8888hitのカウンターリクエストで差し上げた創作です。

 

幸福の地へ


「・・・・ばいばい・・・」

 最後に、風に掻き消えるような言葉がゼフェルの耳に届く。

アンジェリークは振り向きもしなかった。

 最後に見た彼女の表情・・・悲しそうな、切なそうな・・・それでいて、憤っているような、なんとも言えない複雑なそれが、残像となって、彼の網膜に焼きついて離れなかった。いつまでも、いつまでも、離れなかった。


 いつの間にか、好きになっていた。

 はじめは、お互いにひどい距離があった。それは、決して縮まる事はないだろうとさえ思えるくらい、大きな隔たりだったと思う。

 けれど、いつの間にか、彼女は、傍に近づいてきていた。

 気が付いたら、そこにいたのだ。

 なんて、ずうずうしいオンナだと思った。

 けど、イヤな気はしなかった。

 ・・・・彼女の気持ちを、彼はうすうす気付いてはいた。自分の気持ちを確認して、なおのこと、そう思った。

 けれど、言い出せなかった。。

 照れ臭かった事もある。それに、そんなこと、簡単に言うものじゃないと思っていたし、何より、彼女に想いを伝えたとて、それは、叶うはずがないと、はなから達観してしまったからだ。

 気持ちを伝えなくても、傍にいられればいいと想っていた。

 こうして、傍で笑っていてくれさえすればいいと想っていた。

 そう思って、彼は何も言わなかったし、彼女も、何も言わなかった・・・いや、ただ一度だけ、言ったこともあった。

 彼が、柄にもなく作ったイヤリングをプレゼントした後、彼女はひどく驚いた様子をして、大きな緑の瞳をさらに大きくして彼を見つめ、頬を染めては、何度も、何度も、嬉しいを連発していた。

 そして、言ったのだ。

『やっぱり、大好きだな』

 彼に向けたものかどうかさえも分からない言葉だったけれど、それが彼に向けられていたのは確実だった。

 たわいない一場面でのさらりとした一言に、彼は、ひどくどきりとした。

 心臓がばくばく脈打って、いてもたってもいられなくなった。

 おもわず、まじまじと彼女の顔を見つめてしまい、いつもの悪戯っぽい微笑を浮かべる彼女の表情を確認して・・・くすぐったくなって・・・冗談として片付けてしまった。

 そうせずにはいられないような、そんな、居たたまれなさが彼にはあったからだ。素直に女の子からの好意を受けられるほど、彼は器用ではなかった。

その後、彼は、その事については、深く考えないようにしていた。

思い出すと、まるで体中にふわふわの毛をした子猫が擦り寄っているような、くすぐったさがいつまでも続いて、何も手につかなくなるからだ。

 ・・・そんな自分の態度が、彼女をいかほどに傷つけているとも知らないままに・・・。


「嘘だろ・・・」

 寝耳に水もいいところのその内容に、ゼフェルは愕然とした 

 彼の打ちひしがれた様子に気付きもせずに、ルヴァは終始にこにこといたくご機嫌に笑い続ける。

「いやぁ、私も一時はどうなるかと思いましたけどね、陛下が許可してくださって、ほっとしてますよ。あんなに熱心に彼が懇願するから、陛下も根負けされたんでしょうね。彼らの年齢を考えたら少し早い気もしますが・・・本当におめでたい事ですよ〜」

 その日、光速で守護聖たちに駆け巡ったふたつの情報がある。

 ひとつは・・・女王候補ロザリアが女王試験の育成を成し遂げた事。これは、試験の中盤から大差がついていたものだから、誰もが納得して彼女を祝った。

 問題は、もうひとつの情報である・・・・・・。

「女王試験が終了して、アンジェリークが帰ってしまうのは、誰もが残念に思っていたんですよねぇ。彼女は、皆にかわいがられていましたからね。それが、こんなおめでたい形で、聖地に留まってくれるなんて・・・。一部の者たちは、目くじらをたてて抗議するやもしれませんけど、私は嬉しいですよ〜」

 どんどん悪いものが沈殿して行くようなゼフェルの表情に気付かないまま、ルヴァは書庫整理を続ける。女王試験の終了にともなう聖地帰還の引越しのためである。

 鈍い彼は、感情をはっきり言葉や態度に表す守護聖(例えばマルセルやオスカー)のアンジェリークへの想いについて知ってはいても、感情表現に不器用なゼフェルの気持ちにまでは気付いていなかったようだ。

