 鳥貝に甘えているのだ。
 母親の前でも平気でこういう事をしてくる百合子に、鳥貝は戸惑うばかり。
 なお美は・・・その光景に唇を緩めている。
 息子の特殊な性癖を嘆いたことはないけれど・・・けれど、誰かに真剣に恋する様子がないのは哀しいと思っていた。
 兄代わりの夏目に執着するほど、他の恋人と呼ぶべき存在に執着を見せた事がなかった。
 それが、今は・・・きっと、夏目に対する以上に、彼女に執着している。
「ほんとにね、諦めていた事が、叶いそうで嬉しいわ。」 
「・・・え? おばさま?」
 独り言で済ませようかと思いながら・・・でも、鳥貝の戸惑いの表情が可笑しくて、もっとからかいたい気分になって、なお美は先を続けた。
「千里の進路を諦めたのはね、何も本人の資質ややる気だけのものじゃなくて、千里の性癖で諦めていた部分もあるのよ。」
 百合子の性癖。
 出会ってこの方、百合子本人も隠そうともしないから鳥貝も熟知している。要するに、同性愛の事か。
「・・・病院を継いでもらっても、跡継ぎ、できないでしょう? まぁ、千里の事だから、自分の邪魔にならない程度の適当な女性をお嫁さんにして、子供も作って、家族をほどほどに大切にしつつ、性癖を貫くくらいの器用さはあるとは思うけどね・・・それじゃあ生まれてくる子供は哀しいじゃない。・・・だから、あなたがいてくれて、本当に良かったと思うの。・・・まだ、先の事は分からないけれど。」
「こいつが現れなきゃ、自分が将来子供を持つ事さえ考えなかったよ。むしろ、男を愛している間は、自分の血を引く存在なんて不要だと思っていた。」
「・・・彼女が夏目くんの妹だから、だけじゃないのよね?」
「当たり前。こいつを好きになったのは、それだけが理由じゃない。自分の遺伝子を持つ子供を愛せるかは分からない・・・でも、それがこいつの子供なら、きっと愛しいに違いない。例え、こいつが夏目と血を同じくする妹ではなくても。」
 何か、話が相当に飛躍して思える。
 というか、ここで何故兄夏目の名前が出てくるのかも、良く分からない。確かに、百合子が自分に興味を持ったのは兄夏目がきっかけだけれど、子供の話と夏目の話がどうして結びつくというのか。
 鳥貝は、また戸惑いに戸惑いを重ねる。頭の中が混乱して来つつある。
 戸惑いに目が虚ろになってきている鳥貝を見て、なお美はくすくす笑う。
「あなたの子供はね、あなたの次に、夏目くんに近しい血筋になるのよ。近しい遺伝子をもったその子はきっと、どこかが夏目くんに似ている・・・可能性がある、という話。」
「おまえの子供として生まれる存在は、夏目の遺伝子を持っているのと同じなんだよ。あいつに子供はいないけど・・・おまえの子供は、あいつの命を繋ぐ存在になる。あいつの存在をこの世に残すものになる。」
 少しだけ切ない声で百合子は云う。
 そして、鳥貝の戸惑いはいや増す。
 例えば、ふたりの母である美和子が今子供を産んでも、それは坂井の血が入った時点で夏目から遠ざかる。夏目と両親を同じくする鳥貝だから、より血が近い。
 なんだか、とても重い使命を課されたような気分にもなる。まるで、兄夏目の血を繋ぐ責任を課されたような。
 百合子は混乱して、硬直している鳥貝の耳元でくすくす笑う。
「難しく考えるなよ。まだずっと先の話だし、実際おれとおまえが子供を作るとは限らないだろ。そうであればいいとは心から思うけど。・・・おれとおまえが夏目を産んで育てる・・・、それって、すっげ魅惑的だよな。」
 難しく考えるなと云っておいて、またプレッシャーをかけるように畳かける百合子は、どうあっても鳥貝と子作りする気らしい。
「そんな云い方するのも愛情表現だとは思うけど、もし、あなたと春海ちゃんに子供ができたとして、もし、それが男の子でも・・・夏目くんとは全然別人なのは分かるわよね?」
「二重に仮定を重ねてきたか。・・・そりゃ、もちろん。ただ、可愛さは倍増だろうな、と思うだけだよ。」
 子供を作るとか作らないとか。
 まだ付き合いだして半年も経たないのに、そういう話が出てくる時点で何かがおかしいのだけれど。
 そもそも、避妊に気をつける、という所が話の根幹だったはずだけれど。
 困惑して、混乱して、しまいには小さく唸りだした鳥貝の頭に、百合子はくすくす笑いながら頬ずりする。
 鳥貝が可愛くて、愛しくて仕方ないと・・・態度で云っている。
 母親としては、初めて見る息子の激しい愛情表現に、笑うしかない。
 だからこれは言葉に出さずに、心の中で呟いた。
『愛しすぎると逃げられた時が辛いわよ。・・・でもね、春海ちゃんも逃げるつもりもないみたいだから・・・近い将来、あなたの望みは叶うかもしれないわ。そして、それは諦めていたわたしの望み。・・・夏目くんを失った悲しみ以上の喜びが手に入るといいわね。』
 きっと・・・母の想いは、いつか叶えられる。



おわり