『従者ルードハーネの本懐』 ああ、遂に! 遂にやってくるのですね、運命の刻が! ならば、私は・・・! 拳を強く握りしめ、私は決意した・・・そう、おふたりの幸せのために、私はできる限りの事をしないとなりません。 ダリウス様、梓さん、おふたりの幸せは私が全力でお支えいたします! 事の起こりは、二時間ほど前。 ダリウス様の書斎にて、ダリウス様が仕事復帰のためにと私が用意した書類に目を通されていた時の事です。 一年もの長い眠りから目覚められてやっと半月、私としてはまだしばらくは養生なさっていて欲しい所でしたが、ご本人がどうしても、とおっしゃられるのであれば、従者である私はその命を聞かないわけにもいかず・・・。 長期間眠られていたにも関わらず、現在ではほとんど以前通り生活なさっているのは・・・さすがと申しましょうか。 しかも、目覚められてからは熱心に世情を調べられて、一年間の空白があったとは思えないほど世の情勢を理解されておられる。 さすが、私が主と決めた方。 けれど・・・ただ、ひとつだけ、少々問題が・・・。 目覚められてから一週間後、ダリウス様は梓さんとご結婚されたわけですが・・・いえ、私は大賛成こそすれ、反対の意志は一かけらもなく、それ自体は問題がないのですが・・・ですが・・・。 「そういえば、梓はどうしてる?」 ふ、と書類から顔を挙げて問いかけてこられました。 かつて梓さんの世話係をしていた私ですが、さすがに梓さんの動向すべてを把握しているわけではありません。 「おそらく、階下にてお掃除でもされているのではないかと。・・・今日は虎もコハクもおりませんし」 「呼んできてくれる?」 「・・・はい」 不躾ではありますが、またか、と思ってしまいます。 新婚。 その甘い、魅惑の響き。 私にはまだまだ縁遠い言葉ではありますが、それがいかほどに甘美なものであるのか、何とはなく想像が働きます。 いえ。 ダリウス様が目覚められたのは、梓さんのおかげ。愛しい女性が、己の為に悲しむ姿を見ている事ができずに、遂に長き呪いの眠りから目覚められたのです。 ですから、ダリウス様がいかほどに梓さんを愛し求めておられるのか・・・それゆえに、彼女と結ばれたばかりのこの新婚生活がどれほど大切なものなのか、私は理解しなければいけない。 これしきの毎度のわがま・・・いえ、お命じくらい、きちんと叶えてさしあげなければ。 私はダリウス様に会釈をして退出し、梓さんがいるであろう階下・・・おそらく厨房に向かった。 案の定、梓さんは厨房の床掃除をされていた。 ダリウス様の奥方になられたのだから、と何度か止めはしましたが、梓さんは首をかしげて「ダリウスと結婚はしたけど、それはそれでしょう? 一緒に暮らしているんだから、これまで通り手分けすればいいじゃない。ルードくんの負担ばかり増やせないよ」と、おっしゃられ、これまで通りに当番制で家事雑事等をしてくださっています。 「梓さん、ダリウス様がお呼びですよ」 「・・・え? また? ・・・というか、私掃除中なんだけど・・・」 首をかしげて少しだけ呆れたようにため息をつかれました。 「掃除は私が引き継ぎますから、梓さん、ダリウス様の元に・・・」 「ルードくんは、ダリウスを甘やかしすぎだよ! とはいえ・・・まだ病み上がりみたいなものだから、甘やかしたい気持ちは私も分かるけれど」 これらのやりとりは、おふたりが結婚されてからの日常茶飯事と言えるかもしれなかった。 長時間・・・とはいえ、ほんの二、三時間程度、梓さんと離れている時間があると、ダリウス様が梓さんを探し始めるのです。 梓さん曰く「淋しがりの子供みたい」との事で・・・いえ、ダリウス様に対して、大変失礼な物言いなのですが、私も実は、その・・・少しだけ賛同したい部分もあり・・・。 一年間の空白を埋めるように、梓さんを傍に置いておきたい・・・とのお気持ちは、分からないでもないのですが、こうも頻繁だと、さすがに・・・。 「うん。今日こそびしっと言ってやるから」 手にしていたモップをテーブルに立てかけて置いて、勢いよく前掛けを外すと、梓さんは力強くわき腹に手を当てられました。 