「まったく、ランディも幸せ者ですよねぇ」

 元々が嫌いな相手の名前に、今日は異様なほどに反応するゼフェル。

「あんなかわいいアンジェリークを、お嫁さんにできるなんて。式は、ロザリアの即位式の直後に行うそうですよ〜」

 ルヴァの言葉を最後まで聞かずに、ゼフェルはその場を飛び出した。

 ひどい眩暈にも似たショックが、彼の頭の中で、低い雷鳴のように響きつづけていた。


 ―――これが、シツレンってもんなのか?

 ルヴァの館を飛び出して、ゼフェルは走り出した。

 何がしたかったわけでもない。どこに行きたかったわけでもない。

 ただ、じっとしていられなかったのだ。じっとしていたら、重く垂れ下がった暗雲のような不安に、自分の全てが飲み込まれそうで、怖かった。けれど、走っていても、不安の黒雲は、彼を追いかけ続けていた。

 ―――あいつ、オレの事なんてなんとも思っていなかったってのか? オレの空回りだったのか? それとも、あいつに遊ばれていただけなのか?

 嫌な考えばかりがぐるぐると巡り続けて・・・気が付いたら、ゼフェルは公園に来ていた。

 アンジェリークと、何度もデートした場所だ。

 女王試験の終了にともない、人の気配が薄くなった場所をぐるりと見回す。

 噴水の縁に座ってたわいない話をしていたこともあった。花畑ではしゃぐ彼女を、笑いながら見つめていた事もあった。芝生の上で昼寝していた所を、突然彼女によってたたき起こされたこともあった。東屋で、彼女の心地よい促しにまかせて、つい自分の本音をぶつけてしまった事もあった。

 そして、公園のカフェテリアで、無理に彼に合わせてミネラルウォーターを飲んで、味気ない顔をする彼女の姿が・・・・・・。

「・・・・・!」

 カフェテリアに彼女が、いた。

 記憶の中と寸分たがわぬように、楽しそうにニコニコ笑っている。

 けれど・・・微笑みかけられているのは、自分ではなく・・・そう、ランディだった。

 見た瞬間、彼の不安は絶望に変わる。

 彼女が本当に好きだったのは、自分ではなく、ランディだった。

 その確信が、彼を深い淵へと突き落とした。彼自身、予想もしなかったくらいのショックを受けた。

 再び、彼はその場を走り出さずにはいられなかった。それ以上、幸福な彼らを見ないためにも。

 けれど、彼は、見なければならなかった・・・ランディが視線を別なものに移したのを見たアンジェリークが、目前の未来の夫のに気付かれないように、ひどく憂えた表情をしたのを、彼は、見なければならなかったのである、が・・・。


 たどりついたのは、森の湖。

 人気のないそこに、息を切らせてたどりついて、ゼフェルは座り込んだ。

「・・・・・っ!!!」

 唇を強く噛んで、拳を握り締める。

 心の痛みを誤魔化すように、体に痛みを与えつづける。

 唇が切れて血が細い筋を作って顎を流れ落ちる。爪が彼の掌を傷つけ、浅い傷から血がにじみ出る。

 それでも、一番痛いのは、心。

 はじけて、壊れて、崩れ落ちそうなくらいに、張り詰めた心が痛かった。

 好きだった。

 彼女が、好きだった。

 彼女も、自分を好いていてくれると思っていた。

 だから、考えもしなかった。

 いつか、彼女が自分以外の別の男のものになるなんていう事を・・・。

「っ・・・・・くしょう!!」

 傍の木の幹を、思い切りたたき付ける。

 鈍い痛みが伝わってきた。それだけだった。

「ちくちょう、ちくちょう!」

 激しい憤りが彼の感情を竜巻のように駆け巡る。

 ランディに対しても、アンジェリークに対しても、自分に対しても、憤っていた。

 荒れ狂う感情を持て余して、ゼフェルは自分自身を抱きしめた。

 持て余す自分の感情を、どうしていいかなんて・・・分かるはずがなくて、表にでてよこうとするそれを、必死で押しとどめようとするしかなった。

 いつもの彼ならば・・・激昂の原因がもっと別のことならば、きっと、爆発する感情に身を任せていただろうが・・・今は、そういうわけにはいかないのを、彼は、自分で分かっていたのかもしれない。 

 ―――けれど、押しとどめられ、鬱屈された感情は爆発する機会を伺っていた。

「・・・・! ゼフェル、さま?」

 甘い声が、森の木々に反響した。

 彼が、ずっと聞きたかった声。

 彼が、今、一番聞きたくなかった声。

 顔を上げると、そこには、彼女がいた。そう、アンジェリークが。

「どうしたんです? ・・・怪我、してる!」

 アンジェリークはゼフェルの暗い表情に気付いて眉を寄せながらも、ゼフェルの顎から滴り落ち、手から流れる血に気付いて、駆け寄ってきた。

 慌ててポケットからハンカチを取り出して、顎の血を拭い、手を取り上げて・・・・・。

「おめー・・・」

 感情を押し殺したゼフェルの声が、頭の上から響くのに、アンジェリークは反応しなかった。

 反応しないようにしているようだった。

「なんでだ?」

 脈絡のない突然の問いかけ。

 だが、きっと、彼女には通じているはずだった。ゼフェルには確信があった。

 なのに、アンジェリークは聞こえないフリをした。

 ゼフェルの手の怪我に、殊更気遣っているいる様子をみせて、ゼフェルの言葉を無視したのだ。

「無視すんなよっ!」

 自分の手の血を拭うアンジェリークの腕を掴んで、強く自分の方に引き寄せた。

 顔を上げた彼女の瞳は・・・彼を責めるように細められていた。

 ―――なんで、そんな表情をするんだ? 

 理由など、彼にはわからなかった。

「私が決めたことです」

 そっけなく、彼女は答えた。

 その態度に、ゼフェルの鬱積された感情は、爆発せずに入られなかった。。

「オレとは、遊びだったっていうのか!? あんだけ、一緒にいたのに・・・あんだけ、傍にいたのに・・・! おめー、何を考えてるんだ!?」

 激昂したゼフェルに、アンジェリークはひたすら悲しげな瞳を向けるだけ。

「結局、おめーは、そんなオンナだったんだ! オレの見る目がなかったんだ! オレを振り回しといて、おめーは結局あいつを選んで・・・オレ、ピエロじゃねーか!? オレ、馬鹿じゃねーか!? ひとりで、盛り上がっていただけなのか!?」

 じっと、彼女はゼフェルを見つめ続けていた。

 愁えた表情が、更に深くかげる。

「あなたが・・・」

 呟いて、言葉を飲み込んだ。

「言い訳があんなら、言ってみろよ!」

「・・・ゼフェル様が、私を拒絶したら・・・」

「あ?」

「だって、私、好きって言ったのに・・・・・・」

 その自分自身の言葉が彼女の感情の発露の引き金となったように、彼女は激しい口調で話し出した。

「本気で好きって、言ったのに・・・・・・ぜんぜん取り合ってくれなくて・・・決心して言ったのに・・・冗談か、って笑われて・・・いくらなんでも、ひどいよ! 気持ち、否定されて、私の事、なんとも思ってないみたいな事言って、なんで、今、そういう事を言うの!? 勝手すぎるよ!!」

 感情が激昂するままに、アンジェリークは涙を流した。翡翠の瞳から流れる涙は、限りなく澄んでいた。

 感情豊かで、涙腺のもろいアンジェリーク。そんな彼女だから、いままで、たわいないことで涙するのを、何度か見たことがあった。けれど、こんなふうに激しく涙を流す彼女を、ゼフェルは初めて見て、呆然とした。

 そんなゼフェルの様子に気付いたアンジェリークは、必死で涙をこらえ、自分の気持ちを落ちつけながら、再度口を開く。

「・・・ランディ様、私を必要だって言ってくれた。はっきりと好きだって言ってくれた。私を手放したくないって。ずっと、一緒にいたい、って。私、ランディ様が好きよ。優しい、彼が好き。私を大切にしてくれるから。でも・・・」