「ルードくん、掃除の続きは私が後でするから、そのままにしておいてね」 気合が入っています。 さすがの梓さんも、こうも頻繁に呼び寄せられるのは煩わしくなってきているのでしょう。いくらダリウス様とご結婚され、妻女になられたからとはいえ、彼女には彼女の生活があるのですから。 ダリウス様に意見できるのは、この邸では梓さんくらいのものです。 私は心中で応援する。梓さん、頑張ってください、と。・・・面と向かっては応援できるはずがない。 さて、それから小一時間経っても梓さんは厨房に戻ってきませんでした。 おふたりの時間を気遣って、ダリウス様の書斎に戻ることなく食堂とリビングの掃除を終えた私は、次に夕食の下準備にかかるために厨房に向かったのですが、モップとエプロンは梓さんが出て行った時のままで、さすがに少々不安に感じました。 邪魔はしない方がいい・・・とは思いつつ、もしかして、ふたりの間になにか諍いでもあったのではないかとの不安がどんどん大きくなってくると、居ても立ってもいられなくなって、遂に私はダリウス様の書斎に向かいました。 もし、おふたりが喧嘩でもされているのであれば、微力ながら私が仲裁に入らせていただかねば、と覚悟を決めて。 足音を忍ばせ、書斎に近づく。 もし、私の心配が単なる杞憂であるならば、おふたりの邪魔はできません。 果たして、おふたりは。 薄く開いた書斎の扉から、言い争うような声が聞こえてきました。 やはり、喧嘩を!? ひやりと冷たいものが胃の腑に落ちて来た感覚がしましたが、このまま部屋に飛び込むのは無粋かもしれません・・・夫婦喧嘩は犬も喰わない、との言葉もあるではないですか。 扉の隙間から中を覗き込み、ふたりの会話を聞こうと耳をそばだて、聞こえてきたものは。 「・・・からっ、いい加減にしてっ」 「だめだよ。君こそ、そろそろ観念なさい」 「しないっ。人の言質を取って、いちいちどうしてそういう事を言うの! それとこれは違うからっ」 「言質だなんて。これは、事実だよ」 「ダリウスみたいなやり方は、口八丁手八丁と言うのよ。・・・っ! もう、だから、その手! 手ぇ!」 「ふふっ。上手い事を言うね、梓。それでは、君のお言葉通り、手八丁で・・・」 「だから、そういう事、は、だめぇ!」 様子は、扉の隙間からでは良く見えない。 けれど、これは・・・犬も喰わない、の方の判断で良いのでしょうか。 どういう経緯があったのかは分かりませんが、小一時間もの間、おふたりはこんなやり取りを繰り返されていたのかもしれません。 状況は分かりませんが・・・なんというか、これが新婚夫婦のいちゃいちゃ、というものでしょうか。 聞こえてくる会話だけで、赤面してしまいます・・・。 ・・・というか、もしかして、今私がしている事も出歯亀というものではないでしょうか!? 己の愚劣な行為にはっとして、私はその場を離れようとしたのですが、耳に飛び込んで来るおふたりの会話にいましばし、足を縫い止められました。 「それじゃあ、子供は作れないよ?」 「今じゃない! すぐにとは言ってないよ! いつかは欲しいけど・・・何も、こんな日の高いうちから・・・っ」 「今晩まで、待てないね。君から誘惑してきたくせに」 「してないからっ! ダリウスは人の言葉を自分の都合の良いように解釈しすぎだよっ。私はそもそも・・・やっ、っ!」 「そもそも、なに?」 「っ・・・!! っ、だからぁ・・・だめぇ!」 おふたりが何をされているのかは、分かりません。ええ、分かりませんよ! けれど、想像が働きそうになって、極限まで真っ赤になっているであろう自分の顔を、私は己が手で叩きました。 それよりなにより、私が失念していた事を、それらの会話により気づかされました。 子供! そう、結婚してご夫婦になったおふたりに次に訪れる人生のイベントと来れば、お子様でしょう! 梓さんのご懐妊です! もちろん、そんな急に・・・という事はないでしょうが、これだけ相思相愛のおふたりであるからにはきっと、近々に違いありません! ああ、私としたことが! 