「オレがもっと優しくしてたら、よかったのか!? あいつみてーに、赤面しちまうようなセリフ、はいてれば良かったのか!?」

「・・・! 違う、違うっ! そういう事じゃない! 私は、ただ、ただ・・・」

「アンジェリーク?」

 不意にはいる第三者の声に、ふたりは押し黙った。

「ここにいたの?」

 いつもどおり、さわやかな風を身にまとって現れた青年に、ふたりとも緊張した表情を隠せなかった。

 けれど、鈍い青年は、別のことで気分を害したらしく、形の良い眉根をよせて、ゼフェルを睨みつけた。

「ゼフェル! また、アンジェリークにひどいこと言ったのか!?」

 真っ赤になったアンジェリークの瞳をみて、ランディはそう思ったようだ。彼が、ふたりの思いに気付いているはずがなかった。

「おまえは、なんだって、そういつも、デリカシーがないんだ? 今度、アンジェリークを泣かせたら、俺がただじゃおかないからなっ!」

 幸福に有頂天になった青年は、ふたりの間に流れる気まずい雰囲気などお構いなしに、アンジェリークを優しく立ち上がらせると、彼女にデートの続きを促した。

「ランディ様・・・すぐに行きますから、先に公園で待っていてくださいます?」

 アンジェリークのお願いに、ランディはゼフェルと彼女を見比べて戸惑ったが、すぐに余裕の笑みを浮かべて、うなずいた。

「待っているから、早くおいで」

 完全に、アンジェリークが自分のものになったという、余裕の笑みだった。

「・・・・・・おめー、幸せか?」

 憤りを含んだまま、静かに問い掛けるゼフェルに、アンジェリークは複雑な表所を浮かべて頷き、きびすを返した。

「幸せに、なります」

 ゼフェルに背を向けたまま、動かないアンジェリーク。

 そう、ゼフェルの言葉を待っているのだ。

 引き止めてくれるのを、待っているのだ。

 けれど・・・ゼフェルは素直になれずに・・・言葉が、出てこなかった。

 今、引止めなければ、という理性の声に、拗ねてふてくされた不器用な心が同調してくれなかったのだ。

 しばらくの、重い沈黙の後、アンジェリークが、無言のままゆっくりと歩を進めた。

 そして・・・。

「・・・・ばいばい・・・」

 最後に、風に掻き消えるような言葉がゼフェルの耳に届く。

アンジェリークは振り向きもしなかった。

 最後に見た彼女の表情・・・悲しそうな、切なそうな・・・それでいて、憤っているような、なんとも言えない複雑なそれが、残像となって、彼の網膜に焼きついて離れなかった。いつまでも、いつまでも、離れなかった。


 新女王の即位は、一週間後と決まった。つまりは、アンジェリークとランディの結婚式も一週間後に行われるのである。

 飛空都市にいた守護聖たちが聖地に居を移し終えるのに時間はかからなかった。

そして、聖地では、仲睦まじい婚約者たちの様子が、各所で目撃されたいた。

 あれから、ゼフェルは、アンジェリークと会話さえしていなかった。

 ゼフェル自身が、彼女を・・・彼らを避けていたからだ。

 憤りが過ぎ去り、ゆっくり自らの考えに没頭できる時間がきて、ゼフェルは屋敷に閉じこもって色々と考えていた。

 自分がどうするべきか、を。

 愛しい思いはかわらない。

 いや、会えない分、以前より募っているかもしれない。

 会いたくて、会いたくて、しかたがない。

 声が聞きたい。そのぬくもりを感じたい。

 すぐ傍で、あの金の絹糸のような髪が光を反射して煌くところや、翡翠色の瞳が感情を宿して目まぐるしく色を変えるところを、見ていたい。

 気が、狂いそうになる。

 愛しい気持ちが凶器になって、彼を苦しめ、追い詰める。

 このまま、この思いを抱えて生きていかなければならないのだろうか? 

 幸福に笑いあうふたりを傍で見ながら、生きてゆけるのだろうか?

 そんな、生き地獄に耐えられるのだろうか?

 見方を変えれば、彼女はずっと聖地に留まってくれる・・・傍にいることになる。

 けれど・・・いくら傍にいても・・・心の距離は、現実の距離なんかとは比べきれないくらいに遠い。

 今なら、彼女を引き止められるのではなかろうか?

 何度も思ったけれど・・・幸せそうに笑う彼女を見かけるたびに、その気持ちは消える。

 そして・・・思う。諦めの心が、内から彼に言い聞かせるように。

『アンジェリークが幸せなら、それでいいんじゃねーか? 所詮、オレの片思いだったんだ。きっと、はなから、叶うはずがない想いだったんだ。だから、オレの気持ちなんかより、あいつの幸せを願ってやったほうが、いい。辛いけど・・・いつか、この気持ちに整理がつく時もある・・・また、穏やかな気持ちで、彼女と話せる日がくる。だから、諦める。彼女を、諦める。いつまでも未練たらしく思ってると、あいつが困るから・・・オレが、すっぱり諦めなきゃなんねーんだ』

 何度も、そうやって自分に言い聞かせて・・・やっと、気分が凪いできた頃・・・彼女との決別の日がやってきた。

 彼等の、結婚式である。

 当然、気分が穏やかなはずはない。

 いきり立つ気持ちを何度も抑えて、やり過ごして・・・彼等を祝おうと心がけた。

 絶対に、取り乱すまいと心に誓った。

 アンジェリークの、幸せの為に・・・。

 けれど・・・・・。

「ねぇっ、ちょっと覗きに行こうよ!」

 そう言って、マルセルが手を引くのに、自分の好奇心もあいまって、ゼフェルは逆らえなかった。

 覗きに向かったのは・・・花嫁の控え室。

 式は聖殿にて行われる。

 花嫁となるアンジェリークは、その聖殿の一室で式が始まるまで親族や女性たちに囲まれて待機しているはずだった。

 採光の為に、カーテンが大きく開けられていて、室内を覗き込むのは容易だった。

 まず目に飛び込んできたのは・・・純白のウエディングドレス。

 ふんわりと柔らかく膨らんだポンパドール風のスカートはふんだんにレースが用いられていて、いつもオイルにまみれているゼフェルにとっては、まるで夢の世界の衣装に思われた。

 ドレスを着ているアンジェリークは・・・ついさっき、即位したばかりの、自信に満ち溢れた新女王と談笑しているようで後姿しか見えない。

 その部屋には他に、アンジェリークの両親らしい中年の夫婦と、聖殿勤務の侍女がふたりいた。

「うわぁ! すごく綺麗!」

 マルセルが小声で呟く。

「ねぇねぇ、ゼフェル! 僕さ、はじめ、ランディってズルイ、って怒ってたけど・・・今はね、よかったって、思う。だって、ランディのおかげで、アンジェリークがずっとここにいてくれるんだからさ♪」

 言って、にっこり笑いかける。

 ――ガキだな・・・。

 ゼフェルは内心はき捨てるように呟いた。

 ――そりゃ、アンジェリークはずっとここにいてくれるさ。けどよ・・・あいつは、もう、ランディのモンなんだ。あいつだけのモンになっちまうんだ・・・。

 アンジェリークの背中を見て、ゼフェルは唇をかみ締める。

 諦めたつもりだったのに、やはり、現実を目の前にしてしまうと、激しい想いがゼフェルの中を駆け巡る。

 ――ちゃんと式に出て、祝ってやるつもりだったけど・・・オレ、だめだ・・・。見てらんねぇ・・・。やっぱり・・・オレ・・・。

「あっ・・・!」

 警戒するような低く短いマルセルの声に、はっとして顔を上げると・・・。

 緑の瞳があった。

 大きく見開かれて、こっちを見ている。

 大人びて見える表情は、施された化粧のせいだけでなくて……どこか、深い翳りをやどしているせいもあるだろう。

 常とは違うアンジェリークを目にして、ゼフェルは硬直せずにはいられなかった。

 そして、眼差しは、光を反射して煌く、ウエディングドレスとはあまりにも不釣合いなカジュアルすぎるイヤリングを捕らえて・・・彼は、雷に打たれたように、動けなくなった。