妊婦用の洋服、産着、お子様用の布団等々、どのように作ればいいのか、下調べをしなければなりませんね! 今まで作ったことがないものです、ウェディングドレスは一年かけて形にできましたが、これらは数も必要ですし、きっと時間がかかるでしょう。 今のうちから、用意をしておかないと間に合わないかもしれません。 梓さんやおふたりの御子に、誰が作ったかわらかないような市販品や、他人のお下がりを使わせるわけには参りませんから! 「だめっ、だめだめだめ! そっ、そろそろ戻らないと、ルードくんが心配するし・・・!」 「夫と触れ合っている時に、別の男の名前を出すのは感心しないね」 「ちょ、そんな・・・っ、だめだってば! やっ、たっ、助けてっ!」 「助けない」 「やぁ! 誰か、たすけてー!」 「ふふふっ。誰も助けに来ないよ」 私が決意を固めている間にも、おふたりの会話は聞こえてきました。 ・・・助けを求められている気もしますが・・・この場合は、助けない方が良い、のですよね。これが梓さんのおっしゃっていた「空気を読む」という行為なのでしょうか。 ま、まあともかく。 おふたりは激烈にじゃれ合っておられますし、邪魔をしないように厨房に戻りましょうかね。 そして、私は、厨房にもどって呼吸を落ち着け。 様々な事を想像しながら、冒頭の決意を固めたのでした。 ・・・梓さんが戻って来られたのはそれから半刻ほど後。 乱れた髪を整えながら・・・って、そのお姿が妙に艶めいて見えるのは、やはり、その・・・。 私は梓さんに気づかないふりをして料理の下ごしらえを続けました。 女性はそういった事を指摘されたくないもの・・・とは、コハクの言葉です。 「ルードくん、ごめんね」 梓さんの方から声をかけてこられました。 「あ・・・その、いいえ、私は別に・・・」 「お掃除は明日必ずするから」 はぁっ、と長く深いため息をつかれる姿は、新妻の色気・・・があるかもしれません。 「梓さん、片づけは私が後でしておきますから、あなたは休まれては・・・」 ついつい顔を赤らめてしまいます。 べ、別にあれこれと想像しているわけではないのですがっ。 「・・・ダリウスってば・・・人を散々からかって、いじりまわして、それで、癒される、って言うんだもの。悪趣味なんだからっ」 梓さんは厨房の椅子に疲れた様子で座りこまれました。 「何なのかな、あれは、もう! ・・・ダリウスって、昔からあんな感じなの? その・・・親しい人に対して、とか」 親しい人・・・。 私とダリウス様は鬼の里で生まれ育ちました。 お互いに里を離れている期間はあったものの、昔からの知己と言っても良い関係です。 けれど、私は鬼の首領の跡を継ぐべく、幼いころから鬼の術や勉学に研鑽を重ねていて、ダリウス様との親交はほとんどなく、うわべくらいの事しか存じ上げません。 だから私がダリウス様の従者となってからの五年に関して言えば。 「ダリウス様は、里のどなたとも分け隔てなく親しくされていたと記憶していますが・・・そうですね、特別親しい人、という方は思い当たりませんね。ですから、私やコハク、虎に対する態度が強いて言えばこれまでの親しい人への態度、かもしれません」 そう、ですから、梓さんへのそれが、特別で特殊で特異なわけで。 近頃・・・梓さんと結婚されてからのダリウス様は、とても嬉しそうで幸せそうで・・・こんな風なダリウスさまの態度はこれまで見たことがありません。 普段から鬼の首領として立派な物のお考え、立ち居振る舞いや言動をされるダリウス様が梓さんといる時は・・・失礼な物言いになるかもしれませんが、まるで年相応の恋する男性そのものに見えてしまいます。 「・・・梓さんはダリウス様にとって、初めてできた特別な存在なのかもしれませんね」 「・・・っ!」 梓さんは息を飲んで押し黙ってしまいました。 顔は真っ赤です。 「特別・・・そっか・・・」 そうです! あのダリウス様が、本気で妻にと望んだ女性なのですから、特別でないわけがありません。 それに、彼女だからこそ私も尽力したいと思うのです。 ダリウス様の傍らにあって、ダリウス様を生涯支えられる女性は、彼女だけです! もちろん、ダリウス様のお子様を身籠られるのも彼女だけ。 ・・・ああ、おふたりのお子様は、いかほどに可愛らしく利発な方でしょうか。想像するだけで、身震いしてしまいます。お会いする日が、心から楽しみです。 そして、私はダリウス様の従者として、きっと・・・! 「おふたりのお子様は私が立派にお育ていたしますから、ご安心ください」 つい、心の中の声が言葉になってしまったようです。 はっとして、梓さんの顏を見れば、真っ赤になってふるふる震えていらっしゃいました。 「る、る、ルードくんっ! そ、そういう事・・・なんで・・・っ」 立ち上がって、目を白黒させて、混乱しながら次に言うべき言葉を探されているようです。 「し、失礼しました! つい、その、おふたりのお子様の事に心を馳せてしまっていて・・・!」 「・・・っ! も、もしかして、さっきのダリウスとのやりとり、聞いてたの!?」 「いえ、その、梓さんのお戻りがあまり遅いので・・・いや、けれど、ほんの少しの会話だけで、おふたりが睦み合っている所までは聞いていませんし、もちろん見てもいませんからっ!」 「・・・!! む、睦み・・・」 梓さんは首筋や腕まで真っ赤になってしまいました。 「っ!! っっ、ぁ!」 口をぱくぱくさせていますが、言葉が出て来ない様子です。 かくゆう、私も慌ててしまっていて、どう言いつくろっていいのか・・・。 その時、ふたりして慌てまくった空間にのんびりした声が割って入りました。 「・・・何をしているのかな、君たちは」 非常に可笑しそうな声でしたが、間違いようもなく・・・ダリウス様、で。 「ふたりとも真っ赤な顔をして。・・・つい、不貞を疑いたくなるじゃないか」 不穏当な言葉ですが、あからさまにからかっている口調です。 「ダリウス!」 「ダリウス様!」 ふたりで同時に叫んでしまいました。 いつの間にかダリウス様が厨房の入り口にいらっしゃっていました。 「不貞なんて、とんでもない!」 私の方が咄嗟に否定をしました。どんな些細な不審でも拭っておかねば気がすみません。私がダリウス様を裏切るなんて有り得ませんから! 「まぁ、俺と睦合った直後に他の男に目移りするような子じゃないよね、梓は」 「・・・! っ、あ、あ、ダリウスっ! そ、睦、って、そんなの! そんな事、してないしっ!」 ダリウス様は完全にからかっている口調なのに、梓さんは本気でムキになって否定しています・・・きっと、こういう純粋な所がダリウス様にとって癒しになるのでしょうね。 「こんな時間にそんな事、しないしっ!」 ・・・梓さん、なんだかその言葉も相当恥ずかしいです。こんな時間じゃなければ・・・と、合いの手を入れたくなります。 ダリウス様も、どうやって言いくるめようかとにこにこ上機嫌な顔をされています。 ・・・こうやって簡単に言質を取られるのですね、梓さん。 「うん、日が暮れてからだったらいいんだよね。梓は意外と積極的だからね」 「・・・っっっっつ・・・!!!」 梓さんは、言葉さえ発する事ができなくなって、震えながら・・・ついには、倒れこみ・・・。 「・・・梓っ!」 私が支えるより前に、ダリウス様が空間移動をされ、梓さんを抱きしめられていました。 「っ、っ・・・ひ、酷いよ、ダリウス・・・」 ダリウス様の腕の中に納まった梓さんは・・・泣き始めてしまって。 「そ、そんなの、人前で言うことじゃないよっ」 度を過ぎたからかいに、感極まってしまったようです。 「・・・梓、ごめん。君の反応があまりに可愛かったから・・・すまない」 声を押し殺して泣く梓さんと、彼女を腕の中に抱きしめるダリウス様・・・私の方がこの場を退出した方がいいのでしょうね、この場合。 泣きながらダリウス様をなじる梓さんを腕の中に抱いて、何度も謝罪を繰り返しながらも・・・ダリウス様はとても幸せそうに見えました。 ・・・やはり、この調子でしたら、おふたりに御子が授かるのはきっと、すぐ。 私も色々と準備と覚悟をしなければなりませんね。 ダリウス様の・・・いいえ、おふたりの幸せこそ、従者であるこの私の本懐であるのですから! おしまい |