「怒られちゃう! ねっ、ねっ、もう行くよ、ゼフェルっ!」

 マルセルが、たたたっと小走りに駆けていってしまっても、ゼフェルは微動だにできなかった。

紅を刷いた唇が、うっすらと開かれ、呟きを吐き出すように微妙に動いた。

 緑の瞳の眼差しと吐き出された言葉には、魔力があったのかもしれない。

 本当に、動けなかった。体が・・・というよりも、心が、その場から離れるのを、かたくなに拒否していた。

 女王が青い瞳を険しく尖らせてこちらに歩いてくるのが視界の端に見えた。そして、それをアンジェリークが制しているのも。

 アンジェリークは、悲しげに瞳を細めてゼフェルをじっと見ると、何事か女王と両親にに伝え・・・人払いをしたようだった。

 女王も両親も、困惑したような、それでいて心配げな顔でアンジェリークに何か言っていたようだが・・・それらすべての言葉を、彼女は首を振って拒否していた。

 部屋には、アンジェリークひとりになった。

 彼女は、愁えた表情を崩すことなく、ゆっくりと窓まで近づいてきて・・・窓を、開けた。

 ふんわりとした優しい香水の香りが、ゼフェルを覚醒させた。

「おめーなんで、人払いなんて・・・」

 どきどきしていた。

 断ち切ろうとしていた未練が、徐々に心の中で大きな位置を占めはじめていた。

「最後に、あなたに言いたかったの」

 小首を傾げて微笑む。

 結婚を目前にした花嫁らしくない・・・今にも泣き出しそうな切ない微笑み。

 日の光を反射した金属製のイヤリングが、きらきらと光って、彼女の白い頬を照らし出していた。

「・・・・ありがとう・・・」

「・・・!」

 にっこりと笑ったその表情! どうしようもないくらい、切ない顔。泣き顔よりもずっと切なくて、見ているだけで心を引きちぎられそうな気がする。

 ――だめだっ!!

 自制を促す自分の理性を撥ね退けたゼフェルは、思わず手を伸ばして、彼女を自分に引き寄せた。そうせずには、いられなかった。

 彼女のそんな表情、見ていたくなかった。

 だから・・・・・・。

「結婚、すんな・・・。やめちまえ・・・」

 彼女の体が、腕の中でこわばるのがわかった。

「あいつなんかと結婚すんの、やめちまえよ・・・」

 覆いかぶせるように言い募ると、ゼフェルの肩に頭を預けていたアンジェリークが身じろぎした。ウエディングヴェールが、さらさら揺れて、彼の顎をくすぐる。

「・・・・・・」

 小さな呟きが聞こえる。

「・・・?」

 彼女の声が聞き取れず、ゼフェルは首をかしげて、彼女を抱きしめる腕の力を緩めた。

 アンジェリークは、腕を押してそっとゼフェルを突き放すようにして・・・体を離すと、まっすぐに彼をを見た。

「・・・なんで、今更そんな事を言うの?」

 静かに彼女は言った。

 少年は、何も言わなかった・・・言えなかった。自分だとて、今更であることは、重々承知しているのだ。

「今更・・・遅いよ・・・・」

 消え入りそうな声だった。

 背を向けた少女の細い肩が小刻みに震えていた。

 泣いているのか?

 彼の胸が、激しく痛んだ。

 彼女を泣かせるのは、いったい何度目だろう。

 ゼフェルは、強く唇を噛んだ。

 彼女が泣くたびに、胸が切り裂かれそうなほどに痛いのに、不器用な自分は、彼女を慰めてやることもできずに、ただ、木偶のように立ちすくむだけ。

 でも、今度は・・・もう、後がないから・・・彼女を泣かせて、それで終われないから・・・彼は、口を開いた。

 彼女を諦めようと言い聞かせてきた心が・・・弾けた。

 ゼフェルは、言葉を紡ぐ。ひどく不器用な自分を苦々しく思いながらも、必死で言葉を選んで。

「オレ・・・後悔してる。すげー、後悔してんだ。おめーを手放しちまったこと・・・」

「そんなこと、なんで言うの?」

 少年の言葉の終わりを待たずに、覆いかぶせるように少女は言葉を投げかけるけれど、少年は、彼女の疑問を聞かないふりをして、自分の言葉を続ける。

 そうでもしないと、伝わらないから・・・・今、この時を逃したら、伝えられないから・・・・・。

「今更だって、分かってるよ! でも、オレ、もうこれ以上、自分の気持ちを誤魔化せねぇ。だって、誤魔化しちまえば、今度は一生後悔することになる。自分の愚かさを、一生悔いて生きて行かなきゃなんねー。んなの、ごめんだ・・・・・絶対に、嫌なんだ!!」

 少女は、今度は何も言わない。

「おめーとあいつが、楽しそうに話をしてるだけでも、オレ、たまらなった。おかしくなりそうだった。けど、おめーが、それで幸せなら、オレ、我慢しようと思ってた。オレの事なんて考えなくてもいい。おめーが、幸せになれれば、構わねーって、思った。けど・・・けど・・・」

 少女に近づき、その耳を彩るイヤリングに手を触れる。

「これ、見た瞬間、頭がふっとんだ。おめーが、オレに、あんな表情を見せるから、オレ、決心がついた・・・・・・」

 複雑な感情の色を宿している緑の瞳を覗き込み、ゼフェルは、自分の想いを必死でまとめながら・・・アンジェリークに、向かった。

 玉砕覚悟の、一大決心だった。

「オレ、おめーが好きだ」

 とたんに、アンジェリークの目が、見開かれた。

 構わず、続ける。

「だから、結婚なんてやめちまって・・・オレと、行こう!」

 どこにか?

 なんて、聞くまでもなかった。

 一瞬にしてアンジェリークの瞳から、涙が零れ落ちて・・・彼女はゼフェルの胸の中に飛び込んだ。

「・・・このまま、止めてくれなかったら、どうしようかと思ってた・・・」

 ゼフェルの背中を抱きしめて、アンジェリークは泣いた。

「・・・・・・・行くぞ?」

「・・・・・・・・・・うん」

 ウエディングドレス姿のアンジェリークの体を抱き上げ、部屋から出るのを手伝って・・・ふたりは、駆け出した。

 どこへ行くのかなんて・・・お互い、言わないでも決まっていた。

「アンジェリーク!!」

 聖殿を去る間際・・・アンジェリークが人払いをしたとの報告を受けたランディが、慌てて彼女のところに駆けつけてきて、走り去ろうとする彼女を制したけれど・・・。

 アンジェリークは、振り返ってにっこり笑う。

 彼女の彼女らしい表情で。

「ごめんなさい、ランディ様! 私、駆け落ちします!」

 無邪気に笑う彼女の笑顔に、ゼフェルもつられて笑う。

「そういう事だ。じゃぁなっ!」

 ランディは顔色をめまぐるしく変えて、ふたりを追いかけようとしたが・・・この手の事情に目ざとい、オスカーとオリヴィエに押しとどめられていたようだ。

「好きだぜ、アンジェリーク」

 ゼフェルの言葉に何度もこくこく頷いて、アンジェリークは笑った。

「大好きです、ゼフェル様」

 主星から遠く離れたたかの地、エリューシオンで、ふたりは、互いの強い想いを、今度こそ確かめ合った。


後日談

「アンジェリーク・・……」

 めそめそ泣き続けるランディ。

 それはそうだろう。

 結婚式の当日に花嫁に逃げられるなんぞ、男としてこれほど情けないことはない。

 そんなランディの肩にぽん、と、手を置くのは、オスカー。

「いつまでもくよくよすんな、ランディ。今度、俺が、いいオンナ紹介してやるから、な?」

 けれど、振り返ったランディの表情は、相変わらず暗かった。

 ――こりゃ、あの事を話すのは、まだ無理かな……。

 ゼフェルとアンジェリークの居場所は、すぐに割り出され、女王陛下自らが説得に向かった。宇宙にただ一人の鋼の守護聖と女王補佐官を失うわけにはいかないからである。

 ふたりは、はじめこそ拒否していたが、風の守護聖以外の守護聖全てが一度ずつ説得に来たとあっては、しぶしぶと聖地への帰還を了承せずにはいられなかった。

 そして……近いうちに、聖地へと帰ることを約束したのは、昨日のこと。

 ――もちろん、ふたりは、エリューシオンで、結婚式を挙げていた。大神官に見届けられた、ふたりだけの結婚式を。


「あううっ……アンジェリーク……」

 結局、一番、ワリを食ったのはランディだったが……彼が、立ち直れる日は、いつなのか、今はまだ、分からない。

 栗色の髪の少女と、金の髪の少女がやってくるのは、もう少し先のお話。

〜END〜


カウンター8888ヒットでちひろ様よりいただいたリクエストを元に
書かせていただいた創作小説です。

<独り言・反省>

やっぱり、いただいたリクエスト内容から、ちょっとずれちゃってます・・・・・・。

ラブラブって、意識して書こうと思おうと、ムズカシイですね。

あううっ、スミマセン〜。

また、ランディ様が、かわいそうな事に・・・・・・。

やっぱり、ランディ様はこうでなくっちゃ(笑)。